ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

グーグル革命の衝撃

2010年10月18日 11時43分15秒 | 書籍
グーグル革命の衝撃 (新潮文庫)
NHKスペシャル取材班
新潮社


部屋の未読本コーナーに積んであった一冊「グーグル革命の衝撃」(NHKスペシャル取材班)を昨晩、一気読み。

グーグルが日本に上陸してから、ずっと私はグーグルのユーザーであったが、グーグルが決める検索順位のランクづけが社会に大きな影響を与えている現状には不気味なものを感じていた。若干、情報の古い本であるが、グーグル=現代の情報革命がどこに向かって進んでいるのか、もやもやとしていたことがよく分かる。

グーグルのビジネスモデルは個人の検索動向を把握することで、それぞれの個人の指向にあった、「的確」な広告を検索結果に連動させ、大きな広告収入の手に入れるというものだ。行きつく先はどうなるかというと、ジョージ・オーウェルが「1984年」で描いたような不気味な管理社会。オーウェルは当時、台頭していた共産主義が進行した結果としてビッグブラザーによる監獄社会を描いたが、すべての個人の消費動向を把握しようとするグーグルの目指す理想社会も、同じような結果をもたらすと同書は指摘する。

そういう意味では、最近の中国政府VSグーグルのバトルも、言論の自由を認めない伝統的、強権的な中国の共産主義的管理社会と、それとは正反対の資本主義社会から飛び出した、一見自由であるが、密かに個人の管理を進行させるグーグル的情報社会の激突とみれば、興味深い。いずれにしても私たちの未来は、国家か企業かに監視された窮屈な社会しかないらしい。

この本では、インターネットで安易に情報が入手できるようになったことの弊害もきちんと指摘されている。何かについて知りたいと思った時、インターネットがなかった時代は図書館に行き、資料を調べ、人に会って話を聞き、現地に行き現場を見るといった一連のプロセスが必要だった。そうすることによって、事前の予想とは異なる現状、今まで興味はなかったが調べてみると面白かったことなど、様々な寄り道が生じて、人間の知識に厚みが出た。しかしインターネットによる検索はピンポイントで知りたい情報が手に入ってしまう。合理的で便利だが、知りたいことしか知らない人間が増える。その結果、余計な知識や厚みのない薄っぺらな人間ばかりができあがる。グーグルにより検索機能がますます便利になるにつれ、社会や人間から面白みが失われていく、というわけだ。

困ったことに、みんなそれに気づいているのだが、便利だからグーグルを使ってしまう。かくいう私も相変わらずヘビーユーザーで、時々、検索ボックスに自分の名前を打ちこんで、日本社会における角幡唯介のポジションを確かめてみてしまったりする。アマゾンにもどっぷりはまっており、あれを買え、これを買えと、毎日うるさくメールが来る。

そういえばこの本も、アマゾンで買った。万歳!
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