「テセウスの船」が似ていると言われる「僕だけがいない街」のアニメ番組を興味があったので見てみました。
かなり複雑でしたので感想は別の機会にします。アマゾンプライムビデオの推薦に上がって来た「西の魔女が死んだ」を見てみました。
感想を書いてみることにします。
山奥に「ぽつんと一軒家」のように立っている古い家。イギリス風の家です。そこに年取った女性が一人暮らししています。
家へやって来たのは赤い車に乗った中学生の少女とその母親。母親は颯爽とした現代的な女性です。
ここは祖母の家でした。
少女は不登校になって家に引きこもり、手を焼いた母親が祖母の家に預けることにしたのです。
祖母は外国人で、生活も欧風です。祖母は自分を魔女だと認めています。
魔女になりたい少女に修行として、少女に幾つかの課題を出します。
それは「何でも自分で決めること」と「規則正しい生活をすること」です。
少女は祖母と一緒に野イチゴを積んでジャムにしたり足踏み洗濯をしたり鶏と遊んだりしながら徐々に心を開いて行きます。
前半は大体予想の付く展開でした。
田舎風生活はいい、安らぎだ、引きこもりの子の心を解放する、みたいな定番の映画だと思って眺めていました。
しかし暮らしていく内に、些細な事で祖母と少女の気持ちにズレが生じてきました。
近隣の男(木村祐一)の粗野な言動と、飼っている犬に対して少女は強い不信感を抱きます。
鶏舎が壊されて何ものかに鶏が全滅させられました。少女はショックです。けたたましく吠えている男の飼い犬がやったに違いないと祖母に訴えます。
祖母は証拠がないからと取り合ってくれません。さらに、男が少女が自分の畑だと決めた「聖地」の横を掘っているのに出会い、怒りに火が付きます。
そのことを祖母に訴えますが祖母は少女の頬を叩くだけでした。
そこから仲直りが出来ないまま、二人は離れ、母親が迎えに来て少女は帰って行きます。
二年後、少女と母親が祖母の家へ行くと、この題の通り祖母は亡くなっていました。
一体何をこれは言いたかったんだろう、と私は見た後考えました。が、特別なものは考えられませんでした。
確かに前半の祖母の落ち着いた話は説得力がありました。
少女が「人は死ぬとどうなるの」と尋ねた時にも、こう答えます。
魂と肉体が合わさったものがあなた。それがあなただと言える。もし肉体が亡くなっても魂はあるから、魂があなただと言えるかもしれない。
魂は体を持って色々な体験をして成長していく。魂の成長が私たちの課題だと思っているのよ、と。
これは同感です。私も実際そう思っています。これはイギリスのスピリチュアルの考え方だと思います。
そういうことはとても説得力があります。
でも、普通の生活はまた違うもので成り立っています。
少女が男をあんなに嫌っているなら、祖母は自分の立場を言うべきだったでしょう。
一人ぼっちで山奥で暮らしている老女。多少理不尽なことをされても、何かあった時は頼らざるを得ないのだから、大目に見ざるを得ないのよ、と。
理想と現実とは違う。
では、祖母が一人暮らししている不安は少女の家族にはないのでしょうか。
祖母は気丈にしているけれど、何かあった場合のことは考えていないのか。
手に負えないからと娘を預けっぱなしの母親。そして祖母の生活には同調できないとか言ってる。
しかも二年も母と連絡を取らなかったんでしょ。亡くなってから号泣しても遅いわ。
文芸作品なら死を主題にしてると感じるかもしれませんが、映像で見ればこれが普通の感じ方でしょう。
ここまで書いて、そうか、作者は時代に取り残されて行く昔ながらの古い生活や考え方を惜しんでそれを主張したいのかなと思いました。
魔女修行と祖母は言いましたが、少女はこの修行によって魔女になれたのでしょうか。
最後に祖母からのメッセージがガラス戸にありました。
立ち止まって少しだけ考えさせられた映画でした。