これはお昼寝中の寝顔
昨年12月、アリエスを喪いました。
2-3日は意外なほどすっきりした感覚でしたが、混乱した非日常が過ぎてみると、それが自分というものの大半が抜け落ちてしまった涼しさだったのだと気づく。どうやって日常を維持したのかよく覚えていません。
ちょうど1か月目に、アリエスの夢を見ました。逝ってしまう場面だったので恐怖に襲われたけど、「また戻ってくるから体を預かって」とアリエスが言うので、なんとか気を取りなおして今に至り、こうしてこの日記にけりをつけようと思い立ちました。パソコンの前に座るだけの日がだいぶ過ぎてしまいましたけれども。
まず、これまでお世話になった皆様、本当にありがとうございます。それぞれの方にお礼をお伝えせねばなりませんが、電話で語るのも手紙を出すのもできそうになく、このブログで失礼しますことをお許しください。
アリエスは、最後までよく頑張りました。危ない時を2度乗り切ったと今まで思っていました。しかし冷静に考えれば、あの状態で40日もの日々を私たちにくれたこと自体が驚くべきことでした。気づく余裕がなかっただけで、アリエスは奇跡を起こし続けていたのでした。
アリエスが我が家にきた当初から、手術などの処置を伴う状況以外では入院させない方針でした。今回も話し合ってやはり入院はせず、獣医さんの指導のもと、自宅で一から十まで闘病しました。たまたま連休でやりくりできたり、盆暮れ正月も夏休みもろくに休めたためしのない父ちゃんが、なぜか休みを取れたりと幸運に恵まれて、アリエスから片時も離れず家族みんなで、文字通り死闘しました。
このブログを始める時、筆の重くなる事柄についてこそちゃんと書こうと思っていたので、これからを生きる犬たちへ、なにほどかのヒントでもあればと、11月からのアリエスの様子を記します。
また、私たちにとって「幸せ」そのものを意味するアリエスの姿が眼前にあった日々には、あまり日記に書くべきこともないような気がしていましたが、バラバラな断片のようになってしまった今現在をとりまとめるためにも、やるべきことと感じています。
気晴らしでも早く苦痛を忘れることでもなく、どこまでも悼み悲しむこと、今を直視すること、アリエスが教えてくれたことを思い返して考え直すことでしか、自分は本当には再起できないのではないかと思っています。
11年はあっという間だったけど、この1か月は本当に長かった。アリエスが与えていた鮮烈なみずみずしさが失われて、現実感のない日々が経っていきます。アリエスがここにいた11年は夢だったのかとも思える。命より大切だと思っていたものをなくしても、生きていられる不思議。
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