環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

東日本大震災:統一選 民主敗北(朝日新聞 朝刊)、 高汚染水 復水器へ(朝日新聞 朝刊)

2011-04-11 06:49:34 | 自然災害
私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック         持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>のブログは、ここをクリック
お問い合わせはここをクリック   アーカイブ(公開論文集)      持続可能な国づくりの会のホームページ(HP)は、ここをクリック



          
                                                                                   理念とビジョン:「全文」   「ダイジェスト版」


   

                             第6章の目次



1988年のエネルギー政策ガイドライン

 1988年6月7日、国会で承認されたエネルギー政策ガイドラインは、その英文要約資料によれば、10項目の重点施策からなり、このガイドラインの第1項目で「1基目の原子炉を1995年に廃棄し、2基目を1996年に廃棄する。廃棄する原子炉はリングハルス原発から1基、バルセベック原発から1基である」ということが初めて明記されました。

 原発に直接かかわる項目は3項目あります。このガイドラインはスウェーデンのエネルギー政策の行方を考える際の基礎資料の一つですから、当時の環境・エネルギー省の広報部が外国の報道機関用に用意した1988年3月22日付けのプレス・リリースの全文の和訳文を表8(207ページ)に示しておきました。

 このエネルギー政策ガイドラインは2基の原子炉廃棄を含む脱原発プログラム開始の第一歩であって、現在のエネルギー・システムを1990年代末をめどに現在よりも環境への影響が少なく、しかも、いっそう安全で経済的なエネルギー・システムに修正していこうとするものです。 

 言い換えれば、この政策は2000年以降に本格的に始まる予定の原子炉廃棄のための基盤整備を目的とするもので、産業構造、交通体系、家庭・商業などの社会システム全体の電気の利用の見直しを伴うものですから、すべての政府機関、産業界、国民の協力が前提となります。

 これらの諸々の社会的な調整が2010年を最終目標とする原発の段階的廃棄の前提条件です。このエネルギー政策ガイドラインでは、「1990年代末をめどに年間の総電力消費量が135~140TWh(1988年現在の総発電量に相当)程度に保たれるようなエネルギー・システムの構築」をめざしています。

 予定どおり、2基の原子炉を早期に廃棄できるかどうかを評価するためのチェック・ポイント(第1回レビュー)を1990年に設定しました。


1990年のチェック・ポイント

 1988年のエネルギー政策ガイドラインに従って、政府はスウェーデンのエネルギー事情をチェックするために関係行政機関、特別に設置した委員会や作業班に対し、1991年の「政府のエネルギー政策案」の基礎となる報告書を作成するよう指示しました。

 16編の報告書が1989年12月から1990年4月までに政府に提出され、公表されました。1990年秋から1991年1月15日まで、公表された報告書を基に、予定された2基の原子炉の「早期廃棄とその社会的影響に関する問題」を巡って活発な論議が展開されました。

 当面は、1990年のチェック・ポイントの評価結果がこのエネルギー政策ガイドラインの遂行とその後のエネルギー政策を立案する上で重要な意味をもつことになるであろうと思います。


社民党大会の結論と三党の合意

 1990年9月の社民党大会で、与党である社民党は1988年の「エネルギー政策ガイドライン」の第1項目に明記された1995年および1996年に予定されていた原子炉2基の「早期廃棄時期の延期」を決定しました。

 この党大会では、予定どおり2基の原子炉を廃棄すべきとする「1988年6月のエネルギー政策ガイドライン支持派」と廃棄時期の延期を主張する「1995年、1996年の原子炉早期廃棄延期支持派」との間で意見が二分されましたが、党大会の結論として、「2010年までにすべての原子炉を廃棄するとしている野党(中央党および自由党)と原子炉廃棄開始年度の延期に関する協議に入ることを決定し、社民党執行部に野党との対応を委任しました。大会後、社民党は中央党、自由党との交渉を開始しました。

 1991年1月15日、社民党、中央党および自由党の3党間で早期原子炉廃棄の延期に関する合意が成立しました。