環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

東日本大震災:東電、賠償金仮払いへ(朝日新聞 朝刊)、  建築制限期間 延長へ(朝日新聞 夕刊)

2011-04-14 09:59:10 | 自然災害
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おわりに

「地球環境元年」という言葉があるとすれば、わが国にとっての地球環境元年は1988年で、スウェーデンにとってのそれは国内で環境の酸性化論争が起こった1968年であろうと思います。わが国とスウェーデンの間には、環境問題の重要性に対する認識の度合いとそれに基づく対応に大きな相違があります。

 その顕著な相違は他のさまざまな社会問題と同様に「その問題をいつの時点で認識し、それをどのように理解し、対応してきたか」という点にあります。この相違はまさに「治療志向の国」の視点と「予防志向の国」の視点の相違といってもよいでしょう。

 先進国に共通する環境問題や社会問題の分野で、他の先進国とは一味違う先進的な試みを実践してきたスウェーデンには、これらの分野で、わが国の問題解決の参考になりそうな具体的な事例が多々あることは事実ですが、わが国の問題の多くはわが国の社会システムや社会的慣習の下で生じている問題ですから、基本的には、わが国でその解決の糸口を見つけ出さなければなりません。

 スウェーデンが国内外で行動を起こす時の行動原理はきわめて常識的で、単純明快です。要約すれば、「当たり前のことを当たり前のこととして実行する」いうことに尽きると思います。

 その背景には現実をよく見極め、問題の本質にせまるという姿勢(現実主義、プラグマティズム)と人権の重視があります。その具体例の一つがスウェーデンの福祉制度です。スウェーデンの福祉制度は「子供は成長し、大人になり、やがて、老いる。この人生のサイクルの中で、特に、他人の助けを必要とするのは子供の時と老いた時である」という、人間すべてに共通する現実を認識して築き上げたものです。この福祉制度の下では、お年寄りに対する配慮にも増して、将来を担う子供たちに対する配慮に重点がおかれています。

 「現在の環境問題やエネルギー問題の大部分が社会システムの問題である」と考える私の立場からすれば、わが国とスウェーデンの間で最も際立った両国間の相違は、国の「政策決定プロセス」と「政策実行プロセス」の相違です。

 スウェーデンでは「内閣主導型の政府」を中心に国民各層および国会が参加して国の政策(目標)を定め、その目標を実現するために、「省」から独立した当該行政機関が具体策を組み上げ、自治体と共に国の政策を実行に移します。しかも、「予防志向の国」ですから、複数のシナリオが考えられ、選択の余裕があります。後退・方向修正が可能です。

 これに対して、わが国は「省庁主導型の政府」ですから、官僚が具体策を積み上げてみないと目標を設定できないということになります。しかも、「治療志向の国」ですから、通常、シナリオは一つしかなく選択の余地はほとんどありません。後退・変更が難しくなります。

  20年前にくらべて、世界の環境問題に対する知識は確実に増えて来ました。明らかになったことは、私たちがいま直面している環境問題は、「豊かさ」と「貧困」の両方から生じている問題であり、「人口の圧力」と「資源の利用形態」があいまって、先進国と発展途上国の双方に問題が生じているという認識です。

 このような認識に立てば、 「先進国・発展途上国を問わず、人間の活動は基本的には環境に有害な活動である。資源には限界があり、技術にも限界がある」と認識し、エコロジー的な考えに基づいて、社会システムや社会的慣習を変更し、私たちの生存の基盤である「大気」、「水」、「土壌」の管理を十分に行い、社会のさまざまな分野で「総消費量の削減」をめざさなければなりません。

 環境問題のキー・ワードである「持続可能な開発」のためには、先進国はその活動と生産物の「量」を減じ、それらの「質」を高め、途上国は「量と質」を高める必要があります。
 
 未来社会の構築では、量の増大を意味する「新築・増築的発想」よりも、質を重要視する「改築的発想」が望まれます。さもなければ、21世紀中頃までにはさまざま分野で環境問題やエネルギー問題に起因するさまざま問題が起こるでしょう。先進国で、その活動と生産物の量を減じ、質を高めることは私たちの子供や孫の世代に明るい未来を約束するものです。

 エネルギー消費量が多く、国内に十分な資源を有しないわが国のエネルギーの安定供給のためには、エネルギーの供給量を現在よりも増大させる方向で安定供給を図るよりも、エネルギーの供給量を現在よりも減少させる方向で安定供給を図ることのほうがはるかに容易であり、この方向は気候変動の問題の解決のための方向と軌を一にすることは自明の理です。

 技術立国を自認するわが国の専門家や技術者、政策担当者は、「生産工程からは、製品と共に、必ず固型、ガス状、液状の廃棄物および廃熱が出る」、言い換えれば、「廃棄物と廃熱を排出できなければ、あらゆるものは生産不可能になる」という当たり前の原則を理解しているのでしょうか?

 この物理的な原則は「原料とエネルギーだけでは、環境の汚染なしには、物の生産ができない」ことを示しています。当然のことながら、生産量の増加は廃棄物の増加と廃熱の増加をもたらしますから、環境に配慮した持続可能な生産体系で重要なことは原料やエネルギーの供給側よりも、むしろ廃棄物や廃熱の処理・処分のシステムが適切に整備されているかどうかにかかっていると思います。

「時間の経過と共に、技術は進歩し、私たちの知識は増えるが、構造物(施設)や製品は劣化する」という原則も疑う余地のないところです。これらの物理的な原則は、特に、廃棄物の問題を考えるときには重要な原則で、先にお話した「子供は成長し、大人になり、やがて、老いる」という生物的な原則と同程度に基本的な原則です。

 私がこのように考えるのは、現在の社会のシステムの延長上で将来を考えるのではなく、社会システムや社会的慣習の変更や見直しを行ない、これまでの企業(供給者)の論理ではなく、生活者(消費者)の立場でわが国の社会を見直せば、断片的ではありますが、エネルギーの有効利用、省エネルギー、省資源の余地が十分にあることを示唆する資料がかなりあるからです。

 「生活者」の立場に立って経済政策を立案する際に、コンピュータに「環境およびエネルギー」という項目を入力することが必要です。この操作により、コンピュータ画面は入力前と大きく変わったものになるはずです。「環境、エネルギー問題が経済成長上の制約条件として作用している」という現実にもかかわらず、これまで、わが国の経済政策担当者や経済学の専門家の多くがこの項目を入力してこなかったのです。ここに、現実に起きている事象と政策の間にギャップの生ずる理由があります。

 考えなければならないことは「今、行動を起こさなければ、次の世代が支払うコストがさらに大きくなる」ということです。わが国で環境問題の認識が、最近、目の前の「公害」から「地球環境」という概念に変わってきたように、私たちの関心は「目先の利益」ではなくて、「長い目でみた利益」へと変わって行かなければなりません。つまり、この本の基調である「治療的な発想」から「予防的な発想」への転換、「技術的・工学的な発想」から「人間を十分意識した生物学的発想」への転換です。

 国連環境開発会議で承認される予定の「気候変動に関する枠組み条約」や「生物の多様性保全条約」の準備交渉や「各国のNGOの活動」を報ずる連日の報道を見るにつけ、 この本の「はじめに」 のところでご紹介した、故パルメ首相の言葉「科学者と政治家の役割」 と、スウェーデンが意識的に実践してきた問題解決のための「専門家と専門外の人との協力」の大切さを思い起こします。

 国連環境開発会議がどのような形で幕を閉じるにしろ、適切な対応策がとられなければ、私たちと私たちに続く世代の生存基盤である環境は、おそらく、世界の科学者が予測した方向で確実に悪化して行くことになるでしょう。

 1992年5月7日、国連環境計画はこの20年間の地球環境の変化をまとめた『地球環境報告1972~92』を発表しましたが、報告書の発表に当たって、国連環境計画のトルバ事務局長は「先進国の大気汚染の改善を唯一の例外として、この20年間にすべての環境分野で状況が悪化した」と指摘し、「先進国と発展途上国が一致して環境保全の行動を起こすべきだ」と強調しました。つまり、地球環境の現状は史上最悪であるというわけです。わが国の環境政策やエネルギー政策の中に、このような認識と方向性が明確に据えられるかどうかが問われています。

 21世紀を目前に控えて、世界は、現在、激しく流動し、さまざまな問題が顕在化し、私たちの目に見えるようになってきました。環境問題はその最大のものです。なぜかといいますと、環境問題は経済分野の一部門としての問題ではなく、私たちの生存基盤そのものの問題だからです。

 「総合性」「整合性」「柔軟性」および「継続性」がわが国の法体系、行政、研究開発など社会のあらゆる部門で求められています。

 最後に、この本の出版にあたり、さまざまな角度からご助言、ご協力をいただいたダイヤモンド社の三枝篤文さんをはじめとする皆さんにお礼を申し上げます。

1992年6月 国連環境開発会議の開催の月に               
                                       小沢徳太郎


巻末リスト

1988年6月7日から89年10月までのおよそ1年半の間に、著者が目にした、スウェーデンの「原発・エネルギー政策」
に触れた、新聞、雑誌、単行本、テレビ番組のリスト。