月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

郷里のお盆は、線香とスイカの香り

2012-08-16 18:50:16 | ご機嫌な人たち

8月13日。

今年もお盆がやってきた。あっちの世界から懐かしい父や叔父さんやおじいちゃん、おばあちゃんが賑やかに大移動して、
私たちの元へ訪れ、たわいのない暮らしを見に来てくれる、サマー行事(お盆の里帰り)である。

お墓参りは、あいにくの曇り空だった。
灰色の空が湿気を含んで重く、周囲の山々もシンとしてきたので、
「はやくしないと、夕立がくるよ」と母にせかされ、「うん、ほんまやね」
といいながら、盆のお花の入れ替えや水をくむ作業、
新聞をまるめて線香をつける準備などをするうちに、
なんだが山里の郷里の気持ちいい澄んだ空気に包まれて、
ノンビリとした心地になったのがいけなかった。

あっちの墓園、こっちの墓園からひそひそと人の声がささやかれ、
線香の煙が高くあがり、ぼんぼりが灯る。
大切で、貴重な一日。絶対に忘れてはいけない夏の墓参り。

「ああ、あんた、政市っちゃんの奥さんかいな。はよ亡くなってしもうてなあ~」
「そうですわ。ほんまにねえ、おじさんもお元気ですかえ」
と母がのんびりとした口調で応えるやいなや、
突然、ポツリポツリと天から雨水。
すると見上げる間もなく熱帯雨林のような激しく打ち付けるスコールだ!

傘もなく、仕方ないので母はビニールシートをかぶり、
私は夫に雨合羽を渡され、大急ぎで残りの線香に火をつけて、
大きな蓮の葉にお団子と米、キュウリとナスをさいころ状に刻んだお供えを置いて、
サッと10秒だけ手をあわせて、という実にせわしないスタイルで、
父と先祖代々のお墓を後にした。


そうして、次に八鹿から日高町へ。

今年も101歳のあばあちゃん(ひなさん)に会いにいくことができる幸せをかみしめた。

介護用ベッドに横たわり、そのまま寝返りすら打つことができず、
パンパンに腫れた足を痛くても動かすこともできないおばあちゃんが、
びつくりするくらい小さくなって(足は20センチ)、
くの字にきれいに腰をかがめて
目をほんの少しだけパチパチして、驚いた表情でこっちを見ていた。

昨年の7月、おばあちゃんは、熱中症にかかって心筋梗塞までおこし、
1週間も飲まず食わずで目をさまさない状態が続いたというのに、
よくぞ1年頑張って乗り越えてくれた。
「年齢は100歳でも内臓年齢は80歳よりまだ若いから、まだまだ大丈夫」と
心筋梗塞で弱った体に点滴をいれながら、地元の医者はいったという。
本当に心身ともに強く、並々ならぬ根性のある、明治のおばあちゃんだ。

99歳まで、おばあちゃんは日課として、
朝と夕には20分の道程を畑まで小さな車をおして歩いていって、
簡単な畑仕事や草むしり、害虫とりをこなして、
乳母車に収穫したジャガイモをどっさり積んで、家路まで一人ポツリポツリと
帰ってきていたという。

自分に甘くない分、人にも厳しく
はなから掃除嫌いで怠慢で人のいいお嫁さんをよくなじったとも聞く。

家では暇さえあれば雑巾をもって廊下をふいて、玄関先をはいて、
用事がなかったら、新聞を端から端まで虫眼鏡で2時間以上もかけて読む、
そんなおばあちゃん。

昨年、つまずいて頭を激打しなかったら、きっと私たちを見て微笑んで「よくきたなあ」といってくれたはずである。

昨年の夏は、それでもなっちゃんが筆談用の手紙を沢山書いて(耳が遠いため)渡すと、
それを毎日離さずに、出しては読み、また出しては読みとしていたそうである。
読むことが好きな人である。
こんな風に書くと、もうこの世にはいないように思えてくるが、
101歳になっても、たとえ寝たきりでも
おばあちゃんは、不自由な身をなげくこともなく、ちゃんと、生きてくれている。

赤ちゃん用のぼうろやスイカを小さくして口に入れようとしたら、
しっかり口をあけて、咀嚼していた。
おう盛な食欲だ。
よく眠り、くしゃみも大声。蛾が部屋に入ってきたら、なんだよ、という表情で
目をぐるぐるさせて追っていた。

私は「ありがとう。ありがとう。おばあちゃん、よく頑張ったね。
よく頑張るね。偉いね。ありがとう」といいながら、
肌がすけて見える白髪頭を何度もなでた。
それくらいしか、言葉がみつからなかった。

ふと仏壇の前に備えられたおばけのように、でっかいスイカが目にはいった。



おばあちゃんの長男である75歳のおじさんが、畑で収穫してきたのだという。

「おばあさんが畑仕事に精を出しているときには、農業には目もくれない人だったのに、今年はこんな大きなスイカやウリや、夏の野菜を、いっぱい作るようになってなあ」とおばさん。

「さすがは血筋だね。おじいさんは村一番の作物を作るのが上手だった。おばあさんが作れなくなったら、畑や田んぼに足が向かうようになって。びっくりするなあ」と付け加える。
関心する母、安堵する表情。

照れくさそうにニコニコ笑ったおじさんは日焼けして、
頬もおでこも黒くテカテカに光っていた。
おじさんは、毎日土にふれ、大事に作物を育てながら、おばあさんがこれまでやってきた一つ一つの仕事に敬服し、おばあさんの今日までの日々を回想し、愛情をもって、
農作業に精を出されているに違いない。
そう思うと胸が熱くなった。

翌日、おばあちゃんの家から
でっかいおばけのようなスイカを頂いてきたので、思い切って包丁を入れた。

すごい赤、すごい水分、糖分もギッシリ入っているが、野菜独特のしゃり感もしっかり。
中ノ郷のおばあちゃんが作っていたスイカと、よく似た懐かしい味だった。

ありがとう、おばあちゃん。今年もお盆がきたね!
















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