感動的な最終回でした。
けっこうジーンと来ました。ネタドラマという意見もありますが、主人公はマサだったと思います。
最後まで見てそう思いました。
アユを売り出すのを社運を賭けて挑み、どうにか運に乗りアユをスターにさせたマサ。
しかしマサとアユは恋に落ちて、プロデューサーと歌手という線を超えてしまいました。一緒に住む写真を週刊誌にすっぱ抜かれましたが、社長がそれを揉み消しました。
社長はマサに解雇の代わりに3つのビッグプロジェクトを担当しろと無理難題をふっかけます。
3つも引き受けたら、アユの仕事はおろそかになってしまう。が二つ返事で引き受けるマサでした。
マサはそれまでにしたことの責任を引き受けたのでしょう。
当然、仕事は激務激務で、早く家にも帰れなくなります。付き合いで飲む回数も増える。
二人は同じ家にいながら顔を合わせる機会も少なくなります。
折角取った半日の休暇もマサは前日から泥酔して潰れてしましました。
そうしてアユの書く詞は悲しく切なくなり、その結果歌が売れるという皮肉な結果になって行くのでした。
「マサの仕事はゆっくり私たちを引き離していった」
と言うように、やがてアユはマサがいなくても一人でやっていけるアーティストになってしまうのでした。
一番悲しいのはマサです。自分が育てた歌手は自分との距離が離れるほど研ぎ澄まされていい曲を書く歌手になった。
そしてマサが望むのは、そんなアユを更に羽ばたかせて星のように輝くスターにすることでした。
百恵ちゃんのように「引退して幸せな家庭を築きます」というのではなく、本人も更にスターへの路を望むのでした。
自分の歌が人の心を打ち慰めや癒やしになれば…そちらの方を選んだのでした。
マサの葛藤が描かれます。
好きだけど、手放さなければならない。自分はプロデューサーだから。その成功が一番嬉しいのは自分だから。
相反する感情にマサは引き裂かれます。が、周りの人々も皆アユが飛躍するのを見届けたいのでした。
苦悩するマサの感情の変化が見物でした。アユを諦めるために礼香とのラブシーンをわざと見せつけます。
礼香はマサの心情を分かっていて「馬鹿にしないでよ!」とぶち切れるのでした。
場が盛り上がると流れるアユの歌が悲しく美しいです。
私はその時代の人間ではないけれど、時たま買い物に行って流れる浜崎の音楽に立ち止まって聞き入ってしまうことはありました。
結局、ただひたすら「俺を信じろ」の一点張りで愚直に歌手を育てた男。
根回しも工作もせず、誰のせいにもせず自ら責任を負い、最後は愛する人を手放した男。
まぁ見事ではありませんか。
ドラマとしては物足りないけど、脇役の怪演しか面白い所がなかったけれど、純愛があったというのだけは伝わりました。
どんな立場の人間であろうと、愛情というのはそう変わりないのだなと思いました。
アユは最後の歌をマサに届けます。それは2000年12月にリリースされた「M」でした。
そこから既に20年です。
実際のアユは何度か好きな相手を変え破局し結婚も2回して今は一児の母です。
「これが最後の恋であるように」は最初の恋だったようです。
「さみしがり屋の女の子はちょっとだけ大人になれたよ」「明日からもずっと私の歌を届けるよ」
一時代を築いた歌手の呟きが今はさみしく響きます。
思いがけなくいいドラマでした。自分でもびっくりしています。
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