ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた

2015年12月26日 11時52分22秒 | 書籍
ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた
クリエーター情報なし
原書房


グリーンランドでウヤミリック(現地にいる私の犬の名前)と旅をするようになってから、犬という動物の特殊性について非常に強い関心を持つようになった。グリーンランドにおけるイヌイットと犬との関係の強さは特別だ。彼らは犬をペットとして買っているわけではないので、われわれ、外部の人間からみると時々、手ひどい扱いをしているように見えるときもある。たとえばトンカチでぶん殴ったり、使役犬として役に立たなくなると絞殺したりするなど、だ。ただ、それは表面的なものであり、その奥にある両者の関係は、もっと何というのだろうか、お互いに深い依存関係を構築しているといった感じがある。イヌイットは犬がいたからこそ極地という人間の生活環境のなかでは最も過酷な地で生き抜いてこれたわけだし、犬もまた人間に生活まるごと寄り添ったほうが有利だと判断したために自ら人間の使役動物となる道を選択した。そういった両者の原初的な関係性が彼らの生活からはにじみだしている。

つまり、グリーンランドのようなむき出しの自然における人間と犬との生活をみていると、原始時代の人間とオオカミからちょっと枝分かれしたばかりの初歩段階の犬って、こんな関係だったんだろうなあという印象を受けるわけだ。同じ家畜でも豚や羊や馬とはちがって、犬からは種全体で歴史的に人間を利用してきたというしたたかさがうかがえる。積極的に人間の意図と読み取り、人間を喜ばせようとし、生活まるごと人間に取り入って人間の庇護下に入ることで自然のなかを生き抜くことを選択した特殊な動物。そんなわけで石器時代において犬と人間はなぜ手を取りあうという選択をしたのかが、目下のところヒトの進化史における私の最大の関心事だ。

この刺激的なタイトルの本は、内容的には非常に面白かった。ポイントをかいつまんで言うと、ユーラシア先住民だったネアンデルタール人は気候変動や遺伝子の劣化で衰退の途を辿っており、そこに現生人類がアフリカを出てユーラシアに拡散してきて、ネアンデルタール人絶滅の最期の引き金をひいた。現生人類がネアンデルタール人より有利だったのは、種としての能力の差もあるけれど、最も大きかったのはオオカミを手なずけて家畜化することに成功したことである。ネアンデルタール人と現生人類とオオカミはいずれも食物連鎖の頂点ギルドを形成する競合者であったが、その三者のうちの二者が協力関係を築くことでネアンデルタール人ばかりでなく、ホラアナライオン、ホラアナハイエナ、ホラアナグマなどの他の捕食者たちも次々と絶滅し、現生人類は一気に全地球状に拡散していった。といったところだろうか。

まったく壮大なストーリーだ。シオラパルクで人間と犬との関係の強さを見ていると、イヌは人間の居住地域の拡大に非常に大きな力を発揮していたんだろうなあとは思っていたが、まさかネアンデルタール人を滅ぼしていたとは思わなかった。本書の内容はもちろん仮説にはすぎないが、初期の犬の化石がこれまで考えられていたよりもっと古い時代にさかのぼるといった最新の考古学的な知見を反映しているようで、説得力のある内容になっている。

今後知りたいのは、石器時代の人間がどうやってオオカミを手なずけ、またオオカミはどのようにイヌになったのかという、その具体的な過程だ。なぜ警戒心の強いオオカミが人間に心を開いたのか。最初の一頭は何を考えていたのだろう。できればオオカミの心が知りたい。ただ、まあ、それは化石から分かることではないだろうから、ウヤミリックの動きを見て想像するしかあるまい。

こういう本を読むと、ウヤミリックとの次の旅が非常に楽しみになる。来年は、ユーラシアでネアンデルタール人と遭遇した四万年前のクロマニョン人の気分で極夜の旅に出発できそうだ。

ちなみに学説の内容は面白かったが、本としてはデータと学説の羅列がつづくため、ちょっと読みにくい。もう少し面白くまとめることができたはずなのだが。集英社のkotobaのノンフィクションの書評を頼まれており、それで読んだ本だったが、ノンフィクションの書評対象としてはボツかな。

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おちんちん

2015年12月18日 15時41分30秒 | 雑記
父親と娘とのあいだに築かれる関係は基本的にセクシャルな感覚にもとづくものである。自分に娘ができて、彼女のことを観察するうちに私はいくつかの発見をしたが、これもそのうちのひとつだった。私が自分の娘にのぞむことは、美しい女になってほしいということである。ゴリラの研究者になってアフリカの森で野外活動をしてほしいが、それはまず、美しい女になるということが前提にある。ゴリラの研究者になるならジェーン・グドールみたいにならないと意味がない。ジェーン・グドールはチンパンジーだけど、でも娘には不細工なゴリラの研究者にはならないでほしい。なぜなら不細工なゴリラの研究者はゴリラに間違われる可能性があるからだ。いやちがう。そうではない。私の娘のお尻には黒いあざがあり、私は娘が四歳になったらそれをレーザー手術で取り除いてあげたいと思う。だが、それはたぶん初めてセックスする男がそのあざを見て、私の娘に対して少し幻滅をいだくだろうからであり、私はそのわずかな幻滅を、私の娘とはじめてセックスする男から取り除いてあげたいのである。そんなセクシャルな感覚が、すべての父と娘との関係の根底にはながれている。

グリーンランドに出発する前、娘は一歳になったばかりで言葉もほとんど話すことができなかった。そのとき、お風呂に入れるのは私の役目だったが、娘は私のおちんちんを見ては、その存在に気がつかないふりをしていた。見てはならないもの、気まずいものを見たような顔をしていた。何かが目の前にあるが、それを口にしてはいけないという配慮が、彼女の意識には働いていた。当然だが、娘は私以外の男の裸をまだ見たことがなかった。このときはまだ、児童館のお友達のおちんちんも見たことがなかったろうから、私のおちんちん以外に、生き物のグロテスクさを露出させる肉体器官を目にする機会はなかったのである。そのグロテスクさにまだ一歳三カ月だった娘は敏感にタブーの存在をかぎとっていた。彼女が人類普遍の禁忌に触れた最初の瞬間である。

ところがグリーンランドから帰国すると事情は変わっていた。帰国後はじめてお風呂にはいっていたとき、すでにかなり発語の能力が高まっていた彼女は、私の、すっかり忘れていたおちんちんを見て、「おとうちゃん、これ、何?」と訊ねてきた。私はどぎまぎした。生まれてこのかた、自分の性器を指さされて、これ何? と訊かれたことはなかったのだ。不用意に情けなくぶら下がっている私の性器。その質問は私の存在そのものに疑問をなげかけているに等しかった。

これ何? このグロテスクな肉組織は何? このグロテスクな肉組織をあなたは何のためにぶら下げているの? これ必要なの? あなたは何のために生きているの? 

私は自我が根本から揺らぐのをかんじた。「おちんちんじゃないかぁー」と答えをはぐらかすよりほかなかった。同時に彼女はすでに比較対象物を得ていて、私のおちんちんに異質な何かを感じとったのだろうか、と思った。すでに禁忌に慣れ始めていたのだろうか。彼女は友人のしんちゃんのおちんちんをすでに見ているので、そのしんちゃんのおちんちんと私のおちんちんの形状と印象に断絶があるのを察知し、ついそうした無遠慮な質問に及んだというのだろうか……。

私の答えに納得したのか、それ以来、彼女は私の性器に特に疑問をもった様子はみせなかった。ところが昨日、彼女は、私の性器が周囲の空間から浮いていること、表面の皺とか黒光りしている感じがあまりに生々しく、お風呂のすべすべとした空間にうまく溶け込んでおらず突出して不自然であることに改めて疑問をもったらしく、突然、まじまじと見つめた後、おもむろに人差し指で指さして、きわめて斬新な指摘をした。

「おとうちゃん、おちんちん、痛そうだね」

おお! どうやら娘の目にはずっと私のおちんちんは痛そうなものにとして映っていたようである。包皮からズルムケになり内部の肉組織があられもなく露出した私の海綿体は、赤く、紫がかっていて、外界の刺激から保護する殻や膜におおわれておらず、とても敏感そうに見えたようなのだ。空気に触れるだけで身悶えしてしまいそうなほどに……。

「いたくないよ、どちらかといえば気持ちがいいんだよ」

とは、もちろん言わなかった。私は娘の言葉のみずみずしさと感受性の豊かさにすこし満足した。さらに娘はこう付け加えた。

「おとうちゃん、おちんちん、小さいね」

こうして彼女は私の性器の小ささを指摘した女性の最年少記録を更新した。

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甲斐駒ヶ岳赤石沢S状ルンゼ

2015年12月16日 00時08分40秒 | クライミング
以前から甲斐駒赤石沢源流部のルンゼが気になっていた。登山体系によると摩利支天ルンゼとS状ルンゼというのがあるようで、12月初めなら雪崩の心配もなくアイスを楽しめるのではないかとにらんでいた。どんなルートかは不明。しかしそこにこそ登山の醍醐味はある。ということで9~11日に、大部君と一緒にS状ルンゼから奥壁へ継続する計画で甲斐駒へ向かう。

アプローチは八合目岩小屋からBバンドを下って、Bフランケ基部からS状ルンゼへ取り付く計画だったが、散々まよってBバンドではなくAバンドを下ってきてしまう。赤石沢の対岸にはS状ルンゼが白く切れ込んでいるが、なにぶん異常気象の暖冬で、下部のナメ滝は氷結しているものの、真ん中の垂直の滝はカラカラに乾いてしまっている。

まちがってBフランケ基部ではなく、Aフランケ基部からアプローチしたため、赤石沢本流の40mチョックストーン滝を高巻くために、1ピッチ、面倒くさい垂直の藪バンドを登り、懸垂でS状ルンゼ取り付きにおりたった。ナメ滝をコンテ混じりで登り、垂直の滝へ。30m2ピッチ。垂直の壁のところどころにへばりついた土の塊にアックスを突き刺し、直径2センチの細木にランナーをかけて、じりじりと登る。ヴァーティカルな草付ダブルアックスのあとは、ブランクセクションが現れ、クラックにカムをつっこんで右へ振り子トラバース。灌木にアックスをひっかけて、垂直の藪壁を登って滝上に出た。草付グレードK5。あまりに暖かいため、滝どころか、草付も土も凍っておらず、目や耳のなかに植物の破片や土が入りこんできて非常に不快だった。アイスクライミングというより完全に農作業、ドライツーリングではなく土起こしの世界である。

滝の上には樋状の滝100mというのがあるはずだが、スラブの上に薄雪がかかっているだけで全然凍っていない。そのままラッセルで摩利支天と本峰のコルに出て登攀終了。計画では八丈バンドから奥壁へ継続の予定だったが、11日は朝から雨だというので、本峰経由で八合目に戻り、翌日、異様な高温と時折降りしきる雨のなか下山した。

S状ルンゼは凍れば奥壁に継続するのにいいルートかもしれないけど、わざわざ登りにいくところではないなあというルート。それより収穫はこの氷柱。



よくわからないが、奥壁右ルンゼの下部だろうか。この暖冬、異常高温状態で、これだけの氷ができるということは、3月の積雪の多い時期に冷え込んだタイミングを狙えば上までつなっているかも。右ルンゼだとしたら赤石沢の谷底から9合目あたりまでつづくロングアルパインアイスが楽しめる可能性がある。

しかしあらためて写真見ると、本当にこれ12月?という感じ。正月も冬山にはならないかもなあ。せっかく手術を延期したのに、本当に今年は終わっている。気象庁は6年ぶりの暖冬とか言っているけど、そのレベルじゃないでしょ。


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