ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

また逝ってしまった

2008年12月29日 14時51分31秒 | クライミング
昼前、友人からの電話で目が覚めた。
「ねえ、知ってる?森君が死んじゃったよ」
「え、まじ?」
起きしなの眠気眼の中、水をぶっかけられたような電話だ。友人の話だと中央アルプスで滑落したらしい。
「岩場かなんかだったのか」
「落ち葉でも踏んだんじゃないかな。宝剣以外の中央アルプスの尾根でロープ出すようなところ聞いたことないから」
すでに遺体は収容されたということのようだ。蒲団からはいずりだし新聞を確認すると社会面のベタ記事に「中央アルプスでは東京の男性が不明」との記事があった。ネットの速報では県警のヘリがすでに遺体を収容したと報じている。

森啓さんとは今年春、伊豆の海金剛で「太陽賛歌」を一緒に登ったことがあった。写真はその時、フォローで登る森さんのもの。会ったのはその時だけだけど、時折メールを出し合い、都合があえば一緒にまた登ろうと約束を交わした。ちょっととぼけた感じだったけど、笑顔の素敵な30男だった。謹んでご冥福を祈りたい。

それにしても今年はこの手のニュースをよく聞いた。山岳スキーヤーの新井裕己、マッキンリーで遭難した井上祐人、山田達郎、クーラカンリで雪崩に襲われた加藤慶信、有村哲史。いずれも20~30歳代のバリバリの若手クライマーやスキーヤーだった。つまり今年は、僕と同じ世代で登山界を引っ張っていた人物が次々と姿を消してしまった年であったのだ。

直接面識のある人もいれば名前だけ知っている人もいるが、彼らが死んだと聞くたびにぽっかりと心に穴があいた喪失感に襲われた。森さんの事故を伝えてくれた友人の言葉が胸に響く。
「なんでこんなに死んじゃうんだよ」
自分の世代でこんなに死ぬと、今度は自分かななんてふと思ってしまう。登山やっている人はみんなそう思うんじゃないだろうか。でも、死ぬかもしれないなんて切迫感はその瞬間にならないと訪れないから、みんな登山を止めることはない。

同世代ではないけど、熱気球で太平洋を横断している最中に行方を絶った神田道夫さんの遭難も今年だった。神田さんとの思い出を描いた石川直樹君の「最後の冒険家」で、神田さんが探検部出身の新聞記者に冒険を誘ったくだりがあるけど、実はそれは僕のこと。僕は神田さんの太平洋横断について何度も取材していた。

冒険や登山に命のリスクはつきものだけど、これだけいろんな人が死ぬとさすがにやるせない。

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ボガラの村人

2008年12月23日 14時22分17秒 | 雑記
雪男捜索隊の八木原圀明副隊長が年明けに再びネパールに向かうらしい。アメリカのケーブルテレビが雪男の番組を作りその中で僕らの捜索についても取り上げるようだ。ヘリで近くの村までアプローチして八木原さんがスタッフを現場まで案内する予定だという。

僕は10月に隊の捜索が終わってから、また、ひとりで取材を兼ね現場に向かった。現場というのはダウラギリ山系のコーナボン谷。70年代から雪男の目撃や足跡の発見が相次ぐ場所だ。僕の目的は雪男を見つけるため一人でもう一度監視活動を続けることと、コーナボン谷で遭難死した鈴木紀夫について調べることだった。17日間独りで山の中にこもり、正直言って孤独に耐えられなくなり帰ってきた。

今回、八木原さんが向かうのもこのコーナボン谷。僕は一人で旅したとき、ボガラという最奥の村の住民に大変世話になった。すごく貧しい村なのだが、彼らは僕をただで泊めたり、飯を食べさせてくれたりした。写真はボガラの村人のもので、真ん中より少し右に立っている赤いシャツのおっさんがサマラル・プンという、僕が一番頼りにした人だ。ハンターでトラも撃ったことがあるという(本当か?)男で、1987年夏に鈴木紀夫の死体を発見したのもこの人だ。まだ帰国してから1か月も経ってないけど、懐かしくなって八木原さんに写真をサマラルに渡してもらうようお願いした。ちなみに真中左で肩をいからせて写っている青いシャツの少年は、この時、近くの川でヒキガエルを2匹捕まえてきてくれて、それを一番左に写っているおっさんが料理してダルバートの中に入れてくれた。白身魚と鶏肉の中間みたいな味でうまかった。

山の中にサマラルを連れていった時、よく「ムスコ、ムスコ」って叫んでたのを思い出す。コーナボン谷にすんでいる動物で肉がうまいらしい。話を聞いているとどうもジャコウジカのようだ。70年代はコーナボン谷にたくさんいたらしいが、肉がうまくてボガラの連中がとり過ぎたため、最近はすっかり少なくなったらしい。現在ではワシントン条約で取引が制限される希少動物になってしまった。結局サマラルは、僕が滞在している間にジャコウジカを仕留めることはできなかった。仕留めていたら密猟になるが。

本当にうまいのかなあ。それなら食ってみたいなあ、ジャコウジカ。
コメント (2)
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カメラ購入2

2008年12月20日 12時48分04秒 | 雑記
パノラマ合成もこんなにきれい。
って言っても、こんなにちっこいと分らないか……。
想像してください、想像。


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カメラ購入

2008年12月20日 12時32分51秒 | 雑記
以前からヨドバシカメラの店頭でいじくって欲しくなっていたキャノンパワーショットG10を、酔っぱらった勢いでネット購入!

昨日、届いたので、早速、S市駅前で試し撮りした。素晴らしい……。
このずしりとした重量感。やはりコンデジとはいえカメラはこうでなくではいけない。左手に露出補正、右手にモード変換とISO感度の補正ダイヤルがついていて、非常にスムーズな動作で撮影できる。これは大きい。いちいちメニューボタンを押さなくていいので、ファインダーや液晶をのぞきながら簡単に自分の撮りたい写真に近づけることができるからだ。もちろん画像も非常にきれいだ。


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サバイバル

2008年12月20日 02時46分58秒 | 書籍
服部文祥「サバイバル!」(ちくま新書)を読んだ。前著「サバイバル登山家」では学生時代に知床半島で吹雪に閉じ込められる話から始まったが、今回はヨーロッパアルプスで登攀中に墜落して九死に一生を得る話から始まる。

雪男捜索に出発するだいぶ前に服部さんに会った時、「新書を書いてるけど、サバイバル登山家と同じ本になっちゃいそうだよ」と言ってた。前回とは違うエピソードをそろえたが、確かに内容は前著を少し削ぎ落としたという印象。でも相変わらず言葉づかいが巧みなので一気に読むことができる。

服部さんのやってることって、基本的に釣りや鉄砲を交えた山登りなので、こういうことやっている釣り師や沢屋ならおれの周りにもいるよって思う人も多いと思う。でも、面白いのは行動の背後にある確固たる思想を、わかりやすい言葉でストレートに表現している点だ。ここまで考えて、というか、何かを感じて山を登っている人っていない。僕ものんべんだらりと登ってるし。ただ、登山やってない人は、文章の思い入れが強い分、「サバイバル登山家」の方が面白く読めるのではないだろうか。

ところで、僕は新聞記者の時代、服部さんのサバイバル登山を夕刊社会面で取り上げたことがあった。販売促進に大変寄与させていただいたのだが、その時、一緒に取材名目で越後の沢でプチサバイバル登山をしてきた。
僕の車で出かけたので、当時住んでいた埼玉県熊谷市の駅で待ち合わせしたんだけど、服部さん、あの時、獣臭かったなあ。山の中に入って20メートルくらい離れてて、姿が見えなくてもどこにいるか臭いでわかった。

しかし、その後、町であっても臭わない。なぜだろう?曜日によって臭いが変わるのだろうか?

うーん、サバイバル登山は奥が深い!

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帰国

2008年12月06日 01時39分15秒 | 旅行
12月4日、無事帰国した。バンコク経由の飛行機チケットだったけど、バンコクの空港占拠の影響で代替チケットを手配して、結局デリー経由で日本に戻ってきた。

でも、ちょっとしたハプニングが発生。

体は成田についたけど、飛行機に預けた荷物が届いてない。調べてもらうと、どうもトランジット先だったデリーの空港に残っているらしい。あとから配送してもらう分には一向かまわないのだけど、その荷物の中にはなぜか自宅のカギをしまっていた!

アパートの管理会社に合鍵を貸してくれと頼むと、「防犯上の理由でたとえご本人様でも貸せないことになってます」。なんと理不尽な……。こっちは家賃を払ってるのに。日本はそこまで住みにくい世の中になっているのかと驚いたけど、どうしようもない。しょうがないから緊急時に解錠してくれる業者に連絡して開けてもらった。

11550円也…。

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足止め

2008年12月02日 19時04分56秒 | 旅行
現在、カトマンズ。バンコクの政変の騒乱のあおりを受けて、もう10日近く滞在中。本当は1日にカトマンズを出発して、今日の早朝には成田に到着予定だったけど、足止めを食らってしまった。

で、ひまだからブログを作ってしまった。

なんとかデリー経由でのチケットに振り替えてもらい、明日出発できるらしい。それにしてもバンコク経由のツーリストはみんな出国できないので、顔の見覚えがある外国人がどんどん増えてきた。

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