月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

酔っ払いの言葉がこれほど重いとは。

2014-03-03 00:12:46 | 今日もいい一日







(イギリスのNから送られてきた写真拝借)



時々、思う。自分はなんのために生まれてどう生きることが
自分の役割なのだろうかと。与えられた役割を果たしているのかと。
最近のNのブログをみて、
娘のNを19歳まで育てたこと。
これが自分の最も大きな働きかな、と思ってみたり…。


モノを書くという仕事。22歳で大学卒業してからずっーと生業としてきたけれど、これほど長く続けられただけで本当は奇跡のようだが、
それでもまだ死ぬまで「モノ・コト」にこだわって、考えて、想いぬいて、それを発信することを諦めたくないと思う。
小倉遊亀さんのように。
宇野千代さんのように。
そして森瑤子さんのように。

自分の命が閉じる時まで、諦めたくないと思う。
私が私を諦めない。
最後まで自分を見捨てたくはない。
けれど、私ったら思うだけでそれだけの「覚悟」が、できていたのだろうか。
日々の忙しさに。日々仕事を与えられることに、甘えていないか。
「覚悟」をもって、その目的に突き進んでいるのか。「行動」しているか。
ちゃんと世の中の役にたっているか。(ここのところ、どうも自分の脇が甘い)


昨日。酔っ払ったパパが私に言った言葉が気になったので
書き留めておこうと思う。

あの人は、うちの母と正面きって喧嘩した時があって。その当時、母がいった言葉が今でも忘れられないのだという。
「それを聴いた時、申し訳ないけれど離婚しようかと思った」そうである。

あの人はまた、
私が「人からの庇護のもとで、のうのうと暮らすようなそんな真似ができる人じゃないと信じたから」
結婚したのだという。
「自分で稼げる人、もしくは稼ごうとする人」、と思ったのだそうだ。
はじめて聴く「離婚」と「結婚」という言葉にもビックリしたけれど。
酔っていたとはいえ(毎日酔っているが)衝撃を受けた。
そして、それ以上にビックリしたのは
「あなたは自分の世界を持って、ずっと発信し続けられる人だと思ったから
結婚しようと決めた!」のだそうだ。(えっ、そうなの?)

もう二十年以上一緒に暮らしながらも、会話も少なくて(討論好きな私と、人と話すことが嫌いな人だから)。
だから、こんな言葉ははじめて聴いた。

「人との摩擦などそんな小さなことにくよくよせず。小さなとこでの評価にも怯えず。
むしろ、そんな無駄なコトに時間を使わずに、自分の世界を大事にして生きたほうがいい。もうあと50年も生きられるわけじゃないのだから」
「ま、あなたの家系の女性は強いから。長寿の家だから死にませんがね、簡単には」。
といったあとで、いつものようにテレビのほうを向いて首をたれて眠ってしまった。

酔っ払いの言葉がこれほど重いとは。
あの人は、例のJR福知山線の脱線事故で5両目に乗車し、大事故にあってから
いろいろな細やかな心身を失ってしまったのだと思っていたけれど。
それでも、まだ私のことを諦めずに。そして私は私らしく自由に生きていいと言ってくれているのだと、そんな風に理解した。


先日は、長田と大阪での取材のあとで夕方、「はじまりは5つ星ホテルから」を観る。
(フランス、スイス、イタリア、モロッコ、ドイツ、上海の街と5つ星ホテルが登場する。
旅と友情、仕事をテーマにしたシネマ)





私は孤独な人なので、孤独な女性が葛藤して生きている姿を影像の中で観るのが好きである。
人の生き方を俯瞰することが、とても好きなのである。
それはある種、なぜだろうか、と思っていたけれど。

それでも。自分はやはり幸せなんだと思う。
毎日が、ありがたいのだと思う。
全てが恵まれて、ここまで来たのだと思う。
(世の中の幸福を書きたいな)
もっとあれこれの雑多を陶太し、雑音は日々クリーニングして、
そして「覚悟」をもって生きていこう。そう危機感をもって。


(なんだが私も酔っ払いみたいな、たわごと、みたいなブログに。
申し訳ありません…陳謝)。