月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

白一色の田園にポツンと。「出西窯」のギャラリー工房

2021-02-10 19:52:00 | どこかへ行きたい(日本)

 

 

1月8日(金曜日)

 

車窓からの雪は、極寒の風に吹きあおられて増え、舞いながらさらに生命が生まれていくよう。やがて一面が雪だらけになった。

 

出雲から松江方面にむかって車を走らせ、斐伊川を越えたら、のどかな田園風景が続いていた。

お目当ての出西窯は、日本家屋風の思いのほか小さな工房だった。「スタッドレスタイヤを履いてはいるが高速道路が立ち往生になるといけないから、早めに切り上げてね」

と、パパさんに念押しをされて、ギャラリーの戸をガラガラーッと横にあける。

 

「用の美」。日常の暮らしの中で育て、惜しみなく使って生かす手仕事の美しさをいう。こういった民芸が好きで、河井寛次郎記念館や大山崎山荘美術館や、東京の日本民芸館など、機会があるたびに訪ねてきた。

 

だから「出西窯」を訪れるのが楽しみでたまらなかった。

(平松洋子さんの出西窯を書いたエッセイをどこかで読んでいたのも影響していると思う)

 

 

 

 

ある書物によると、出西窯の作家たちは安来市出身の河井寛次郎に指導を受け、その繋がりから柳宗悦や濱田庄司、吉田璋也、イギリスの陶芸家バーナード・リーチらと交流し、大いに影響を受け、用の美とはなにかを教わったとされていた。

 

そんなことに思いを馳せて、一階を一周まわり、二階もぐるっとまわって、眼を慣らしてから再び一品一品を丁寧にみた。なるほど想像していたものよりもシンプルな品が多い。作家のネームは書かれていない。それで、出雲の土や色に注目してみた。

手に持って馴染むかどうか、口を付けたときに柔らかい入り方をしているか。色は、かたちは、佇まいは。何をどう料理に使おう。テーブルに盛った時のイメージや料理のことに思いめぐらせるうちに、だんだんと楽しくなってくる。

器とは、ある意味、着物のようだという人がいる。人を、料理を、ひきたたせるという意味なのだろう。絢爛すぎる色は、素材を選ぶ。そういった意味で、最初にまわった時には鮮やかすぎる瑠璃色の器は敬遠しようとしていた。むしろ、白磁や黒に振ったほうがいいと。

 

ただ、家に帰ったらやはりこの「出西ブルー」が恋しくなるのではと思い、灰の色を器の縁のところにめぐらせていた「縁鉄砂呉須釉皿」の7寸とスープボウル、それにブラウンの砂糖壷を購入した。

白の塩壷はもともとBsshopから購入して持っていたので、これでペアが揃ったわけだ。

Nは渋めの黒のモーニングカップを買っていた。






この流れで出西窯と同じ敷地にある、ベーカリー&カフェの「ル・コションドール」へ行く。ここが、とても良かった。コーヒータイムとするには、あまりにも居心地がよく、コーヒーがおいしく、パンを数種購入したほか、ランチやケーキまで頂いた。料理もレベルが高い。大満足!

 

 

 

カウンターからむかって正面(山側)には、大きな窓を借景として、木々や屋根に白雪がふわりふわりと降り積もるさまが存分に臨め、美しい。おまけに、この後Bsshopで黄色とピンクのセーターなどもみた。

 

松江にも立ち寄りたかったし、出雲蕎麦にも惹かれたが今回はこれにて退散。

 

 

いつのまにか、周囲が見えないほどの猛吹雪に。みるみる田園や山が真っ白で、長靴一杯分はゆうに溜まった。

 

大山連山や蒜山高原では、休憩途中に雪投げをする。町のどんな屋根も、花片のような薄雪が軽やかに舞い降りて、やがて重く一面を覆い尽くし、空気ごと白にたちこめていく。