東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

善福寺川の湧水と地蔵坂

2010年03月08日 | 散策

善福寺川の湧水を見に行ったときの写真です。

水源である善福寺池の下の池に行くと、そこから善福寺川へ流れ落ちる水量はさほど多くないのに、雨も降らないときでも下流では水量が増えている。

善福寺川~荻窪の記事で湧水のためと書いたが、調べると、水源池の湧水の枯渇などで河川水量の減少が問題となり、神田川と善福寺川の上流部には玉川上水・千川上水を経由した多摩地域の下水処理水(3次処理水)が導入されているとのことで(すぎなみ環境情報館の環境マップ参照)、こちらの方が水量が増える主な原因であろうか。上流部とはどの辺か不明である。

左は大宮神社近くの御供米橋付近で撮った湧水の写真である(2010.1.4)。

写真の右側では護岸矢板の上部がくり貫かれて上に置かれた円板の下側から水がしたたり落ちている。左側では矢板の穴から勢いよくでている。

上流側から御供米橋に向かう途中、左側のように流れ落ちているところが何カ所かあった。

西荻窪駅から北銀座通りを北側に進むと、善福寺川にかかる関根橋に至るが、ここを左折して川沿いに上流に向け歩くと、5,6分程度で原寺分橋に着く。

次の写真は、原寺分橋のちょっと下流に見える湧水で、川底から湧いている。切り通し公園(井草川の水源があった)から帰る途中に撮ったものである。

管が垂直にさし込まれてあり、管から湧き出た水が渇水のとき川に流れ込むよう溝が切ってある。湧水の位置の目印とするためか、管の周囲に丸く溝に沿ってまっすぐに白っぽい石が並べてあるが、なかなかよいアイデアである。写真うつりもよくなっている。毎分1~3リットルの湧出量とのこと。

原寺分橋を左折すると、上り坂になるが、ここが地蔵坂である。坂の途中にある説明板によると、別名「御立場坂」「寺分坂」であるが、地蔵坂が一般的で、かつて坂の途中に地蔵堂があり、地蔵菩薩や庚申塔、馬頭観音などが祀られていたことに由来する。この関係は墨田区の地蔵坂と同じである(東向島の地蔵坂の記事参照)。

この坂には2年ほど前に来ているが、原寺分橋に着いたとき地蔵坂であることに気がついた。杉並区には坂名のある坂は少ないが、その一つである。

地蔵坂の説明板には、坂上の台地の先端部付近は地蔵坂遺跡と呼ばれ、旧石器時代の石器類などや、縄文早期の石器や土器が出土し、近くの荻窪中学校の校庭では井草期の住居址も発掘されているとある。このような遺跡と湧水は関係があるのだろうか。そういえば、御供米橋付近には大宮遺跡や松ノ木遺跡があり、井草川水源の近くに井草遺跡がある(杉並の妙正寺池~井草川緑道の記事参照)。

人が生活する上で水を必要とすることは太古のむかしから変わらない。
水を取り入れる技術や灌漑技術のない時代には、人々は水の得やすいところに居住するしかなく、このため湧水や川のそばに古代住居跡があるとの説明(村弘毅)に接し、湧水の近くに遺跡が存在することに納得がいった。

大昔の人々は湧出源やそこからの流れから生活に必要な水を得ていたのであろう。いまでも湧き出ている水はそのような過去から現在まで生き続けてきた生き物のように思えてくる。湧水はその土地の人間の歴史を想い起こさせる貴重な土地の記憶というべきものかもしれない。

参考文献
廣田稔明「東京の自然水124」(けやき出版)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
村弘毅「東京湧水せせらぎ散歩」(丸善)

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