ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

記者が消えた街

2011年10月29日 10時19分31秒 | 雑記
今日の朝日新聞朝刊オピニオン面に注目のインタビューが載っていた。「記者が消えた街」。廃刊や人員削減のあおりをうけて、アメリカの地方などでは記者がいなくなった「取材空白域」が存在し、それを取材したスティーブ・ワルドマン記者へのインタビューだ。

ワルドマン記者によると、広告頼みのビジネスモデルが崩壊し、アメリカの地方では新聞の廃刊が相次ぎ、大手紙でも様々な分野で記者の数が削減されている。取材空白域では記者による監視の目が働かず、地方行政官が私腹を肥やしたり、地方選挙では投票率が低下するなどの事態が起きているという。権力を監視するジャーナリズムは民主主義の根幹だとはよく言われるが、実際にアメリカではその根幹が崩壊し、民主主義があえいでいるらしい。

日本でも特に若年層を中心に新聞はほとんど読まれなくなった。主な理由はネットがあるから、だろう。しかし多くの人が気づいているのか、気づいていないのか知らないが、ネットというのは基本的に情報インフラ、通信媒体にすぎない。新聞でいえば紙、テレビでいえばブラウン管(古すぎ?)みたいなものだ。ワルドマンさんも言っている通り、ネットにあふれているニュースは、ほとんどが新聞か雑誌、テレビの記者が取材し、報道したもので、ほとんどのネットの発信者は取材はしない。中でも新聞の取材力は雑誌やテレビに比べて圧倒的だ。だから新聞記者がいなくなったら、ネットに流れるニュースも量が減るか、質が低下し、取材空白域みたいなことになる。

話しは脇道にそれるが、私もよく、グーグルアースがあるのに探検して意味があるんですか、という質問をよくされる。しかしグーグルアースというのはモニター上に映し出される便利な地図上にすぎない。3D画面で実際の場所の雰囲気が分かる、とかいう人もいるが、あんなものを見ても現地に行った気分にはなれない(人間は脳で理解する動物ではなく、身体で知覚する動物です)。グーグルアースはいろんな機能があって、使い勝手がいいので、私もよく使うが、情報の本質としては紙の地図と別に変らない。グーグルアースに載っている衛星写真はグーグルの社員が撮影したものではなく、ランドサットが撮影したものと無料で公開しているだけ。つまりネットというのはそういうものだ。

日本で取材空白域を生まないためには、取材や雑誌を購読する。つまらない時は寄付だと思ってあきらめる、ということしかないのだろう。できればついでに本も買っていただければ、大変たすかる。読んでいる人には大変申し訳ないけど、自分でカネをかけて取材したものについてはブログではいっさい書かないことにしている。北極しかり、ツアンポーしかり。探検中に動画をアップするとか、記事を書くとか、そんなことはもってのほかである。新聞社が自社サイトで記事を公開して、自分で自分の首をしめているのと、同じようなものだ。

ということで、北極の話は「すばる」二月号から始まりますので、よろしく。長い宣伝でした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マザーズ

2011年10月27日 13時29分38秒 | 書籍
マザーズ
金原ひとみ
新潮社


金原ひとみ『マザーズ』を読む。

私は結婚もしていない三十代半ばの独身男で、かねてから子供ができるということ、それによって世界観がどのように変わるのかということに強い関心があり、かつ子供もいない自分に少なからぬコンプレックスを抱くルサンチマン野郎である。

これほど母親になるという事実を赤裸々に表現した小説は初めてだ(といっても母親ものは角田光代の『八日目の蝉』ぐらいしか読んだことはないが)。子供を産み、育てることの正の側面と負の側面が、最も鋭角なかたちで表現されている。倒錯した心理描写を一気に読ませる文章力にも脱帽。著者の心情が素直に表現されたラストもよかった。すばらしい作品だった。

多くの女性が、私が行っているような冒険に共感しないことも、この小説を読んで分かった。女性は胎内に子供=究極の生を抱えるので、わざわざ本当の生を求めて外で危険を冒す必要などないである。よく考えてみたら当たり前のことだ。マーク・ローランズ『哲学者とオオカミ』や国分拓『ヤノマミ』など、自然=生、死=生みたいな要素を隣に置いて、生きることを論じるような本を金原ひとみが読んだら、当たり前じゃん、ということになるのだろう。

昔、サバイバル登山家の服部さんから、「かくはたくん、子供は山だよ」と言われて、この人、何言ってるんだろうと思ったことがあったが、そういうことだったのか。

読後の感想を一言でいうと、おれも子供を産みたい! ってそれは違うか……。

あとこんなに面白い小説なのに、アマゾンのレビューはそれほど高くない。アマゾンのレビューなんてまったく気にしなくていいことも分かって、それもよかった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の衝撃から

2011年10月21日 10時33分19秒 | 雑記
最近の衝撃からひとつ。

先日、宮崎で講演会があった。日本最大の照葉樹林が残っている宮崎県綾町でシンポジウムがあり、運営に携わっている探検部のOBから頼まれて、照葉樹林とはほとんど関係のないチベットのツアンポー峡谷の探検の話をしてきたのだ。70~80人ほど聴きに来てくれて、よかったよかった一件落着で、講演は滞りなく済んだ。

衝撃はその日に泊まった宿でのこと。何気なく体重計にのると、デジタルメーターは75キロを示した。75キロ? 北極から帰ってきて、体重計に乗ったのは初めてだが、何かの間違いではないのか? 私の普段の体重は70キロ。北極に行く前、脂肪を蓄えようとして、あんなに頑張って、寝る前にラーメンとか、ポテチとか、チョコとか食べて、ようやく達成した体重が75キロなのに、なぜ今、同じ数値をこの体重計は指し示しているのだろう。最近は酔っぱらっていない時はランニングもしているし、クライミングなども再開したので、帰国後に全身を覆っていたぜい肉はおおむね落ちた。なのに、なぜ?

もしかして19世紀のイギリスの極地探検家もびっくりの、103日間の過酷な氷上ソリ引き&ツンドラボッカ旅行の結果、下半身ならびに肩や背中のあたりがしっかりと鍛錬されてしまい、探検後に暴飲暴食した結果、鍛錬された部位の筋肉が盛り上がり、5キロ増えたのだろうか。そういえば、帰国後に、一回り大きくなったとか、腕が太くなったとか、やたら言われる。自分では分からないので、別に変らないっすよ、と答えていたのだが、やはりビルドアップされてしまっていたようだ。クライミングに行っても、体が重くてまったく登れないし、それにランニングもなんだか、やたら疲れる。ズボンもパツンパツンだし、ほとんどのTシャツがピチTになってしまった。

これは困った。山に登るのが大変だ。ぜい肉と違って、筋肉はなかなか落ちないので、5キロは容易ではない。これからアイスクライミングの季節なのに、まいりましたね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3時10分、決断のとき

2011年10月18日 17時17分53秒 | 雑記
3時10分、決断のとき [DVD]
クリエーター情報なし
ジェネオン・ユニバーサル



最近、ラッセル・クロウの映画にはまっている。というか、ラッセル・クロウにはまっている。現在のところ、彼は私の中で、こういうかっこいい大人になりたいと思う男ナンバーワンである。若い頃の映画もいいが、最近の中年になったラッセルもまた渋い。たるんだ腹、アルコールの摂りすぎでだぶついた顔、淀んだ目、聞き取れないほど低い声、いい感じで醜くなってきていて、それがかっこいい。今までブルドッグを飼っている人の気持ちが全然分からなかったが、こういう感覚なのかもしれない。

昨日見た、『3時10分、決断の時』は最高だった。南北戦争後のアメリカを舞台にした西部劇で、ラッセルは伝説的な強盗団のボス、ベン・ウェイドを演じている。ウェイドは早撃ちの名人で、今まで何人もの罪のない人間を殺してきた正真正銘の悪党だ。だが、ある時、町の保安官事務所に逮捕されてしまう。その場に居合わせたのが、戦争で片足を失ったダンという、息子に愛想を尽かされた牧場主。ダンは自分が男であることを息子に見せるため、ウェイドを3時10分発の汽車に護送する仕事に名乗り出る。

駅のある町にたどり着いた後の、二人のからみが最高。何が最高かって、ダンの男気に心を動かされた時のウェイド演じるラッセルの、まあ、かっこいいこと。

今日は飯食いながら『ロビンフッド』を見ます。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熱風10月号、岳人11月号

2011年10月12日 16時59分49秒 | お知らせ
スタジオジブリの雑誌、熱風10月号に「身体の喪失」というタイトルの原稿が掲載されます。8月に東北の被災地を訪れた時のルポみたいなものです。約1万字の長い原稿です。

また、岳人11月号の地図特集に、「地図と探検 ジョン・フランクリンの足跡を求めて」という原稿が掲載されていますが、誤植があります。原稿の冒頭部、第二段落二行目が「凍った海にソリを引き、60日間かけて探検家アムンセンが北西航路を初めて横断した時に越冬したジョアヘブンという村で10日間ほど休憩した」となっていますが、これでは文意が通じません。正しくは「氷った海を60日間かけてソリを引き、探検家アムンセンが北西航路を初めて横断した時に越冬したジョアヘブンという村で10日間ほど休憩した」です。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪男会議INロシア

2011年10月07日 21時50分11秒 | 雑記
ロシアでイエティについての国際会議が開かれているらしい。朝日新聞3日夕刊の記事を紹介しよう。

イエティ(雪男)と呼ばれる謎の生き物の捜索が、ロシアや米国、中国など7カ国の研究者が参加してロシアの西シベリア・ケメロボ州で6日から3日間行われる。これほど大規模な取り組みは、1958年にソ連科学アカデミーが捜索して以来初めてという。
大型類人猿を思わせる未確認生物の情報は、ヒマラヤ山脈をはじめ、世界各地から報告されている。ケメロボ州南部の山岳タイガ地帯でも、ゴールナヤ・ショリヤの洞窟にイエティが住むと信じられてきた。2009年、身長2メートルほどの毛に覆われた人間に似た生き物を目撃したとの情報が猟師らから相次ぎ、地元行政府が捜索を開始。今夏から監視カメラも設置した。
今回、国際的捜索には米中ロのほか、カナダ、モンゴル、スウェーデン、エストニアの研究者らが参加する。州政府によると、雪男に関する国際会議も同時に開催、その生態に迫る。
ケメロボ州では、イエティの記念碑や土産品が登場し、イエティを連れてきた人には知事が懸賞金を約束するなど、町おこしに活用している側面も強い。
08年には日本のイエティ捜索隊がヒマラヤで正体不明の足跡を発見している。


記事の最後の08年の捜索隊というのは、私が参加したイエティ・プロジェクト・ジャパンの隊のことだろう。ラヂオプレスの配信記事はもっと面白くて、それによると、『ケメロボ州の「イエティ」(雪男)の生息数は回復しつつあり、同州南部には30人程度のイエティが生息している可能性がある』という。

私のところにも、昨日から今日にかけてラジオやテレビの出演依頼があいついだ。昨日は夜はTBSラジオの番組から依頼があったのだが、私用があったので断った。今日はニッポン放送とテレビ朝日の報道ステーションからコメントを求められた。ニッポン放送は上柳昌彦さんの番組に10分ほど電話でインタビューに応じた。報道ステーションは、私ではなくて、八木原さんのほうがいいということになったようで、これから放映される。

それにしても、ロシアにはそんなに雪男がいるのだろうか。ラヂオプレスのニュースを見た時、ケメロボ州に飛んで行って会議に参加したかったのだが、もろもろの事情があり断念した。うーん、気になる。あと、この騒ぎが少しでも本の売り上げにつながることを祈る。

追加:今、報道ステーションで雪男会議のニュースが流れた。扱いはけっこう大きく、その分、古舘伊知郎はひどく狼狽し、「これはいったい何を言いたいニュースだったのでしょうか」とゲストの姜尚中にコメントをふっていた。プロレス時代の機転のきいた実況を見られず、残念。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「1491」と北西航路お知らせ

2011年10月05日 12時36分51秒 | 書籍
1491―先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
チャールズ・C・マン
日本放送出版協会


チャールズ・C・マン『1491-先コロンブス期をめぐる新発見』を読む。1492年にコロンブスがアメリカに到達するまでの、北米と南米のインディオの文化を、最新の考古学的知見から明らかにしたもの。

コロンブスがやってくる前のインディオといえば、インカやアステカといった特殊な文明をのぞき、原始の森や太古から伝わる自然の中で、
狩猟採集をおこないながら静かに暮らしていた人々。一般的に私たちはそう考ているだろう。しかし、この本はそうした従来のインディオ観をことごとくくつがえす。インカやアステカだけでなく、北米大陸やアマゾンですら、当時はヨーロッパに劣らないほどの人口を抱えた文化が栄えていたというのである。その文化を一瞬で破壊に追いやったのは、残虐なスペインのコンキスタドールではなく、むしろ、ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病だった。

本文が600ページほどの浩瀚の書だが、文体は独特のユーモアに満ちていて、読んでいて飽きがこない。内容も知らないことが次から次へ提示されスリリングだ。だが、この著者の一番素晴らしいところは、徹底した取材に基づいた独特の視点で全体を貫いていることだろう。それは、当時のインディオは自然に翻弄されながら生活していた従属的な存在だったわけではなく、自然に積極的に働きかけ、むしろ自然を管理した自立した存在だったという視点である。その証拠として著者は、北米の大草原はインディオが野焼きによって作りあげた人為的な自然であること、あるいはアマゾンの熱帯雨林も原初の自然なんかでは実はなく、インディオが食料を確保しやすいように手を加えた果樹園のようなものであるという学説など例にとり、説得力のある論を展開するのだ。そして読者は常識をひっくり返され、ぶったまげるという仕組みになっている。

とても面白かった。暇な人にはおすすめである。

   *   *

お知らせ。ナショジオのウェブサイトに、私の短期集中連載「北西航路」の三回目がアップされました。ご覧になってください。

http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/article/20110927/285308/index.shtml




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする