伊藤計劃「ハーモニー」を読む。「虐殺器官」もそうだったが、物語の舞台設定に恐ろしくリアリティーを感じるところが、伊藤計劃の小説のすごいところだ。
「ハーモニー」の舞台は現代の政治的、社会的なパラダイムが影響力を失った、生命至上主義社会である。健康が最も価値を持った社会だ。生命至上主義社会において、人間は体内にインストールした分子機器で、病気やストレスの兆候を事前に読み取り、そのリスクを排除している。老い以外に死へのリスクはない。このようなリスク回避的な傾向は人間同士の関係性の中にも現れ、他者を傷つけるような言動、行為は、モラルとしてすべて避けなければならない。倒錯した慈愛にみちた、窮屈でやさしくて、生きにくい社会である。
このような社会を伊藤計劃は、不安定でリスクに満ちた自然を管理下におこうとしてきた人間の歴史の必然であるととらえている。人間の肉体こそが、まだ管理できていない残された自然の一部であると定義し、ハーモニー的社会において、ついに人間は自らの肉体を完璧にコントロールすることに成功する。そして残された最後の自然は人間の意識である。意識をどのように封印するかをめぐり、小説は進んでいく。人間は自然の管理を進め、その結果、自らの肉体、意識までも管理に置こうとして、そして人間であることをやめていくのだ。
今の日本の社会を覆う異常なまでのリスク回避的な傾向、健康への不健康なまでの傾斜を思うと、ハーモニーで描かれたような生命至上主義的な社会には非常に説得力を感じる。以前、フランシス・フクヤマは「歴史の終わり」の中で、現代の資本主義と民主主義こそ人間の社会制度の最終的な姿であり、その意味で歴史はすでに終わっているとの論を展開したが、伊藤計劃の小説は完全にその先を行っている。夭折が惜しまれる。
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夜は第二回しんこうえんじの会。極地探検家舟津圭三さんが、1989~90年の犬ぞり南極横断のスライドを披露。北極旅行に向けて非常に刺激になった。