和田堀池から少し歩くと、宮下橋である。
右の写真は宮下橋の上流側から撮ったものである。ここを右折していくと大宮神社の門前に至る。
宮下橋はBOACスチュワーデス殺人事件で知られている。昭和34年(1959)3月、日本人女性客室乗務員(当時27歳)が扼殺死体で発見されたのが宮下橋のすぐ下流であった。この事件は松本清張「黒い福音」で有名である。
宮下橋を通る道路を渡ると左手に調節池がある。善福寺川が増水したときに一時的に貯留する目的とのことで、通常時は、野球場になっている。
宮下橋から下流側は、先ほどまでと違って高い樹木がなく、明るい感じとなるが、これからの季節は日差しがきつくなりそうである。
少し歩くと、ふたたびシラサギに遭遇する。きょう三回目である。上流側で見かけたものと思われるが、この辺りでシラサギを見かけたのはこれが始めてである。見ていたら突然飛んだ。
しばらく歩くと、済美橋のすぐ上流で川幅が拡がっている。集中豪雨時の増水対策らしく、その下流側では、対岸が親水公園のようになっている。
さらに、その下流側は、左の写真のように池のように拡がっているが、下流側ですぐ川幅がもとに戻って狭くなっている。
下流側に歩くと、川の工事のため熊野橋で行き止まりとなる。迂回して本村橋まで行くと、川全体が作業台で覆われており、川がまったく見えなくなっている。川のわきを通って堀之内橋まで行くが、そこから先も工事中で、川沿いの道は通行不能である。
堀之内橋から方南通りに向け一般道を進むが、途中左側に川へと向かうと思われる道があったので、左折し進んでみると、仮設の階段と橋がある。この階段を上ると、橋を渡る手前に、川に沿った小道へと下る階段がある。ここを下りて小道を進むと、環七通りにでる。途中、覆いで囲まれた川側から工事音が聞こえてくる。
川からずれた位置にある横断歩道を渡り、川まで戻ると、そこが和田堀橋である。ここから下流側に向けてまっすぐに進む。しばらく歩くと、駒ヶ坂橋につく。
この橋を左折すると、駒ヶ坂の坂下である。
右の写真のように、緩やかにまっすぐに上っている。坂上が南側で、直進すると方南通りに至る。
この坂は、むかしの中野雑色村の西隅にかかり、坂下の小名を駒ヶ崎と称したところから駒ヶ坂というとのことである。
この橋の下流側が和田広橋であり、善福寺川にかかる橋としては最後の橋である。ここから善福寺川と神田川との合流地点が見える。
橋から合流地点の近くまで進む。
左の写真はそこで撮った合流地点である。写真下側が善福寺川で、右上側から斜めに流れてくるのが神田川である。
ここで善福寺川は終わりである。
上記のように、善福寺川は、現在、熊野橋と和田堀橋(環七通り)との間は工事中で、川沿い散歩はできない。
(続く)
参考文献
石川悌二「江戸東京坂道事典」(新人物往来社)