善福寺川を上流側へ善福寺池まで歩いた。
午後自宅を出て善福寺川に沿って歩く。
曇りでちょっと肌寒い感じであるが、散歩にはちょうどよい天候である。
川沿いの緑もすっかり濃くなっている。
梅雨入り前のこの季節、樹々の下を散歩するのが気持ちよい。
善福寺川に沿った善福寺川緑地公園は、上流側では神通橋で終わり、これから先、終点の善福寺池まで一部を除き川沿いのフェンスと民家との間にできた遊歩道を歩くことになる。
途中の大谷戸橋近くにもう紫陽花(あじさい)がきれいに咲いていた。
紫陽花は梅雨時の花である。
うっとうしい雨が続いてもこの花をみると、そうでもなくなるから不思議である。梅雨の季節にこの花が咲くことはなにか天の配剤といってもよいように思えてくる。
紫陽花というと、なぜか三好達治の『測量船』にある「乳母車」を思い出してしまう。以下、その「乳母車」である。
母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかって
轔々(りんりん)と私の乳母車を押せ
赤い総(ふさ)ある天鵞絨(びろおど)の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり
淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知つてゐる
この道は遠く遠くはてしない道
この詩は中学時代の国語の教科書にのっていた。「紫陽花いろのもののふるなり」「泣きぬれる夕陽にむかってりんりんと私の乳母車を押せ」というのを覚えている。
紫陽花いろにまつわる母のイメージに乳母車に乗った私が重なり合うことで幼き頃の私と母の世界が浮かび上がってくる。
悲しき母を回想することで自らの存在を確かめているようにも思えてくる。母の悲しみに私のもの悲しさが重なってくる。
当時のわたしにとって理解を超えた不思議な詩であり、それ以上の感想を持ち得なかったが、もの悲しさだけが伝染したのであろうか。それが記憶の底に沈殿したのか、忘れ得ぬ詩である。
(続く)
参考文献
三好達治詩集(岩波文庫)