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ひとめ惚れ

2014年07月24日 21時46分40秒 | 本と雑誌
『校閲ガール』の主人公は24歳女性。そんな彼女がコーヒーショップで偶然見かけた男性に恋をする。その理由は、イケメンだから。

彼女は子供のころからファッション雑誌の愛読者で、自分に対しても他人に対してもファッションに対する感覚は鋭い。くだんの男性も駆け出しとはいえファッションモデルだった。

『人は見た目が9割』なんて本もあったが、実際に身だしなみや服装を含めた外見にその人となりは如実に表れるものだ。外見を装うことなんてくだらない、内面を磨けなんていうのは、妄言といっていい。

だから、主人公がひとめ惚れすることに異議はない。異議はないのだが、ひっかかりはある。
その後ふたりは知り合いとなり、恋が実りそうなところで終わる。その中で男性の内面が描かれることはない。その人となりすらほとんど描かれない。主人公が好きになった理由もイケメンだからだったと自分自身で納得している。




最近の少年向けライトノベルやラブコメ系コミックで、主人公がひとめ惚れする場面が思い浮かばない。これらは、「主人公」だから無条件で周囲のヒロインに好意を持たれるため、主人公が積極的に好きになった相手にアプローチするという展開がほとんどない。

ヒロインがあまりに絶世の美女だった場合、主人公が気後れしたり、釣り合いが取れているか気にすることがあると思う。俺TUEEE系の主人公であればともかく。

男性がヒロインに求めているのは、かわいいことは絶対条件だが、容姿よりも関係性であったり、なにより「無条件に自分を愛してくれるという母親の代わり」的なものだったりする。




「現代日本のエンターテイメントでは、男の子が空から降ってきた美少女にすべての願いを叶えてもらうのはありだけど、女の子はすべて自分で道を切り開かなきゃ許されない。男がヘタレという事実をみなが気付いているから・・・。」と先日ツイートした。

男がヘタレでマザコンでもいいという女性もいるにはいるだろうが、多くの女性はいまの日本の男性に幻滅しているんだろうなとは思う。

『校閲ガール』で主人公の同世代の女性が男性に求めているのはカネと容姿。身も蓋もないけれど、それくらいしか求めるものがない。

この本の中に出てくる男性で、「いい男」と呼べるのは、イケメンの彼と、主人公の先輩のゲイ(?)のふたりだけ。作品的にファッションセンスのない人物はバッサリ切られるのでより顕著だが、現在の日本社会の縮図としては正しい感じもする。




ただ以前Twitterで見かけたのだけれど、「スーフリ」のような(そこまでひどくなくても)男たちを、男なら見た目である程度判別できるが、女にはできないという話があった。

外見から、その人となりや所属する集団を識別するリテラシーは同性に対しての方が高くなると思う。服装などは異性に対してであっても、それをよく見ているのは同性の方だ。経験を積んでいけば、異性の外見へのリテラシーも向上するのだろうが、若いうちは限界があるだろう。




カネもない、容姿も恵まれない男は、生きる価値がないのが現在の日本だ。そのためのオタク産業であるとも言える。

私のオタクの定義は、異性に対する外見的(あるいはそれ以外の)努力よりも自分の趣味に時間・労力・お金をかける人というもの。実際には、イケメンでなくてもモテる方法はあるが、どちらにせよ、何もせずに愛されるなんて幻想は、大金持ちか美形かでなければありえないという、当たり前の話に行き着く。

というか、「リア充、爆発しろ!」って結論しかないよねw




以前、宮下奈都『スコーレNo.4』を読もうとした。主人公の中学、高校、大学、就職という4つの時期を描いた作品なのだが、最初の中学時代までしか読めなかった。

主人公はひとりの少年にひとめ惚れする。遠くから見て、一瞬で射ち抜かれるように。

それだけのこと。だけど、どうしても主人公に気持ちが寄り添えなくなってしまった。

描き方などに引っ掛かりがあったのかもしれないが、続けて読もうという気持ちは失せてしまった。

ひとめ惚れしたことがないから?

それでもフィクションとして書くのはありだと思うのだけれど、この作品だけは割り切れなかった。それだけよく描けていたからなのかもしれない。

結局、「リア充、爆発しろ!」と呪詛を吐くしかないわけだが。


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