外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

漢字力

2010-02-18 19:37:31 | 社会全般
今朝も東京は雪でした。

数日前に乗ったタクシーの運転手さんが、かつて雪の夜に事故を起こして大変な目に遭ったと話してくれました。
その晩はスリップによる事故が多発し、いくら呼んでもJAFは全然来てくれない。
したがって壊れた車の中で、震えながら朝を迎える羽目になったそうです。

雪の日の運転は、できる限り避けたいものです。


ところで、パソコンが銀行のオフィスで欠かせない存在になってから、もう何年経ったでしょうか。

私個人の経験でいえば、銀行に就職して四年目の1983年頃に、当時の支店長にお願いしてNECの8801を融資課に買ってもらったのが、パソコンとの最初の出会いでした。

当時はウィンドウズが未だ登場しておらず、いわゆるDOSパソコンの時代。

マウスもなく、全てキーボードで入力していたのですが、新しもの好きの私は、この8801を随分といじりました。
融資先企業の業績推移をグラフ化したり、支店の宴会における飲み代を役職に応じて傾斜配分する計算をしたりして、1人悦に浸っていたものです。

でも、この頃はプリンターのドットが粗いこともあって、公式文書は手書きするものと決まっていました。

1984年ごろからは、銀行にオフコン設置が始まりました。

NEC9500でLAN WORD(ワープロソフト), LAN PLAN(表計算ソフト)などのアプリケーションを使って、社内文書はコンピュータで作成する方が読み易く、かつ編集・訂正も容易なので、むしろ手書きよりも望ましいという感じになってきました。

でも、個人で買うのは、もっぱら「ルポ」(東芝)、「書院」(シャープ)、「カシオワード」(カシオ計算機)などのワープロ専用機でした。

私は、自宅用に東芝「ルポ」を買って、業務文書や年賀状を作成したりしていました。

1980年代後半からは、個人でも買えるウィンドウズ・パソコンが普及し始めて、表計算の「エクセル」「ロータス1-2-3」、ワープロソフトの「オアシス」「一太郎」などが一世を風靡しました。
まだマイクロソフト「ワード」の日本語変換機能が今ひとつの時代でした。

ちなみに私は「エクセル」+「オアシス」の組み合わせが好きでした。

そして、1990年代の半ばに入ると、マイクロソフトのワープロソフト「ワード」が進化してきて、いわゆる「Office」のパッケージに移行して、そのまま現在に至っているという感じです。

私のPC歴は、ざっとこんな感じなのですが、別の角度から見ると、これは私の漢字力低下の歴史でもあります。

学生時代は遊び呆けていた私ですが、銀行に就職した最初の約5年間は、本当に鍛えられました。

あの時代は、誤字・脱字・略字なく、丁寧かつ端正な文体で、そして「手書き」で社内文書を作成することを誰もが要求されまして、ミスが見つかれば、一から書き直し。
もともと漢字は得意な方でしたが、新入社員時代の5年間で更に力がついたことを実感しました。

ところが、パソコンで文章を作成するようになってから、明らかに漢字力の劣化が始まりました。

過去の貯金があるので、今でも漢字を読む力は変わらず、誤変換に気がつく力も悪くないと思います。
でも漢字をすんなり手書きできなくなってきたのです。

パソコンのない時代に育った私でさえ、こんな有様なのですから、物心ついたときからパソコンや携帯電話が存在した現代の若者が漢字に苦しむのは、やむを得ません。

一昨日の日経夕刊に、ホワイトボードを使う会議で参加者から失笑をかったり、社内文書が誤字脱字だらけだたりする若手社員が増えているという記事がありました。

例えば、
×価値感 ⇒ ○価値観
×協感  ⇒ ○共感
×部所  ⇒ ○部署
×評可  ⇒ ○評価
×共丁性 ⇒ ○協調性
×決足力 ⇒ ○結束力
×復数  ⇒ ○複数

想像するに、若手社員が大学を卒業するまでの間に漢字を手書きする機会は、私達の世代の数分の一というぐらい少なかったはずです。

若手社員の漢字を書く力の低下。
これは、いわゆる「ゆとり教育」のせいばかりではなく、パソコン等の普及など社会全体の変化が大きく影響しているものと思います。

英語が社内の公用語だという職場であれば、漢字に少し弱くても大丈夫。
でも日本の官公庁や一般企業の大半では、仕事の内容云々の前に、×がついてしまいます。

そして「あんな有様で、あいつは本当に大学を出たのか」などと、全面的に否定されかねません。

漢字力は、一朝一夕に改善できるものではありません。

まず大切なことは若手に漢字を勉強してもらうことですが、漢字で四苦八苦する若者を温かく指導することも、先輩社員たちには求められていると思います。

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軍人俳優

2010-02-17 18:13:43 | 映画、テレビ、漫画
健康診断のために、新橋の慈恵大病院に行きました。
慈恵医大には、青山高校のクラスメートだったOくんが現役合格し、卒業後も研究者として今も大学に残っています。

検査の順番待ちをしながら、「Oくんとは3年前のクラス会で会ったっきりだなあ」「帰りに研究室に寄ろうかな」などと考えていたら、廊下の向こうから、私服姿のOくんが歩いてくるではありませんか。
\(^O^)/

「おい、医者が白衣を着ないでブラブラしていて、偉い人に怒られないのか」と私が言うと
「今日は俺も患者なんだよ」と彼は苦笑しながら、採血室へと歩いていきました。

考えてみれは、彼は私と同い年。
お互いに体にガタが来はじめてもおかしくない年齢であることを、すっかり忘れていました。


さて、日本映画の長い歴史の中には、それこそ星の数ほど俳優さんがいらっしゃいますが、「軍人俳優」と呼ばれて、これほどシックリくる方はいないだろうと思います。

それは藤田進さん。
藤田さんは、戦時中に制作された東宝の三部作「ハワイ・マレー沖海戦」「加藤隼戦闘隊」「雷撃隊出動」の全てに主役級で出演。
戦後も「太平洋奇跡の作戦キスカ」「日本のいちばん長い日」「日本海海戦」などの戦争映画に出演するとともに、「モスラ対ゴジラ」「宇宙怪獣ドゴラ」など数多くの怪獣特撮映画にも軍人役で出演しました。

藤田進さんは、九州・久留米の出身。
私の目から見て、あまり器用な俳優さんとは思えません。
しかし、ごつい体つきと九州訛りが相まって、藤田さんが自然体で演技すると、武骨で男っぽく、そして実直さを感じさせる、いかにも腹の座った将校という雰囲気になってしまうのです。
そんな他の人には真似のできない貫禄が持ち味の俳優さんが藤田進さんでした。
もっとも、貫禄がありすぎるので、軍人といっても一兵卒の役は難しかったでしょう。
(*^_^*)

九州訛りといえば、熊本出身の笠智衆さんも、言葉の訛りが醸し出す素朴さや実直さを感じさせる雰囲気が、そのまま俳優さんとしての存在感になっている方でした。

松竹の俳優さんで、小津安二郎監督の作品、あるい寅さんシリーズの御前さま役ですっかり有名になられた笠智衆さんは、撮影所のあった東海道線の大船駅近くに自宅を構えていらっしゃいました。
現在も、大船駅の観音さま側の小山のふもとに、娘さんが営む美容院があります
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水木しげるさん、そして早稲田

2010-02-16 18:27:32 | 映画、テレビ、漫画
冬季五輪が始まりました。
しかし、西武の堤オーナーのような強力な支援者を失って以来、日本のウィンター・スポーツは、景気後退もあって、どうも盛り上がらないなあと私は感じています。

そんな状況において、盛り場にたむろする輩と見紛うような服装と懲りない言動で騒動となったスノボー選手。
彼の不始末は、彼自身、そしてスノボー競技団体が今後のスポンサーを募ろうとした際に、痛烈なマイナス材料となってくるように思います。

このような経済情勢なのですから、既存のスポンサー企業の中にも、支援打ち切りの大義名分を探しているところが必ずあります。

以前、企業からの支援が決まり、嬉し涙を流すフェンシング日本代表選手を憶えている方もおいでだと思います。
スポーツ選手を取り巻く世の中の厳しさを、どうして関係者は選手たちに教えないのでしょうか。


さて先日、何気なくテレビのスイッチを入れたら、ローカル鉄道を紹介する旅番組をやっていました。

番組のロケ地は、山陰地方は鳥取県。
境港、米子、倉吉の街を鉄道で巡る企画でした。

印象的だったのは、「鬼太郎電車」です。
境港ご出身の漫画家・水木しげるさんの作品に登場する妖怪たちが車体に描かれた電車が、とても楽しそうでした。

水木しげるさんの漫画に私が初めて出会ったのが、小学生時代に「少年マガジン」に連載された「悪魔くん」です。
最初に読んだ時は、葉っぱやら建物やらの背景が細かいところまで書き込まれているのに驚き、全体的に暗いトーンの絵が少し不気味な感じがしました。

「悪魔くん」は、週刊誌の連載とほぼ同時にテレビ番組となり、特撮の妖怪ものというユニークな内容で、あっというまに人気の子供番組となりました。

主人公の少年が魔方陣に向かって「エロイム・エッサイム、エロイム・エッサイム、我は求め訴えたり」と呪文を唱えて悪魔メフィストを呼び出すシーンは、あの当時の子供ならば、誰もが一度は真似をしたものです。
ユーチューブに当時の番組のオープニングなどがアップされていたので、ご覧になってみてください。
悪魔くん(携帯用リンク)
悪魔くん(PC用リンク)

さて、鳥取県は、早稲田の野球部に優秀な選手を送り込んでいる土地でもあります。
米子から伝説の名選手である直江、勝部(ともに米子東)。
倉吉からは、部史に残る新人監督であった国府(倉吉北)。
そして、境港からは新三年生の学生コーチである濱くん(境)。

特に、現役の濱コーチには、ポスト斎藤世代を支える若手の心技体を、ガンガン鍛えてもらわなくてはなりません。

甘いマスクで心優しい男の濱くんですが、これから二年間は心を鬼に、いや「鬼太郎」のようになって、強く凛々しい野球部を作ってくれることを期待しています。
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焼鳥「加計呂麻」

2010-02-15 21:20:47 | 好きなお店
先の週末、JR中野駅あたりをブラつきました。

中野駅前には、中野サンプラザがあります。
昔、渡米していたギタリスト増尾好秋さん(早稲田出身)がテナーサックスの大御所ソニー・ロリンズのグループの一員として来日した際に、コンサートを見に行ったのが、当時はまだ新しかった中野サンプラザでした。

先日、文庫本を読んでいたら、中野サンプラザや駅前駐輪場の建っている一帯の土地が、戦前は陸軍憲兵学校と陸軍中野学校(諜報要員の養成)が並んで建つ敷地であったと知りました。

中野駅周辺といえば、商店、飲食店などが密集するところ。
そんな中野駅前から道一本を挟んで、広大で大規模開発が可能な土地が、なぜ駅前に残っていたのだろうと昔から不思議に思っていましたが、これで謎が解けました。

東京周辺には、例えば池袋サンシャインの場所には巣鴨プリズン(東条英機・元首相らの戦争犯罪人が収容され、鉄条網で囲われていた)、あるいは神奈川県寒川の工業団地が、毒ガスも製造する海軍工廠であったり、明治大学生田キャンパスが、諜報活動機材あるいは原爆開発を研究した陸軍登戸研究所であったりしたように、大規模再開発された土地の中には、陸海軍が廃止された後に国から払い下げられた土地が数多くあります。

さて、中野ブロードウェイに行きました。
昔の記憶では、ブロードウェイの二階に飲食店が連なっているはずでした。

そのつもりで階段で二階に上がったらビックリ仰天。
ガンダムや怪獣のフィギュア、アイドルのブロマイドやテレカ、映画のポスター、プラモデルなど、マニアックな店、そして床屋や足裏マッサージなど、様々な店が所狭しと並んでいました。

せっかく来たのだからと、お店の一つをのぞいてみると、ウルトラシリーズの怪獣やギャオス(大映のガメラ・シリーズに登場)のリアルな模型が並んでいて、ギャオスの値札を見ると何と21万円!!

私の世代には懐かしい怪獣モノですが、ちょっと信じられない値段でした。

しかし、通路には若い学生さんから年輩まで、ひっきりなしに人が行き来しているのですから、全く不思議な空間だなあと感じました。
中野ブロードウェイ公式サイト

そんな店舗群の並ぶ通路を歩いていたら、一軒の焼鳥屋さんを発見し、一杯やることにしました。
そこは「加計呂麻」(かけろま)という名前で、ご主人の出身地である奄美諸島の加計呂麻島の名前からとった店名だそうです。

結論から言いますと、このお店に入ったのは大正解。
丁寧に焼かれた焼鳥、しっかり作られたお新香は、どれも美味しいですし、締めの鶏茶漬けが、これまた旨い。
そして安い。

ご主人に「怪獣のフィギュアを買ったお客さんが飲みに来たりもするんですか?」と尋ねると、「それが全然来ないんですよ。焼鳥屋で使うお金があったら、もう一品、何か買っていこうという感じみたいです」と苦笑いされていました。
それからは、釣りバカ日誌やフーテンの寅さんなど、日本映画の話題で大盛り上がり。
とても気さくなご主人でした。


今度は、ぜひ仲間を連れて来たいと思います。
加計呂麻の店舗情報
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新人四人衆

2010-02-14 17:39:10 | 大学野球
金曜日から早稲田の一般入試が始まりました。

一方、東伏見には推薦合格組が勢揃いして、練習を開始しています。

注目の横山投手(聖光学院)は、昨夏の練習会では少しポテッとした体つきだったのですが、今回の上京時は、きっちり引き締まった体形。
郷里で、かなり練習してきた様子です。
多くのプロ球団からの誘いを断って進学する彼には、大学野球に懸ける決意には並々ならぬものがあるようです。

横山くんは、福島県双葉郡の実家から、荷物を積んだトラックに乗って、四時間半かけて安部寮にやってきました。
なかなかの二枚目です。

また、小山田投手(古河三高)は、練習会では少し華奢な印象でしたが、今回は逞しさを感じる体形に変わっていました。
高校時代には甲子園に無縁の投手でしたが、練習会で145キロ超の速球をビシビシ投げ込んで、一躍スポーツ推薦での入学となりました。
小山田くんは、大学在学中に、先輩の大石投手のような速球を自分でも投げたいと意欲満々です。

一年後には早稲田を支える主戦投手になってもらうことを期待される二人です。
本人たちも、プロ入りを念頭に置いて在学中の高い目標を掲げており、頼もしく思いました。


次は野手組です。
大型スラッガーの江塚内野手(掛川西)は、191センチの長身ながらも胸も厚く、バランスのとれた体形です。
期待の右の長距離砲ですが、高校時代は一塁手あるいは投手で、日常生活では左利きなのに右投げ右打ちというのが面白いところ。

彼も明確にプロ志望です。
将来を考えて、大学では三塁手もしくは外野手で定位置確保を目指していくようです。

白沢外野手(神村学園)は、練習会の50メートル走で参加選手中トップの記録を叩き出し、スポーツ推薦枠に入りました。
13日(土曜日)から練習に参加したばかりですが、焦らずに練習して、大先輩の青木選手(ヤクルト)のように、こすっからい粘りの打者を目指してもらいたいと思います。
1学年上に佐々木くんという俊足選手がいますが、白沢くんは内野も外野もこなす守備で、まず佐々木くんを上回ることができるように思います。
あとは打撃で結果が出れば、来年以降の外野のベンチ入り争いで優位になるでしょう。

そうはいっても、彼らの身分は、まだ高校生。
いったん上京して練習に参加していますが、高校の登校日、そして卒業式には帰省しなければなりません。
また、まだ大学入学前という立場を考慮して、何かとリスクのある海外キャンプには帯同しません。(彼らは残念がっていますが)

ロス・キャンプでは現地の大学とのオープン戦6試合が予定され、より実戦的な練習メニューが組まれています。
新人たちは東伏見でみっちり基本練習を反復して、いずれキャンプ組を脅かす地力を養ってもらいたいと思います。

なお、写真は東伏見のネット裏からバックスクリーン方向を望む眺め。
ホームベース付近には、コンクリートで円形の囲いが設けられ、内外野は舗装されているのが写真からお分かりいただけるでしょうか。
グラウンドの人工芝工事が完了したら、室内練習場の芝も張り替えるようです。
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東伏見の状況

2010-02-13 13:35:42 | 大学野球
雪がちらつく最悪の天気でしたが、東伏見に立ち寄りました。

一見しただけでは、あまり変化が無いように見えるのですが、現場の方に聞いたら、舗装工事は順調に進んでいるとのこと。
人工芝の張り付けも、そう遠くない時期に始まるそうです。

なお、私が知り合いになった工事現場の人は帝京高校出身で、とても野球に詳しい方。
良い方に工事してもらっています。
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国際会計基準のインパクト

2010-02-12 18:03:16 | ビジネス
IFRS (International Financial Reporting Standards. 国際会計基準) という単語の金融界での存在感が、日増しに大きくなってきています。
会計基準は、もはや日本国内だけのルールはなくなりました。

国際会計基準は、金融機関に様々な影響を与えます。

私の担当分野を例にとれば、貸出金の利息収入の認識基準。

従来の会計基準で、信用格付の低い(=貸倒リスクの高い)顧客に高金利で融資した場合を考えて見ます。

貸出当初には高金利による受取利息を約定どおり受け取りますから、会計上で利息収入を多く認識し、その後の時間の経過によって貸倒リスクが高まった段階で、初めて貸倒引当金という費用を計上します。

すなわち、会計上は収益を前取りして後で信用コストを吐き出す形となっている訳で、ややもすると低格付先への高金利融資を助長する側面がありました。

一方、新しい国際会計基準では、低格付の顧客への融資は貸出当初から信用コストを控除した後の実効金利を収入として認識されることになります。

すなわち、新しい会計基準では収益の前取りが困難となるのです。

貸倒引当金の計上方法も、融資の返済期日までの予想キャッシュフローに基づいて設定することになり、既存の概念が大幅に変化します。

これらの変更は、金融機関の融資戦略と財務諸表に大きなインパクトを与えるものと考えられます。


ところで、国際会計基準は、一般消費者にも無関係ではありません。
それは国債値下がりによる金融資産毀損リスク、財政逼迫による行政サービス低下もしくは増税です。

現在、税収不足に苦しむ我が国の財政は、国債の大量発行などに支えられて、介護医療などの行政サービスを維持しています。

これまでのところ、発行される国債の多くは、国内銀行によって引き受けられているのですが、新しい国際会計基準の下では、銀行が価格変動リスクの高い国債を大量に保有することが難しくなってきます。

もう一つの国債の買い手である生命保険会社は、株式から国債に運用資金を移動しているところですが、この動きも数年以内に一巡すると思われます。

また、銀行や生保の資金力を支える大きな源泉となってきたのは個人金融資産ですが、これからは大きな伸びは期待できません。

その金融資産の蓄積の担い手であった団塊世代の人々が、いよいよ現役を引退する時期となりますので、貯蓄の取崩しが始まるからです。

したがって1400兆円といわれている個人金融資産は、頭打ちから減少トレンドに移行していくものと考えられます。

このような諸要因によって、国債の国内購入余力は徐々に低下していきます。

景気が大幅に回復するか、あるいは税率を上げない限り税収は伸びませんので、これからは、米国と同様に、中国などの海外の資金による国債消化を真剣に考えていかなければならなくなる可能性が高いと思います。

しかし、円相場にもよりますが、現在の金利水準では外国人投資家は日本の国債に魅力を感じてくれません。

従って、国債の金利水準を徐々に引き上げていかざるを得ないと私は思います。

国債の金利水準が上がるということは、財政の金利負担を重くしますので、資金繰りが一層苦しいものになりますし、行政サービスなどの削減圧力が強まります。

また、金利上昇は、国債の時価を下げることになりますので、既に長期国債を保有している個人や金融機関の資産が毀損することになります。

評価損の実現を避けて国債を満期日まで保有しようとすれば、満期日までの数年間、実勢より低い金利を甘受しなければなりません。これも大きな損失です。

経済評論家の中には、いくら国債を大量発行しても、個人金融資産が国債に振り替わるだけで問題ないと説明する人がいます。

でも、新しい国債会計基準や団塊世代の現役引退を考慮に入れるとどうなるか。

個人金融資産の蓄積が止まり、会計基準が変更されると、国債の国内消化難が始まり、最終的には国債価格が下落して国内金融機関や個人の資産が大きく傷むリスクが高まってきていることを、私は危惧します。

そして、巨額の個人貯蓄が低利率の国債運用に塩漬けになってしまうことも、国家全体として大きな損失です。

ですから、やはり増税、公共サービス削減による財政再建は、避けては通れない重要な課題だと言わざるをえません。
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忘れられない選手

2010-02-11 16:49:16 | 大学野球
野球ファンならば、どなたにも忘れられない選手がいると思います。

ただ、ひと口に「忘れられない選手」と言っても、忘れられなくなった理由は様々です。

感動的なプレーで勝利に貢献した選手、
必死に頑張るも勝利の女神から見放された悲運の選手、
映画スターのような二枚目選手、
ポテッとしたユーモラスな体形で人気者となった選手、
球場で握手してもらった選手、
同じ教室で学んだクラスメートの選手等々。

今日、話題にするのは、ズバリ、その名前が忘れられない選手。
別の言い方をすれば、一度聞いたら憶えてしまうような名前の選手であります。

阿天坊(あてんぼう)俊明さんは、銚子商業の選手として甲子園で活躍。
南海ホークスからドラフト2位指名を受けるも、郷里の先輩・長嶋茂雄さんに憧れて立教大学に進学しました。

私は、小学生の時に父に連れていってもらった神宮で阿天坊選手を観まして、一回で名前を憶えました。

1966年(昭和41年)の春に立教がリーグ優勝した時の主力メンバーです。
首位打者を獲得した槌田選手をはじめ、プロでも活躍した選手が中軸を固める強力なオーダーでした。

4秋山(岡山東。大洋)
6阿天坊(銚子商業。国鉄、入団拒否)
7小川(宮崎商業。近鉄)
2槌田(倉敷工業。巨人)
8谷木(北海高。中日)
5野々山(東邦。新日鉄名古屋)
3松田、土井
7溜池
1若月(大社高。大丸)、石川

ただ、私も小学生の時ですし、名前の印象が強すぎたのか、阿天坊さんのプレーの記憶があまり定かでないことが残念です。
(;^_^A

阿天坊さんは、立教卒業時にも国鉄スワローズから3位指名を受けましたが、ノンプロでプレーした後に家業の干物屋さんを継がれました。
干物屋さんへのリンク

また、地元の少年野球リーグの会長さんとしてもご活躍中。
少年野球リーグへのリンク

早稲田にも、西大立目さん、鍛冶舎さんといった個性的な苗字の野球部員がいらっしゃいましたが、その名前を口にした時の語感とインパクトにおいて、立教の阿天坊さんが一番だと私は確信しています。
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平成の西南戦争を

2010-02-10 17:02:20 | 社会全般
どんな社会にも、「この人を敵に回したら大変だ」という人がいるものです。

迷走する鳩山政権にとって、剛腕幹事長の小沢さんが、そんな存在なのでしょう。

しかし、小沢さんを敵に回さないことの代償として、先の総選挙で民主党に投票した国民を敵にしてしまっては、元も子もありません。

明治維新の歴史を紐解くと、四民平等を唱える新政府と軍事面での既得権の維持を主張する士族が激突し、西南戦争が勃発。
その戦いの結果、多くが農民で編成された官軍が、士族の不満分子たちを制圧し、ここに名実共に明治維新体制が確立されたのでした。

この図式を今の民主党政権にあてはめてみると、鳩山政権が利益誘導型政治に訣別しようと本気で考えるならば、小沢さんとの関係を政治生命を懸けて見直さなければならないと私は思います。

そして、小沢さんとの戦いは、自民党を含めた利益誘導型の政治スタイルとの戦いでもあるのです。

戦いの次に待っているのは…
おそらくは国民新党・社民党との連立の見直し、そして自民党の一部、みんなの党などを巻き込んだ政界再編ではなかろうかと。

いつまでも利益誘導型の政治家や視野狭窄の少数政党に振り回されていてはいけません。

今日、小沢さんと一定の距離を置いてきた枝野さんの入閣が決りました。
これが党内のバランス人事、あるいは枝野さんの発言を封じ込めが目的だというのでは、ちょっと寂しいです。

民主党の正念場です。


さて、写真は、週べ今週号に掲載された細山田くんの練習風景。
西南戦争の話題にふさわしい、鹿児島城西高校出身の細山田くんであります。
(*^_^*)


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伝統の意味

2010-02-09 20:25:36 | 大学野球
今年はロス・キャンプが行われるので、恒例となっている沖縄行きはありません。

写真は、今から七年前の沖縄・浦添球場で行われた、2003年の春季キャンプでの一枚。

前年に和田毅投手(浜田高。現・福岡ホークス)を軸に春秋2連覇を達成し、いよいよ3連覇、4連覇に挑もうとする若武者たちの自信と迫力が、写真からもビンビン伝わってきます。

左から由田慎太郎外野手(オリックス)、鳥谷敬遊撃手(阪神)、比嘉寿光三塁手(元・広島)、清水大輔投手(JR東日本)、田中浩康二塁手(ヤクルト)、武内晋一一塁手(ヤクルト)、坂本康朋捕手(元・西濃運輸)、青木宣親外野手(ヤクルト)、越智大祐投手(巨人)。

今から考えてみても、素晴らしい戦力が揃った時代でした。
そして、これほどプロ注目の素材が揃っていたにも関わらず、野村徹監督からアマチュアイズムを厳しく叩き込まれた彼らは、様々な思惑を抱いて近づく連中に隙を見せずに立派に立ち振る舞いました。

彼らは、学生野球の選手らしく、メディアやプロ関係者ときちんと一線を引いて、現在のような取材規制、撮影禁止、金属フェンス設置などを行わなくても、何も問題を生じることなく練習に取り組んでいました。

このようなオープンながらも節度のある距離感は、旧・安部球場の時代からの早稲田の伝統だと私は思います。

ただ、現在の斎藤佑樹投手へのプロやメディアの攻勢は半端ではありませんから、4連覇時代と同じようにはいかないのも仕方ありません。
でも、いずれ斎藤くんの去就が決まる時が来ます。
その暁には、かつてのようなオープンな伝統を復活してもらいたいと思います。
もちろん、その時には、学生野球精神の徹底的な教育が「伝統」を復活させるための前提となるのは言うまでもありません。


ところで、「伝統」と言われる中には「しきたり」あるいは「慣習」に類するものもあります。

かつて、青島健太さん(慶応野球部OB)が、外国人留学生を神宮の学生応援席に連れていった時の苦労をコラムに書いていらっしゃいました。

まず、席に着いたとたんに、応援指導部員から「応援席ではサングラスを外してください」と注意され、
「Why?」

「早稲田のエールと校歌斉唱が終わるまで、起立・脱帽のまま、お待ちください」と注意され、
「Why?」

風が吹く中で、交代することなく、1人で必死で校旗を掲げる応援指導部員を見て
「Why?」

神宮の学生席には、外国人留学生にとって不思議な伝統、すぐには理解できない「しきたり」が山のようにあるようです。
外国人留学生ばかりでなく、日本人であっても多くの新入生たちが学生席で戸惑う姿は珍しくありません。

これらの「しきたり」が存在するのは、相手校に敬意を表する、応援団同士の無用の摩擦を防ぐ、統制のとれた応援をする、大観衆の移動などで不測の事故を防止する、あるいは応援部の中で長年醸成されてきた独特な美学など、様々な理由があります。


横綱・朝青龍の引退報道を聞いた時、まず最初に私が思ったのは「日本人にはスッと合点がいく結末だけれども、モンゴル国内の人たちに、うまく伝わるだろうか」ということでした。

大相撲の世界には、神宮球場とは比べものにならないほど「伝統」という名の「しきたり」があるはずです。
そして、大相撲に対するファンの期待も、他のスポーツとは一段も二段も高いレベルのものがあります。

これを、全く異なる文化で育ってきた人たちに理解してもらう苦労は、並大抵のことではありません。

様々な国の多様な人種のスタッフと毎日仕事している私には、難しさが良く分かります。
そして話が一旦こじれた場合に、それを修復することは更に難しくなることも。

朝青龍の個人を責めるのは簡単です。
しかし、外国から力士を受け入れながらも大相撲の伝統を本気で継承しようと思うのならば、普段から部屋任せにせず、協会が率先して、反復教育を徹底しなければなりません。

例えば、外交官や商社マンなど、力士出身以外の方にも、大相撲を愛し、大相撲独特の伝統を外国出身の方々に上手に伝えることのできる人材が、きっといらっしゃるはずです。

そして、外国から大相撲の世界に飛び込もうとする若者たちも、「これを身につけなければ関取になれずに帰国させられる」と最初に申し渡されたら、日本人力士以上に必死に勉強するに決まっています。

相撲協会は、降格処分を受けた高砂親方にとどまらず、どれほどの覚悟で外国人力士たちと向かい合ってきたのか、全ての関係者は厳しく自問しなければなりません。

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