ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

日高山脈地図無し登山

2017年08月31日 06時26分03秒 | クライミング
今年夏の最大の企画だった日高山脈地図無し登山を8月13日から23日におこなった。11日間の山旅はそれなりにきつかった。肉体的に、というより精神的に。

私は昔から地図無しで山に登ったらどんな世界が開けるのか興味があった。地図はメディアの代表的なものであり、われわれは地図を見て空間を想像し、その事前情報をもとに山に登る。しかし、地図を持つことによって、山の概要は事前に把握され、それが山そのものがもつ迫力を失わせているのではないかという疑問があった。地図がなければ山は、情報に置かされていない、そこにある山そのものとして、たぶん私の前に姿を現す。その無垢な、侵されていない山を見たとき、私はどう感じるのだろう、という感じだ。

たぶん地図をもたないと、目の前に開ける風景に驚き、感動したりするだろう。そして特徴的な地形の場所に名前をつけたりするはずだ。土地に名前をつけると、その土地には聖性が宿り、ホーリープレイスに変わる、たぶん。地図をもたずに山に登ることで、私はアニミズム発生の原初の記憶を追体験できるのではないかという期待があった。そのためにうってつけの場所は日高しかない。なぜなら日高は山が奥深く、原始的環境をのこしている(と思われるうえ)、私は日高山脈についての概念をまったくもっておらず、山の名前すらまったく知らないからだ。完全に事前情報なしである。

この計画を実現するのにかなり苦労させられた。なにしろ事前に情報を得て、概念が頭のなかに入ってしまうとすべては無駄になる。地図を見るときも日高周辺には目がいかないように注意し、登山記録が視界に入るのも意識的に避けてきた。

しかし、実際にやってみたら、そこまではいかなかったなぁ。正直、今は徒労感というか、企画倒れ感が強い。想像していたような驚きや発見より、次々と現れる発電ダムや林道にかなりうんざりした。途中でピラミッド状の山が三つならぶ河原に出たときは、おお、すごい、ここはまるで王家の谷だと感動したが、登山中は雨ばかりで天気が悪く、また谷自体が険しくて、先の見えないずぶ濡れ藪漕ぎを散々させられて疲れてしまったということもあったと思う。

いやー皆さん、山はね、地図を持ったほうがいいですよ。

それでも八日後に主稜線に出て、こういうかっこいい山に登れた。まだ地図を見てないので、私のなかでこの山はまだメンカウラー岳という、私だけの名前で呼ばれている。



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ジャンダルム飛騨尾根~涸沢岳北壁

2017年04月07日 22時23分34秒 | クライミング
平日CC(クライミングクラブ)の二人オーブ、ホサカと3~6日で山へ。当初は剱岳白萩川側フランケでアルパインアイスを堪能するつもりだったが、運悪く3日夜から雪の予報となったため、雪崩の危険の少ない穂高へ転身した。3日に蒲田川林道をアプローチし、白出沢をラッセルしはじめる。昼間は快晴だったが、午後になると雪が舞い始めた。予報では松本周辺は晴れだったので穂高は低気圧の影響を受けないと考えていたが、想定外の大雪。剱に行っていたらヤバイことになっていたにちがいない。気温も低いし、雪もサラサラで、まるで冬山のようである。天狗沢との二股からD尾根に取り付き、300mぐらいだろうか、そこそこ高度を稼いで尾根上に幕営した。

幕営地から飛騨尾根取り付きまではラッセルで時間をくった。雪は止んだが、D尾根からC尾根にわたるルンゼはいかにも雪崩そうな雪質と地形で、というか、60パーセントぐらいの確率で雪崩そうである。ここはちょっと危ないので、先頭をオーブ君に変わってもらい難所を突破、この日は飛騨尾根の岩壁を快適にクライミングし、T2で時間切れとなったので雪洞を掘った。翌日、ジャンダルムに登頂し、奥穂まで縦走して穂高岳山荘にテントを張った。正直言って実質3ピッチぐらいの簡単なルートかと舐めていたが、合計8ピッチもある登りごたえ十分の面白いルートだった。

6日は涸沢岳北壁へ。涸沢岳北壁は登山体系に載っていない、ほとんど誰からも相手にされていない、存在さえ知られていない壁だが、槍ヶ岳方面から眺めるその山姿は日本のローツェ南壁と呼びたくなるほど凛々しく聳えており、いつか登りたいと念願していた山のひとつだ。……だったのだが、その念願の日がついにやってきたこの日の朝、われわれはついうっかり二時間ほど寝坊してしまった。慌ててテントを出発し、涸沢岳を越えて滝谷D沢へ下るルンゼを下降していく。狙っていたのは涸沢岳北壁で唯一登攀された昇天ルンゼだが、滝谷のルンゼ内も積雪が多く、雪崩の不安を払拭することができず(また寝坊のせいで時間も少なくなってしまったこともあり)、2900m付近から頂上付近にダイレクトにつきあげるリッジを登攀することにした。

ルンゼから雪壁をトラバース気味に登り、2ピッチでリッジにたどり着く。朝は快晴だったが、登攀を開始するとみるみる天気は悪化し、風雪が強まりはじめた。3ピッチ目が一応核心。リードするオーブ君が雪のバンド上を左にトラバースし、「そんなに難しそうじゃありません」との感想をのこしてガスの向こうに消えていったが、実際にフォローしてみると、草付のくっついた垂直の壁がそそり立っており、思わず彼の安全係数をうたがった。5ピッチ目が最終ピッチで、リードは私の番。下からは楽勝に見えたが、終了点である西尾根直下はボロボロのクズ壁になっていて、アイゼンを岩にひっかけると落石がゴロゴロ落ちるわ、アックスをつきさすと岩がグラグラと動くわ、の最悪のピッチだった。こういう悪いところは、妻子もおらず、私よりも命の値段がはるかに安い若い他の二人が担当すべきなのに、リードの順番というのは不条理なことだなぁと、思わず世の儚さを嘆いたが、もう下りたくても下りられないとこまで上ってきてしまっていたので、しょうがなく「頼むからもう崩れないでください」と神様に祈りながら、一か八かの数歩の末になんとか西尾根に乗りあがった。



涸沢岳北壁は岩壁というより岩石が積み上がっただけのボロ壁だが、遠くから見た容姿が美しいので良い山だ。しかし、この場合の良い山というのは、登攀の内容よりもむしろ、オレは今、あのローツェ南壁みたいなかっこいい壁を登っているんだ、そんなオレってトモ・チェセンみたいでカッコいいぜという自己愛に浸れるという意味で良い山なので、やはりこのようなタイプの山は上から掠めるように登るのではなく、滝谷の出合から一気にルンゼを登って頂上に一本のラインを引いたほうがナルシスティックな完成度という点からも正解だろう。

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南会津漂泊

2016年08月31日 21時26分44秒 | クライミング
29日に南会津の漂泊登山から下山して東京に戻ってきた。

今年の八月は台風が四発も日本に上陸。五十四年ぶりのことだったらしい。おかげで今回の漂泊登山はすっかり台風に翻弄された。8月16日に出発する予定だったが、まず台風7号がちょうどそのタイミングで襲来してきたので二日延期。18日に東京を出発して只見から入山したが、何日かして白戸川を遡行しているところで台風九号が直撃した。

沢は地形的にも密生する樹木によっても風が殺される。落石、増水、斜面崩壊の危険がないところを選べば、台風直撃といっても雨以外の不安はあまり感じない。だが、その雨がすさまじい。雨そのものに殺されるんじゃないかと少し不安になるぐらいの降りが半日つづいた。その後も天気は不安定な状態がつづき、塩の岐沢を越えたあたりで、今度は非常に強い台風10号が上陸する恐れがあるとの情報をラジオでキャッチ。そのままのペースで最終目的地である会津駒ヶ岳を目指した場合、ちょうどその登路となる御神楽沢でドンピシャで直撃するらしい。一度の山行で二度も台風直撃する人間なんて、聞いたことがない。さすがに二回目はちょっと勘弁だなぁと思い、やむなく漂泊を中止して登山に専念し、それまでに二倍のペースでシャカリキになって沢を上り下りして、暴風圏内に入る直前に会津駒ヶ岳に無理やり登頂して29日に下山してきた。


岩魚七匹、コメ二合完食


巨大ナメクジ君も来訪


ちなみに今回のルートをざっと紹介すると、以下のようなものになる。

小戸沢西の沢~白戸川メルガ股沢~丸山岳~大幽東の沢下降~広河原沢~倉谷沢~塩の岐沢~小手沢源流~安越又沢西沢~ミチギノ沢~御神楽沢~会津駒ヶ岳

やや強引な感じではあるが、南会津を東西南北に漂泊的に渉猟した。歩きの沢が多く、岩魚はうようよしており、南会津は漂白するには最高のエリアだ。十五日間ほどの予定だったが、最後は台風10号から逃げるように駆け上ったので、結局12日間で終わってしまった。あと二、三日のんびりとできればより最高だったのだが。あと面積的にやっぱり少し狭いので、田野倉ダムがなければもっと最高である。

ところで沢登りとは人間と山との間で交わされるセックスのことである。そもそも山の裂け目から液体がダラダラと漏れ出てくるという地形的特徴だけ見ても、沢は容易に女性器を連想させる。そして、そのことを今回ほど強く感じた山行はなかった。というのも最後に登った御神楽沢がなんとも女性的で、どこか官能的な沢だったからだ。柔らかく包容力のある森のなかからあふれ出てくるような蜜のような水の流れは、幼少期にあたえられた母乳のような温かみがあった。台風10号接近のニュースをきいたときは、会津駒をやめて途中の山から集落に下りてしまおうかと考えたが、モチベーションを立て直してなんとか御神楽沢を登れて、本当によかったと思う。


往年のキム・ベイシンガーの瞳だってこれほど青く澄んではいなかった。


透明な水のあふれ出す裂け目をたどり、沢の襞の内奥に入りこんでいった先にある御神楽沢の観音様

この沢の官能性について、今度のビーパルの連載にでも書いてみようかなと思っている。

さて、漂泊は終わりましたが、『漂流』の発売ははじまったばかりです。昨日、今日と池袋、神保町方面に出向き本屋をチェックしてきたが、なかなかのいい扱いを受けていて、ちょっと満足した。本屋に行って自分の新刊本の扱いが悪いと、本当にその本屋のことが嫌いになるからなぁ。

漂流
角幡 唯介
新潮社

過去最高の傑作






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下田川内(沢登り) 仙見川中俣沢~光来出川~大川~砥沢川源流~叶津川

2016年07月28日 15時23分38秒 | クライミング
今年の夏は日本の原始境を長期にわたって漂泊的に沢登りする計画だった。原始境だから濃密な自然に支配され、かつ登山道がかぎりなく無に近い山域がいい。春先から暇を見つけては国土地理院のサイトを開いて地図をにらんできたが、やはり広大さにおいては只見近辺がもっともワイルドな登山が楽しめそうである。ぱっと目についた最も美しいラインは、南会津を南北に貫く三本の川、小戸沢西の沢と白戸川と御神楽沢をつないで会津駒に登るというものだ。しかし、これだけだと一週間、長くて十日もあれば終わってしまいそうで、夏のイベントとしてはなんだか物足りない。私の狙いはこの日本で二十日間クラスの山岳放浪をすることなのだ。ということで、強引にその北の広がる下田川内をくっつけた。事前の計画では前半十日間で下田川内を縦断し、只見の集落に下りて、後半十日間で南会津に突入というつもりだった。

7月19日に東京発。新潟県五泉までいく。タープの下に敷くブルーシートを忘れ物したので、ダイソーで購入。などしているうちにちょっと遅れてしまい、結局タクシーで仙見川の林道を門倉というところまで運んでもらった。ここから赤倉川と中俣沢の二股までは藪におおわれた登山道がつづくが、凄まじいまでのヒルの培養地である。夏のツアンポー峡谷か、ダウラギリ山塊タレジャコーラに匹敵する数だった。ズボンに空いた小さな穴に五匹のヒルが血をもとめて蠢いているのをみると、さすがに気色が悪かった。沢用の脛宛てでガードしたが、それでも両脚や腰回りなど計十五カ所ほど吸血され、それから数日間はヒルジンが引き起こす独特のむず痒さに苦しめられた。赤倉川二股で幕営。

20日から本格的な遡行開始。昨日は夕立で土砂降りだったが、この日から連日晴天がつづく。てっきり梅雨明けしたのかと思っていた。仙見川中俣沢は淵やプールが連続し、そのたびに高撒きを強いられるが、さほど悪い巻きはない。ザックを重たくしたくないので、泳ぎは回避したが、途中から巻きが面倒になり泳ぎも半分まじえながらの遡行となる。21日に光来出川に下り立つ。この沢はため息がでるほど美しい景勝地のような沢だった。大川合流点近くの下流部にちょっと長いゴルジュがあるが、とにかく白い岩肌、エメラルドグリーンに輝く淵。岩魚もいっぱいですばらしいの一言につきる。できれば下降ではなく、遡行したい沢だった。


光来出沢の美渓


ジャングルでのキャンプ地


大川のゴルジュも美しい

22日に大川合流点付近まできて、23日に大川の支流である小又川を上流部まで遡上。テンカラの要領もわかってきて、天気も良く、快調に登山は進む。この頃になると水も冷たくないので積極的に泳いで淵を突破するようになっていた。24日、小又川を越えて砥沢川源流部に突入の予定だったが、ここで失態を演じる。なんと地図を読み間違って、詰めていた沢をぐるって回りこんで同じ沢を下降するというミスを侵してしまった。なんでこんなことになったか。詳細は省くが、生まれて初めて沢で迷い、半日無駄にした。結局、小又川源流で幕営して、翌25日に砥沢川源流に足をふみいれ、翌日、叶津川をくだって、一気に只見の集落まで降りてきた。


途中でパンツのお尻がボロボロになり、雨具を切り裂いて縫い付けた。


叶津川源流部にて

とりあえず七泊八日で全体の計画のうちの半分が終了。翌日からメーンの南会津編に突入の予定だったが、只見駅で一晩横になっているうちに気が変わった。

体力もモチベーションも全然落ちていなかったが、やっぱり一度、下界に下りてきてしまうと、どうしても登山の継続性が薄れてしまうのだ。今回の計画は二十日間にわたって日本の原始境を漂泊的に登山するのが目的だったが、一度集落におりて、しかも足りない食糧を買い足すとなると、それは二十日間の登山ではなく、完全に十日間の登山を二つつなげただけになってしまう。南会津の沢はこれまで登ったことがなかったし、その自分にとっての処女地を一週間程度の慌ただしい登山で汚してしまうのはもったいないような気がしてきたのである。

まあ、只見に下りるタイミングで天気が悪化したこともあったが、そんなわけで前半で今回の登山は一度打ち切ることにして、昨日、帰京した。八月は日高で地図無し登山を計画していたが、日高は来年、もうちょっとしっかり腰を落ち着けてとりくむことにして、今年の夏はもう一度、南会津に出直しである。少なくとも二週間以上の漂泊登山。毛猛からつなげたら、途中でダムの橋は渡らなければならないが、実現できるかなという気がする。毛猛の沢は滝が多くてザックが重いと面倒くさそうだけど。

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関の沢川~大無間山~大沢根山~信濃俣河内~茶臼岳

2016年05月26日 23時23分32秒 | クライミング
最近、ビーパルの連載に、集英社のウェブ連載がかさなって、完全に自分のブログで書くネタがなくなった。ちょっとした小話でも、もしかしたら連載のネタになるかも、とついつい思ってしまって、怖くてブログに書けないのだ。最近、ブログの更新をしていなかったのは、忙しかったからではなく、書くことがないからである。

19日から25日まで、上記タイトルに書いた沢をぶらぶらと一人で歩いていたのだが、これもビーパルの格好のネタになるかもしれないと思うと、詳しく書けない。このブログを読んで、ビーパルを読んだ人がいたら、角幡は同じことをかき回しているなあと思われてしまうからだ。

でも、まあ、別にいいや。

五月というのは、長期の沢登りをするには面倒な季節で、越後や東北はまだ早いし、奥秩父じゃ物足りない。西日本まで行く時間も金もないので、じゃあ南アルプスの南部にしとこうということになりがちで、学生時代からこの山域には春合宿でよく通っていた。今回もテンカラ竿を買ったので、その練習と、あと夏に長期放浪沢登りを考えているので、その足慣らしということで一週間ほど沢をぶらぶらしていた。

最近は沢登りに行くときは遡行図も何も見ないで、適当に地図をみて決めることが多い。遡行図を見ないのは、フリークライミング、ノンボルト、残置無視といったような思想性に支えられてのことではなく、単に調べるのが面倒くさいだけだからだ。沢なんて現場で何とかなるだろ、いざとなりゃ高まきゃいいんだからと考えているわけだ。

行ってみると関の沢川というのは意外と悪い沢で、いくつか淵が出てきた。水量も結構おおく、まだ五月で泳ぐ気もしないし、泳いだところでその先が登れるのかわからないので、遡行図を持ってないと淵というのは基本的に高まくしかない。それで全部高まいたのだが、傾斜のきついスリッピ―な泥壁で悪いところが多かった。気のせいか、渓相も全体的に深くて陰惨。ヒルもうじゃうじゃいて、足首周りを十カ所ほどやられた。肝心の釣りもキャストが慣れるまで難しくて、中流部で小さなアマゴが二匹つれただけ。上流のほうは全然釣れなかった。


関の沢の淵。なぜか写真が横になってしまう


南ア深南部ではおなじみのヒル(大)

関の沢川からは大無間山、大沢根山を縦走して、西河内から信濃俣河内へ下りた。こちらは明るい沢で、魚もうようよいた。淵や滝の岩質も順層で素直なので簡単に側壁をへつれるし、木の根がしっかり張り出しているので巻きも安全。あとヒルも全然いない。非常に快適な沢である。近所の沢なのにどうしてこうも違うのか。

テンカラのほうも三日目ぐらいから慣れて、信濃俣河内ではそこそこ釣れるようになって大変楽しかった。全体的にはいい山行で、夏がとても楽しみである。今のところ下田川内から笠堀、南会津にはいって白戸川、会津駒まで渡り歩くという二週間程度のプランを考えている。そしてチャンスがあれば日高でアレを……。

いずれにしても百名山ひと筆書きみたいな、ああいうのとは違う価値観の登山を提示したい。あ、またこんなに書いてしまった。

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明神~穂高

2016年03月19日 09時42分27秒 | クライミング
三月頭に大部君と明神から穂高にかけて縦走してきた。下山後、ひどい雪目で数日間なにもできず、視力も推定、0・3ぐらいまで落ちた。パソコンの画面を見ていると目がいたくて涙が溢れてくるため、ブログをアップすることもできないまま時間が経過してしまい、そのままずるずると延期していた左ひじの手術のために入院してしまった。昨日退院し、いつのまにやら視力のほうもすっかり回復したのだが、もはや二週間前の登山の記録を詳細にかくモチベーションは失われたので、簡単に報告だけ書いておく。あまり記録のない壁の登攀も含まれているので。

3月2日 東京から沢渡へ。もともと穂高で屏風2ルンゼ~前穂東壁~涸沢岳北壁の予定で出発したが、車のなかで富山の和田君らが前の週末に下又白前壁を登ったことが判明。記録をみると面白そうなので、急遽、そっちに目的地変更。いい加減である。もともと下又白は登攀候補地にあがっていたのだが、ちょっとしょぼそうだということで屏風に変えていたのだ。下又白谷前壁~奥壁~明神~前穂~奥穂~涸沢岳北壁という計画を決め、最大の目的地は正月に遠望して登山意欲をそそられた涸沢岳北壁(正月のブログでは西壁と書いたが、よく見ると北壁らしくて、昔、ガイドの有持さんが登っていた)であることを意思確認して沢渡到着。

3日 坂巻温泉に一日500円で駐車させてもらい、徒歩で上高地、明神へ。一週間分の荷物の入ったザックが重たい。梓川を渡り下又白谷に入り、しばらく浅いラッセルをつづけると前壁が見えてくる。見た目は実に登攀意欲のわかない、さえない壁だ。壁の手前、7、800m手前の岩の基部をテンバとして荷物を置き、2ピッチのフィックスに向かう。登ってみると前壁は非常に快適なアイスクライミング。下部2ピッチは傾斜60~70°ほどの四級程度のしっかりとした氷が張りついていた。


前壁。見た目は砕石の切り出しみたいでしょぼいけど、わりと面白い。


前壁②。そのまま明神東稜につなげると、無理なくすっきりとしたラインになる。

4日 2ピッチをユマール。その上はなかがスカ雪になった悪い雪壁が混じるが、基本的には重荷を背負ってリードできる程度の難度のアイスが続き、6ピッチで終了。深いラッセルをこなしてひょうたん池へ。天気予報をみると7、8日は低気圧接近にともない悪天になるとのこと。涸沢岳北壁を登るには6日しかチャンスがなさそうなので、下又白奥壁は割愛し、明日、明神岳東稜をつめて一気に奥穂を越えて穂高岳山荘に向かうことにする。

5日 明神岳東壁の雪が非常に悪い。岩壁のうえに、ペルーアンデスのいわゆるシュガースノーを想像させる非常に不安定な霜ザラメ雪の層が張りついており、恐ろしかった。そんなこんなで時間がかかり、結局、この日は前穂の頂上までしか行けず。

6日 とんでもない濃霧につつまれている。これでは昨日、穂高岳山荘に着いたとして、涸沢岳北壁には到底登れなかっただろう。下山するつもりで一度、重太郎新道の脇の沢を下りようとしたが、ちょっといやらしい積雪状態で、雪崩が怖かったので、結局、吊尾根を縦走して奥穂へ向かう。ガスで完全に視界が失われていたので苦労するだろうなぁと思ったが、案の定、吊尾根ではまる。雪もダブルアックスでクライムダウンしなければならないガチガチの雪と、シュガースノー風の霜ザラメが混在し、細かなアップダウンを強いられ、風も強く、疲労する。ガスによるホワイトアウトのなか間違って変な岩尾根を下りたりして、登山力を試される場面となった。なんとか奥穂を越えてホッとしたが、そのあとも「間違い尾根」にはまったり、残り50メートルになっても小屋が見えず、どこを下りたらいいのかわからなかったりと苦労させられ、コースタイム2時間のところを8時間かかって、日没直前になんとか小屋に着く。冬季入り口が分からずテント泊。


奥穂頂上にて

7日 晴れたら涸沢岳に、と思っていたが、今日も濃霧。連日のフル活動で疲労していたこともあり、白出沢から新穂高温泉へ下山した。

簡単に報告と思ったけど、長くなってしまった。これで今シーズンの冬山は終了。ひそかに次の週末で鹿島北壁でも……と思っていたが、パートナーが見つからず、断念した。次の冬は極夜探検でいないので、しばらく登攀系とはお別れです。私は夏はほとんどクライミングをしないので。





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槍ヶ岳北鎌尾根千丈沢側岩壁

2016年01月12日 09時16分03秒 | クライミング
正月山行は穂高でパチンコか、赤沢山の岩壁を登攀して槍ヶ岳か、いくつかのプランが出て散々まよったが、最終的には槍ヶ岳北鎌尾根の千丈沢側にあるマニアックな岩壁を登ることにした。決め手は登山体系以外にまともな記録がないことと、赤沢山経由に比べて槍ヶ岳までのルートがすっきりとしていて無駄がないことである。まあ、登山体系にのっているということは岳人なり山岳なり昔の雑誌のバックナンバーを調べれば記録は見つかるのだろうが、そこまで調べる時間はないし、する気もない。沼田の清野さんに訊くと、「俺が高校生のときに記録が乗っていたなぁ」とのこと。ということはそれ以来、この岩壁を登ったまともな記録はないということなので、清野さんのその言葉が岩壁の未知性をいっそう増幅させ、私のモチベーションも高めたのだった。トポもない。写真もない。そもそも岩壁があるのかどうかさえ分からない。手がかりは登山体系の賞味期限の切れた、少々乾燥気味な数行の文章だけ。だが、このような不確定状況下における行為こそ、冒険精神学的には最高の覚醒を生み出すのである。

信濃大町の駅で大部君と合流したのが1日夜。そこで彼絡みの二つの面倒事が発覚する。一つは大部君が12月に城ケ崎で足首を捻挫していたこと。そしてもう一つは、彼がザックを車の中に入れ忘れていたことである。私も長年、山に登ってきたし、自分自身、様々な忘れ物を経験してきたが、さすがにザックを忘れた人間にお目にかかったのは初めてのことだ。さらに翌日、入山口である湯股温泉に向かう途中で三つ目のトラブル発生。買ったばかりの私のリコーGRⅡがなぜか作動しなくなったのだ。やむなく大部君から彼のオリンパスのカメラを借りて撮影することにしたが、翌日、このカメラも電池が切れて写真を撮る手段が失われてしまう(四つ目のトラブル)。

1月3日、湯俣温泉から水俣川遡行を開始する。川は緩やかに蛇行を繰り返し、川岸を歩いているとすぐに淵にぶつかり渡渉を余儀なくされる。沢登りは水量次第。年によっては登山靴を脱がなくても川を渡れることも多いようだが、今年は暖冬で水が多いのか、水量は膝丈ぐらいあり、いちいち登山靴を脱いで用意した沢タビに履き替え、冷水に足を浸さなければならない。靴を脱いでは渡渉して、また靴を履いて、数百メートル進んでまた淵にぶつかって……ということを延々と繰り返し、渡渉が14回目を数え、精神が解脱の一歩手前にまで達したころ、ようやく千丈沢と天上沢がぶつかる千天出合に到着した。

年末に北鎌尾根に向かったパーティーのトレースが天上沢方面に延びている。しかし、われわれはそれとは反対の千丈沢を登らなければならない。千丈沢に入ると今度は渡渉から広い河原のラッセルにかわる。深い雪をかき分けつづけ、翌4日昼頃にようやく千丈沢岩壁が姿を現した。


大部君のスマホで撮影できた…。中央右の三角形の一番おおきな壁がツルム

岩壁を見たときは静かな驚きと感動にのみこまれた。思ったよりも立派な岩壁帯だ。規模の大きな岩峰が無数に山から突き出しており、かなり不可思議な光景をつくりだしている。岩壁というより岩峰帯といったほうが適切な地理的相貌だが、しかし、それぞれの岩峰の規模は予想よりも大きい。登山体系の記述と地形図から、われわれは緩い岩稜が何本か落ちているだけなのではないかと、この岩壁にはあまり期待していなかったのだが、このぶんなら思ったよりも奮闘的な登攀を強いられるかもしれない。

というか、とても登れそうには見えない……。

計画ではツルムというダイアモンド型岩壁からC稜経由で北鎌尾根に出るつもりだった。ツルムは岩峰帯の最下部にある一番大きな岩壁で、明瞭だったので、ひとまずツルムの下に出ることにした。風で叩かれて固くしまったルンゼを登って行く。クライミングではよくあることだが、遠くから眺めてとても登れそうに見えなかった壁も、近づくにつれて傾斜がゆるんで見えてきて、これならバカでも登れるんじゃないかと思えてくる。単なる自分の目の位置と壁の位置がつくる内角の変化が引き起こす錯覚なのだが、しかしこの錯覚には20年山に登っても慣れない。どうせ壁に取り付いたら傾斜が予期した以上にきつくて喉がカラカラに乾くに決まっているのだが、しかしそれが分かっていても、徐々の近づいてくるツルムの岩壁はねており、どう見ても簡単そうである。しかも草付もばっちりついていて、ちょっとこれじゃあ物足りないんじゃないかとさえ思えてきた。


基部からツルムを見上げる

1月5日から登攀開始。気圧配置は冬型となり、天気は荒れ始めた。千丈沢側岩壁は北鎌の西側にあたるため、北西の季節風がもろに吹き付け気象条件はかなり悪い。風雪が舞い始め、かつ目の前の岩壁は非常に簡単そうなので、さっさと弱点を登ってC稜に出ちまおうということで、大部君リードで登りはじめた。だが、やはり壁に取り付くと見た目より悪い。あんなにねているように見えたのに、実際に登りはじめるとほとんど垂直に感じるのはいったい何故なのだろう? 中央突破を目論み3ピッチ登ったところで、岩壁中央に覆いかぶさるスラブのヘッドウォール帯に出てしまい、前進不能となった。風雪の舞う中、懸垂で一度岩壁基部に降り立ち、改めルートを偵察する。大人しく岩壁右端の登山体系に「ツルム正面ルート」と紹介されている草付ルートから上を目指すことにして、この日は空身で2ピッチフィックスして終えた。

1月6日。フィクスロープをユマールして3ピッチ目に取りかかる。一応、ルートの核心。5メートルほどの垂直のスラブが目の前に立ちはだかり、しかもプロテクションがとれないので前進は躊躇われる。クライミングがことのほか苦手な私は、やむなく草付バンドを右に回り込み、垂直の細い草付帯にアックスを打ちこみ、いつものようにどこか沢登りを思わせるしみったれたライン取りで突破した。草付グレードK5。ここを突破すると傾斜もゆるみ、悪場もなくツルムの頭まで抜けた。遠目に見ると2、3ピッチで終わるんじゃないかと思われたツルムの登攀だったが、見た目より規模は大きく、ツルムの頭まで7ピッチを要した。ツルムの頭から先もナイフリッジが続き、風がつよくて恐ろしいので、さらに2ピッチ延ばす。

周囲には高さ100~150メートルはありそうな、悪魔城のような黒い威圧的な岩壁が無数に聳えている。特にD稜フランケは高度差が200メートルはありそうな垂直な一枚岩で、実際に登ったら非常に高度な登攀内容になりそうだ。過去に登られた記録はあるのだろうか。草付がないので私にはとても無理である。


D稜フランケ

上部にのびるC稜も細くてきわどいナイフリッジで、岩峰群のなかに彷徨いこんでいるため、どこに繋がっているのかさっぱりわからない。このままC稜に突っこむと、ツェルトでのビバークは必至だ。北西風が直当たりのなかでそれは不快かつ危険なので、一度ルンゼに懸垂で下り、ルンゼ対岸のA稜支尾根基部にテントを張ることにした。


C稜、B稜周辺。面白い地形だね。この写真見てもよくわからないと思うけど、現場にいたわれわれもよくわからんかった。右の尖った悪魔城状岩壁の高さは100メートルぐらい?そんなにないかな

1月7日は風雪がさらに強まった。ガスも濃く、残りの日数や今後の天気を考えると、明日には本峰を越えて肩の小屋に入らないと危険かもしれない。予定していたC稜登攀を変更して、目の前の支尾根を登ってA稜から北鎌に抜けることにする。傾斜のきつい雪稜を3ピッチでA稜に出ると、そのあとは悪場は消え、コンテで高度を稼いでいく。雪は風に叩かれ締まっているため、途中からルンゼを登り、北鎌稜線近くまで達したところで幕営。翌8日に北鎌に出て本峰経由で昼過ぎに肩の小屋に入った。時間があったのでこの日のうちに槍平に下りようとしたが、すさまじい風と濃いガスで視界が遮られ、完全にホワイトアウト。大喰岳西尾根が見えずルート取りに失敗し、小屋にひきかえして、天気が回復した翌日に下山した。

渡渉14回の沢遡行に始まり、深いラッセル、強風吹きすさぶ中、未知の岩壁を越えて槍ヶ岳に登るという体験はかなり内容の濃いものだった。ひとつの山に登ったな、という手応えがある。こういう登山を、今シーズン、もう一回やりたい。

それにしても下山の途中で見た涸沢岳西壁はかっこよかった。特に頂上直下に伸びる白い尾根。家に帰って体系を見てみると、体系にも涸沢岳西壁の記述は出ていない。登るほどの価値のない壁なのだろうか。あるいは隣りが滝谷なので、誰も見向きもしなかったのだろうか。しかし、過去に見向きもされなかったからといって、それが山の価値を引き下げるわけではない。登山とは自分の内面の投影であり、内面がないと外面である山は表象されない。そうである以上、登攀の価値とは過去の記録云々ではなく、自分が登ってみたいと思った瞬間に生まれるものだ。私にとって登山とは山との出会いを辿る個人的な巡礼の旅である。(大部君へ)以上のような理屈から、二月は涸沢岳を考えています。








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甲斐駒ヶ岳赤石沢S状ルンゼ

2015年12月16日 00時08分40秒 | クライミング
以前から甲斐駒赤石沢源流部のルンゼが気になっていた。登山体系によると摩利支天ルンゼとS状ルンゼというのがあるようで、12月初めなら雪崩の心配もなくアイスを楽しめるのではないかとにらんでいた。どんなルートかは不明。しかしそこにこそ登山の醍醐味はある。ということで9~11日に、大部君と一緒にS状ルンゼから奥壁へ継続する計画で甲斐駒へ向かう。

アプローチは八合目岩小屋からBバンドを下って、Bフランケ基部からS状ルンゼへ取り付く計画だったが、散々まよってBバンドではなくAバンドを下ってきてしまう。赤石沢の対岸にはS状ルンゼが白く切れ込んでいるが、なにぶん異常気象の暖冬で、下部のナメ滝は氷結しているものの、真ん中の垂直の滝はカラカラに乾いてしまっている。

まちがってBフランケ基部ではなく、Aフランケ基部からアプローチしたため、赤石沢本流の40mチョックストーン滝を高巻くために、1ピッチ、面倒くさい垂直の藪バンドを登り、懸垂でS状ルンゼ取り付きにおりたった。ナメ滝をコンテ混じりで登り、垂直の滝へ。30m2ピッチ。垂直の壁のところどころにへばりついた土の塊にアックスを突き刺し、直径2センチの細木にランナーをかけて、じりじりと登る。ヴァーティカルな草付ダブルアックスのあとは、ブランクセクションが現れ、クラックにカムをつっこんで右へ振り子トラバース。灌木にアックスをひっかけて、垂直の藪壁を登って滝上に出た。草付グレードK5。あまりに暖かいため、滝どころか、草付も土も凍っておらず、目や耳のなかに植物の破片や土が入りこんできて非常に不快だった。アイスクライミングというより完全に農作業、ドライツーリングではなく土起こしの世界である。

滝の上には樋状の滝100mというのがあるはずだが、スラブの上に薄雪がかかっているだけで全然凍っていない。そのままラッセルで摩利支天と本峰のコルに出て登攀終了。計画では八丈バンドから奥壁へ継続の予定だったが、11日は朝から雨だというので、本峰経由で八合目に戻り、翌日、異様な高温と時折降りしきる雨のなか下山した。

S状ルンゼは凍れば奥壁に継続するのにいいルートかもしれないけど、わざわざ登りにいくところではないなあというルート。それより収穫はこの氷柱。



よくわからないが、奥壁右ルンゼの下部だろうか。この暖冬、異常高温状態で、これだけの氷ができるということは、3月の積雪の多い時期に冷え込んだタイミングを狙えば上までつなっているかも。右ルンゼだとしたら赤石沢の谷底から9合目あたりまでつづくロングアルパインアイスが楽しめる可能性がある。

しかしあらためて写真見ると、本当にこれ12月?という感じ。正月も冬山にはならないかもなあ。せっかく手術を延期したのに、本当に今年は終わっている。気象庁は6年ぶりの暖冬とか言っているけど、そのレベルじゃないでしょ。


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八ヶ岳大同心北西稜

2015年11月29日 18時19分41秒 | クライミング
グリーンランドから帰国して間もない頃、去年、知り合った若手クライマーのOから連絡があった。仕事を辞めて時間があるので、冬山行きませんか、とのことである。本来なら11月か12月に肘の手術を済ませるつもりだった私だが、Oからの連絡に俄然、気持ちがもりあがり、速攻で、いいよと返事を出してしまった。

Oが連絡してきた、「仕事を辞めて時間があるので、冬山行きませんか」との短い誘い文句には、じつは山ヤにしか分からない非常に深い含意がある。山に登るといっても、通常、クライミングの場合はパートナーが必要だ。しかもアルパインクライミングの場合は、単なるパートナーではなく、「同程度の技量を持ったパートナー」というかなり厳しい条件がつくことになる。なぜなら上手すぎる人と行っても足を引っ張るだけだし、下手なやつと登りに行ってもレベルを合わせなくてはならないので、こっちがつまらないからだ。しかし、アルパインクライミングの世界は競技人口が非常に少ない。そのため技量が同程度で、登りたいルートが一致して、かつ登るのに都合のいい日が合うヤツなど、ほとんど見つからないのだ。そのため皆、このパートナー問題には悩まされている。

Oの連絡は、このパートナー問題が一挙に解決することを意味していた。山ヤにとって仕事を辞めるということは、平日も自由に山に行けるということである。私も自由業なので、いつでも相手に日程をあわせて山に行くことができる。しかも、Oとはレベルも志向もわりと一致している。彼のほうが登れるけど、お互いに気を遣わなければならないほどの技量差ではない。したがって彼からのメールは私にとって、お互い、適当な日を調節すれば、仕事に関係なく、今年の冬は登り放題だね! ということを意味していたのである。

もちろん、妻の了解をとるという障壁をのぞけば、ということだが……。Oからの連絡を受けて、早速、「肘の手術は延期して、正月は山に行くことにしたよ」と告げると、彼女は唖然として、いろいろと嫌味を言ってきた(彼女が嫌味を言うのには正当な理由があった。なぜなら妻は、今年の正月は私が極夜探検で留守の予定だったので、実家に帰省する計画を立てていた。しかし、そこに急に私が帰国。肘の手術をして正月は大人しくしている予定だった私は、夫が在宅予定にもかかわらず実家に帰るという妻をなじり、彼女の帰省予定をかなり短縮させていたからである。それなのに急に、正月は山に行くことにしたよ、君は実家で休んでいるといいよと平然と告げた私に、愛想を尽かしかけたというわけだ)。しかし、いちいち妻の言うことを聞いていたら山には永久に行けないので、適当なところで相槌をうって、今回もまた無視することにした。

いうことで、27日に足慣らしに八ヶ岳大同心北西稜に行ってきたのだが、とんでもない暴風のなかでの登攀となった。北西稜だからちょうど吹きさらしのポジションにあるルートだったんですね。1P目のカンテを乗り越えたところから、ずっとすさまじい風のなかでのクライミングとなり、特にビレイ中がつらい。眼球には細かな氷のつぶが常時突き刺さり、真っ赤に充血し視力が低下。つま先も手の指先も冷たくて顔面は凍傷で黒くなってしまった。

ひどいコンディションで登攀も苦戦し、3ピッチ目の核心部をOが登っているところで、私はうんざりして、いい加減、帰って子供の顔を見たくなってきたので、フォローで追いついたところで「もう降りるか」と提案したが、Oは「もう1ピッチ行きましょう」と爽やかな表情でいうので、しょうがなくもう1ピッチ登って懸垂で下りてきた。途中、暴風でロープが真横に吹き流されて、岩の突起に絡まったのか、どうやっても外れなくなってしまい、やむなく切断。その瞬間、ロープはブオーっとどこかに飛んで行って見えなくなった。パタゴニアか、ここは。

いやー、正月が楽しみだなあ。写真はカメラを忘れたので、ありません。

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錫杖岳1ルンゼ

2015年02月03日 01時29分12秒 | クライミング


忙しい、忙しいとぼやいているわりには、この週末は若手クライマーのオオブ君と錫杖岳1ルンゼへ。日本で一番かっこいいとの呼び声も高いアルパインルートである。

事前の候補は三つあって、南アのヤニクボルンゼと唐沢岳幕岩S字状ルンゼと錫杖で迷ったが、たまたま山行の数日前に高田馬場のカモシカスポーツに行ったときに、錫杖に行ってきたばかりだという店員さんから「1ルンゼ、ばっちり凍ってましたよ」との報告を受けたので、そんなこんなで錫杖にした。

天気は雪で寒かった。積雪も多く、クリヤ谷出合まではラッセルで二時間半ほどかかる。最近では錫杖というとアルパインクライマーのゲレンデ的な雰囲気もある山なので、天候にかかわらず他パーティーもいるだろうと予想していたが、誰もおらず貸切状態である。土曜はキャンプから取り付きまでラッセルし、ロープを1ピッチ30メートルほどフィックスして終了した。

氷結状態はどうだったのだろう、ちょっと微妙な気がした。もう少し時期が遅いほうが状態はよくなると思う。1ピッチ目は溝にスカ氷の張りついただけのミックスで、傾斜はきつく支点もあまり取れない。ただ、アックスが決まる程度の固さはあって、リードしたオオブ君はランナウトしてまま登っていった。2ピッチ目は10mほど滝を登って、そのあとは緩傾斜帯に入る。このルートで唯一気が抜けるピッチで、次の滝に入ったところでピッチを区切る。3ピッチ目から中間部の傾斜のきつい氷柱に入る。下部はスカ氷が続き、リードのオオブ君は傾斜がきつくなって、核心のバーティカル部分に入ったところでピッチを切った。

4ピッチ目が核心でまずは垂直のブルーアイスを、右の岩とのコンタクトラインから10mほど登る。落ち口で左にトラバースしてのっこすところがいやらしいが、氷はしっかりしているのでさほど難しくない。問題はその後で、少し傾斜が緩んだところを越えると、再び80度ほどの立った氷柱となり、ここがまた中身がスカスカの困った氷で、しっかりとした支点が取れず、つらい。久しぶりのまともなクライミングで腕がパンプして、落ち口で一瞬、ヤバイ、落ちると覚悟を決めそうになった。けっこうギリギリだったが、なんとか色々ごまかして越えた。氷壁登りもまた人生である(近年は日常で覚悟を決める機会は何度かあったが、山では久しくそういうことはなかったのです)。


核心の中間部氷柱。この上がいやらしいスカ氷の壁になる。

5ピッチ目は氷柱の最後の10mを越えて、事実上の登攀は終了。そこからさらに60mいっぱいまでロープを伸ばし、そこから同ルート下降でおりた。

天気が悪く、気温も低くて(下山後の松本付近の気温はマイナス9度だった)、手袋が凍りつき、なかなかハードなクライミングだった。結氷がもう少しよくなったら快適だと思うが、いずれにせよ非常に登りごたえのあるいいルートであることは間違いない。実質4ピッチか5ピッチだが、これだけ傾斜の強い氷が最後までつづき、しかも適度にテクニカルというルートは他にあまりないように思う。

じつは12月は八ヶ岳の大同心北西稜に向かったが、アプローチの裏同心ルンゼが渋滞しており、北西稜に取りついたところで敗退。正月も甲斐駒の摩利支天に行ったが、これもいろいろあって敗退と、今シーズンはまともに登れていなかったので、今回はいいストレス解消になった。

教訓としては、そろそろ新しいアイゼンに買い換えたほうがいいように思ったので、今度、山道具屋に行ったときに北極の装備のなかにこっそりアイゼンを忍び込ませて、妻に内緒で購入しようと思いました。これからもいろいろごまかして人生を乗り切ろうと思いました。

次は以前から気になっていた、登山体系で絶賛されているあの山に行こうと思います。


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三叉峰ルンゼ

2013年12月15日 10時06分04秒 | クライミング
妻の出産を10日後に控えた昨日、悪い癖が出て、奈目太郎氏と八ヶ岳の三叉峰ルンゼに行ってしまった。

前日の編集者との忘年会もそこそこに切り上げ、奈目氏と合流予定時間だった朝8時より一時間も早く美濃戸口に到着。しかし、その努力も意味がなかった。なぜなら奈目氏のほうが前日、飲みすぎて寝坊し、予定より30分遅れて到着した挙句、二日酔いでヘロヘロだったからだ。

ルートは悪くはなかった。最初の滝は埋まっていたが、つぎの10m滝はⅣ+ぐらいで、氷が固いことをのぞけば快適。あとはロープを出す必要がない程度のナメ滝がすばらく続き、そのうち石尊稜の上部岩壁取りつきについた。

しかしこの時点で午後2時。出発がおそかったので、かなりのスピードでのぼってはきたが、そのせいもあってか二日酔いの奈目氏はかなり体調がわるそう。途中でウゲエッという声が何度か聞こえた気がしたが、それは私の気のせいだったのだろうか。そんなこともあり上までいくのは断念し、石尊稜から下山し、車についたころにはもう暗かった。

ちなみに三叉峰ルンゼはそのまま石尊につなげることもできるし、左側の無名峰のリッジに移ることもできそうなので、シーズンはじめに登るには楽しくていいルートだ。裏同心ルンゼに行くよりは、よほどおすすめである。

この前の赤沢岳西尾根の時の話も含めて、冬山のことを幻冬舎のweb連載で書くつもり。何しろ、一応、山に行くのは趣味ではなく仕事だと妻に強弁しているので、原稿料の発生する媒体で書かないと山に行けなくなってしまうという事情がある。こんなところで書いている場合ではないのだ。幻冬舎の連載は一応、読書エッセイという体裁なので、『死のクレバス』とでも絡めるか。

ちなみに連載最新号では、植村直己『北極圏一万二千キロ』について書いてます。
http://www.gentosha.jp/category/tankenkanohibibonbon?per_page=20

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赤沢岳西尾根

2013年12月03日 21時11分11秒 | クライミング
高校の同窓会があったにも関わらず、それをドタキャンし、土日を挟んで四日間、セクシー登山部の奈目太郎氏と北アルプス赤沢岳西尾根を登って来た。

妻が12月下旬に子供を出産するので、その前にぜひとも雪山に登っておきたかった私は、当初は立山の雄山東尾根に登ろうと考えていた。この時期にまともな雪稜になるのは立山ぐらいしか考えられない。しかし奈目氏は11月29日から12月2日までしか休みを取れないという。12月に入ると立山黒部アルペンルートの営業が終了してしまうため、第一志望の雄山東尾根は無理である。それでしょうがなく我々は後立山の赤沢岳西尾根を登ことにした。後立ならアルペンルートに下山しなくても頂上を越えて扇沢に下山すれば車に戻れるからだ。

だが、予想されたこととはいえ、やはりこの時期の後立の黒部側ルートはきつかった。季節的にまだ藪の上に一メートルぐらい新雪が積もっているような状態なので、雪はまだ全然締まっていない。冬山好きには分かると思うが、これが一番きついラッセルだ。雪が閉まっていないので、一歩踏み出すたびにズボッと踏み抜き、何度も落とし穴にはまるみたいに足が藪の中に抜けてしまう。おまけに赤沢岳西尾根は取り付きからしばらく岩がちに急傾斜が続き、その上に雪がうっすら積もっているだけ。雪だと思ってアイゼンを踏み込もうと思っても、岩にガリガリと引っかかってしまうばかりで足が決まらない。当然、バイルも決まらないので、いやらしい登りを強いられる。

事前の計画では私も奈目氏も二泊三日でサラッと下りてくるつもりだったが、四日間フルに行動し、予備日も使って何とか計画内の日程で下山することができた。

三日目は赤沢岳頂上に泊り、四日目は屏風尾根を下山するつもりで出発したが、ハマった山行の時は何もかもうまくいかないもので、天気が良くなく、風とガスがひどくて視界が全然ない。屏風尾根付近を何度も言ったり来たりし、ロープで確保してもらい雪庇を切り崩して尾根を探したが、結局どこが尾根の分岐なのか全然分からず、再び赤沢岳に登り返して反対側の新越尾根から下山した。最後のほうはもうヘロヘロである。

しかし収穫はなかったわけではなく、赤沢岳大スバリ側の積雪期の尾根ルートの状況はよくわかった。三月に来たらよだれモノの雪稜ルートがたくさんあるし、スバリ岳中尾根も正面から見たらかなりかっこいいルートである。来年あたり是非登りたい。また西尾根Ⅲ峰北西壁もものすごいスケールの壁だった。現在日本屈指のアルパインクライマ―である奈目氏をして、ちょっと冬は登れるところが想像できないというほどの壁である。

結論としては、積雪期の黒部を登るのに、立山黒部アルペンルートを使うなどというせこいことは考えるな、ということだろうか。あとは奥さんが臨月を迎えたときぐらいは、家で大人しくしていろ、ということか。

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剱岳池ノ谷右俣ドーム稜

2013年05月06日 09時44分11秒 | クライミング
今年の積雪期登山は先日の五竜岳をもって終了したつもりになっていたが、ついつい悪い癖が出て、連休中にS野さんとウッチ―を誘って剱岳に行ってしまった。四月下旬からの雪と連休前半の悪天候の影響か、剱は例年より雪がおおいぐらい。行ってよかった。

ルートは池ノ谷右俣ドーム稜。ベルグラが一面に張りついていて、下半部はルートを無視し右側の壁の氷を登った。登攀日となった4日は気温が低く、風も強くて完全に冬山模様。ベルグラにバシバシとピックが決まり、ルートとしては登りやすい。快適なアルパインアイスといった感じである。後半はドーム稜のルートに戻り、Ⅳ級程度の岩登り。部分的に逆相気味の悪いところがあり、一カ所あぶみを出して突破した。最終ピッチのマンメリークラックは氷がびっしり詰まっており非常に快適なピッチである。狭い岩の割れ目をぐいぐい登る。



全部で10ピッチか11ピッチぐらいだったろうか。非常に長いルートである。登攀中は途中からずっと風にあたっていたので、身体が冷え切ってしまった。厳冬期と変わらないぐらい着込んでいたのに、登っていても全然暑くならない。冬山感たっぷりで面白かった。

登攀終了時点で17時近かったので、残念ながら本峰は割愛し、長次郎の頭から下山を開始。しかし折悪く、夕方から濃霧に覆われ視界が10メートルぐらいしかきかない。池ノ谷ガリーから池ノ谷左俣へ下降する予定だったが、ガスのためその下降点が分からない。地図を見て、コンパスをきって議論しながら何カ所かで下山を試みるが、どうしてもそこが池ノ谷ガリーだと確信がもてず、結局、安全策をとり長次郎の頭付近でビバークした。10時間の非常に寒い夜を過ごし、翌日、快晴の中下山。結局、前日に下ろうとしていたところが池ノ谷ガリーだった。

これで今年の積雪期クライミングはほんとうに終了。日々の楽しみのひとつがなくなってしまった。来年は錫杖1ルンゼと一ノ倉沢の中央奥壁と滝谷C沢右俣奥壁と甲斐駒の奥壁左ルンゼとヤニクボルンゼと槍ヶ岳西稜あたりを登りたい。でも冬はまた北極に行くので無理かな。

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五竜岳G7

2013年04月19日 09時30分26秒 | クライミング
17日、18日と今年最後の積雪期登攀として五竜岳に行ってきた。パートナーはセクシー登山部の舐め太郎。当初は18日にG5稜を登り、19日に白岳第二尾根を登攀し下山する予定だったが、現地に行って山をしげしげと眺めた結果、G5よりもG7稜の方が傾斜が強く、雪の着き方も複雑で面白そうだということになり、急遽G7に予定を変える。


正面の尾根がG7

遠見尾根のキャンプを午前3時40分ごろ出発し、末端壁取り付きは5時半ごろだろうか。末端壁は中央の雪壁を登り、藪を超えると雪稜となる。しばらくは雪庇の張り出したなだらかな雪稜が続き、中間部に急傾斜部がくる。昨日の偵察では非常に困難な登攀を強いられることを予想していたが、雪が湿っており、落ちる心配がほとんどなかったため、垂直に近い雪壁をほとんどコンテのままで越えた。


垂直の雪壁


登攀は5時間。G5よりも鹿島側にあり、登攀終了後の帰路がやや遠いが、雪稜ルートとしてはなかなか面白いルートだと思う。


核心の急傾斜部を突破

ただここ数日の高温で雪の状態は全体的にぐさぐさで最悪。キノコの横には内部に亀裂が入っており、突破する時は少し怖い思いをした。雪がそんな調子なので翌日の白岳は危険と判断し、中止。その日のうちに下山した。


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谷川一ノ倉沢3ルンゼ

2013年03月18日 09時39分35秒 | クライミング
土曜日に沼田山岳会Sさんと谷川岳一ノ倉沢3ルンゼに行ってきた。一ノ倉の最奥にある、雪崩の怖いルートだが、3月に入ってからの異常高温のおかげで、雪はがちがちに締まっており、順調に登れた。

ただ快適とは言い難い。上部雪田から落ちてくる雪でスノーシャワーが激しく、とくに核心F3では落ちてくる雪が集中するので、それに耐えながらの登攀となる。本来は日があたる前に越えてしまうべきなのだろう。F3は下部20mは70~80度の氷壁で、上部20mは傾斜の強い雪壁で、ここはランナウトとなる。

60mロープをほぼフルに使って10ピッチ。技術的に問題となるところはないが、頂上近くの稜線まで一気に登ることができる、非常に満足度の高いアルパインルートだった。久しぶりに山に登ったという感じがする。

なお、3ルンゼの向かって左側、一ノ倉沢本谷中央奥壁によだれの出そうなルートが2本あった。上から下までばっちり氷でつながっている。3ルンゼではなくそっちを登ろうか迷ったが、今回はスクリューを6本しか持って来ていなかったので断念し、次回に持ち越しとなった。登山体系と読むと、左側のルンゼ状が本庄山の会ルートだろうか。



画面中央の岩のリッジの左にある、傾斜の強い氷柱のある岩壁が中央奥壁。岩のリッジの右側の切れ込んでいるのが3ルンゼ。

また登りたいところが増えてしまった。

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