月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

恋、焦がれる「感触」。毛のぬくもり。

2014-03-25 23:35:52 | 今日もいい一日




私の好きなもの、の中に“香り”とか“気配”の要素は大きいのだけれど。

肌ざわりとか、感触というものに。このところ、惹かれている自分に気が付いた。
5年程前から、たいそう好きなものが「リネン」。
「LIBECO HOME (リベコホーム)」のホワイトのシーツは素晴らしい。

神戸のフランジュールという店で買い求めて以来、
ピローケースにシーツ、掛け布団カバーなど一式と、
そして、フランジュール製の「リネンパジャマ」を肌に直接着て、毎日、幸せいっぱいで眠っている。

肌ざわりは、改めて言葉にすることもないのだけれど。
ヒヤッとして。冷たく。清潔。いつ触れても「パリッ」と。「シャン」として、「潔さ」のようなものがある。だけど、いつのまにか体温と一緒に溶け、
ぬくもりへと変化するところが特にいい。

「リネン」。というと、まるでヨーロッパの繊維のようだが、(そのとおりだけど)

「リネン」になる前は、草っぱらの中で茫々と繁っている亜麻科の植物なのである。
麻よりも柔らかくて強靱。草(植物)のもつ、自然っぽさ。
しなやかで、細いのに、強いところが好きなのかもしれない。

「リトアニアリネン」、を手にするたびに、リトアニアという小さな国に行ってみたくなる。
(以前、某機関誌で「リネン」の特集を書いたことがあって、その当時はリネンのことを、いろいろ調べたことがある)






そして、今。まさに。
毎日はまっているのが「毛」なのだ。

(キャー!と思わないで)
「毛」というのは「皮」と同様に、「気負い」というか「覚悟」がないと着られないもの、と思っていた。
獣の皮を着るのは、どうしたものだろうと。「殺生」という字が、まぶたの裏で見え隠れして。
小さな罪の意識を感じ、この先、自分は毛皮のコートなど着て生きていかなくても、いい生活をしていこうと誓っていたのだが。
この年齢になってみて。少し、意識が変わった。

「皮」が素晴らしいように、「毛」は温かくて、穏やかだ。
着るというよりも、包まれているほうが近い。
頬にふれ、首にふれ、手で撫でるにしたがって、ほんとうに癒される。
「皮」も「毛」も、着ているうちにいつのまにか自分の体温と馴染んで、
溶けていくような。生々しい歓喜、があるのだ。

特に昨年。兵庫県氷上郡にある「橋本毛皮商店」さんにお邪魔して依頼、「毛」に対する意識が変わった。

実は私、5年程前に、ものすごく気に入っていたショールを自分の失態で「断・捨・離」してしまい、
それから焦がれて、焦がれて。何年もかかって探し求めて。ようやく辿りついたのが、その製造元の「橋本毛皮商店」

どんなところかと、怖々訪ねてみると。
まあ、これが…。
工場内は世界中から集められた生きものの気配がたちこめ、言葉もでない雰囲気。息をのむとはこういうことかと。
















もうグロテスクの極地。耳も手もそのままの獣たちが、
狭い小さな倉庫のようなところで、恨めしそうに、吊られていたのだから。
怖いというよりも、異様だった。ダラリと垂れ下がっていた毛は。
それでも「死体」というように感じなかったのは、加工の作業が約80%行われていたから。
それで、マジマジと毛と見つめあうことが出来たのだろう。

不思議なんだけど。人はその環境にしばらく身を置いていると、その場に馴染んでいくものである。
40分もその場にいると。
当たり前のように、「毛」が、私の前にあった。












毛皮、というよりも「毛」。
それらを、手でそっとふれると、ふわっふわ。ふわっふわで。
とてもきれいなのである。毛が光っている、ものが多くて。ツヤ感がみえてくるようになった。

そして
「やさしいんだよね」。
ほんとうに「ぬくもりがあった。「毛」の中の空気、そのものに。


それから、一度取材で訪れて、
2カ月後。オーダーメイドで2点つくってもらいました。
それが、これ。






フィンランドのたぬきのショール。
そして、シルバーホックスのベスト。

ショールは内側の毛が、
うぶげみたいで柔らかい。以前、断・捨・離したものよりは、もう少し柔らかい。しんなりとした毛だ。


今年になってから、家に一日中いて、原稿を書いている日が多く…。
そんな時には、ほとんどの日。
この、フォックスのベストを着て、
机に向かっていました。

ベストを着ると、娘のNは、なぜか気が狂ったように突進してくる(犬年だから)のがやたらおかしい。じゃれているつもりなのかもしれない。

それに、ほんとうにあったかい。人肌ならぬ、毛肌…なのだ。

でも。もう、春だからねー。そろそろ脱がなくては。そう今日夕方に外を歩いていて、春の空気を吸ってそう確信する。
さみしいけれど。さみしいな。この頬にあたる「ふわっふわ」。がいなくなるのは。


そう思って。だから今、この「毛」のことを書いてみたくなったのでした。