今日の考え事〈applemint1104〉

自分の体験やニュース、テレビドラマや映画などについて感じた事を素直に書いて行きます。

「NHKスペシャル・筒美京平からの贈りもの」の感想

2020-11-03 12:53:56 | テレビ

見終えてしみじみとした充足感を感じました。
1960年代から1990年にかけて出す物が次々にヒットチャート入りとなり、日本の歌謡史の上に輝いた作曲家、筒美京平の仕事を追求した番組でした。

その中でもメガヒットを出した何曲かを、歌手の話、音楽プロデューサーと編曲家、作詞家の証言と共に分析していました。
どれも当時耳にたこができるくらい世の中に流れていた曲です。しかし、そこには筒美さん独特の拘りがありました。

例えば、出だしのイントロをパンチのあるものにすること。針を落とした瞬間にあふれ出す音。
そして合間を飽きさせないように次々に工夫する。1曲に10曲くらいのアイディアを盛り込む、などだそうです。
凄いですね~!

その昔ですが、近藤真彦の「スニーカーブルース」を聞いた時には衝撃でした。
歌詞がそのまま物語になっていて映像が思い浮ぶのです。途中で曲調が変わり「街角は雨、ブルースのようさ…」ここはぐっと来ます。
マッチが言うには、間にギターの音が入り「ギターが泣いている」と言うのです。確かにキィーンという音が聞こえます。
これは演出だったのですね、初めて知りました。
この曲は他にも色々な趣向が凝らされていたようです。当時の新聞記事を覚えています。
合いの手の「ベイビー」と言うかけ声が頻繁に入ります。見る人の気持ちが高ぶるそうです。
また、歌手の出ない音程を入れる事で、歌い手は絶叫するような、切迫感を出し、人の心をそそるそうです。

さて、33歳となった筒美さんがタッグを組んだ作詞家が松本隆でした。この人は元はっぴいえんどの人です。
松本隆さんも、振り返ると歌謡曲のもう一方の巨人となりました。

しかし初めて筒美さんとコンビを組んだ時はまだ24歳でした。
松本さんの書いた型破りの詞が「木綿のハンカチーフ」でした。
苦労しながら曲を付けた筒美さん。この曲は大ヒットしました。
個人的にはあまり好きじゃないんですよね。いかにもベタで万人受けを狙った安易さがある気がします。
私はロックス好きの音楽趣味なので、ごめんなさい。見逃して下さい。

時代は急激に変化を迎えます。フォークソング、ロックの台頭、電子音楽の参入など。
筒美さんは新しい音楽の人たちと共に挑戦します。CCBに楽曲を提供し、ハイトーンボイスのドラマーにボーカルを任せます。
それがまた大きなヒットを生み出します。私もこの曲をたまに思い出すことがあります。リズムが個性的な名曲だと思います。

1960年から1980年の間、筒美さんの曲は、毎週のようにチャート入りし、歌謡界で息の掛かってない人はいないかのような飛ばし振りでした。
それはたまたま天才肌だというのではなく、本人の工夫がありました。
「一つとして被ることのない曲」「普通の人に思いつかない作曲のセンス」「進取の気鋭」と関係者は分析します。

しかし1980年以降は見る見る間に職業作家の作品がチャートから消えた、と本人が語るように、歌謡界は変化して行きました。
2000年以降は作品の数がめっきり減っています。

それにしても、作品の中には驚くほど沢山の私の好きな曲がありました。これもあれも…。同じ人が作ったとは思えない多彩さです。
一人の作曲家にみごとに騙されてきたような気もします。
1960年台、当時日本は一丸となって高度成長時代を生き抜いていました。同質で画一化されたものを見、楽しみ、親しんできました。
歌謡曲はその象徴だったような気がします。

一人の類い希な作曲家が、手を変え品を変え人の心を誘導した。
歌は歌手そのものの作品となり、誰の心にも焼き付きました。

本当に優れた人と言うのは時代の陰にいて見えないものなのでしょう。
最後に未発表の曲が流れました。「ペイルムーン」という曲です。
「淡い月」と訳されていましたが、私には「青ざめた月」に感じました。

 


NHKスペシャル「ホットスポット最後の楽園」第5回 ブラジル マタアトランティカ の感想

2020-06-11 09:45:03 | テレビ

他に見るものがないので先週のNスペの「ホットスポット・最後の楽園」を見てみました。

今回はブラジルの大西洋岸に連なる標高2千メートルの山々、マタアトランティカという森林地帯の話です。
海側から湿潤な風と水を受ける2千メートルの高い山が生み出す豊かな環境に、さまざまな生物が育ち独自の進化を遂げています。

ブラジルの北西部に広がるアマゾンは5億年前の噴火で作られた土地です。でもアマゾンは平野で、マタアトランティカとは比べものにならない単調な土地です。

このマタアトランティカをナレーターの福山さんが歩いて行きます。
深い森、濃い緑、そして巨木が生えています。数百年の樹齢だそうで見上げると先の方は空に消えています。
巨木には多くの植物が絡みつき、陽を求めて上へ伸びています。根を張らずに生きる着生植物だとか。
その中に「ブロメリア」というパイナップル科の植物があります。
この植物は噴水のような形で幹に生え筒状になっているので、そこにカエルが生息しています。
小さなカエルはこのブロメリアから一生外に出ずに暮らします。奥の方に生息するシロアリなどを食べて生きています。

そしてカエルは独特の進化をしていくつかの種に分かれました。
森林の中では同じように、そこで生きていくことを選んだ動物が環境に適応して暮らしています。

福山さんはとても珍しい金色のたてがみの猿と対面しました。
ゴールデンライオンタマリンという、小さいけれど俊敏な猿です。
タマリンはブロメリアに手を突っ込んで生きた蛙をそのまま食べます。
木の上で葉と実を食べて暮らすヤマアラシ、鮮やかな模様の鳥、ヒムネオオハシ、白蟻の巣を求めて木の上に生活を移動したアリクイなどがこの森に生きています。

その昔、一億年前にアフリカ大陸と南米大陸がまだ繋がっていた頃、ある時異変があって大陸が二つに裂けた時に、ゴールデンライオンタマリンは浮島に乗って離れた南米大陸にたどり着いたそうです。
まるでひょっこりひょうたん島じゃありませんか。(知らないか…)考えただけでワクワクします。
漂流先で3500万年前に出来ていたマタアトランティカという森林地帯と出会い、そこを住み処にしたそうです。(間違ってたらごめんなさい)

そして後半、話は現代に飛びます。
ななんと、今のマタアトランティカは昔の7%しか残っていないのだそう。(早く言ってよ)
都市開発で森が分断され、独自の生態系を生み出していた森とその動物の存続は難しくなって来ました。
ゴールデンライオンタマリンは3000匹から150匹まで少なくなっていました。

でも米国の研究所とブラジル政府が協力して作った保護施設で今、動物の保護活動が行われているそうです。
様々な努力で、今その数が復活しようとしています。
なんということでしょう。ゴールデンタマリンの新しい種が現れました。赤毛の猿に付けられた名前は「スペラートス」です。
ラテン語で「希望」の意味だそうです。
最後の方は感動的な音楽でまとめ上げられ、全体を包み込みました。

全てが初めて聞く事、珍しいことだらけでした。

1億とか3千万年という年月の地球の変化を乗り越え、たぐいまれな恵まれた環境で静かに進化する動物たち。
時を乗り越えて生きてきたけど、都市化が進み種が激減してしまった。
しかし人間の新たな努力で新しい種が誕生し人々は希望を見いだそうとしている、
という話でした。

構成が何か変でしたね。
始めに映った森は、太古のままの森なのかそれを言わずに話を進めて、後半いきなりもうその森は7%しか残っていません、とか。
初めから7%だけ残った森林として紹介するべきでしょう。

余り興味のない分野でしたが、今回私は「ブロメリア」に興味をひかれました。
豊かな森の中で完結する小宇宙。生態系がなりたち、様々な変わった動物たちがそこで暮らしている。
その象徴のような植物。

孤立した環境で完結した生活をしてみたい。
ブロメリアのような住み家があったら…。
何かそこだけにとても惹かれました。


NHKスペシャル「世界同時ドキュメント・私たちの闘い」の感想

2020-06-01 16:56:37 | テレビ

これは3月から5月にかけて、米国、イタリア、フランスに住む20人に自撮りをしてもらいその生活の様子を記録したドキュメンタリーです。
何人もの一般市民(職業はまちまち)が登場して動画を通してその生活や変化を映し、心情を語ります。

はじめに登場したのがイタリアのオペラ歌手です。彼は、ロックダウンされた町に向かってベランダから市民に向かって歌いかけます。
米国カンザスシティーの看護士男性は車を2千キロも飛ばして、ニューヨークの病院へ手助けに向かっています。
ある女性アーティストは3Dプリンターを使ってフェイスシールドを手作りし、病院や地下鉄の職員に届けています。

ニューヨークでベーグル店を営む移民の男性、看護士の母親を亡くした息子、会社経営の男性、医療関係者の動画が続きます。

3月下旬、ついにイタリアで感染爆発が起こりました。死者は増え続け、町は緊張を強いられ、人々は気力をなくしています。
オペラ歌手は歌うことを止めてしまいました。自粛で自宅にいる人たちはストレスで家族の衝突が増え、子供は追いつめられています。

その2週間後には米国で感染爆発が起きます。
医療現場が崩壊し、医療関係者の疲労はピークに達します。
ニューヨーク州では一日感染7千人、毎日百人が亡くなっています。
自殺する医者が出、離職者も後を絶ちません。遠方からやって来た看護士も疲労困憊しています。

ロックダウンの都市に人の姿はなく、ドローンが市民を監視しています。
米国の外出禁止は一月を過ぎ、各地でデモが起き始めました。

絶望と先の見えない不安の中で、やがて人々は少しずつ希望を探し始めます。
一人一人、嘆いているだけでなく自分に出来る事を模索し始めました。

イタリアでは食事に困る人の為に、食事を高層階から籠に乗せて通りに降ろして振る舞っています。
フェイスシールドを作り続けるアーティストにも、支援の人たちが現れ始めました。
米国では若者が新薬の治験に応募して、注射を受けました。
コロナから回復した男性は、抗体を提供することにしました。

ニューヨークの午後7時、通りで賑やかな音が聞こえます。
拍手などで一斉に通行人が医療従事者たちに感謝の気持ちを表すのです。

感染者が退院する時にはビートルズの「ヒアカム・ザ・サン」が流れて、医療者たちが祝福します。クラクションとどよめきの中、患者は退院して行きます。
私はこれを見ながら涙が流れました。
そうやって人種も国も違うけれど「自発的な連帯」で次第に人が結ばれていく様子が映ります。

二ヶ月が過ぎた5月末、イタリアでロックダウンは解除され、再び日常が動き出しました。町に人が集まり出しました。
イタリアのオペラ歌手は広場で歌を歌っています。
ニューヨークのベーグル店経営者は店を開きました。客も戻っています。

世界の感染者は570万人、死者が35万人、医療従事者が数千万人いるそうです。

これまでの日常を一変させたコロナ禍。
沢山の命を奪い生活を奪い、今までと全く違う世界に塗り替えました。
これから人は新しい日常に向かって行かねばなりません。
一人一人が自問し何かを変えながら、新しい一歩を踏み出さなければならないのです。決意が言葉少なに語られます。

ウィルスの発祥地や原因、政治的なことには一切触れず、淡々とした人間の営みだけを追う構成に、胸が熱くなりました。
ドキュメンタリーは抵抗なく見られましたが、ややまとまりに欠けていた気がします。
でもアメリカの陽気さ、仏、イタリアの人たちの大らかさが私たちにはないものでした。胸に染みました。


「テラスハウス」について

2020-05-27 09:58:58 | テレビ

数日前の花さんの死は衝撃でした。ニュースを読んだ時にはあの明るい花さんが死んだとどうしても結びつきませんでした。
咄嗟に病死だと思いました。

やがてこの件に関する報道が渦のように広がって行きました。
花さんの死に便乗していると思われる人の声が大きくて、私はテレビを見たり報道記事を読む気になれませんでした。
あの人達は番組を見たことなくて騒いでるんですよね。

考えてみると私は6年前からテラスハウスを見ています。
Netflixや、今は沢山の男性達の感想動画があがっています。
人間観察バラエティーが好きな私はあちこちに目を通していました。

海外にも配信されて人気だったようですね。それは山里さんが一人語りする「山チャンネル」にもあったのではないでしょうか。
山里さんがテラハの感想を語るチャンネルです。が、歯に衣着せずというよりもっときびしい、ほとんど出演者に手加減しない内容でした。
言い得て妙だと思う一方で、なぜ素人に対してこんなに残酷な語り口になれるのかと不思議に思う時もありました。

テラハの番組を実際に見たメンバーがショックを受けて泣き出したり、落ち込んだりという場面も過去にはありました。
メンバーは売りこみを掛けて出演する人も多く、どんなきつい事を言われても受け入れる覚悟だと思います。
けれど芸人ならともかく、まだうら若い人たちには耐えられないこともあったのでは。
例えばちょっとした行動が大げさに解釈されてビッチ呼ばわりされることがありましたね。

また最近は男女関係が発展してきて、プレイルームでいちゃついたり、そこで関係を持ったりというのも何度かありました。
長野の時のノアと聖南のラブシーンは止まらなかったですよね。ホントに番組として危ない橋を渡っていました。(そこが魅力でもあるけど)

花さんは入居して半年以上いました。あだ名は処女と言ってたので、多分恋愛には疎かったのでしょう。
ハウスで理想の男性に会って幸せになろうと思っていたのだと思います。
初めのうち私は彼女が乙女な心の純粋な人だなーと思っていました。いざこざもなく、普段は穏やかでソフトです。
が、徐々にハウスの中で起きる色々な事に関わらざるを得なくなってくると、それだけではすまなくなりました。
花さん本来の気の強さが徐々に表れるようになりました。
乾燥機に掛けられて縮んだコスチュームのことで、花さんは爆発してしまいました。
けれど、それはそれまでのことがあったから。快に対する生活態度の不満が下地にあったからです。
京都へ行って快に感じた不信感と、いつまで経っても理想の相手に出会えない焦りがストレスになっていたのではないでしょうか。

プロレスラーという職業は、男性にとって少し煙たいと言うのか、対等になれない相手だと思います。
私から見たら、花は勇敢な職業で腕力がありたくましい、ここぞと言う時にはキチンと自分の意見を言えるしっかりした人です。

でも彼女はそういう自分を見てはいなかった。
「愛されたかった人生でした」とSNSに書いてました。
いつか誰かが現れるのに、愛されるのを急ぎすぎた。匿名の誰かが発した「死ね、ブス」という汚い言葉。それらの言葉は自分が自分に言っていた言葉だったと。
素晴らしいところが一杯あるのに、そこは目を向けず、理想の女子を夢見たんだろうか。

これから長い人生を歩き始めたばかり、なのに真っ直ぐに死に急いでしまった。
あと何年かしたら、忘れ去っていたに違いない些細な出来事のために。

まぁしかし、本人が選んだ人生なのです。悲しいですが…

人は見た目じゃない。人の気持ちは永遠に分からない。しみじみとそう思いました。

 


NHKスペシャル「ダビンチ・ミステリー第2集」の感想

2020-05-07 11:37:45 | テレビ

これは再放送なのか分からないけれど何日か前録画したのを見てみました。
500年前に亡くなったダビンチは、モナリザや最後の晩餐で有名ですが、様々な分野で突出した才能を見せた天才だったようです。
今回はダビンチが残したメモやノート5600を全て集めAIで解析しています。
ダビンチは何百年も理解されなかった人でした。しかし彼の仕事には驚くべき緻密な、天才的思考やひらめきが見受けられます。
今、混迷の時代にある私たちも、ダビンチの思考や考え方が何らかのヒントになるかもしれないとナレーションは語っています。

このNスペは時々こういうAIの使い方をします。例えば東日本大震災の時に、閖上地区から人々がどういう風に逃げてどの位の人が助かりどの位の人が亡くなったかとか、耳の聞こえない作曲家の時も似たようなことをしていましたね。

分析したものを見せるやり方ですが、派手なCGとグラフを作り、劇的なBGMを流します。
見ている方は「すごい!」とわけも分からず感動してします。
このような手法に慣れてるので今回も「あの手口か」と思いました。その時は素直に感動しますが、意外に後になってみるとどうってことないんですよね。
空振りだったりします。(ごめんなさい!)


ダビンチは機械工学、建築、生物学、精密機械などに興味を持ち、色んな分野で才能を発揮しました。
人体の繊細な解剖図を描いたり、都市の一角を上空から見た地図を作ったりしました。その地図が今見るとドンピシャなのだそう。
彼は町の中の距離をはかるための計測器を手作りしていました。素朴だけどすごいアイディアのものでした。
今回は実際に計測器を作ってみて町の中を計っていました。こういう所は凄いですね。(予算あるからこそできる)

更に彼は空を飛ぶことに興味を示し、天文学にも興味を持ちあらゆる方面に触手を伸ばす天才だったようです。
しかし500年前それらが実になる事はありませんでした。
モナリザで有名になった画家は本当は科学者、数学者が描いた絵がモナリザだったというのが正しいのでしようね。

今、彼の未知の才能の片鱗が興味を持たれはじめました。
でも、番組では目新しい説は生まれませんでした。
イタリアの何人もの学者に聞き、ダビンチの最後の住まいではサカナクションの山口さんが彼の描いた絵と向き合い、業績を辿りました。
しかしせいぜい「様々な分野の学問は数学に行きつく」とか「ダビンチが水に拘り続けたのは創作や思考の根源としていたから」
と取って付けたような総括をしただけでした。

偉人はその才能が日の目を見ることはありませんでした。
ダビンチの呟きを見、私たちがその意味を探し出そうとしても、それは500年の間に人類が育んできた文明、科学技術の中に深く埋め込まれて聞くことは出来ないのでしょう。

※これは2019年11月17日の番組でした。