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最近なんだか、アリエスの毛が5分刈りっぽくなっている。なーんとなく毛並みの変化を感じ始めた頃をよく考えてみると、あの、「毛がごっそり取れる」というファーミネーターっぽいやつを使い始めた時期ではないか?死毛だけ取れるはずの・・・。
確かにものすごく取れるのである。アンダーコートのフワフワが、両手から落ちるほど。はじめから「ほんとに死毛だけか?」と勘ぐってはいたんだけど、毛切れもするのかよー。
つまりは、やりすぎだな。相手は道具であるから、いつどう使うかは自分で考えろってことだよな。刈り上げ風のお尻を見ながら、母ちゃん反省。以前使っていたスリッカーブラシはこれに比べると収穫は少ないけど、毛並みは痛めなかった。
身の回りの全ての物は、消費者のとめどない思いに答えて、際限なく便利になってゆく。高機能、超高機能、抗菌、軽量、短時間。原発の問題で近現代の高度な生活道具の行き過ぎた多用を意識せざるを得なくなったが、実は、本来単純な構造を持つ物も、同じように利便性の追求の対象だったのだろう。
アリエスの美については、たったひとつだけこだわりがある。まさにウィスキーの宣伝文句だが、“なにも足さない、なにも引かない”ってやつだ。あらゆる装飾を排除すると同時に、彼に生来備わったものを削除しないこと。その意味で、毛のターンオーバーを助けるためにと思って行うブラッシングで毛が切れたんじゃ、だめなのよね。
そこそこの道具で、ゆっくり時間をかけること。それは意外と、便利な道具と同じ効果のみならず、豊かな時間を生むのじゃないだろうか。そういう時間で紡がれてゆく生活は、穏やかで美しいものではないだろうか。・・・ブラシくらいで大げさな話だったわー
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