ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

万太郎谷

2010年07月29日 00時38分40秒 | クライミング
賞をいただき、これからいよいよ忙しくなるぞ! と身構えていたが、今のところあまりその気配も感じられないので、当初の予定どおりぶらっと山にでかけた。

今年5回目の穂高で中又白谷から前穂東壁の継続の予定だったが、あまりにも暑いので谷歩きに変更。谷川の万太郎谷で、釜にどぼんと飛び込んだり、小さな淵をわざわざ泳いで突破したり、流水をびしゃびしゃ浴びながら滝を登ったりと、おっさん二人がキャーキャー言いながら、まぶしい陽ざしがふりそそぐ暑い夏の一日を満喫した。




カエル


昔はヒリヒリするような体験に目がいっていたので、こうした山をあじわうというか、楽しむような登山をしてもどこか物足りなかった。しかし最近はこうした登山もいいものだと思うようになってきた。いや、なってきてしまった。

年をとったということなのだろう。ともあれ、この調子で北極計画に突き進みたい。
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クックのマッキンリー初登頂偽造記録について

2010年07月26日 09時50分29秒 | 雑記
開高賞受賞で、このブログの閲覧者がバブル的に増えている。いまのうちに北極探検史のマニアックな話を書いて、少しでも興味を持つ人を増やしてしまおう、ということで、再び北極点初到達論争でピアリーの敗れ去り歴史的ペテン師と評価された探検家フレデリック・クックの話。

某翻訳者から某編集者を通じて、chris Jones 'Climbing in North America'の第四章'to the top of the continent'の翻訳文をご厚意でいただいた。この本にクックのマッキンリー初登頂偽造事件が詳しく報告されている。

それによると、1906年に二度目のマッキンリー探検にやってきてクック隊は、南面からの登頂を狙い二カ月半、活動したが失敗。その後、他のメンバーがニューヨークに帰ったり、植物採集したりした後、再び隊員が集まった時、クックから馬方と二人で登頂に成功したという話を聞かされたという。その後クックはマッキンリー初登頂者として各地で講演などをおこなったが、彼の記録に疑問を抱いた隊のほかのメンバーが、現地踏査によってクックの登頂写真をくわしく検証し、その山頂がマッキンリー山頂からは遠く離れた別の山であることをつきとめたのだ。

クックは1909年に北極から生還し、一時、北極点初到達者として英雄になるが、その後、ピアリーとの初到達論争に巻き込まれる。そのさなかにマッキンリーの初登頂についてのこうした経緯が明らかになり、そのことも北極点初到達もフェイクだったという有力な証拠にされた。

こうした話に興味を持った人は、広辞苑のようにぶあつい、




こういう本を読んでみましょう。ついでに翻訳して、A4用紙にプリントアウトし、豊島区長崎のわたしのアパートに送っていただければ、大変に助かります。

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開高健ノンフィクション賞

2010年07月25日 08時13分41秒 | お知らせ
チベット、ツアンポー峡谷を探検した時の記録「空白の五マイル」が、集英社主催の第八回開高健ノンフィクション賞を受賞しました。ツアンポー峡谷をめぐる過去の探検史を絡ませ、自分の旅の記録を描いたものです。

昨年はネパールヒマラヤで雪男を探す人たちをルポした作品を応募し、最終選考で落選したので、受賞できて本当にうれしいです。取材に協力していただいた方々、ならびに今までお世話になった方々に、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。

単行本は11月に出る予定です。
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男の隠れ家9月号

2010年07月24日 00時19分43秒 | お知らせ
7月27日に発売される雑誌「男の隠れ家」(エッチな雑誌じゃなくて、一応趣味雑誌なんです、と自虐めいた自己紹介を女性編集者が取材先へのあいさつで話しているのを二回ほど目撃した)9月号で、「夏、山へ。~憧れの北アルプスに立つ~」特集が組まれます。わたしも奥穂高岳の登山ルポと、伝説の山案内人・上条嘉門次についての記事を書きましたので、興味のある方はご一読ください。

男の隠れ家のサイトは http://www.kakurega-online.com/
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ブヨ敗退

2010年07月23日 09時55分47秒 | 雑記
一昨年、屏風岩でブヨ敗退した時の写真を発見。なぜかモノクロ加工してある。

あの時はたしかトリプルジョーカーというルートを登ろうとしていた。T4テラスでのビバーク中からツェルトの生地の向こう側はブヨで真っ黒。1ピッチ目取り付きに向かう草つきをトラバース中は、もはや墜落もやむを得ないというぐらい顔面にブヨがたかって、死ぬ思いだった。

これをみれば、山で一番怖い生物は、クマでもヘビでもライオンでも雪男でもなく、こうした害虫類だということが分かるでしょう。
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父さんのからだを返して、など

2010年07月22日 23時47分12秒 | 書籍
屏風岩の後、取材で富山、京都、大阪をまわり、探検部後輩Sのクルマに便乗して小川山に行き、今週月曜に東京に帰ってきたのだが、みなさんご存じの通り、脳みその三分の一がとけるほどあつい。ものを書いたり、資料を読んだりなどして、これ以上脳内の血液循環を高め、熱交換作用を促進し、ヒートさせると、本気で熱中症の危険があるので、ここ数日はやむを得ず、人間としての社会的機能を停止させて部屋で寝そべっている。

その間、最近、やたら売れているというマイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」が部屋の未読本置き場に重なっていたので、読む。以前、NHK教育の「ハーバード白熱教室」をたまたま見て、面白かったので本も買ったのだが、買ったことを忘れていた。この本に関しては、各新聞書評、あるいはアマゾンレビューなどで盛んに取り上げられているので、そちらを参考にすると良いでしょう。個人的には、わたしはこれまで自分の道徳的立場を穏健なリバタリアンだと考えていたが、なんだコミュニタリアンだったのか、と認識を一変させられた。道徳や政治哲学について、普段たいして何も考えていないので、目を開かせられたということである。

その他にもう一冊、ケン・ハーパー「父さんのからだを返して」を再読した。北極探検史の裏話的な秘話についての本であり、北極点を初到達したことになっているアメリカの探検家ロバート・ピアリーが1897年に北極から連れて帰ってきたイヌイットの少年ミニックの悲劇的な人生をつづっている。ミニックの父キスクはアメリカに連れてこられた後、間もなく死亡。ニューヨーク自然史博物館の関係者はミニックの前で父を遺体を埋葬したように見せかけたが、実はそれは偽装で、父の遺体は博物館に標本として保存されていた。それを知ったミニックは遺体を返してほしいと何度も懇願するが、その願いは聞き入れられなかった。



当時の探検家の非人道的な振る舞いに怒りで肩を震わせ、ミニックの物悲しく、過酷な人生に涙する、というのがこの本の正統的な読み方であるが、それはさておき、北極探検史に興味を奪われているわたしとしては、1909年に起きたピアリーとクックの北極点初到達論争についてのべたミニックの意見が興味深い。当時、ミニックはアメリカから故郷であるグリーンランドに戻っており、ピアリーとクックについての北極のイヌイットたちの評判を、次のように手紙に残しているという。

……ここの人びとは誰も、ピアリーが一行と別れたあとそれほど遠くまで行ったとは思っていません。ここでは、ピアリーの名前はその残酷さのために憎まれています。クックは北極点を目指してすばらしい旅をしましたが、ここでは証拠になるようなものは何も見つかりませんでした。クックは誰よりも近くまで行ったのでしょうが、北極点はまだ発見されていないのだと思います。クックは人びとに愛されています。エスキモーはみなクックのことをほめていて、クックがピアリーに勝って栄光を手にすることを望んでいます……

もちろんミニックはピアリーにより人生をめちゃくちゃにされた被害者なので、加害者であるピアリーを憎むのは当然である。しかしだとしても、ピアリーはどんな本にも、傲慢で独善的な人物として描かれているのはなぜだろう。ピアリーというのは実に心が広く、イヌイットたちの心をつかんだすばらしい探検家である、と書いているのはピアリー本人の著書だけだ。北極を自分の領地だと考え、イヌイットを所有物だとみなし、北極に近づく他の探検家にかみつかんばかりだったという彼のマナーの悪さは際立っていたようだ。それに比べて、論争に敗れ歴史的にペテン師との烙印をおされたものの、クックという人物はあまり悪く書かれることはない(今まで読んだ本では)。

前にも書いたが、この論争は今に至るまで真相は分かっておらず、実に興味深い。19世紀に129人全員が死亡したジョン・フランクリンの北西航路探検隊と同じくらい興味深い。興味深い、興味深い、いやー興味深い、とそんな思いが高じてしまい、ついつい、Robert.M.Brice COOK&PEARY なる本をアマゾンドットコムで購入し、はるばるアメリカから船便で送ってもらった。

だが、届いたのはいいものの、なんと総ページ数1133、厚さ65ミリという、実に雄大な英書であった。本というより、広辞苑に近い。




こんなもんは、読めない……。もはや北極に行くしかないな。

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屏風岩

2010年07月19日 11時40分14秒 | クライミング
先週末、久々に遊びで穂高の屏風岩に行って来た。今年はなんだか穂高づいていて、4月に滝谷(遊び)、同月涸沢岳西尾根~奥穂(取材)、6月涸沢~奥穂(取材)と、穂高に来たのはこれで四回目である。

登ったのは最もポピュラーな雲稜ルート。1、2ピッチ目はⅤ級程度の非常に快適なクライミングで、梅雨の晴れ間にも恵まれ楽しめた。

屏風といえば、一昨年、エイドルートを登りに来た時、T4テラスからブヨの大群に襲われ、1p目登攀終了後に敗退したことがあった。登攀中、墜落覚悟で顔面にたかる数百匹のブヨを追い払いながら、草付きをトラバースしたものである。ビレイポイントに着いた直後に、ほうほうのていで逃げ出した。顔はぼこぼこに腫れ、リンチ事件の被害者、ないしはヘビー級にぼこぼこにされたタイ人軽量級ボクサーのようになった。


今年は虫よけスプレーをかけまくったおかげで、被害を最小限にとどめることができた。人間、学習するもんである。

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