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環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

06年のODA実績 GNI比 スウェーデン1位、日本18位

2007-04-04 11:01:57 | 政治/行政/地方分権


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今朝の朝日新聞が経済開発協力機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)が4月3日に発表した「2006年の主要国のODA実績」を伝えています。国別では、DAC加盟の22カ国中、ODA実績(総額)で米国、英国に次いで3位に転落したそうです。日本が3位以下になるのは82年以来24年ぶり。スウェーデンは7位。ODA額の対国民総所得(GNI)比では、スウェーデン1位(1.03%)日本18位(0.25%)です。


「GNI比 0.7%」の援助目標は1980年の国連決議に盛り込まれ、当初の達成期限は85年でした。92年の地球サミットの行動計画「アジェンダ21」も早期達成がうたわれましたが、2001年時点の達成国はデンマーク、ノルウェー、オランダ、ルクセンブルグ、スウェーデンの5カ国だけでした。日本は19位(0.23%)でした。

人口が日本の10分の1のスウェーデンはODA(途上国への政府開発援助)でも活発に貢献しています。次の毎日新聞をご覧ください。

スウェーデンのセーベセーデルベリ外務次官は当時の毎日新聞のインタビューで、「スウェーデンは20年前(1969年)に国会でGNPの1%を開発協力にあてることを決議し、15年前(74年)にその目標を達成した」と答えています。この目標設定はスウェーデンが独自の判断で決め、その目標に向けて実行してきたのです。そして、1980年になりますと、国連が「GNI比 0.7%」の援助目標を掲げます。スウェーデンは80年以降は国連の「GNI比 0.7%」を維持してきました。

ですから、国連が掲げた「GNI比 0.7%」という援助目標を判断基準にすれば、スウェーデンは1974年から2006年まで32年間、国連の目標を達成していたことになります。一方、日本はGNI比が89年当時(当時はGNP比)の状況と06年の状況が数字の上でほとんど変わっていないことからも想像できますように、国連の目標を達成したことがないのです。



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スウェーデン社民党新党首に モナ・サリーン氏を選出

2007-03-25 12:33:41 | 政治/行政/地方分権
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3月18日の時事通信が「スウェーデンの野党、社会民主党は17日の党大会でぺーション前首相に代わる新党首にモナ・サリーン氏を選出した。同党初の女性党首となる」と報じています。

モナ・サリーンさん は、1995年当時、副首相で、当時のカールソン首相の後任と目されていましたが、実際には前ぺーション首相がカールソン首相の後任となりました。モナ・サリーンさんは2005年1月1日から2006年9月の政権交代までは、世界初の「持続可能な開発省」の大臣でした。

昨年9月17日(第3日曜日)のスウェーデン総選挙(定員349)で、穏健党を中心とした野党の中道右派4党連合が社民党と閣外協力2党(左翼党と緑の党)の与党左派連合を僅少さで破り、12年ぶりに政権が交代しました。つぎの総選挙は2010年ですから、そのとき社民党が政権復帰すれば、モナ・サリーンさんはスウェーデン初の女性首相になるかも知れません。

私のブログ内の関連記事はつぎのとおりです。

(1)スウェーデンの国会議員の投票率の推移(1/9)

(2)市民連続講座:緑の福祉国家1 ガイダンス(1/11)
   
(3)緑の福祉国家8 「持続可能な開発省」の誕生、「環境省」の廃止(1/18)  

(4)政治家の不祥事(1/20)
   


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国の借金 832兆円、過去最悪を更新

2007-03-24 20:48:34 | 政治/行政/地方分権


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今日の朝日新聞は「財務省は3月23日、2006年度末の国の借金残高(国債+借入金+政府短期証券=国の債務残高)が過去最悪を更新し、832兆円となった。地方自治体の借金は167兆円程度とみられ、国と地方の合計では約1000兆円となる」と報じています。



国の借金残高は3カ月ごとに公表されています。2005年度末(2005年3月末時点)の国の借金残高は827兆円超でしたから、この1年で5兆円程度増えたことになります。

私たちは借金の額があまりに大きく、しかも私たちにはどうすることもできないという諦めからこの種のデータをほとんど無視同然にしているのかも知れませんが、経済活動は資源とエネルギーの使用で支えられ、その結果の蓄積が環境問題である、つまり、 「経済活動の拡大」と「環境負荷の増大」はコインの裏表だと理解する私にとって、 「GDPの成長」も、「借金残高」も無視できません。          

日本の政府も企業も、そして国民も、このような現状に直面してもまだ、「それぞれができること(ところ)から始める」ということでよいと考えているのでしょうか。「できることから始める」という発想は対象があまりに大きいと、「できないことはやらない、あるいは難しいことは先送りする」ということになりかねません。

20世紀のように、「経済の拡大」に何の疑問もなかった時代には社会のそれぞれのセクターが「それぞれできるところから始める」という発想は一般論としては正しかったのですが現在の日本のように、今なお、国の方向性が「持続的な経済成長」を志向している状況では環境問題に対して「それぞれができるところから始める」という発想は「持続不可能な社会」をさらに助長する可能性が高く、大変危険だと思います。よかれと思ってやったことが、全体として、経済学者がいう「合成の誤謬」を招きかねないからです。


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対照的な日本とスウェーデンの「債務残高」、今後はどうなる?

2007-03-19 08:24:58 | 政治/行政/地方分権


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昨日のブログで、日本とスウェーデンの「2007年の債務残高」が極めて対照的だというデータを示しました。現職の尾身幸次財務大臣が「平成19年度予算」との関連で、データを示し、コメントしているのですから、このデータは議論をするときのデータとして信頼できるものでしょう。

それでは、このような日本の厳しい財政状況がこのまま推移していくと将来どのような状況になるのでしょうか。私はこの分野のまったくの素人ですので、この分野で社会的にも、そして、専門的にも信頼できそうな方が公表されたご自分の論文のなかで引用されているデータを紹介します。

月刊誌「中央公論」(2004年11月号)が「特集 国家破綻の足音」で、榊原英資さん(元大蔵相財務官)が「日本の財政悪化は政治の砕片を招くか」と題する論文を寄稿しておられます。その論文の中に「各国の累積財政赤字の予想」と題する格好のデータがあります。

榊原さんのコメントはつぎのとおりです:「中央公論」(p125から)
双子の赤字はアメリカの問題というだけではなく、いずれ日本の問題になる。特に第二次ブッシュ政権、あるいはケリー新政権が財政赤字削減に本格的に取り組み出せば、双子の赤字はアメリカの問題というよりは、ここ2~3年の間に日本の問題になってしまう可能性すら低くないだろう。

さらに悪いことに日本の人口減少・老齢化のスピードは先進国で一番速い。すでに歳出の半分以上が年金、医療、介護などの社会福祉関連であることを考えると、財政赤字に与える老齢化社会の影響はきわめて大きい。

上の図は半年ほど前、格付け機関S&Pが、現状のままの財政制度が維持されたときの、老齢化社会が財政赤字に与える影響を試算したものである。すでに、165%(小澤注 昨日の尾身財務大臣のデータでは148%となっていた)まで上昇している日本の財務残高GDP比は2020年で287%、2050年では718%に達する。つまり、20年から30~40年の間に日本は財政破綻から国家破産の道をたどるというわけなのだ。

素人の私には何とも大変な状況だと思うのですが、エコノミストも政治家も、そして国民も、マスコミもあまりに目の前の身近な問題にばかり気をとられすぎているのではないでしょうか。榊原さんの掲げた表で日本のように右肩上がりの傾向を示しているのはチェコだけです。この表の数値を用いて、主な国の傾向を私がグラフ化しましたら、つぎのようになりました。


ちなみに、榊原さんのお考えでは、スウェーデンや他の先進工業国は現状のままでもそれほど問題はない、ということになるのでしょうか。



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対照的な日本とスウェーデンの「債務残高」と「国民負担率」

2007-03-18 16:16:24 | 政治/行政/地方分権


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3月16日のブログで、21世紀前半の日本の国づくりを議論するとき、議論を混乱させる二つの指標があるという話をして、「国民負担率」と「環境効率」をあげました。そして、「国民負担率」という概念は日本独自のもので、専門家の間でも疑問が多い概念であることをお話しました。

現在発売中の月刊誌「文藝春秋」(2007年4月号 p384~391)が、「財政再建 特別鼎談 『成長なくして財政再建なし』の理念で編成した平成19年度予算」と題して、新政権になって初となる平成19年度予算の特長と日本の財政事情などについて、尾身幸次財務大臣、財政制度等審議会会長を務める西室泰三さん、フリーアナウンサー・酒井ゆきえさんの鼎談を掲載しています。

この記事の中に、「債務残高(GDP比)の国際比較」「国民負担率(国民所得比)の国際比較」の最新の状況を伝える図が掲載されています。両方の図から、日本とスウェーデンを比較できるので、参考になると思います。両国の現状が極めて対照的であることが読み取れます。

尾身さんはつぎのようにコメントしています。
国と地方を合わせると770兆円くらいの借金があるんです。これは、日本のGDPに対して148%。こんなに借金のある先進国は日本だけで、2番目に借金が多い国が、121%のイタリア。アメリカ、ヨーロッパの先進国は、大体50%から70%なのです。

他方で、ここは非常に大事なところなのですが、国民負担率、これは、税金と、年金、医療保険、失業保険等の掛け金を全部合わせて、所得のうちからいくら払うかというものですが、これは日本は39.7%です。


尾身さんはつぎのようにコメントしています。
高福祉の国スウェーデンは70%。その代わり医療費も学校もほぼタダ、年金もかなりもらえるというので、老後は安心なんです。これが「高福祉-高負担」。ヨーロッパの国が「中福祉-中負担」。西室会長は、財政制度等審議会の会長ですが、審議会がこの前、日本は「中福祉-低負担」だという報告を出したんです。そうすると、日本は、「中福祉-低負担-高借金」

私のブログでは「少子・高齢化問題」「環境問題」の2つを21世紀前半に人類が人類史上初めて経験する大問題であると位置づけています。そして、どちらも、私たちの社会をこれからも持続させることができるかどうか、また、つぎの世代に引き渡すことができるかどうかに、深くかかわっています。

この2つの大問題を同時解決するために、スウェーデンは「福祉国家」から「緑の福祉国家(生態学的に持続可能な社会)」への転換を図っているのです。「少子・高齢化問題」に対しても、「環境問題」に対しても、日本とスウェーデンの間には顕著な相違があります。この相違は「問題に対する認識の相違」によるものです。



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日本の国づくりの議論を混乱させる2つの指標 「国民負担率」と「環境効率」 

2007-03-16 19:43:58 | 政治/行政/地方分権


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21世紀前半の日本の国づくりを議論するとき、議論を混乱させる二つの指標があります。



★「国民負担率」

一つは「少子・高齢化問題」など社会保障制度とのかかわりが深い「国民負担率」という日本独自の指標です。この指標が初めて登場したのは、25年前の1982年でした。

日本が、今直面している「総人口の減少を伴う少子・高齢社会」は、これまでに人類が経験したことがないスピードと規模で進んでいます。このような未知の、しかも大規模な21世紀前半の大問題に対して、「日本の経済の活力を低下させないように国民負担率を50%以内に抑える」という90年代の経済目標は、現実への対応という意味からはたして「21世紀前半社会の適切な経済目標」と言えるのでしょうか?

1990年の第二次行政改革最終答申が「国民負担率は50%以下をめどにする」と提言して以来、この目標は変わることなく、日本の社会保障制度の枠組みを決める際の重要なよりどころとなってきました。2004年6月3日、政府の経済財政諮問会議がまとめた、中期的な政策運営と2005年以降の予算編成の方向を示す「経済財政運営の基本方針」(いわゆる「骨太の方針」第4弾)にも、この目標が90年当時のまま、盛り込まれています。

この指標には、専門家の間でさまざまに疑問視する声があります。

 


★「環境効率性」

もう一つは、環境問題にかかわる「環境効率性」という概念です。初めて登場したのは、2001年頃(たとえば「平成13年版環境白書」)です。これについては、3月15日のブログ「エコロジー的近代化論の問題点」でふれました。

「環境効率」(Eco‐efficiency)いう言葉が政府関係者、企業、マスメディアなどで好んで使われています。これは経済性の向上を通じて「環境負荷の削減」をめざすものであり、製品の機能・性能の向上や財務のパフォーマンスの向上と同時に、環境負荷の相対的な削減を示す尺度です。

そして現在、産業界のさまざまな場面で使われはじめています。特に、企業が公表している「環境報告書」のほとんどで「環境効率(性)」が用いられています。たとえば企業の場合では、売上高(あるいは生産高)を環境負荷(CO2排出量、廃棄物排出量、SOx、NOxなどの大気汚染物質排出量など)で割ったものが環境効率です。 「原単位」と呼ぶこともあります。

国の場合では、環境効率はGDPを環境負荷で割ったものです(具体的には国の場合、「環境効率=GDP÷CO2排出量」とか、「GDP÷一般廃棄物排出量」、「GDP÷SO2平均濃度」というような形をとることもあります)。

環境効率(原単位)はよいほうが好ましいのはもちろんですが、これはあくまで相対的な指標ですので、環境効率がよくても経済活動が大きくなれば環境負荷の総量が増加することも当然あります。ですから、環境問題解決をめざした指標としては、「環境効率(原単位)」よりも「環境負荷の総量の削減」が望ましいことは論を待たないのです。

しかし、エコロジー的近代化論では、環境効率を高めることはできても、全体的な環境負荷の削減を保証することはできません。「大量生産・大量消費・大量廃棄という環境危機の根本的な原因」を、環境効率の向上でしかとりあげることができないからです。

同じように、日本では「効率化」「省エネ」も混同しています。 



「経済大国」と称される日本の社会システムを国際社会との比較で語るとき、企業人、エコノミスト、政策担当者はその指標の一つとして日本の「効率の良さ」を挙げますが、これには、1月25日のブログ「日本の環境問題を考えるときの基本条件」で示した3つの前提があることを忘れてはなりません。このような前提を忘れた議論がしばしば日本の「○○神話」を作り上げるのです。




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G8は、いぜん成長路線

2007-02-12 18:32:33 | 政治/行政/地方分権


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2月4日で、21回の「私の環境論」を終了しました。この連載によって、私の環境論の大枠を提示できたと考えています。今回からの「市民連続講座 環境問題」では、私の環境論の柱の一つである「環境」と「経済」の関係を少し掘り下げて考えて見たいと思います。

●「小学六年生の頃から酸性雨や温暖化、オゾン層の破壊、森林破壊、エネルギーの枯渇など環境問題は非常に深刻な事態だと教えられてきたが、それほど深刻に考えたことはなかった。五感で感じられなかったし、自分から遠く離れた外国のことだと思っていたからだ。この授業を受けて世界の未来が危ないという事態に震えが起きた」

●「環境問題と経済活動を一緒に見てきた授業はこれまでまったくなかった。環境問題をどうやって解決するかを考える前に、いまの経済活動のあり方を考え直し、持続可能な社会をつくっていくことが大切だと思った」

●「環境問題はその国の環境に対する考え方や取り組みだけでなく、その国の政治的な見通しや経済活動もかかわってくる問題であることを初めて知り、すごく驚いた」

これらの学生の反応を見ると、これまで「環境」と「経済」は別もの と考えてきたことがうかがえます。また、世間一般を見ても「環境」と「経済」の統合などの表現がマスメディアで論じられていることを考えれば、その考えのほうが一般的な考えなのでしょう。

そうであれば「環境」と「経済」は切っても切れない関係にある、つまり「環境」「経済」はコインの裏表の関係であり、「経済学者やエコノミストの多くはコインの表である“金の流れ”で社会の動きを評価し、判断している。環境論者はややもすると環境問題の現象面ばかり見ている。21世紀の経済はコインの裏である“資源・エネルギー・環境問題”で考えるべきだ」という私の主張は、案外、新しい視点なのかもしれません。 

環境問題は世界のほぼ全域に広がった、市場経済社会(資本主義経済社会)を揺るがす「21世紀最大の問題」と位置づけられますが、主流の経済学者やエコノミストの多くには、そのような認識はほとんどありません。

これまでの経済学は人間と人間の「貨幣による関係」を扱い、貨幣に換算できない関係を無視してきました。経済学の枠組みのなかに、経済活動の本質である「資源・エネルギー・環境問題」の基本的概念が十分にインプットされていないからです。 

こうした、いまとなっては間違った前提に基づき、 「持続的な経済成長」というビジョンから抜け出すことのできない経済学者やエコノミストの言説を無批判に受け入れるのではなく、「資源・環境・エネルギー問題」に配慮した、「自然科学者の明るくはない未来予測」に、耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。


20世紀の価値観をいまだに引きずっているサミット参加国

20世紀の政治・経済分野の基本テーマは「市場経済主義(資本主義)」か「社会主義」かでした。21世紀前半社会の基本テーマが、経済のグローバル化に基づく「市場経済主義のあり方」であることに異論をはさむ社会科学者はほとんどいないでしょう。

21世紀の社会は過去・現在の延長線上にありますが、現在をそのまま延長・拡大した(フォアキャストした)方向にはあり得ないことは「資源・エネルギー・環境問題」から明らかです。

1997年6月に米国のデンバーで開催された第23回主要国首脳会議(サミット)の焦点は、世界のGDPの約65%を占めるサミットサミットは依然として成長志向のまま参加8カ国(G8:米国、英国、カナダ、ドイツ、フランス、イタリア、ロシアおよび日本)が、どれだけ地球全体を考えたシナリオを示すことができるかにありました。

ところがサミットは依然として成長志向のまま、21世紀像をはっきり示すことができずに終わってしまいました。この状況は、その後のサミット(バーミンガム、ケルン、九州・沖縄、ジェノバ、カナナスキス、エビアン、シーアイランド、グレンイーグルズ)を経て、2006年6月の「第32回サンクトペテルブルグ」(ロシア)後の現在もほとんど変わっていません。
 
国連をはじめとするさまざまな国際機関も未だに20世紀の価値観で維持されているものが多く、21世紀の社会を展望するには至っておりません。このことは、20世紀の政治・経済をリードしてきたG8の国々がいまだ20世紀の発想から抜けきれないでいるのですから、むしろ当然のことです。
 
ヨーロッパには、ドイツ、フランス、英国、北欧諸国という、所得水準が高く、「資本主義のあり方」が異なる国々が共存しています。これらの国々は福祉への取り組みも異なりますが、EUを構成する主要国として米国とは異なる道を模索しています。

この現象は「米国型の市場原理主義」「ヨーロッパ型の福祉国家路線」の対立のようにも見えます。そして、日本は米国に追従しているように見えます。

しかし、先進工業国がさらなる経済成長を追求し、途上国がそれに追従するという「20世紀型の経済活動」の延長は、環境問題を解決できないばかりでなく、今後50年間に私たち人類の生存基盤さえあやうくしてしまうでしょう。
 


安倍首相の「イノベーション」

2007-01-30 12:18:37 | 政治/行政/地方分権


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安倍首相の施政方針演説には「イノベーション」という言葉が5回も出てきます。活字で見るとあまり目立たないのですが、テレビでの演説を聴いていると私にはこの言葉が強く印象に残りました。この言葉は、いままでは主として、産業部門や経営部門で好んで使われてきたので、イノベーションという言葉には「技術革新」という日本語が当てられています。

時代の動きに合わせて、「イノベーション」という言葉の意味も「技術」を対象とするだけでなく、いろいろな分野へ広がってきました。例えば、2006年5月4日付けの毎日新聞の1面コラム「余録」に「政治の世界のイノベーション」という言葉が出ていました。



このコラムの前半は、サッチャー政権の誕生について書かれています。後半は北欧諸国の政治システムに触れています。そして、「いま、政治システムで最先端にあるのは北欧諸国のような気がする。経済、教育、社会保障、環境問題への対応、どの指標をとっても世界のトップクラスにある。北欧諸国はすでに他の国々が気付いていない道を歩み始めているのではないか」と興味深い記述があります。

サッチャー政権の誕生とその成果が政治の世界のイノベーションというのであれば、そのイノベーションは「20世紀型の経済成長」を支える政治のイノベーションでしょう。北欧諸国の政治システムは国によりそれぞれ異なりますので、北欧諸国と十把一絡げに論ずるのにはやや抵抗がありますが、スウェーデンの政治システムそれ自体は、サッチャー政権の80年代のシステムと基本的には変わらないと思います(進化はあったでしょうが)。

重要なことは、北欧諸国が相対的に他国よりもすぐれた「民主主義の手続きを基本にした合意形成のシステム」と「政治システム」を用いて、他国よりも早く、21世紀にめざすべき新しい社会を構想し、国をあげてその実現に向けて努力していることでしょう。

関連記事
EIUの民主主義指標 成熟度が高い民主主義国の1位はスウェーデン(2007-08-18)


安倍政権に切に望みたいのは、20世紀の政治システムの改良ではなく、21世紀をはっきり意識した新しい政治システムの構築です。20世紀の政治システムの改良であろうと、21世紀を意識した新しい政治システムであろうと、真っ先に取り組むべきは長年の課題である「行政の縦割り構造の改革」ではないでしょうか。

   

2007年1月26日の安倍首相の施政方針演説

2007-01-27 11:29:36 | 政治/行政/地方分権


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日本の国会で内閣総理大臣が本会議場で行う演説には「施政方針演説」と「所信表明演説」があります。フリー百科事典「ウィキペディア」によれば、両者の相違は次のように定義されています。

施政方針演説は、政府の長(内閣総理大臣つまり首相)が年初における政府の方針を述べる演説で、通常国会での冒頭で衆議院と参議院の本会議場で行われる。
所信表明演説は、政府の長(内閣総理大臣つまり首相)が自分の考え(所信)を述べる演説で、以下の場合に衆議院と参議院の本会議で行われる。

   ●臨時国会の冒頭
   ●特別国会で内閣総理大臣が指名・任命された後
   ●国会の会期途中で内閣総理大臣が交代した場合

つまり、通常国会の冒頭において、内閣総理大臣が内閣全体での方針や重点課題を説明する演説を「施政方針演説」と呼ぶのに対して、その他の機会に、内閣総理大臣の所信(個人としての自分の考え)として、国政についての方針や重点課題を説明する演説を「所信表明演説」とよぶのです。

★安倍首相の施政方針演説(2007年1月26日)
昨日の安倍首相の施政方針演説をテレビで視聴し、朝日新聞夕刊で演説の全文を確認しました。そして、およそ一面を覆う1万字弱の施政方針演説で、21世紀のキーワードであるはずの「持続可能な開発/社会」「環境問題」がどの程度触れられているか検証しました。
図をご覧下さい。




驚いたことに、「持続可能な開発/社会」はゼロ環境問題についての記述は、「健全で安心できる社会の実現」と題する項126行中23行(全文906行中23行)でした。図では、環境問題の部分を赤で示してあります。“持続可能な”という言葉は「成長力強化」という項で、「アジアなど、海外の成長や活力を日本に取り入れることは21世紀における持続的な成長に不可欠です」という文脈で、1回出てくるだけです。




環境問題に関する赤の部分を拡大します。   



安倍首相の施政方針演説に添えられている「麻生外相の外交演説」(要旨)にも、「尾身財務大臣の財政演説」(要旨)にも21世紀のキーワードである「持続可能な開発/社会」 「環境問題」ゼロです。このことはこれらの演説の趣旨からして、日本の政治の指導者としての首相、外相、財務相に21世紀のビジョンが「持続的な経済成長」しか頭にないことを意味するのでしょう

6月に策定されるという  「21世紀環境立国戦略」  とはどのようなものになるのでしょうか。

1月29日(月)から安倍首相の施政方針演説に対する各党の代表質問が衆議院で、30日には参議院でスタートします。質問する側も「環境問題に対する認識」が薄いと思われますので、あまり期待は持てません。


★安倍首相の所信表明演説(2006年9月29日)
小泉政権を引き継いだ安倍新内閣が2006年9月26日に発足し、安倍首相が9月29日に所信表明演説を行いました。「所信表明演説」というのは、先にも述べたように、首相個人の理念を端的に語るもので、同日の朝日新聞夕刊にその全文が掲載されています。この所信表明演説に示された安倍首相の「環境認識」はすでに、1月7日のブログで紹介しましたので、そちらを参照してください。

政治家の不祥事   

2007-01-20 21:23:44 | 政治/行政/地方分権
同じテーマに対して、皆さんの考えが私の考えと大きく異なるようであれば、大いに議論しましょう。議論を通して私自身の誤りを正すことができるし、「環境問題に対する共通の認識」と「持続可能な社会の構築の必要性」を分かち合うことができると思うからです。
  
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国会議員や知事、地方議員など、国民の不安を解消することが期待されている政治家の不祥事報道が、なぜ日本ではこうも続くのでしょうか。おそらく、個人の「倫理観の喪失」によるものが多いのでしょうが、見逃せないのは社会制度の不備、特にチェック・システムが十分機能していない日本の制度に問題があるようです。

ちょっと古い話ですが、このような日本の現状に慣れ親しんでいる私たちにとって、98年7月24日付けの毎日新聞のコラム「余録」や2002年7月29日付けの東京新聞のコラム「本音のコラム」が伝えるスウェーデンの政治家の姿勢はにわかには信じがたいでしょう。

2つの記事に登場する岡野加穂留さんは昨年6月になくなられました。政治学者で明治大学元学長を務められた方で、スウェーデンの政治にも精通しておられたようです。

余録に登場するモーナ・サリンさんは元女性副首相、昨年9月の政権交代までは、世界初の「持続可能な開発省」の大臣でした。 私のブログにも登場します。 





この2つの記事に日本とスウェーデンの政治風土の相違をかいま見たような気がします。





汚職防止研究所

2007-01-20 18:32:34 | 政治/行政/地方分権
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権力の移行には汚職がつきものです。1993年11月26日から朝日新聞は「地方分権の実験:北欧からの報告」と題する連載記事を掲載しました。このシリーズの5回目に「汚職防止研究所 指針作り公務員指導」と題する記事がありました。

私はこのような研究所が当時、スウェーデンにあったことも知りませんでしたし、今もあるかどうか知りません。しかし、93年に朝日新聞が連載記事を組んだということは当時、日本でも地方分権の議論が盛り上がっていたからでしょう。そして今再び、地方分権が議論されていることを考えれば、この記事をここで紹介するのもムダではないでしょう。いかにもスウェーデンらしく面白いので、この記事の要点をまとめておきます。

「汚職防止研究所」 スウェーデンの首都ストックホルムの商工会議所に奇妙なプレートがかかっていた。スウェーデンには、公務員が300クローネ(約4500百円)以上のものをもらうと汚職になるという、同研究所が出した目安がある。

70年ほど前のスウェーデンは、土木や建設、金融などの民間企業と行政の間で汚職が続発。これでは公正な企業競争ができない、と商工会議所と産業連盟、商業連盟が汚職防止研究所を設けた。メンバーは、経済団体と民間企業の代表者10人で、いずれも法律の専門家だ。汚職防止のためのセミナーを催したり、刊行物も出している。

現在の目安を示した同研究所所長でストックホルム高裁判事は「公務員が誘惑に駆られて、権力を悪用しない金額にした。15年前には100クローネほどで、物価に合わせている。政治家のハードルはもっと高く、何も受け取ってはいけない」という。

自治体の中には、研究所の発行物を参考に職員向けの汚職防止パンフレットを作っていることも多い。その中で、受け取ってかまわないとされるのは、花束と宣伝用の試供品だけだ。300クローナの目安は法律に基づくものではないが、裁判の際に参考にされることもある。汚職そのものが珍しいスウェーデンでは、発覚すると地方の小さな事件でも全国版に載るのが普通だ。              


今朝、なんと「30年来の疑問に対する回答」を発見

2007-01-14 07:12:07 | 政治/行政/地方分権


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人生には不思議としか思えない、絶妙なタイミングで関心事に遭遇することがあります。今朝はそんな体験をし、気分が大変高揚しています。今年1月6日のブログで「なぜ混ざらない『下水汚泥』と『台所の生ゴミ』」を書き、その結びで、次のように書きました。

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地球環境問題が日常の話題に上るようになり、廃棄物問題が極めて重要な問題として、産業界のみならず、国全体の問題として認識され、「循環型社会」の必要性がわが国の各省庁の白書や報告書の中に将来の望ましい姿として描かれるようになった現在、はたして、毎日わが国で排出され続けている下水処理場から出る「汚泥」と台所からの「生ゴミ」は、相変わらず、すんなりとは混ざらないものなのでしょうか?
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実は、上記の記述は私が初めて書いた本「いま、環境・エネルギー問題を考える」(1992年7月、ダイヤモンド社)の「第1章 視点の相違」で、具体的な事例として紹介したものをベースに書いたものです


今朝、なんと30年以上前からいだき続けて来た上記の「私の素朴な疑問」に対する具体的な回答に、偶然にもブログ「リンク切れで御免」上で遭遇したのです。

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国交省 下水汚泥・生ゴミ一体処理
バイオマス活用促進

国土交通省は平成19年度から、環境省などと連携し、下水道施設を利用したバイオマス(生物由来資源)活用の拡充策を進める。下水汚泥から天然ガスの代替燃料となる「バイオガス」を精製する事例はこれまでもあったが、生ゴミや屎尿(しにょう)なども一体的に処理することでより効率的にバイオマスの活用を進め、二酸化炭素(CO2)の排出を削減して地球温暖化防止を図る。

ご関心のある方は 「リンク切れで御免」   

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この情報は、特にバイオマスに関心のある方やこの道の専門家にとっては目に止まるかもしれませんが、一般の方には目にとまらない情報です。しかし、私にとっては特筆すべき大変貴重な記事でした。「リンク切れで御免」の管理者の方、本当にありがとうございます。

なにしろ30数年待ち望んでいた回答だからです。ということは、この「国交省 下水汚泥・生ゴミ一体化処理」の計画はバイオマス分野で最先端を行くスウェーデンから遅れること30年と言えないこともありません。

私の1月6日のブログ「なぜ混ざらない下水汚泥と台所の生ゴミ」は今なお続く日本の行政の強固な縦割り組織の具体例として書いたものです。環境問題(ここでは地球温暖化)がついに日本の強固な行政の縦割りを壊すまでに至ったのでしょうか。 日本の官僚の環境問題に対する認識がやっとそこまで高まったのでしょうか。

ちなみに、「なぜ混ざらない下水汚泥と台所の生ゴミ」の調査結果は73年にスウェーデン大使館に入館した私が「最初の報告書」としてスウェーデン環境保護庁へ送った記念すべき報告の内容だったのです。

昨年2月に出版した私の本「スウェーデンに学ぶ『持続可能な社会』」がきっかけで意見交換をするようになった岡野守也さん(サングラハ教育・心理研究所主幹)の言葉を借りれば、このような不思議な現象は「シンクロニシティ」 (岡野さん、専門用語では「同時性」、「共時性」とおっしゃったでしょうか?)というのかも知れません。以下はご参考まで。

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さて、それでは、最後に、岡野先生と小澤先生です。この出会いは、小澤先生のもっとも新しい著書である『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」安心と安全の国づくりとは何か』(朝日選書)を岡野先生が読んだことがきっかけとなっています。(この話はここからが面白いんです!)

小澤先生のその本に感銘を受けた岡野先生は、そのことをブログに書かれました。すると、それを読んだ法政大学の学生さんが、今年法政大学の社会学部に小澤先生が非常勤で環境論の授業に来られることを知らせてくれたそうです。しかも、小澤先生は月曜日、岡野先生は火曜日です。すごい確率ですね。おそらく、こういうことをシンクロニシティと呼ぶのだと思います。

続きにご興味があれば、
3人の先生の出会い

岡野守也先生のご紹介 


スウェーデンの国会議員の投票率の推移

2007-01-09 11:28:36 | 政治/行政/地方分権
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私のプロフィールや主張、連絡先は、HP: http://www7a.biglobe.ne.jp/~backcast/

皆さんへの期待は「環境問題」に対する私の考えや「スウェーデン」に関する私の観察と分析を、ぜひ批判的な立場で検証し、日本の将来を「明るい希望の持てる社会」に変えていくためにそれぞれの立場から日本の現状を真剣に考えてほしいことです。私たちの子供や孫のために・・・・・

同じテーマに対して、皆さんの考えが私の考えと大きく異なるようであれば、大いに議論しましょう。議論を通して私自身の誤りを正すことができるし、「環境問題に対する共通の認識」と「持続可能な社会の構築の必要性」を分かち合うことができると思うからです。
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現実を重視するスウェーデンは、「技術」をバランスよく社会に取り入れてきた国です。しかし、スウェーデンの環境問題に対する取り組みを分析するときに注目すべき点は、「技術(ハード面)」よりもむしろ「法体系、行政機構などの社会制度(ソフト面)」にあります。
 
「経済成長の必要性」と「環境」との間に起こる、21世紀社会のさまざまな問題に対して最も効果があるのは技術的な対応ではなく、政治的・社会的・経済的対応です。人間の活動と自然との関係で同時多発しているさまざまな問題の解決には、問題一つ一つに取り組むのではなく、同時解決を図るためのシステマティックなアプローチが必要です。

日本がこうした問題の本質をとらえきれないまま、現象面だけしか見ようとせず、汚染物質の排出などといった個別の出来事に技術で対応しつづけてきた結果、日本では、環境問題が人間の生存を脅かす大問題であることが、いまに至るまで十分に認識されていないように思います。

昨年9月17日(第3日曜日)のスウェーデン総選挙(定員349)は即日開票され、穏健党を中心とした野党の中道右派4党連合が社民党と閣外協力2党(左翼党と緑の党)の与党左派連合を僅少さで破り、12年ぶりに政権が交代しました。

スウェーデンの民主主義政治にとって最も重要なのは国会です。あらゆる機会をとらえて、国民の政治参加を進めてきたスウェーデンにふさわしく、選挙の投票率は極めて高いものです。1940年代以降の投票率をながめてみますと、1944年(昭和19年)の71.9%を最低に、50年代は70%台、60年代は80%台、70年代に入って90%を超えます。80年代にはやや降下しますが、それでも80%台を維持しています。直近の昨年9月17日の投票率は81.9%でした。

このことは国民の考えが国政に反映しやすいことを示しているものと思われます。85年以降の投票率の推移はつぎのとおりです。




日本では、小泉連立内閣を引き継いだ安倍連立内閣が昨年9月26日に発足しました。わずか10日遅れで、スウェーデンのラインフェルト新内閣が発足しました。この機会に、両国の新内閣の閣僚の年齢構成と男女の構成を比較しておきましょう。今後の両国の政治的な動向を見る上で多少の参考になるかも知れません。


関連記事

Oppotunity Sweden スウェーデン、12年ぶりの政権交代(2006-09-26) 


日本の状況を判断基準にすれば、スウェーデンの閣僚が若いこと、そして、女性の閣僚が多いことがわかります。もう一度、1月4日の「明日の方向」を決めるのは私たちだ、をご参照ください。



「環境省」から「持続可能な開発省」へ、そして2年後、再び「環境省」へ

2007-01-08 10:51:18 | 政治/行政/地方分権
昨年2月に、私の本「スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」(朝日選書 792)」が出版されました。好意的な書評が多数マスメディアやネット上に登場しましたので、その主なものをご紹介しましょう。

(1)毎日新聞 書評「今週の本棚」 小西聖子 評  2006年3月26日

(2)週刊エコノミスト 2006年3月28日号 大橋照枝 評

(3)毎日新聞 「余録」   2006年5月4日

(4)福岡県弁護士会 弁護士会の読書  2006年5月29日

(5)リクルート「WORKs」06年6月7日号(76)目次 2006年6月13日

(6)山口大学工学部工学教育センター 溝田忠人 評

(7)環境カウンセラー 中村公雄のブログ 2006年3月3日

(7-2)環境カウンセラー 中村公雄のブログ 2007年1月15日


さて、この本の冒頭で2005年1月1日、スウェーデンで世界初の『持続可能な開発省』が誕生し、『環境省』が廃止された」と書きました。

昨年10月6日に発足したラインフェルト連立内閣(4党)の下で、今年1月1日から3つの新しい省(Ministry of Culture、Ministry of Employment、Ministry of Integration and Gender Equality)が発足しました。

これに合わせて、「持続可能な開発省」は今年1月1日から再び「環境省」に名称変更することが明らかになりました。「教育・研究・文化省」は「教育・研究省」に変わることになります。これらの新設、名称変更に伴って、各省間の所管事項の変更が行われています。

新しい環境省の組織と所管事項
環境・エネルギー分野では、持続可能な開発省が所管としていた「エネルギー分野」は企業・エネルギー・通信省へ>、「住宅分野」は財務省へ
移管することになっています。新しい環境省には、次の10部門があります。

★ 環境の質
★ 天然資源
★ 環境管理戦略および化学物質
★ 持続可能な開発および環境問題の統合
★ 管理
★ 国際
★ 持続可能な開発のための各省の調整
★ 人事管理
★ 法政管理
★ 広報

環境省の主な所管事項は次のとおりです。

★ 持続可能な開発
★ 持続可能な国土計画
★ 気候変動に関する方針
★ 環境の質に関する政策目標
★ 環境と健康
★ 化学物質に関する方針
★ エコサイクルに関する方針
★ 水域および海域
★ 自然保全および生物多様性
★ 環境関連法
★ EUおよび国際協力

今回の組織改正により、スウェーデン政府の環境行政組織は「環境省」と、「環境保護庁」をはじめとする「住宅・建設・計画庁」「化学物質検査院」「原子力検査院」「放射線防護庁」などの12の行政機関からなっています。これらの行政機関は、いずれも機能的にはこの省を代表する環境大臣の指示・監督を受けることのない独立機関ですが、所管事項につい環境省へ報告する義務を負っています。

「環境省」と「環境保護庁」の役割分担
日本や米国の視点で考えると、スウェーデンの環境行政組織のなかに、「環境省」と「環境保護庁」が共存していることは理解しがたいことかもしれませんが、両者にははっきりした役割分担があります。

環境省は、政治(内閣)主導型政府の構成メンバーとして、ほかの省と協力して所管事項である環境政策と持続可能な開発政策に携わるとともに、国会に対する責任を果たします。

環境保護庁は環境省に報告を義務づけられた12の行政機関の1つで、既存の法律の枠内で独自に、国会で承認された国の環境政策に沿って具体的な行動計画をつくり、実行に移すのが主な役割です。環境保護庁の考えは自治体に伝えられ、自治体は独自の立場で住民と協力しながら国の政策を実行に移します。

90年代後半以降、環境保護庁の所管事項のほとんどすべてが「エコサイクルの原則」に基づいた持続可能な社会の実現を加速する目的に向けられています。それぞれの部門が持続可能な社会の実現という「ジグソー・パズル」のピースを組み立てるように、環境に調和した「輸送システム、農林業、上下水道システム、製品製造の部門」で活動しています。

スウェーデンの環境省と日本の環境省の間には、所管事項に大きな相違があること、政府内の両省の位置づけの重要性にも大きな相違があることが、おわかりいただけるでしょうか。これらの相違は環境問題の重要性に対する両国の認識の相違と、それに基づく21世紀前半の国家ビジョンの相違によるものです。

2006年9月29日の所信表明演説が示す安倍首相の「環境認識」

2007-01-07 12:21:40 | 政治/行政/地方分権


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小泉政権を引き継いだ安倍新内閣が昨年9月26日に発足し、安倍首相が9月29日に所信表明演説を行いました。 「所信表明演説」というのは首相の理念を端的に語るもので、同日の朝日新聞夕刊にその全文が掲載されています。

この所信表明演説は「はじめに」(117行)、「活力に満ちたオープンな経済社会の構築」(147行)、「財政再建と行政改革の断行」(111行)、「健全で安心できる社会の実現」(117行)、「教育再生」(48行)、「主張する外交への転換」(147行)、「むすび」(102行)、つまり全文789行、1行11字ですから、およそ8700字の分量ということになります。

ここに述べられていることのほとんどすべては、スウェーデンが、すでに、20世紀の経済成長期につくりあげ、維持してきた「福祉国家」で実現されてきたことです:誰もが再チャレンジ可能な社会、プライマリーバランスの黒字化など・・・・・。

ですから、安倍首相が掲げる「美しい国、日本」というのは“「20世紀の福祉国家」スウェーデンの日本版”と言ってもよいのかもしれません。つまり、スウェーデンが20世紀の「福祉国家(人間を大切にする社会)」から21世紀の「緑の福祉国家(人間と環境を大切にする社会)」へ大転換しようとしているときに、日本は「20世紀のスウェーデンのような人間を大切にする社会」を高福祉高負担ではなく、日本独自の別の方法で実現しようとしているかのようです。

およそ8700字の所信表明演説で“持続可能な”という21世紀のキーワードは「持続可能な日本型の社会保障制度」という表現で一度出てくるだけです(図の青の部分)。

環境分野に関わる記述は全文789行中16行にすぎません(図の赤の部分)。

平成14年版環境白書は「日本の温室効果ガス排出量の約9割は二酸化炭素によるもので、その9割以上がエネルギーの使用に伴って発生しています」と述べていることからも明らかなように、化石燃料の削減を伴わないエネルギー体系のもとで太陽光発電を導入したり、緑化を進めても、またバイオマスの利用を加速しても効果が得られないことは明らかです。太陽光発電も緑化もバイオマスの利用も基本的には二酸化炭素排出量の少ない利用技術ではありますが(それについても、判断基準によって、いろいろな議論があります)、決して二酸化炭素削減技術ではないからです。

このように、この所信表明演説を見る限り、安倍政権(安倍首相およびこの所信表明演説の草案に関わった側近や官僚)の環境問題に対する基本認識は“小泉政権と同程度あるいはそれ以下”と考えざるを得ません。

環境問題は20世紀の国づくりでは想定されていなかった問題ですが、21世紀には避けてとおれない大問題です。日本のような市場経済社会にとって、環境問題は21世紀最大の問題であるはずです。現政権にはこの認識がまったく欠落しているようです。

 <安倍首相の施政方針演説(2007年1月26日)