月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

コミュニケーションは大事か行動が先か

2020-07-31 22:48:00 | コロナ禍日記 2020




 

 

 6月6日(土曜日)晴れ

 

 昨晩、夕食のあとに「台北ストーリー」という映画をみた。80年代半ばの台湾・台北を舞台に、過去のことが心に引っ掛かっている男と未来を夢見る女のすれ違いを映す。

 

エドワード・ヤン監督作!映画『台北ストーリー』予告編

 

 日本のあの混沌として、突っ張って生きることが美学とすら思えていた陰鬱な時代。ファッションやカルチャーが台湾も日本もよく似ていた。カラオケバーなどで集まってはくだらないことで笑い合って、人間が抱えている澱や空虚さを吐き出す。他人と寄り添いながら、なお寂しい人たち。この時代は小説もそういうものが多く、今読んでも惹かれるものがある。

 

 映画のラストの展開に目が離せなかった。結婚というかたちで、いきる道を模索した女性、「考えさせてくれないか」と女をおいて、出ていき、その女のまわりをうろつくチンピラみたいな男とけんかをやりあい、ふりきったと思ったら、最後に刺されてしまう男。路上で刃物を突き刺されたまま、死んでいく姿をあわれにも俯瞰でみせられ、自分の人生の振り返りを悲しく回想するーー。こんな風にやり残したまま、果てるように死んでいくのかあっけない、と思いながら息絶えていく姿に。どこか焦るわたしがいた。

 7時に起きてヨガ、瞑想。

 

 昨日の余韻をひきづっていたのか。朝、起きたら、いろいろ昨晩までの仕事のことや友人関係などの思うところを、手書きでノートに書きつけていて、それについての思うところや、なぜだろう? ということを勝手にしゃべっていた。

 パパさんは、受け止めて、うん、うんとうなずきながら、シャワーを浴びにいく。誰もいなくなったあと、自分で考えてみる。ふとパパさんが何をいいたいのか、考えたのか、わかってしまったのだ。

 

 風呂からでてきた相手に、こう思っているでしょ?と聞くと。そのとおり、だという。「すごい聞かなくてもあなたの意見がわかるのね」とわたし。

「暇なんやな。あれこれそんな余分なことを考える時間があったら。今、目の前でとりくんでいる中身のことを真剣に思考したらどうや」といわれる。あぁきっとそういわれると思うことをまたしてもいわれた。「議論や意見交換は不毛で、言葉にしたらそれで満足してしまうのが君だ。あぁだこうだいう前にとっとと、やれ!手を動かせ!」というのがあの人の心理。会社から帰宅して不機嫌な時には「口ばかり動かしてしゃべりすぎるやつのいうことは信用できない。嫌いだ」と日常茶飯事からぼやいているから。

 

 じゃあ。なぜわたしは話してしまうのだろう、相手に理解してほしいというより、自分でものいいながら確認したいのかもしれない。間違っていないよねと。それともどうにも話しておきたいのか。パパさんは少しストレオタイプすぎるが、きっと物言わず黙々とやる人なんだろうと思う(ま、地域の行事でもよく働くから)。

 

 

 お昼ごはんは、ほうれん草と卵のチャーハン。オニオンスープ。

 

 午後から机にむかうも、もやもらと不完全燃焼のよう。突然、大雨のなか、水蒸気がたちのぼる山と青や緑や紫のあじさいの咲く光景が浮かんできた。おそらく神戸森林公園あたり。想像力には助けられる。

 

 青森のりんごジュースを冷蔵庫からだしてきて、思い切って開封した。

あぁ、昨年、青森を旅した時に買い求めたりんごのにおいとみずみずしさ。おいしい。思わず、奥入瀬渓流ホテルがいま、宿泊できる状況などだろうか、と考えて検索した。

 いきなり、4時間くらい缶詰で原稿を書く。森のなかのあじさいと、青森のりんごジュースが救ってくれた。

 夕食は、しゃぶしゃぶ。(ししとう、しいたけをあぶってポン酢をかけったもの。お味噌汁。フルーツにりんご、すもも。

 15分くらいテレビをみたあと、1ヶ月前の日記をさーっと見直して原稿に。

 お風呂にはいって本を読み、1時半に就寝。

 

 



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