沈黙の山嶺(上) 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト | |
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白水社 |
ウェイド・デイヴィス『沈黙の山嶺』を読む。because it is there(そこに山があるから)の言葉で有名なジョージ・マロリーを軸に、1920年代の英国のエベレスト挑戦を描いた歴史大河山岳ノンフィクション。本編だけで上下巻700ページ、かつ二段組の大作だが、時差ボケでどうしても目が覚めてしまう早朝の長い時間を利用して一気に読み終えた。ヒマラヤ登山の話を、これほど壮大な叙事詩にまとめあげた作品はないのではないか。登山史に関心がある人でなくとも、豊かな読書を体験できること請け合いの素晴らしい作品だった。
1924年の遠征でマロリーは若い隊員アーヴィンとともに最後の登頂への挑戦に出発する。隊員のノエル・オデルは第五キャンプから、予定より大幅におそい時間に、頂上につづく北東稜をゆく二つの黒い人影を認める。その後、稜線にはガスが立ちこめたためオデルは二人の姿を見失い、そして二人が山を下りてくることはなかったのだが、マロリーはこのとき自らの死と引き換えにエベレストに永遠に解かれることのない謎を残すことになった。もしかすると彼はエベレストの頂上に立っていたのではないかという謎だ。
本書はこの謎に正面から取り組んでいるわけではなく、1924年の遠征に関しては最後の2章があてられているだけだ。それでも全体的な物語の構造は、マロリーが最後に頂上に向かうことに決めた、その行動に収斂されるように書かれている。実際にこのときの遠征隊の隊員が成し遂げた成果は、当時の貧相で劣悪な装備や、高所順応のタクティクスに関する知見がほとんどなかったことを考えると、ちょっと信じられないものだった。マロリーの前に頂上を目指したノートンは酸素ボンベなしで8573メートル地点まで到達し、そこから引き返しているが、この驚異的な記録は1952年のスイス隊まで破られることはなかったのである。
いったい、この1924年の英国隊というのは何だったのか。本書の視点が独特なのは、1921年、22年、24年とつづいたエベレスト遠征隊を、第一次大戦と絡ませて描いている点だ。第一次大戦についてほとんど何の知識もない私は知らなかったのだが、当時の欧州の若者は戦争に駆り出されて、ほとんどが死んだらしい。ヘミングウェイが『日はまた昇る』で描いた‟失われた世代”というやつだが、この失われた世代という意味は、戦争で精神が荒廃し、心に闇をかかえてしまったという意味の‟失われた”ではなく、文字通り戦死してその世代の多くが存在しなくなってしまったという意味での‟失われた世代”だった。マロリーをはじめとした20年代の英国隊の隊員の多くはこの世代にあたり、彼らのほとんどが戦場に駆り出されて、奇跡的に生き延びた男たちだった。そのことを強調するため、著者は本書の序盤と、また個々の隊員を紹介するくだりで、必ず彼らの戦争体験について詳しく触れ、彼らが見た戦場の死を執拗なまでに生々しく描写する。
20年代のエベレスト隊員がバーバリーのツイード地の服を着て、ゲートルを足の巻き、何十キロもの重さのキャンバス地のテントを担いでエベレストの‟死の領域”に踏み出せたのは、戦場を経験した彼らにとって死というのはあまりにもありふれたものだったからだ。それが著者の言いたいことで、生の内側に死を取りこんだ人間に特有の死生観が、マロリーが最後、頂上に向かって足を踏み出した理由なのだということを、この本は700ページにわたって述べているわけだ。
こうした観点が冒険になじみのない読者にどれほど受け入れらるのかよくわからないが、私個人としては納得のいくものだった。一度、死を取りこんだ生は、死を感じることができないと輝くことはない。頂上に吸い寄せられるように向かったマロリーには、死を絶対悪として忌避する心性はすでに失われていた。たとえそれが死の淵にあるものだとしても、生を燃焼させることができるなら、それを避けるべき理由は彼にはなかったのである。
マロリーの遺体は1999年に米国の探検隊に発見され、センセーショナルに報道された。その調査の一部始終を描いた本も出ており、マロリーの謎の詳細について知りたい人はこちらもお薦めである。
そして謎は残った―伝説の登山家マロリー発見記 | |
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