月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

初心に立ち返った、8月最終金曜日。

2013-09-02 21:58:13 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


きょう(2013年8月30日)は、企画書やら原稿書きやらに追われて、午前中に半分提出し、
急いで銀行へ行って、焦って帰って「あまちゃん」みて、
それからまたまた原稿を書きながらも、「あまちゃん」の映像と天野春子の言葉にならない切なさが、喉の奥らへんにこみあげてきて涙がとめどなく出て、
テッシュで拭きながら、しまいにわぁわぁ泣き泣き原稿を書いて。

あれ?なんでこんなに泣いているんだろう。(そこまで激しく泣くのは変だよ)と思い、
きっと私はなぜだかとても泣きたかった心境だったのだと気付いてしまって。
気をとり直してリビングだけちゃっちゃっと掃除機をかけてお茶を飲み、それから企画書を1本出して、コピーの修正をし、
3時半にお風呂に入って、
4時すぎになったので大急ぎで準備して大阪編集教室のOBOG会に出掛けたのだった。

目的地に着く前に、友人のかおりさんと待ち合わせし、ヒルトンプラザウエストの2階でお茶をする。




ここは雑誌が豊富でソファーの座り心地がよく、大きな紙もザッと広げられるスペースもあるので(おまけに空いている)、
よく打ち合わせに使う、お気に入りのカフェだ。

互いの仕事の近況を語り合い、たった今しがたまで奈良で打ち合わせしていらしたかおりさんの仕事の話なども伺いながら、
なんだかとても良い気のオーラに包まれたまま、会場である谷町4丁目の居酒屋へと向かったのである。

大阪編集教室は、私が3社の広告代理店や広告制作会社でコピーライターとして勤務(11年)した後、フリーランスになる前に扉を叩いた教室だ。
大学の3~4回生の時に秋山晶や仲畑貴志に憧れてコピーライター養成講座「宣伝会議」に1年通い、
そこでの学びも面白かったが。
しかし、「大阪編集教室」は実際に経験を積んだ後の学びとあって、講師の先生がおっしゃることが噛んで飲むようによくわかって、実に実り深いものになった。
今現在もお付き合いのある友人も沢山出来たし、なにより週1回(土or日)の授業は毎回ワクワクした。

取材の仕方、取材記事の書き方、コラム構成のポイントや作成、
ルポルタージュの事実と考察、描写と言葉、
コピーの視点、発想、語り口。企画の立て方…。

第一線の講師による講義(前編)にとどまらず、毎回課題が出て、翌週に提出。
それらをまず提出者自らが企画意図などを話し(要するにプレゼンの練習だ)、
次にクラスの受講者たちが1人1人の、1点1点の課題について批評してくれるのだ。
シメは、講師が丁寧に批評と添削をして皆の前で指導いていただく。

ほんとうに何気なく仕事をしていた10数年よりも、課題発表の時には緊張した。

私の作品は、多少経験もあったので講師の先生がよく取り上げてくださって、
褒めてももらった。

「こうすればさらによくなるゾ」
「いや、ここは常識を破り、こうおめてみるのも妙案ですね」
「文は、人なり。だから心で書きなさい」
「点や丸を使いすぎない。ひと息でよませなさい」
「書き直し、何度も推敲するほどにコピーは、必ず進化する」

心の温かい講師陣が多かった。
それで卒業作品「花ぎれ」では調子に乗って1人だけ2作品も提出し、
それもトップで掲載してくださった(仕事現場では劣等感を抱くこともあったので、自分の作品に少しは誇りがもてた)。
毎日新聞記者だった小林先生の涙をこぼして共感してくださった一言。
そして、松岡先生の辛辣な語り口など、今も宝物のように大切に胸にしまい、
時に取り出して浮かれた心持ちの戒めに使わせて頂いたりする。

さて、OBOG会。
先生方、在校生、卒業生と総勢40名が集まり、居酒屋で飲んで食べて、仕事の情報交換や談笑で3時間。
わたしは友達のかおりさんと隣同士だったので大船に乗った気持ちで、主に講師の先生方と同席で。それでもそうおじけず打ち解けあい、愉しい時間となった。
特に、かおりさんをはじめ日本酒好きのメンバーがたまたま集い。あとで利き酒会となり、これがめちゃ、その場を盛り上げた。

「宝剣」「東一」「東洋美人」「久保田」をまわし飲み。
日本酒は深い。舌にのせると米の旨みともに、甘味や余韻がそれぞれに違う。
飲む時の温度でも違うし、そして舌と喉を過ぎて溶けてなくなってからの深みがまた違う!旨いお酒だなぁと。
素人で、よくはわからないなりに、それでも日本酒が旨いものだというのは、わかるようになった。
ま、利き酒師のかおりさんのおかげだ。
彼女のうんちくがまた、鼻につかず嫌みなく、重要な情報を的確に教えてくれて面白い。講師も満足して談義してらっしゃった。

このあと、同期の男の子とかおりさんと私とで2軒目へ。そして再びの乾杯!

私にとっては何もかも懐かしくて愉しくて!スッキリほろ苦のライムトニックのような時代。
あれから約12年か…。まさに古里のような学校。母校だ。

もう一度角度を変えていろいろなところを軌道修正し、書くことを再びはじめた第二のスタート地点だ。
3回目の会社を退職した時に、
「ここを本当に辞めるのなら仕事人生は捨て、家庭の主婦になるんだという、それくらいの気持ちがあるなら、辞めなさい。
そうじゃないと辞めさせない! あなたには仲間がいるんだから。あなたには責任もあるんだから」と上司の女性に言われた。
それでも家庭の事情から推しきって辞めさせていただき、そして書くことも最終的には手放さない選択をした自分。

フリーランスになってからのほうが仕事は俄然面白くなった。
1本のコピーにも、広告代理店で100本ノックをしていた時代(20代)より、
朝から昼から晩まで、何日も考えに考え、ことばに生命(いのち)の息を吹き込み、
愉しんで苦しんで、商品の価値を探せるようになった。
媒体や企業情報誌の編集では特集記事を主に担当させていただけるようになり、パンフも含めて1冊(ツール一式)まるごとのオーダーが増えた  (今はどうだろう。挑戦が減ったか…)

それもこれも、あの教室で出会った大きな懐をもった講師陣や事務局の方々、
仲間たちとふれあった時間や悩んだ数々が礎になっているからこそ。
忘れてはならないと思う。

初心、に立ち返った8月の最終金曜日。
そして今、あの時とは違う角度から、焦り始めている最終金曜日でもある。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿