ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

八ヶ岳大同心北西稜

2015年11月29日 18時19分41秒 | クライミング
グリーンランドから帰国して間もない頃、去年、知り合った若手クライマーのOから連絡があった。仕事を辞めて時間があるので、冬山行きませんか、とのことである。本来なら11月か12月に肘の手術を済ませるつもりだった私だが、Oからの連絡に俄然、気持ちがもりあがり、速攻で、いいよと返事を出してしまった。

Oが連絡してきた、「仕事を辞めて時間があるので、冬山行きませんか」との短い誘い文句には、じつは山ヤにしか分からない非常に深い含意がある。山に登るといっても、通常、クライミングの場合はパートナーが必要だ。しかもアルパインクライミングの場合は、単なるパートナーではなく、「同程度の技量を持ったパートナー」というかなり厳しい条件がつくことになる。なぜなら上手すぎる人と行っても足を引っ張るだけだし、下手なやつと登りに行ってもレベルを合わせなくてはならないので、こっちがつまらないからだ。しかし、アルパインクライミングの世界は競技人口が非常に少ない。そのため技量が同程度で、登りたいルートが一致して、かつ登るのに都合のいい日が合うヤツなど、ほとんど見つからないのだ。そのため皆、このパートナー問題には悩まされている。

Oの連絡は、このパートナー問題が一挙に解決することを意味していた。山ヤにとって仕事を辞めるということは、平日も自由に山に行けるということである。私も自由業なので、いつでも相手に日程をあわせて山に行くことができる。しかも、Oとはレベルも志向もわりと一致している。彼のほうが登れるけど、お互いに気を遣わなければならないほどの技量差ではない。したがって彼からのメールは私にとって、お互い、適当な日を調節すれば、仕事に関係なく、今年の冬は登り放題だね! ということを意味していたのである。

もちろん、妻の了解をとるという障壁をのぞけば、ということだが……。Oからの連絡を受けて、早速、「肘の手術は延期して、正月は山に行くことにしたよ」と告げると、彼女は唖然として、いろいろと嫌味を言ってきた(彼女が嫌味を言うのには正当な理由があった。なぜなら妻は、今年の正月は私が極夜探検で留守の予定だったので、実家に帰省する計画を立てていた。しかし、そこに急に私が帰国。肘の手術をして正月は大人しくしている予定だった私は、夫が在宅予定にもかかわらず実家に帰るという妻をなじり、彼女の帰省予定をかなり短縮させていたからである。それなのに急に、正月は山に行くことにしたよ、君は実家で休んでいるといいよと平然と告げた私に、愛想を尽かしかけたというわけだ)。しかし、いちいち妻の言うことを聞いていたら山には永久に行けないので、適当なところで相槌をうって、今回もまた無視することにした。

いうことで、27日に足慣らしに八ヶ岳大同心北西稜に行ってきたのだが、とんでもない暴風のなかでの登攀となった。北西稜だからちょうど吹きさらしのポジションにあるルートだったんですね。1P目のカンテを乗り越えたところから、ずっとすさまじい風のなかでのクライミングとなり、特にビレイ中がつらい。眼球には細かな氷のつぶが常時突き刺さり、真っ赤に充血し視力が低下。つま先も手の指先も冷たくて顔面は凍傷で黒くなってしまった。

ひどいコンディションで登攀も苦戦し、3ピッチ目の核心部をOが登っているところで、私はうんざりして、いい加減、帰って子供の顔を見たくなってきたので、フォローで追いついたところで「もう降りるか」と提案したが、Oは「もう1ピッチ行きましょう」と爽やかな表情でいうので、しょうがなくもう1ピッチ登って懸垂で下りてきた。途中、暴風でロープが真横に吹き流されて、岩の突起に絡まったのか、どうやっても外れなくなってしまい、やむなく切断。その瞬間、ロープはブオーっとどこかに飛んで行って見えなくなった。パタゴニアか、ここは。

いやー、正月が楽しみだなあ。写真はカメラを忘れたので、ありません。

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冒険歌手

2015年11月15日 10時10分45秒 | 書籍
冒険歌手 珍・世界最悪の旅
クリエーター情報なし
山と渓谷社


峠恵子さんの『冒険歌手』がHonzのレビューで取り上げられて、好調な売れ行きをしめしているらしい。うらやましい話である。

言うまでもなく、というわけではないが、峠さんは十四年前の私の旅の相棒。つまり私は2001年に登山家の藤原一考さんが計画したニューギニア探検隊の隊員だったのだが、峠さんもその一人で、私たち3人は半年以上にわたり、特殊非現実的、非日常的時空をともにした間柄だった。この旅の目的はかなり野心的なもので、ヨットで日本を出てニューギニア島まで航海し、ボートでマンベラモ川を遡って、さらにオセアニア最高峰カールステンツ峰の北壁に新ルートを開拓するという、当時はほかに聞いたことがないようなハイブリッドエクスペディションだった。

しかし、今、考えると、私にとってはニューギニアよりも藤原さんと峠さんが、この特殊時空をつくりあげていた張本人だったと思う。個性的という言葉の意味では到底とらえきれない強烈な二人のお人柄。人間の限界という言葉が思い浮かんでしまうほど、かなり端っこのぎりぎりを行っている感じ。若かった私はすっかり藤原さんの毒っ気に参っていたが、15年近くがたった今、言えることは、あの毒っ気は藤原さんからのみ出ていたものではなく、峠さんからも同じぐらい分泌されていた可能性が高いということだ。どっちがどっちというわけではないが、二人は隊における太陽と月、白夜と極夜、生と死、ゴジラとモスラ、月とスッポン、目くそ鼻くそみたいなものだった。私は精神が引き裂かれるような存在の耐えられない軽さに煩悶して、中途脱退して帰国。もうこんなバカなことは二度としないぞ(もうこんな妙な大人たちには近づかないぞ)と誓ったものだった。

この本は峠さんが帰国後に書き下ろした作品で、以前、小学館から出た『ニューギニア水平垂直航海記』の復刊版である。作品のなかでは私もユースケという名前で登場します。

ニューギニア水平垂直航海記 (小学館文庫)
クリエーター情報なし
小学館


なおhonzの書評では「結果、大学生のユースケ隊員が愛想をつかして、一人飛行機で帰国。じつは彼こそ、ある著名な作家の若き日の姿であったのだが、この旅はあまりに黒歴史だったのか、氏のプロフィールから省かれていた、らしい。」と書かれているが、別にこの旅は私の黒歴史ではないし(ちょっと濃い灰色ぐらいかな)、デビュー作である『空白の五マイル』の著者プロフィールでもこの遠征のことは触れている(それに私は著名ではない)。たしかに帰国後は挫折だと感じていたが。

『冒険歌手』として再刊されるにあたり、峠さんと対談して、その原稿が本書に巻末に収められているが、彼女は相変わらずパワー全開で、ちょっと太刀打ちできなかった。この本は彼女の目から見たニューギニア探検の一部始終なのだが、むしろ、ニューギニア探検を語ることで彼女本人の破天荒な生き方が語られる一種の私小説ともいえる。だからタイトルは前の本よりすごくよくなったと思う。

このニューギニアのことは、私もそのうち本にしようと目論んでいる。もう一回、私なりのニューギニア探検を実施して、十五年以上時間が離れた二つの遠征を抱き合わせにして一つの作品というイメージだが、極地にはまっている現在、ニューギニアに行く時間がまったくとれない。早くしないと、当時の藤原さんの年齢に追いついてしまうのがおそろしい。


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毎日出版文化賞書評賞受賞

2015年11月03日 10時07分45秒 | お知らせ
探検家の日々本本
クリエーター情報なし
幻冬舎


『探検家の日々本本』が毎日出版文化賞の書評賞を受賞しました。どうもありがとうございます。

正直いって、まさかこの本が賞を受賞するとは思っていなかったので、非常に驚いています。しかも書評賞。意外でした。前々回の受賞が辻原登さんの『新版 熱い読書 冷たい読書』。前回が立花隆さんの『読書脳 ぼくの深読み300冊の記録』とのこと。いずれも拝読していませんが、深い学識に裏付けされた文化賞という名に値する名作であることが想像されます。それが今年は学識とは縁遠い、なかには下ネタさえ混ざっている、この「非文化賞的」なウイスキーボンボンみたいなタイトルの本が選ばれるとは……。

ありがとうございます。

一応、この本は、本と読書をテーマにしていますが、書評というよりも、あくまで本をダシにつかった自分語りのエッセイのつもりでした。だから、この本でダシに使わせてもらった各作品の著者の方には申し訳ない気持ちがあり、この本を読んだら気分を害されるんじゃないかと危惧の念さえ抱いていました。本音をいうと、著者の方々には読まれては困ると思っていたのですが、それが版元の幻冬舎の編集者が気を利かせてくれて、何人かの著者に本書を献本すると聞いたときは、非常に困惑したものでした。

それが賞までいただいて、私の罪の意識はいっそう深まるばかりです。どうもありがとうございます。今後もますます探検→読書→思索→執筆というプロセスを貫いていこうと思います。

今回、思わぬかたちでグリーンランドから帰国を強いられ、来年また余計な交通費、運送費がかかることになって、資金繰りに頭を悩ませていました。副賞の50万円は来年の旅費に充当させていただきます。ありがとうございます。

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