前回の荷風生家跡前の道(標識が立っている)は、緩やかに西へと下っているが、ここから西側を撮ったのが一枚目の写真で、右側が荷風生家跡、遠くに見える突き当たりの左右が金剛寺坂である。
突き当たりを右折して撮ったのが二枚目で、金剛寺坂の中腹である。うねりのあるちょっと急な坂で、上りがいがある。
荷風は『礫川徜徉記』で「金剛寺坂の中腹には夜ごとわが先考の肩揉みに来りし久斎とよぶ按摩住みたり。」と書いて、その妻であった老婢しんを偲んでいる(荒木坂の記事)。
坂上側で左折しまっすぐ進むと、そのむかし、鶯谷とよばれた谷を見渡せる所にいたる(現代地図)。もっともそういうにはちょっと眺望がわるくなっている。そこから石垣に沿って無名の階段が南へ下っている(鶯谷~無名の階段坂(1))。これを撮ったのが三枚目で、坂下を進むと、丸の内線の上にかかる橋を通ってから、水道端(水道通り)へ出ることができる(鶯谷~無名の階段坂(2))。
この階段坂を左に見て進み、右に丸くぐるりとカーブする坂道を下って、住宅街の小路をまっすぐに進むと、四枚目のような小階段がある。これを上ると、すぐ春日通りである。
一枚目の尾張屋板江戸切絵図 東都小石川絵図(安政四年(1857))の部分図には、金剛寺坂、新坂(今井坂)が見える。現在も同位置にある多福院の近くに丸くカーブする道が見えるが、ここが上記の階段坂近くのカーブである。
春日通りの歩道を左折し、ちょっと歩き、次を左折すると、新坂(今井坂)のずっと坂上の道である。二枚目の写真は、そのあたりで進行方向を撮ったもので、住宅街の中で細い道が延びている。やがて下り坂となって、丸の内線にかかる橋を越えると、三枚目のようにまっすぐに水道端へと下っている。
四枚目は、坂下から撮ったものである(現代地図)が、この坂は、最近、工事により改修され、なめらかなカーブを描くように仕上げられている。このため、江戸から続く坂が妙に現代風な雰囲気になっている。このあともこんな風になっている坂に出くわす。
新坂(今井坂)下を右折し、水道端の通りを西へ進み、小日向の交差点をすぎて、次を右折すると、荒木坂の坂下である(現代地図)。
なお、小日向の交差点を右折すると、平坦な道(本ブログで谷道と勝手によんでいる)がずっと続き、ここは、庚申坂や藤坂などの坂下を見ながら、やがて茗荷坂へといたるよい散歩道である(谷道(1)、谷道(2))。
一枚目の写真は坂下から、二枚目は坂上から撮ったもので、三枚目は坂上を左折するとさらに上りになっているが、この坂上を撮ったものである。
四枚目の尾張屋板江戸切絵図 東都小石川絵図(安政四年(1857))の部分図を見ると、新坂の西に荒木坂があり、坂上を左折した道が三枚目の現在の坂道と対応しているようで、今回はじめてここを歩いた。この切絵図で坂上を右折して進むと、切支丹坂(庚申坂)方向にいたるが、この道と、現在、切支丹坂とされる坂の下側へといたる道とは、たぶん別と思われる。
(続く)
参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「江戸から東京へ 明治の東京」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「東京人 特集 東京地形散歩」⑧august 2012 no.314(都市出版)
「荷風随筆集(上)」(岩波文庫)