ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

白耳花 その2

2019-11-06 | 11~12歳
花や木を買う時、普通は環境に合わせて選ぶが、「日陰でも耐える」「少しくらい水切れしても大丈夫」「小さく育てられる」など、ヒトサイドに都合のよい条件が強調される。イヌなら、ズバリ小さくて愛らしいこと、おとなしいこと、吠えないこと。そしてそこには、「ナリが小さければスペースも運動も少なくてよい」「いろいろ教えなくてもよい」という自動的な解釈がある。だけど、ほんとは太陽を浴びたいし水も多めに飲みたいし、できたらのびのび育ってみたい。大きいやんちゃ坊主に吠えたい時だって、それはあるだろう。草花も犬も。人も。

他者と共生するために規律もモラルも遠慮も気遣いも必要だが、およそ「育てる」という立場に立った場合、それらを口実に相手の性質を抑制してはならないと、自省をこめて思う。それは自分が楽をする甘えだと、私はよく知っている。「〜でも」「〜しても」何とかなってくれる生き物も、本当はこう暮らしたいという本来的な生き方を一緒に暮らしながら探すこと、このへんでやってみようよと着地点を見つけていくことは、やっぱりひとつの喜びではないかなと思う。

ところで、植木でも犬でも、はじめにこちらが「選ぶ」という事態が生じることは多い。私がシクラメンを選び取ったように。それこそ条件の「良い」または「合う」ものを選択するけど、本当に保護や世話が必要なのはおそらく選ばれなかったほうだ、という現実もまたあって、選択という行為に後ろめたさを覚えることが少なくない。見捨てることと感じて、放っておけなくなる人もあるだろう。たとえばペットにおけるパピーミルのように、その心理というか人の真心を衝くやり方が確信的である場合、憎まずにはいられない。

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