今日の考え事〈applemint1104〉

自分の体験やニュース、テレビドラマや映画などについて感じた事を素直に書いて行きます。

恐い話

2012-09-26 22:26:44 | 日記

私は怖い話が好きだ。
でもオカルトやホラーは、理由が分からないから怖いのだけど、それだって見たり聞いたりしていれば慣れる。段々怖くなくなる。

「恐い」と言うのは、「怖い」とは違う。
現実に起こる不条理かな。事故だったり天災だったり思いも依らないハプニングに対して。

今の日本の領土問題も、発端は尖閣を国有化するだけの話だと思っていたら、段々悪い方に発展してきた。政治問題が経済に及んで、交流関係もかなり中止されている。抜き差しならなくなってきた。
こんな風に手のひら返しする、というのが現実にもよくある。
これも恐い。
仲のよかった人が急に裏切って去って行くとか。
恋人だって実は飽きていて、他に新しい人を作っているかもしれない。
思い返せば、そんな事が自分にも沢山あった。仲の良い友人なんて、大抵心の中ではアカンベーをしている。女性は特にそうだろう。

いつか書いた物の中に、夫が買ってきた油絵が、月の光の中で見事に反転して恐ろしい女の顔になるというのがあった。
自分の創作なのに、思い出すと恐くなる。
昼と夜もそうでしょうね。夜は光が無くなるだけでどうしてこんなに恐いのか。
昼間あんなに気持ちの良かった公園が、深夜一人では絶対に行けない。

阿刀田高の文庫本に「奇妙に怖い話」シリーズがある。
10冊くらい出ている。
どれも投稿作品から成る物だが、一つ一つ毛色が変わっていて面白い。
外国のホテルの浴室で、冬に取っ手が壊れて閉じこめられそうになった話。子供の頃、友達を段ボールに閉じこめて放置してしまった話。居眠りする電車の運転手。こういう短編が沢山沢山詰まっています。
ちょっとした不運が人を窮地に追い込む。
こういうのを読むと、今日自分が平和に生きていられるのも何かの偶然かもしれないと思い始める。

指の先に小さなとげが刺さっただけで不安定になる生き物、それが人間。
安全と平和がどんなに貴重な物かをたまには噛みしめてもいいだろう。

余談だけど、私はこの曲を聴くと、恐くなります。
ビョークの曲。題名は分からない。
ACOの「キティッシュ・ラブ」
変かなぁ‥。


中国のデモについて

2012-09-19 14:02:47 | 日記

連日、中国のデモのニュース映像が流れているが、あの暴徒化した中国人や日本企業のビル、店舗が破壊された様子を見ると、気が滅入ってしまう。
あれをマスコミがどんどん流しているが、見ている私たちにどうしろと言うのだろう。
何も出来ない。無力感が募って、悲しくなるだけだ。

一体日本人が何をしたというのだろう。
尖閣諸島は確かに中国よりの位置にあるが、国際法で認められた日本の領土だと言う。
それを野田総理が何度も宣言したとしても、ダメなのか。
日本が帝国主義化する、戦争を仕掛けてくる、と中国人は言っているようだが、そんな事本当に思っているのだろうか。日本は戦争出来ません。
今日のテレビで「中国の全ての人がデモに賛成している訳ではない」と言っていた。
参加しているのは、地方出身者が多いらしい。
ネット人口は数億人と多いが、中国では言論統制があるし、党や政府にとって不都合な情報は削除されているから、日本の事も伝わっていない。
日本がこれまで中国にしてきたODAは過去33年間で3兆円。
空港事業に857億円
鉄道事業に1822億円
鉄道事業に1051無億円
港湾事業に1639億円
発電所に2104億円
プラント関係に1007億円
環境保全に8578億円
人材育成に888億円
医療関係に289億円
とある。
うーん、すごい額だ。

これだけ貢献してきたのだ。それを中国人は全く知らない。

今の若い中国人は、学校で中国人を日本人が殺す話ばかりを聞かされ、反日教育を徹底されてきた。
情報弱者と言えよう。
こういう国と日本は経済面で密接なのだ。何とも難しいです。
デモは、格差が広がりすぎた事への政府と党に対する不満の意味もあるようだ。

いつかこのブログに書いた気がするが、「赤い貴族」と呼ばれる党幹部や官僚は、利権を手にして莫大な資産を手に入れ、親族に
会社を作らせマネーロンダリングして海外へ移住しているという。
国外へ流出した資産は、総額120兆円だとか。
この事実を国民が知ったら、尖閣諸島のデモなどしている場合じゃないと思うはず。
灯もと暗し。情報がないというのは致命的なんだなぁ。


震災から1年半

2012-09-12 00:15:30 | 日記

ここ何日か、被災地のその後を取り上げたニュースの映像が何度も映っていた。
被災地では、時の経過を思わせるようにガレキの丘に草が生えていて、それが辺りの風景に馴染んでいる。
復興は思ったほどは進んでいないようだ。集団移転など、まだまだ問題が山積みらしい。
それにしても連日の猛暑の下で、マスクをしながら黙々ととガレキの片付けをしている人々が大勢いる。
何とも頭の下がる思いです。

一軒の家の重さは70トンあると言う。
それに家財やら何やらで、一世帯の所有物の重さはどの位になるのだろう。
それらを数十分で根こそぎさらって行った地震、津波。
自然の力は驚異という他ない。

あの積み上がったガレキには消毒液を散布していた。虫などが発生するらしい。
もうもうと煙が舞い上がっている。

しかし何と私たちは高度な文明の場所に住んでいるのだろう。
本当に70トン以上の持ち物を持たなければ、生活していけないのだろうか。
所有するのは簡単だが、それが不要な物になった時、処分するのに時間とお金がかかる。
あの、ガスマスクのような物をつけて暑い中で延々と一年以上かかって処分しなければならないほどの労力と費用がかかるのだ。
道路や電柱や施設は必要かもしれないが、個人はもっとコンパクトな住まいでもいいのではなかろうか。
余りにも多すぎるガレキ。その片付けに国家予算を組んで、何年がかりで処理しなければならない。
文明って何?
と思ったのは私だけじゃないはず。

海の上の船を「板の一枚下は地獄」みたいな風に言いますね。正確には何だったかな?
日本もそれに似ている。地震の多い国は、地面のすぐ下は地獄、みたいなもんだ。
なら、もっと簡素な住まいにしないといけないのでは。
必要以上の物を持ちすぎない。要らない物は普段から処分する癖をつける。
何らかの災害が起こって自分の家がゴミになってしまう可能性もある、と言うことを考えて、スマートな住まいと生活を目指す。
そういう心がけが、これからの防災には必要なのでは、と思いました。


空気なんか読まなくていい

2012-09-06 03:39:49 | 日記

テレビを見ていると、時々ニュースやイベントなどで子供にインタビューをしているのを見かける。
子供は、大人が言って欲しそうな事を子供らしく喋る。
それを見ながら、ああ、子供は気を遣ってるんだなぁと思ってしまう。
編集で都合の良い場面を切り取っているだけかもしれないが。

そう言えば、自分も子供の頃は色々と大人に気を遣って生きてきたものだ。
子供は必要以上に空気を読んでいるのではないか。

「空気を読む」という言葉が流行ってから、妙な言葉だなぁと違和感を覚えた。
そう言われてみると、たまにそういう場合があるかもしれない。大勢の中で一人だけその場と逆行する発言をして、場が白んだり。
折角意見がまとまりかけていたのに、一つの意見でおじゃんになったり。
確かに、そういう場合はみんなが心の中で「何だこの野郎」と苦々しく思うだろう。
でもそれは、たまに、だ。
いつもいつも空気を読むのは必要なのか。

そんなことはない。
空気を読みすぎたら、自分が空気になってしまう。
そんなにそんなに協調性ばかり考えなくてもいいんじゃないの。
少しくらい雰囲気が悪くなっても、それが何だというのか。
色んな意見があるから楽しい。
突拍子のない発言でも、その人らしさがあれば面白い。
自由に自分を表現するのが大切だ。
だからと言ってすぐに感情に走るのも何だけど。
まぁそれはほどほどに。

イジメも、ちよっと集団から浮く子をターゲットにしてしまうようだ。
一人だけまわりと違う子。それを目ざとく見つけて標的にする。
悪質なゲームみたいだ。
狙われないように自ずと萎縮する。
「空気を読む」のは自分を守るための手段か。

ならば、余りにも悲しい。

まわりの顔色を窺って、幼い頃から自分の個性を殺してしまう事があるなら、勿体ない。
空気なんか読まなくていいから、自分を自由に表現するのを大切にすべきだろう。
場が白々としても、平然としていられる神経を持ちたいものだ。


情報過多

2012-09-02 16:15:51 | 日記

先日ある記事で「パソコンをつけてずっとネットの情報を見ていると、知らず知らずの内に
情報過多になってしまい、心身共に悪影響を及ぼす」というような事が載っていた。
なるほど。
色んな人の書くブログやマスコミや会社のウェブ、真偽の程は定かでない掲示板の書き込み、ありとあらゆる膨大な情報が溢れている。
つい何気なく覗いた掲示板からリンクを辿って別の話題に行ったり、とにかく一々付き合っていると時間があっという間に過ぎる。
ニュースも、知ろうと思えば際限なくコアな情報まで知る事が出来る。
別に知らなくてもいい所まで‥。
こういうネットの情報は、「気づかぬ間に私たちの体力を奪ってしまう」とある。
これには心当たりがある。何時間も下らない話題に付き合ったり、ショッピングで重いページを開き続けたり。疲れる。
今は数年前の何十倍もの膨大な量の情報があるのではなかろうか。
そのようにならない対策として、一日くらいパソコンを見ない日を作ること、と提案している。
うーん、出来るかなぁ。

友達のブログなんかも、見る習慣をつけていると、ついチェックし続け、色んな事が分かってプライバシーの侵害すれすれになってしまう。これは用心しています。
便利なことは良いことだけど、情報ってのは人を傷つけるから、慎重にせねば。
あと5年くらいすればまたネットの世界も変わって行くんでしょうね。
昔は、調べ物をするのに図書館へ行ったり本屋へ行ったり人に聞いたり。のんびりしてた。
それが、今は一瞬で世界中の文献が出てくる。買い物も短時間ですませられる。昔はカメラで写真を撮って、それを店に持って行き、出来上がるのを心待ちにしていた。
いやはや、発達したもんだ。
こんな便利な物はない。
けれど、余った時間をどう使えばいいんでしょうね。
便利になればなるほど、余暇が増えて行く?

いずれ、ネットに
飽きた人はどんどん離れてしまうんでしょうか。
私はパソコンを使ってから15年です。若干飽きてきた気がします。(笑)