ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

講演会、トークのお知らせ

2017年04月14日 09時24分29秒 | お知らせ
4月、5月、6月と講演会、トークショーの仕事がけっこう入っており、とりあえず近いものを告知します。

まず、4月24日。下北沢の本屋さんB&Bで、ノンフィクションライター西牟田靖さん『わが子に会えない』刊行記念で公開トークします。この本は妻と別れて子供に会えなくなった父親たちにインタビューしたノンフィクションなので、このトークでは西牟田さんに取材の経緯や舞台裏など聞きつつ、長期探検中で子供と離れなければならない一人の親として、親子関係とは何なのかについて語りたいと思います。

予約はB&Bのサイトからお願いします。
http://bookandbeer.com/event/20170428_ev/

5月21日に、以前、ツアンポー探検の前に通っていたチベット語教室のカワチェン主催による講演会があります。こちらは新宿歴史博物館。「探検すること、取材すること、書くこと」というお題をいただきましたので、そんなことについて。前にICIで取材やノンフィクションについて語ったときは、深い内容を目指しすぎてはまったので、もう少し、エピソード中心のわかりやすい内容にします。

詳細はカワチェンHPで。
http://www.kawachen.org/event.htm#20170521

4月28日の文春の極夜報告会はすでに予約が百人を超えたとの中間報告をもらっています。
また6月10日には中日新聞の夏山のつどいのイベントで金沢で山について、6月11日には国立登山研修所の五十周年企画で代々木で「冒険論」に関して、6月17日には北海道北見市の地元山岳会主催で北見で極夜探検のことで、それぞれ講演会が入っています。また日が近くなったら詳しくお知らせします。

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教育勅語雑感

2017年04月08日 08時02分33秒 | 雑記
最近、一番うんざりしたのは、政府が教育勅語の教材使用を政府が閣議決定したこと。昨日も文部副大臣義家弘介が幼稚園などの教育現場で教育勅語を朗読することは「教育基本法に反しないかぎり問題ない行為」と意味不明、内容皆無の答弁をして話題となった。この答弁は犯罪をおかしてもそれが刑法に違反しないかぎり問題がないと言っているようなもんで、日本語としてまったく意味をなさず、この人は本当に教師をしていたのだろうかと疑いたくなる。それに文部副大臣という立場にあろう人が、こんな法の精神を骨抜きにするような発言をして許されるのだろうか。即刻辞任に値する発言だと思うのだが。

それにしても教育勅語の復活、治安維持法の予防拘禁制度を彷彿とさせる共謀罪法案の国会審議入り、銃剣道の学習指導要領入りと、いよいよこの国は戦前の国家体制に復古しつつあることが如実になってきた。戦前の国家体制に復古して一番嫌なのは、国が戦争を起こすとかそんなことではなくて、国民の個人性が公権力によって否定されることだ。教育勅語に何が書いてあるかというと「万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる」(ウィキペディアより)なんてことが書いてあるわけで、こんな国民の個人的人格を否定して国家に命ごと隷属させるようなことを命じているテキストを、まだ善悪の基準やモラルが十分に確立されていない子供たちに美風として教え込むような教育なんて、想像しただけでゾッとする。たとえば稲田朋美みたいに教育勅語に書かれていることの核の部分は取り戻すべきだみたいなことを言う人たちは、教育勅語の徳目が戦前のファシズム日本を建設することにどれだけ大きな機能を果たしたかという歴史の教訓をいったいどう評価しているのだろうか。

子供をもつ一人の親として切実に思うのは、こんな文章を教材で扱うような教育機関には絶対に通学させたくないということだ。先日、娘がテレビで首相安倍を見たときに「この人知っている」と何か偉い人だと思っているようなことを言ったので、マズイと思い、「こいつはね日本で一番悪いやつなんだよ。日本で一番の嘘つきだから」とちゃんと本当のことを教えてあげた。将来、学校で教育勅語の精神を吹きこまれた娘に、「おとうさん、そういう国家にたてつくようなことをブログで書いたりしたらダメだって先生が言ってたよ」とか言われたらどうしようと真剣に心配になる。もし娘が森友学園でわけのわからないことを言わされていた子供みたいに精神を変造され、目を純真にキラキラさせて国家に忠誠を誓うようなことを平然と口にするようになったら可哀相だし、個人の自律、モラルの確立を公権力によって取り上げられた人間ほど憐れなものはない。子供にはそんな人間になってほしくないし、上から押しつけられた忠誠心にしたがって生きるのではなく、自分だけの信念を自分の力で探す、そんな生き方をさせてあげたい。少なくともそういう環境で育ってほしい。

ゆえあって、今年のうちに引っ越さなくてはならなくなり、今、移住先を探しているのだが、こういうニュースを聞くたびに、マジでこの国から逃れて海外移住を検討したくなる。教育勅語に象徴される戦前回帰傾向に、冬山登山禁止にみられる危険回避、責任回避を根底にした「あれをやったらダメ、これを言っちゃいけない」という風潮。本当にこの国はクソみたいな国になりつつあるし、私はそんなこの国が最近心底嫌いだ。でもこの国に住んでいる以上は公的な責任があるので、この国はクソみたいだし薄気味悪い腐臭をはなちつつあるということだけは積極的に発言していきたいと思う。

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ジャンダルム飛騨尾根~涸沢岳北壁

2017年04月07日 22時23分34秒 | クライミング
平日CC(クライミングクラブ)の二人オーブ、ホサカと3~6日で山へ。当初は剱岳白萩川側フランケでアルパインアイスを堪能するつもりだったが、運悪く3日夜から雪の予報となったため、雪崩の危険の少ない穂高へ転身した。3日に蒲田川林道をアプローチし、白出沢をラッセルしはじめる。昼間は快晴だったが、午後になると雪が舞い始めた。予報では松本周辺は晴れだったので穂高は低気圧の影響を受けないと考えていたが、想定外の大雪。剱に行っていたらヤバイことになっていたにちがいない。気温も低いし、雪もサラサラで、まるで冬山のようである。天狗沢との二股からD尾根に取り付き、300mぐらいだろうか、そこそこ高度を稼いで尾根上に幕営した。

幕営地から飛騨尾根取り付きまではラッセルで時間をくった。雪は止んだが、D尾根からC尾根にわたるルンゼはいかにも雪崩そうな雪質と地形で、というか、60パーセントぐらいの確率で雪崩そうである。ここはちょっと危ないので、先頭をオーブ君に変わってもらい難所を突破、この日は飛騨尾根の岩壁を快適にクライミングし、T2で時間切れとなったので雪洞を掘った。翌日、ジャンダルムに登頂し、奥穂まで縦走して穂高岳山荘にテントを張った。正直言って実質3ピッチぐらいの簡単なルートかと舐めていたが、合計8ピッチもある登りごたえ十分の面白いルートだった。

6日は涸沢岳北壁へ。涸沢岳北壁は登山体系に載っていない、ほとんど誰からも相手にされていない、存在さえ知られていない壁だが、槍ヶ岳方面から眺めるその山姿は日本のローツェ南壁と呼びたくなるほど凛々しく聳えており、いつか登りたいと念願していた山のひとつだ。……だったのだが、その念願の日がついにやってきたこの日の朝、われわれはついうっかり二時間ほど寝坊してしまった。慌ててテントを出発し、涸沢岳を越えて滝谷D沢へ下るルンゼを下降していく。狙っていたのは涸沢岳北壁で唯一登攀された昇天ルンゼだが、滝谷のルンゼ内も積雪が多く、雪崩の不安を払拭することができず(また寝坊のせいで時間も少なくなってしまったこともあり)、2900m付近から頂上付近にダイレクトにつきあげるリッジを登攀することにした。

ルンゼから雪壁をトラバース気味に登り、2ピッチでリッジにたどり着く。朝は快晴だったが、登攀を開始するとみるみる天気は悪化し、風雪が強まりはじめた。3ピッチ目が一応核心。リードするオーブ君が雪のバンド上を左にトラバースし、「そんなに難しそうじゃありません」との感想をのこしてガスの向こうに消えていったが、実際にフォローしてみると、草付のくっついた垂直の壁がそそり立っており、思わず彼の安全係数をうたがった。5ピッチ目が最終ピッチで、リードは私の番。下からは楽勝に見えたが、終了点である西尾根直下はボロボロのクズ壁になっていて、アイゼンを岩にひっかけると落石がゴロゴロ落ちるわ、アックスをつきさすと岩がグラグラと動くわ、の最悪のピッチだった。こういう悪いところは、妻子もおらず、私よりも命の値段がはるかに安い若い他の二人が担当すべきなのに、リードの順番というのは不条理なことだなぁと、思わず世の儚さを嘆いたが、もう下りたくても下りられないとこまで上ってきてしまっていたので、しょうがなく「頼むからもう崩れないでください」と神様に祈りながら、一か八かの数歩の末になんとか西尾根に乗りあがった。



涸沢岳北壁は岩壁というより岩石が積み上がっただけのボロ壁だが、遠くから見た容姿が美しいので良い山だ。しかし、この場合の良い山というのは、登攀の内容よりもむしろ、オレは今、あのローツェ南壁みたいなかっこいい壁を登っているんだ、そんなオレってトモ・チェセンみたいでカッコいいぜという自己愛に浸れるという意味で良い山なので、やはりこのようなタイプの山は上から掠めるように登るのではなく、滝谷の出合から一気にルンゼを登って頂上に一本のラインを引いたほうがナルシスティックな完成度という点からも正解だろう。

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