ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

なにをしにいったのかわからない山行

2010年12月30日 18時23分34秒 | 雑記
28日から三日間の予定で、群馬県のS野さんと南アルプスの塩沢にアイスクライミングに行ってきた。

始発で高崎に行き、S野さんに拾ってもらう。上信越道を走り約3時間、長野の伊那インターを下り、高遠から戸台に向かう道に車を止め、歩き始める直前にわたしがヘッドランプを忘れたことに気がついた。迷った挙句、伊那のホームセンター、コメリまで戻りヘッドランプを購入。そんなこんなしているうちに、この日は予定していた塩沢の二俣まで到達できず、約1キロ手前で幕営した。

翌日、さらに衝撃的忘れものに気がついた。テントを出発し、新雪の積もった、えらい歩きにくい川原を苦労しながら登り、二俣にその日に泊るテントを張る。それから塩沢左俣を登り始めたのだが、F1手前の小さな滝でアイゼンをつけようとしたら、どこかおかしい。靴のコバにアイゼンをひっかけようとしたのだが、ひっかからない。

あれ、このアイゼン、何か足りねえなあ……。あ! よく見ると、靴の前側のコバにひっかける金属の部品(あれ、何て言うんだろう?)が、ない! よく考えてみると、わたしはあの部品を、雪稜登攀用の横爪アイゼンと共用しており、そういえば春に鹿島槍に言った時に、その金属の部品を横爪アイゼンにつけたままだった……。横爪アイゼンに付けた時、絶対におれは次にアイスで縦爪アイゼンを使う時、この金属の部品を忘れることになるんだろうなあ、などと思い至ったことを思い出し、実際、その通りになってしまったことを、南アルプス塩沢左俣F1手前で、よし今シーズン最初のアイスクライミングをするぞ、と群馬県からはるばる車を運転してやって来たS野さんの目の前で知ったのだった。

当然、アイゼンをつけることができなければ、アイスクライミングはできない。ああ、どうしよう、どうしよう。でも、どうしようもねえや。

わたしは現状をS野さんに余すところなく報告。S野さんも、そりゃどうしようもねえなあと笑い飛ばしたので、当面の問題は無事解決とあいなった。ダメもとでダイニーマスリグを切断し、アイゼンにひも状にして縛ってみると、一応、靴に取りつけることができたので、F2まで登り、翌日、下山した。


こんな感じです。リードもしたけど外れなかった。

何をしに行ったのか、さっぱり分からない山行だった。こんなことが二度と起こらないように、今から横爪アイゼンから金属の部品を取り外し、縦爪アイゼンに付け替える所存であるが、でもそうしたら、次に雪稜に登りに行く時、金属の部品がついていない横爪アイゼンをもっていくことになりはしないか心配である。

まあ、金属の部品を買い足せばいいだけの話なのだが。


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戦禍のアフガニスタンを犬と歩く

2010年12月23日 10時18分12秒 | 書籍
戦禍のアフガニスタンを犬と歩く
ローリー スチュワート
白水社


ローリー・スチュワート「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」を読む。極めて上質な旅行記だ。今年ナンバーワンの本だったかもしれない。

筆者は2001年、タリバン崩壊後のアフガンに入り、ヘラートからカブールまでのアフガン横断中央ルートを冬に徒歩で旅行した。冬の中央ルートを横断するのは極めてまれで、彼はムガール帝国初代皇帝バーブルの旅行記を参考にしながら、冒険徒歩旅行を続けた。途中で巨大な犬(バーブルと名づけた)を仲間に加えて。

読んでいて、とにかく知性の深さと余裕ある態度に感嘆させられる。行く先々で出会う人々との会話や態度、小さなモニュメントから文化的な遺産に至るまで、自分が見た風景のことごとくに、複雑極まりない多民族国家アフガニスタンの歴史的相貌を読みとっていき、そこに対峙した自分をユーモアあふれる文章で表現している。英国人が何より大事にするユーモアとは、このような命がかかった旅の中でこそ発揮されるらしい。タリバン崩壊後のアフガンの国情もよくわかる。

著者のローリー・スチュワートはオックスフォード大学在学中からウイリアム、ヘンリー両王王子の家庭教師を務めたというバリバリのエリート。イギリス陸軍、外務省、イラク暫定統治機構などで活躍後、ハーバード大学ケネディー行政大学院人権政策センター長になったという。確実に英国の将来を担う人材で、ひょっとしたら首相になって世界に影響力を及ぼしかねない人物だ。

こういう人物がキャリアの途中にアフガン徒歩旅行という冒険旅行に挑戦し、当たり前のように元のキャリアに戻っていくところが日本とは違う。チャレンジする価値への掛け値なしの同意が文化的深層にまで組み込まれているから、アングロサクソンというのは強いのだろう。20年ばかり経済が低迷したからって、あたふたして生気がなくなる日本とは、そのへんが違う。
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夢の女(雪男捜索隊の日記より)

2010年12月22日 19時40分08秒 | 雑記
雪男本のリライト作業のため、雪男捜索隊の時に書いた日記に目を通していたら、「最高の夢を見た」との記述を発見。爆笑した。

夢の中でわたしはどこかの大学のパソコン教室に通っているらしく、そこでミヤザキさんなる女性と知り合った。日記によると、「目が大きく、華奢で、胸と尻の小さな女性」だった。髪は黒くて長く、身長は155センチ程度。「木村佳乃に似ていた。似ているというよりそのものだった」

要はそのミヤザキさんなる女性と、ある日の夕方、突然、恋に落ちるという設定なのだが、その過程がボーイズビーを読んだ時みたいに恥ずかしい。赤裸々にこのブログに書いて読者に笑ってもらおうかと思ったが、やばすぎるので控えておこう。ちなみに木村佳乃は全然わたしの好みではない。

幸せな気持ちのまま夢から目が覚めると、隣に寝ていたのはミヤザキさんではなく、8000メートル峰を三つも登った猛者、ヒゲもじゃのM隊員だった。現実の厳しさに打ちのめされながらも、わたしは「最高の夢を見ました」と彼に報告した。

「どんな夢だ」とM隊員。
「ミヤザキさんという女性とつきあったんです」
「何歳の女だ?」
「28です」
「年齢まで知っているのか!」
「ええ、結婚しましたから」
「下の名前は?」
「わかりません」
「結婚までしたのにか!?」

ヒマラヤまで雪男を探しに行って、なんというアホな会話をしていたのだろう。思わず本の中にこのエピソードを盛り込もうと思ったが、さすがにやめることにした。当たり前か。


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裸の山

2010年12月20日 11時39分43秒 | クライミング
裸の山 ナンガ・パルバート
ラインホルト・メスナー
山と渓谷社


北極に向けてトレーニング量を増やす一方、贅肉の量も増やさなければいけないという二律背反的課題に苦しんでいる。朝の食パンに塗るマーガリンの量を増やし、昼飯に食べていた塩鮭を鶏肉のから揚げに変更し、夜食の炒め物の油の量を倍増させ、米の量は1・5倍に。チョコレートを間食し、寝る前に必ずポテトチップス一袋をビールで流し込む。不健康極まりないが、ちょっと楽しい食生活を続けている。涙ぐましい努力のかいあり、少し腹まわりの贅肉が増えてきた。この調子で頑張りたい。

ラインホルト・メスナー「裸の山」を読む。超人メスナーが、弟ギュンターを失った初のヒマラヤ登山について赤裸々に報告した本。1970年、有名なドイツのヒマラヤ遠征オーガナイザー、カール・マリア・ヘルリヒコッファー博士のナンガパルバート登山に、メスナーは弟のギュンターと参加した。4000メートルの絶壁、ルパール壁から登頂に成功した二人は、下山で進退きわまり、やむなく反対側のディアミール壁へ向けて下りだす。だが弟ギュンターはディアミール壁の末端で行方を絶ち、メスナーはひとり生還する。

その後、メスナーはヘルリヒコッファーや他の隊員らから、この行動について誹謗中傷を受けた。つまり最初から彼はナンガパルバートの横断を計画しており、その途中で足手まといになった弟を置き去りにし、結果的に見殺しにしたのではないか、というのだ。「裸の山」でも書いている通り、メスナーはディアミール壁下降の最後で、ギュンターは雪崩に襲われ行方不明になったと主張してきた。あとがきによると、2000年と05年にディアミール側の氷河で人骨が発見され、DNA鑑定などの結果、ギュンターである可能性が高いとの結果が出たという。つまりメスナーの言った来たことに、間違いなかったということだ。

メスナーはこの時の登山を「ナンガパルバートの赤い信号弾」という本にまとめて出版したが、ヘルリヒコッファーとの騒動の渦中で禁書となっていた。そのためメスナーは2002年にこの本を出版し、このほど邦訳された。文体は詩的に過ぎてどうかとも思うが、登山に関心がある人には必読の本である。
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A3

2010年12月15日 23時07分54秒 | 書籍
A3【エー・スリー】
森 達也
集英社インターナショナル


森達也「A3」を読む。麻原彰晃がなぜ、あのような一連の犯罪をおかしたのかを真摯に見つめる内容だ。

カルトや狂信的テロ集団が生じるのは別に珍しいことではない。カリスマ性のあるリーダーと、閉鎖的な空間があれば、それはいつでも現れうる。取材を通じ、森達也は煩悶を繰り返し、その煩悶を通じて取材対象の本質に迫っていく。麻原という絶対的な悪が生じたのはなぜか。そこを見つめなければ、私たちは結局、オウム事件から何も学ぶことができないのではないか。その姿勢に共感する。

森達也の本はいつ読んでも刺激的だ。どの本も大衆が権力性を帯びていくことに対する反抗が根底にあるような気がする。誰もが反論できないような分かりやすい正義、インターネットの発達や安直に大衆に迎合するメディアがそれを助長していく現在の日本の風景、それらに対して森達也はいつも疑問を投げかける。分かりやすい正義から漏れ落ちていく事実には、実は見つめるべき大事なものがあるのではないか。森達也はインタビューを通じて自分の弱さを赤裸々に書くし、相手の弱さも表現する。

こういう表現ができるのは、テレビの出身者であることが大きな理由になっていると思う。森達也の本は、常にシーンの連続だ。新聞記者はデータとして有用な内容ばかり重宝するから、シーンは不必要な情報として切り捨ててしまう。しかし映像を撮っている人はシーンの中に本質が現れることを知っている。ちょっとしたしぐさや表情の中に相手の本音を見つけ出す。だから森はインタビューの時に見たシーンを常に文章の中で表現しようとする。そこにノンフィクション作品としての完成度の高さを感じる。

   ☆

本の雑誌の企画で高野さんと対談。内容は「探検の時に使える本」ということだったが、探検の時には本を持っていかないということで意見が一致してしまった。こんなんで大丈夫なのだろうか。
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超時代錯誤人間かくはた

2010年12月14日 20時44分59秒 | 雑記
北極に行く前に、雪男本の原稿を仕上げることになり、現在、リライト中。今日は資料を改めて調べるため、国会図書館に行ってきた。ヒマラヤ探検史を調べると必ず名前が出てくる古典、ローレンス・ワッデルの「アマング・ザ・ヒマラヤ」を読み直しているうちに、面白いことに気がついた。

ワッデルのこの本はシッキムのヒマラヤを探検したもので、雪男の足跡の話を世界で初めて紹介したことで有名だ。彼が足跡を発見したくだりを読んでいると、実はワッデルがこの時、一緒にいたガイドが、キントゥプであることに気がついた。わたしの「空白の五マイル」を読んだ人は知っていると思うが、キントゥプはツアンポー峡谷に大滝があるとの噂を世の中にもたらした伝説的探検家だ。

キントゥプのツアンポー探検報告の中には大滝の話があり、それがきっかけで当時の探検家たちはこの滝をさがすことに夢中になった。ワッデルは別の雑誌の中で、ツアンポー峡谷の滝の伝説について書いており、この記事もツアンポーの滝伝説が事実であることを示す補強材料になった(実際には事実ではなかった)。そしてその後、この二人はコンビを組みシッキムを探検、その最中に雪男の足跡を見つけたわけだ。

簡単にいうと、ツアンポー峡谷に大滝があるという伝説を広めたのはキントゥプとワッデル。ヒマラヤに雪男がいると広めたのも、キントゥプとワッデル。そしてわたしはツアンポー峡谷に滝をさがしに行って、それを本にし、さらにネパールに雪男をさがしに行って、それも本にしようとしている……。

百年前の人間と同じことをしている自分に気づき唖然。つくづく自分は1870年くらいに生まれてくるべきだったと痛感した。
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目標80キロ

2010年12月14日 02時42分30秒 | 雑記
日曜は探検部後輩A井につき合ってもらい、藤坂ロックガーデンでアイゼントレ。Ⅲ級、Ⅳ級、Ⅳ級+、Ⅴ級、5・10a(とグレーディングされているが、どう控えめに見積もっても5・8)の各ルートを計8本リードし、満足感を覚える。今週末は八ヶ岳でアイスと思っていたが、錫杖岳で岩登りに変更かな。

月曜は日経ナショジオの伊藤社長の紹介で、BMWジャパンのクルーガー社長と会う。クルーガーさんはドイツ人で初めて南極点に徒歩で到達した冒険家でもあり、極地探検についていろいろと助言してくださった。

「一番重要なポイントは」とクルーガーさん。「もっと太ることだ。そんな細い体じゃあ、すぐにばててしまう。チョコレートとピーナッツバターをがんがん食べた方がいい。わたしは現在85キロだが、南極に行った時は105キロまで増やした。女性の目は気にするな。帰ってきたらもっとやせている」とのこと。

「何かトレーニングはしているのか?」
「1日20キロ走ってます。酔っぱらってない時に限りますが」
「ランニングはみんなやるけど、あまり意味がない。一番いい訓練は、タイヤを引っ張ることだ。北海道に帰って、これから毎日タイヤを三つ、引っ張った方がいい」

説得力のある助言だったが、仕事があるので北海道に帰るわけにもいかないし、東京でタイヤを引っ張ったら、完全に不審者だ。ピルグリメージメソッドも相当あやしいが、皇居でタイヤを引っ張って歩くよりはましなので、時間を見つけて、60キロの荷物を担いで歩くことにする。

午後はマーモットの金さんと打ち合わせ。商品を提供する代わりに広報媒体で露出して欲しいとのこと。自分の活動や執筆になんら影響なさそうなので、引き受けることにした。

クルーガーさんのアドバイスを受けて、夕食の後、寝るまでの間に、チョコレートとリンゴと辛ラーメンを食べる。現在72キロなので、80キロまではなんとかいきたい。
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しんこうえんじの会(仮称)

2010年12月11日 09時53分20秒 | 雑記
朝日新聞近藤記者の音頭で、開高賞を祝うささやかな会を開いていただく。会場は登山家大蔵喜福さんが新高円寺に開いているレストラン「自然食」。集まったメンバーがすごい。九里徳泰さん、竹内洋岳さん、谷口けいさん、廣川まさきさん、朝日、読売各新聞を代表する美人記者YとMなどなど。日本の冒険界を代表する皆さま方を前に主役を張らせていただき、大変、はばかる。未明まで飲み、しこたま酔った。

世界で女性初のピオレドール受賞者谷口けいさんとは初めてお会いした。ピオレドールはその年に最も素晴らしいクライミングをした登山家に与えられるフランスの賞で、ノーベル登山賞みたいなものである。クライミングの内容が素晴らしいだけでなく、地平線通信でいかにも女性らしい、感受性豊かな素敵な文章を書いているので、ファンだった。

会ってみると思った通りの人だったので、絶対に本を書いたほうがいいと強く勧めておいた。基本的に本というのは女性のほうが読む人が多い。山野井泰史やギリギリボーイズや服部文祥が本を書いても、今の山ガールブーム的な大衆心理とは断絶しているが、谷口さんはつながっている。後ろに大きな市場があるので、明らかに売れる気がする。

近藤さんと大蔵さんは、今後、定期的に若手登山家、冒険家を招いて会を開いていくつもりらしい。会の名称をどうしようかという話になったが、全然まとまらず、大蔵さんが「しんこうえんじの会」という、身も蓋もない名前をノートに記していた。


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重版決定

2010年12月09日 11時54分51秒 | 雑記
昨日、朝にラジオの収録、昼に「プレジデント」、夕方に日刊工業新聞の著者インタビューを受け、夜に開高健記念会主催のヴォジョレーヌーボーの会に出席し、2次会、3次会と顔を出し、しこたま酔って帰宅。週に一度くらい、こういう忙しい日がある。

プレジデントの著者インタビューは、ノンフィクション作家でライターの稲泉連君が担当。さすが大宅賞最年少受賞者だけあって、おそろしく本質をついた質問をしてくる。そうそう、その通りと相槌を打つだけで答えとしては十分だったが、それでは記事にならないだろうから、一生懸命補足説明させていただいた。うれしかったのは、今回の冒険をどのように文章化したのかを訊いてくれたこと。変わったことをやっても、それがすぐ文章表現になるわけではないということを、よく知っている。



本の雑誌2011年1月号が届く。北上次郎さんが新刊めったくたガイドのコーナーで「空白の五マイル」を激賞してくれている。特に武井義隆さんの章を気に入ってくれたようだ。見開き2ページのうち、3分の2くらいを、この本の書評に費やしている。「探検記の傑作」との言葉に、思わず家ではばかった。ちなみに同号の「2010年度 わたしのベスト3」のコーナーでは、わたしも「哲学者とオオカミ」「狩猟サバイバル」「ロストシティZ」の3冊をあげさせてもらっている。


「空白の五マイル」の重版が決定。今月下旬に第二刷が発行予定とのこと。ご購入してくださった方々、ありがとうございます。
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魂が引き裂かれそうな苦しみ

2010年12月07日 15時23分27秒 | 雑記
まったく最近ときたら、町を歩けばAKB、テレビをつければAKB、ラジオをひねればAKB、どこにもかしこにもAKBという、いささか不穏な世の中になってきた。もちろんわたしは、AKBなんぞというチャラチャラしたガキどもには元来さらさら興味はなく、AKBかわいいよねなどとバカなことをいう知人に対しては、オレにはわからんと言い続ける側の人間であった。

しかし洗脳とは恐ろしいもので、町でヘビーローテーションを聞いたと思ったら、口では知らず知らずのうちに会いたかったあ、会いたかったあと口ずさみ、コンビニに入れば高橋みなみの「たかみな」なるムックが目に入る、などというふしだらな生活を続けているうち、いつのまにかわたしは、稚内の旅館でFNS歌謡祭なる番組に出演しているAKBをポワーンとした顔で見るような人間に変わっていた。

「かくはたさん、完全に今、顔がうっとりとしてましたよ」と西田君。
「でも、だってほら、48人、勢ぞろいだよ」

あげくの果てには、「やっぱ、大島優子が一番いいよな」と言い出す始末で、西田君に「あんなのどこにでもいるじゃないですか」と言われ、「いねえよ!」と向きになって反論し、「大島優子ならまだ、あっちゃんのほうがましですよ」とかいう会話を交わすまでになっていた。なんでおれたち、こんなにメンバーの名前知ってんだ!?

本日も東長崎駅前のツタヤで中島美嘉様のCDを借りたら、支払いの時、背後のモニターでAKBのプロモーションビデオが流れていた。そして、あー見たい、後ろを見てみたい、とてもふり返りたい、と思っている自分がおり、我ながらその不気味さに戦慄を覚えた。そして、くそ、こんな物量投入によるハリウッド型大衆扇動式宣伝戦略に負けてなるものか、それにモニターを注視することでレジの店員に、あ、この人もAKB好きなんだと思われるのも恥ずかしい、などと歯を食いしばり、魂が引き裂かれそうな苦しみを覚えつつ、なんとかモニターを見ずに家に帰って来た。

AKBは家電量販店と同じで、甲高い声でテンポの良い曲を歌うので、脳に残りやすいという特徴がある。いずれにしても、現代のこのAKB現象は、もしかしたら江戸時代末期に起きた「ええじゃないか」のような大衆運動と同じで、実はわたしたちが時代の末法的雰囲気を敏感に感じ取った結果なのかもしれない。大衆がこぞって富士山に向かうのも、江戸時代末期と共通しているし……。

そんなわけないか。どうでもいい話でした。

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誘拐の知らせ

2010年12月06日 09時15分51秒 | 書籍
誘拐の知らせ (ちくま文庫)
G・ガルシア=マルケス
筑摩書房


稚内で停滞している間に何冊か本を読んだが、そのうちの一冊がガルシア・マルケスの「誘拐の知らせ」。

パブロ・エスコバル率いるコロンビアの麻薬密売グループ・メデジンカルテルが90~91年に引き起こした一連のジャーナリスト誘拐事件をテーマにしたノンフィクション。政府と麻薬密売グループとの抗争、腐敗した警察機構、社会崩壊といえるほど治安情勢の悪化したコロンビア社会の暗部を、世界的文豪が徹底した取材に基づきえぐり出している。政府側がエスコバルの投降を促すため、あの手この手で接触を試みようとする終盤が、最高に面白い。

本を読むと、コロンビアに行くことに恐怖を覚える。訳者によると、現在でもコロンビアの治安、社会情勢は改善されておらず、超危険社会が続いているという。登山など自然を相手にした冒険行為と、こうした治安が崩壊した社会を旅する行為とでは、同じ危険行為でもリスクのあり方が異なる。

自然相手の場合、基本的にリスクコントロールは冒険者側が握っている。自然は過酷ではあるものの、そこには人間を襲おうという意思はないからだ。例えば雪崩をどう避けるか、この岩壁は自分の登攀能力で登れるのかといった判断は、自分の体力、経験、知識などをもとに下し、場合によっては敗退することもある。つまりゲームの主導権は冒険者側が握っているわけだ。

しかし、治安の極度に悪化した崩壊社会を旅する場合のリスク要因は、テロリストや麻薬密売業者といった現地の人間にある。リスク要因が人間にある場合、彼らには意思があるので、旅行者側がどんなに注意を払って行動をコントロールしても、ゲームの主導権は向こうに握られている。彼らが誘拐しようと思えば、それを防ぐために旅行者側にできることはそれほど多くはない。

自然相手の冒険のだいご味は、孤立無援状況を自分の肉体と経験で乗り越えること、つまりリスクコントロールを自分の裁量の範囲で行うことにある。だからわたしは、リスクを自分でコントロールできないイラクやコロンビアといった地域に行くことに恐怖を感じる。目をそむけたくなるような殺され方をすることもあるし。


kotoba (コトバ) 2011年 01月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
集英社


集英社クオータリー「kotoba」2011年11月号に、石川直樹君との対談が掲載されています。テーマは「冒険する自分と、書き手としての自分」。本日発売です。
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北海道の最北端

2010年12月05日 19時18分31秒 | 雑記
山岳写真家の中では若手ナンバーワンだという西田君に同行し、某雑誌の取材で北海道の名峰利尻山へ行ってきた。

ここ最近、利尻山のライブカメラばかり眺めて日々すごしてきたという西田君によると、利尻山はとにかく天気が悪く、写真撮影の必須条件である晴天に恵まれることはほとんどないらしい。わたしたちが北海道に上陸した11月29日は寒気の影響で海が荒れ、フェリーは欠航。先が思いやられたが、12月2日、奇跡的に快晴に恵まれ、撮影も無事終了し、西田君の数日来の不安も取り除かれた。



利尻山北峰とローソク岩

同日中にフェリーで稚内に戻った後、台風並みに発達した低気圧が北海道に上陸した。飛行機の予約が入っていたのが5日だったので、わたしたちは3日間、稚内で足止めを食らった。暇なので暴風雨の中、観光旅行を決行し、最北端の地、宗谷岬を訪れた。


ℂShozo Nishida

写真は暴風雨の宗谷岬。最果て感たっぷりである。当然だが、この後、風にあおられて傘はぶっこわれた。旅館で借りた傘だったのだが……。信じられないことに、こんな天気の中、しかも平日にもかかわらず、わたしたちの他にも観光客が6、7人いた。いったい何を考えているんだろう? わざわざ鹿児島から来たという夫婦もいて、非常に同情した。



本日、朝日新聞の「ひと」欄に取りあげていただいた。アマゾンで「空白の五マイル」のランキングが急上昇! ノンフィクション部門だと、もはや上にはマイケル・サンデルしかいない。恐るべし、朝日新聞。





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