ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

千の顔をもつ英雄

2016年01月17日 09時56分12秒 | 書籍
千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
クリエーター情報なし
早川書房


おお! ジョーゼフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』の新訳がハヤカワから文庫になっているではないか! 興奮して、記事更新。物語の本質だけではなく、人間の行動原理についても深い洞察をもたらす名著。私の場合、自分の冒険行動が机のうえから解説されて、納得するという稀有な体験をすることになった忘れられない一冊である。新訳か……。また読まなきゃいけないなあ。

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槍ヶ岳北鎌尾根千丈沢側岩壁

2016年01月12日 09時16分03秒 | クライミング
正月山行は穂高でパチンコか、赤沢山の岩壁を登攀して槍ヶ岳か、いくつかのプランが出て散々まよったが、最終的には槍ヶ岳北鎌尾根の千丈沢側にあるマニアックな岩壁を登ることにした。決め手は登山体系以外にまともな記録がないことと、赤沢山経由に比べて槍ヶ岳までのルートがすっきりとしていて無駄がないことである。まあ、登山体系にのっているということは岳人なり山岳なり昔の雑誌のバックナンバーを調べれば記録は見つかるのだろうが、そこまで調べる時間はないし、する気もない。沼田の清野さんに訊くと、「俺が高校生のときに記録が乗っていたなぁ」とのこと。ということはそれ以来、この岩壁を登ったまともな記録はないということなので、清野さんのその言葉が岩壁の未知性をいっそう増幅させ、私のモチベーションも高めたのだった。トポもない。写真もない。そもそも岩壁があるのかどうかさえ分からない。手がかりは登山体系の賞味期限の切れた、少々乾燥気味な数行の文章だけ。だが、このような不確定状況下における行為こそ、冒険精神学的には最高の覚醒を生み出すのである。

信濃大町の駅で大部君と合流したのが1日夜。そこで彼絡みの二つの面倒事が発覚する。一つは大部君が12月に城ケ崎で足首を捻挫していたこと。そしてもう一つは、彼がザックを車の中に入れ忘れていたことである。私も長年、山に登ってきたし、自分自身、様々な忘れ物を経験してきたが、さすがにザックを忘れた人間にお目にかかったのは初めてのことだ。さらに翌日、入山口である湯股温泉に向かう途中で三つ目のトラブル発生。買ったばかりの私のリコーGRⅡがなぜか作動しなくなったのだ。やむなく大部君から彼のオリンパスのカメラを借りて撮影することにしたが、翌日、このカメラも電池が切れて写真を撮る手段が失われてしまう(四つ目のトラブル)。

1月3日、湯俣温泉から水俣川遡行を開始する。川は緩やかに蛇行を繰り返し、川岸を歩いているとすぐに淵にぶつかり渡渉を余儀なくされる。沢登りは水量次第。年によっては登山靴を脱がなくても川を渡れることも多いようだが、今年は暖冬で水が多いのか、水量は膝丈ぐらいあり、いちいち登山靴を脱いで用意した沢タビに履き替え、冷水に足を浸さなければならない。靴を脱いでは渡渉して、また靴を履いて、数百メートル進んでまた淵にぶつかって……ということを延々と繰り返し、渡渉が14回目を数え、精神が解脱の一歩手前にまで達したころ、ようやく千丈沢と天上沢がぶつかる千天出合に到着した。

年末に北鎌尾根に向かったパーティーのトレースが天上沢方面に延びている。しかし、われわれはそれとは反対の千丈沢を登らなければならない。千丈沢に入ると今度は渡渉から広い河原のラッセルにかわる。深い雪をかき分けつづけ、翌4日昼頃にようやく千丈沢岩壁が姿を現した。


大部君のスマホで撮影できた…。中央右の三角形の一番おおきな壁がツルム

岩壁を見たときは静かな驚きと感動にのみこまれた。思ったよりも立派な岩壁帯だ。規模の大きな岩峰が無数に山から突き出しており、かなり不可思議な光景をつくりだしている。岩壁というより岩峰帯といったほうが適切な地理的相貌だが、しかし、それぞれの岩峰の規模は予想よりも大きい。登山体系の記述と地形図から、われわれは緩い岩稜が何本か落ちているだけなのではないかと、この岩壁にはあまり期待していなかったのだが、このぶんなら思ったよりも奮闘的な登攀を強いられるかもしれない。

というか、とても登れそうには見えない……。

計画ではツルムというダイアモンド型岩壁からC稜経由で北鎌尾根に出るつもりだった。ツルムは岩峰帯の最下部にある一番大きな岩壁で、明瞭だったので、ひとまずツルムの下に出ることにした。風で叩かれて固くしまったルンゼを登って行く。クライミングではよくあることだが、遠くから眺めてとても登れそうに見えなかった壁も、近づくにつれて傾斜がゆるんで見えてきて、これならバカでも登れるんじゃないかと思えてくる。単なる自分の目の位置と壁の位置がつくる内角の変化が引き起こす錯覚なのだが、しかしこの錯覚には20年山に登っても慣れない。どうせ壁に取り付いたら傾斜が予期した以上にきつくて喉がカラカラに乾くに決まっているのだが、しかしそれが分かっていても、徐々の近づいてくるツルムの岩壁はねており、どう見ても簡単そうである。しかも草付もばっちりついていて、ちょっとこれじゃあ物足りないんじゃないかとさえ思えてきた。


基部からツルムを見上げる

1月5日から登攀開始。気圧配置は冬型となり、天気は荒れ始めた。千丈沢側岩壁は北鎌の西側にあたるため、北西の季節風がもろに吹き付け気象条件はかなり悪い。風雪が舞い始め、かつ目の前の岩壁は非常に簡単そうなので、さっさと弱点を登ってC稜に出ちまおうということで、大部君リードで登りはじめた。だが、やはり壁に取り付くと見た目より悪い。あんなにねているように見えたのに、実際に登りはじめるとほとんど垂直に感じるのはいったい何故なのだろう? 中央突破を目論み3ピッチ登ったところで、岩壁中央に覆いかぶさるスラブのヘッドウォール帯に出てしまい、前進不能となった。風雪の舞う中、懸垂で一度岩壁基部に降り立ち、改めルートを偵察する。大人しく岩壁右端の登山体系に「ツルム正面ルート」と紹介されている草付ルートから上を目指すことにして、この日は空身で2ピッチフィックスして終えた。

1月6日。フィクスロープをユマールして3ピッチ目に取りかかる。一応、ルートの核心。5メートルほどの垂直のスラブが目の前に立ちはだかり、しかもプロテクションがとれないので前進は躊躇われる。クライミングがことのほか苦手な私は、やむなく草付バンドを右に回り込み、垂直の細い草付帯にアックスを打ちこみ、いつものようにどこか沢登りを思わせるしみったれたライン取りで突破した。草付グレードK5。ここを突破すると傾斜もゆるみ、悪場もなくツルムの頭まで抜けた。遠目に見ると2、3ピッチで終わるんじゃないかと思われたツルムの登攀だったが、見た目より規模は大きく、ツルムの頭まで7ピッチを要した。ツルムの頭から先もナイフリッジが続き、風がつよくて恐ろしいので、さらに2ピッチ延ばす。

周囲には高さ100~150メートルはありそうな、悪魔城のような黒い威圧的な岩壁が無数に聳えている。特にD稜フランケは高度差が200メートルはありそうな垂直な一枚岩で、実際に登ったら非常に高度な登攀内容になりそうだ。過去に登られた記録はあるのだろうか。草付がないので私にはとても無理である。


D稜フランケ

上部にのびるC稜も細くてきわどいナイフリッジで、岩峰群のなかに彷徨いこんでいるため、どこに繋がっているのかさっぱりわからない。このままC稜に突っこむと、ツェルトでのビバークは必至だ。北西風が直当たりのなかでそれは不快かつ危険なので、一度ルンゼに懸垂で下り、ルンゼ対岸のA稜支尾根基部にテントを張ることにした。


C稜、B稜周辺。面白い地形だね。この写真見てもよくわからないと思うけど、現場にいたわれわれもよくわからんかった。右の尖った悪魔城状岩壁の高さは100メートルぐらい?そんなにないかな

1月7日は風雪がさらに強まった。ガスも濃く、残りの日数や今後の天気を考えると、明日には本峰を越えて肩の小屋に入らないと危険かもしれない。予定していたC稜登攀を変更して、目の前の支尾根を登ってA稜から北鎌に抜けることにする。傾斜のきつい雪稜を3ピッチでA稜に出ると、そのあとは悪場は消え、コンテで高度を稼いでいく。雪は風に叩かれ締まっているため、途中からルンゼを登り、北鎌稜線近くまで達したところで幕営。翌8日に北鎌に出て本峰経由で昼過ぎに肩の小屋に入った。時間があったのでこの日のうちに槍平に下りようとしたが、すさまじい風と濃いガスで視界が遮られ、完全にホワイトアウト。大喰岳西尾根が見えずルート取りに失敗し、小屋にひきかえして、天気が回復した翌日に下山した。

渡渉14回の沢遡行に始まり、深いラッセル、強風吹きすさぶ中、未知の岩壁を越えて槍ヶ岳に登るという体験はかなり内容の濃いものだった。ひとつの山に登ったな、という手応えがある。こういう登山を、今シーズン、もう一回やりたい。

それにしても下山の途中で見た涸沢岳西壁はかっこよかった。特に頂上直下に伸びる白い尾根。家に帰って体系を見てみると、体系にも涸沢岳西壁の記述は出ていない。登るほどの価値のない壁なのだろうか。あるいは隣りが滝谷なので、誰も見向きもしなかったのだろうか。しかし、過去に見向きもされなかったからといって、それが山の価値を引き下げるわけではない。登山とは自分の内面の投影であり、内面がないと外面である山は表象されない。そうである以上、登攀の価値とは過去の記録云々ではなく、自分が登ってみたいと思った瞬間に生まれるものだ。私にとって登山とは山との出会いを辿る個人的な巡礼の旅である。(大部君へ)以上のような理屈から、二月は涸沢岳を考えています。








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