私たち日本人の多くは無宗教である。
そんな日本人にはわかりにくい「神」への想い・・
だって「エクソシスト」だって、「神」と対抗する「悪魔」だからこそ、欧米ではゲロを吐く人、失神する人が続出だったわけだし。
ごく普通の日本人は、「首がくるくる~~」とか「緑のゲロがドバドバ~~」とか、顔の傷が恐かったわけで。
欧米人が感じたであろう「あんな神様を冒涜することをやりたい放題なんて!!そんなの恐い!」ってのはピンときてないのさ。
ところが、日本人でここまで描くか!っていうすごい作品があったんです。
萩尾望都のコミック「トーマの心臓」
キリスト教的な神への想い、愛、信仰というものを取り上げている最高傑作のひとつだと思う。
萩尾望都と言えば、「ポーの一族」でもそうなように元祖美少年もので有名で・・この「トーマの心臓」に出てくる少年もみな、美形である。
でも、今はやりのボーイズラブとは全く違い、根底を流れるものが、命を投げ出してでも相手の魂を救いたいという救済の愛なのだ。
「君、翼ないの?僕のをあげる」
「神様、神様、御手はあまりにも遠い」
いまだに忘れられない強烈な台詞の数々・・
あまりにも壮大なストーリーなので、今日1日では書ききれん
明日以降、もうちびっと詳しく書くとしよう。
何度か舞台になったようだが、これは日本人がブロンドのヅラをかぶってやってほしくないな~~
できれば、欧米人で映画化していただきたい傑作です
そんな日本人にはわかりにくい「神」への想い・・
だって「エクソシスト」だって、「神」と対抗する「悪魔」だからこそ、欧米ではゲロを吐く人、失神する人が続出だったわけだし。
ごく普通の日本人は、「首がくるくる~~」とか「緑のゲロがドバドバ~~」とか、顔の傷が恐かったわけで。
欧米人が感じたであろう「あんな神様を冒涜することをやりたい放題なんて!!そんなの恐い!」ってのはピンときてないのさ。
ところが、日本人でここまで描くか!っていうすごい作品があったんです。
萩尾望都のコミック「トーマの心臓」
キリスト教的な神への想い、愛、信仰というものを取り上げている最高傑作のひとつだと思う。
萩尾望都と言えば、「ポーの一族」でもそうなように元祖美少年もので有名で・・この「トーマの心臓」に出てくる少年もみな、美形である。
でも、今はやりのボーイズラブとは全く違い、根底を流れるものが、命を投げ出してでも相手の魂を救いたいという救済の愛なのだ。
「君、翼ないの?僕のをあげる」
「神様、神様、御手はあまりにも遠い」
いまだに忘れられない強烈な台詞の数々・・
あまりにも壮大なストーリーなので、今日1日では書ききれん
明日以降、もうちびっと詳しく書くとしよう。
何度か舞台になったようだが、これは日本人がブロンドのヅラをかぶってやってほしくないな~~
できれば、欧米人で映画化していただきたい傑作です
長女の名前は「ユーリ」です。
長女が産まれて、名前を考えていたときに、
「赤ちゃんの名前の付け方」といった本を見ていた
夫が、「『ゆり』って名前も名字に合うって書いてあるよ」
という様なことを言ったので、
私が「それより『ゆーり』ってのばした方がいいな」
と何気なく言うと、
夫が、「あれ?『ユーリ』ってドイツ語で『7月』って
意味じゃなかったっけ?」と言うので、
私が「しらん」と言うと、本棚からいにしえの
フラワーコミックス「トーマの心臓」を出してきまして、
「ほら、これ」と
そこには、エーリクの
「ユーリなんて名前のやつにはろくなやつがいない」
という台詞があり、「ユーリ」の横に「7月」と仮名が
ふってあったのでした。
「この子も7月生まれだしいいじゃん、これ」
ということで、ユーリにきまったわけです。
(コミックスは夫が学生時代に買ったものです…夫婦そろって
こういう人種…)
その後私が、「大きくなって、出家するとか尼寺に行くとか
言い出したらどうする?」と聞くと、
「大丈夫、八角メガネの男とはつきあわないように厳しく
しつけるから」なんて言ってました。
因に、ユーリには二人弟がいますが、
一人はトーマで、もう一人はエーリクです…ってなことは
ありません。 ←バカ
男性で「トーマの心臓」を読んでいたなんて、絶滅危惧種に近い方、希少価値のある方ですな。
「ポーの一族」はどうでしょ~~
「風と木の歌」はどうでしょ~~
(風と木~は過去記事に書きました)
ユーリなんて、かっちょいい名前をつけてもらえていいですな~
私なんぞ、どっこにでもある名前なので、つまんないこと、この上ありません
もちろん知っていますとも!!
で、「ポーの一族」は」私が買った、いにしえの
フラワーコミックスの1、2、3巻があり、ほかにも
夫が買ったプチコミックス版が、何巻かあったはず…
お互い結婚前に買ったものなので、何話かダブっていた様な…
「風と木の詩」については、単行本は持っていませんが、
連載時にリアルタイムで読んでいました。
でも、あまりにもドロドロネチネチな展開についていけず、
途中をすっ飛ばしてしまっていました。
(多分夫は全部読んでいます)
anupamさんの「風と木の詩」についての記事
を読んで、勉強になりました。
そ~か~それで「オーギュは彼の父親だ」ってせりふが
あったわけだ。
こんど読んでみようと思います。
オーギュに仕える執事が「あまりの仕打ちです、あなたのお子様なのですよ」と訴えるとジロ~~っとすごい目力でにらみ「誰がそんなことを決めた。ジルベールには父などいない。あれは野生のものだ」
って、今考えると「どんだけぇ~~」だし、自分の息子とわかっていて○○しちゃうんですから~~
これがよくもまあ、当時の少女雑誌に連載できたものですわね
よくトーマの死の理由について「ユーりの罪を引き受けるため」と解釈なさっている方がいますが
でも私は、
トーマが自ら命をたったのは,ユーりを独りにしないためだったと思います。
「人は独りではいきていけない」
トーマはそれをしっていました。
そしてユーりが独り心を閉ざしていることも…
そこでトーマは考えた。
自分は死んで,彼の目の上に生きよう…と。
「自分を忘れないで欲しいカラ」という、自分のための死ではない。
ユーりを独りにしないため,ユーりを生かすための死。
自分を愛して逝った者を,誰が忘れることができようか?
トーマが死と引き換えにユーりに残したモノは、
決して姿を変えることなく,ユーりの中に存在することになる。
ユーりはもう独りではない。トーマがユーりに残したモノ…それは「愛の記憶」。それをユーリに捧げるために、トーマは命を絶ったのではないかと思っています。
「トーマの死の理由」について
ご意見いただけるとうれしいです!!
トーマの死はユーリの罪を引き受けるため・・という解釈は初めて聞きました。読む方が様々に解釈していくのも、それはそれで良いことかと思いますが・・
私はトーマはある意味、天使のような役割だったのかなと思います。自分の死によって「何をしようとあなたは無条件に愛され許されている存在なのだ」ということをユーリに気づかせたかったのではないかと。
西洋人の中には根深く「罪悪感」があるようですね、日本人には少し理解できない感覚ですけど、そうみたいです。
ユーリはほんの一瞬でも悪魔に魅了され神を裏切った自分を許せず、心を閉ざしますが、トーマはそんなユーリに「何があっても許す愛情」を死をもって示したように思います。
こうなるとトーマは、非常に大きな愛を表現するシンボリックな存在だったのかな・・と。そういう意味ではQpさんの感覚とかぶる・・かもしれないですね!