清水坂の坂下から進み、二本目を左折する。かなりの急坂で、ここを上り、道なりに進む。
しばらくすると、右側に熊野神社が見えてくる。
神社に入ると、すぐ左側に、志村城跡の石碑と説明板が立っている。
説明板によれば、志村城は、康正二年(1456)に千葉自胤(よりたね)が赤塚城に入城した際、一族の千葉隠岐守信胤が入城して赤塚城の前衛拠点とした。堅城であったが、大永四年(1524)に北条氏綱に攻められて落城した。
赤塚城は、ここから西側の西高島平駅の南の辺りにあったようである。
熊野神社は志村城二ノ丸にあたり、社殿は経塚と称する古墳の上に建てられた。
江戸名所図会に次のようにある。
「熊野権現の宮 同じ所清水坂の上より三町ばかり西の方、涯続きにあり。社の後は涯に臨みて、松杉等の老樹鬱蒼たり。就中樟の大樹は周囲三囲に余れり。当社は往昔千葉氏城内の鎮守たりしといふ。(今は志村より西の台までの間七ヶ村の産土神とす。)土人この地を隠岐殿やしきと字す。・・・」
境内の日陰となったベンチで一休み。暑いので水がおいしい。
神社を出て右折すると、志村小学校であるが、その前の道はかなりの下り坂であり、神社を出てまっすぐ進むと、遠くが見渡せるかなり高い階段の上にでる。この辺りはかなりの高台であることがわかる。
左折し神社のわきに沿った道を進む。突き当たりを左折すると、志村城趾坂の坂上である。
左の写真は坂上から撮ったものである。左側は神社の裏手で、右側は崖上であり、両側の樹木で鬱蒼としている。坂下側で右に曲がりながら下っている。
坂下右側が細長い公園になっている。ここが志村城山公園で、崖下のきわには崖からの湧水によるものであろうか、小川ができており、子供たちが遊んでいる。こういった所を子供は大好きである。
公園を進むと、一段高くなった所に上りの階段口がある。
ここを上ると、先ほどの志村城趾坂の坂上に出る。やや急な階段だが樹木で木陰になったよい散歩道である。
階段を下り公園に戻り、ここから志村三丁目駅へ。
携帯の歩数計による総距離は12.6km。
参考文献
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
「江戸名所図会(四)」(角川文庫)