月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

Locus of my days

2014-02-16 20:37:36 | 春夏秋冬の風



昨日の雪は降り止んでも、今日も風が冷たい。
それでも山は、もう春の準備を始めている。
木々がピンク色にぼんやりと色づいてきたから。

昔、学校の卒業式とかで、誰かがいっていらした。
「サクラという花を染めるには、
あの可憐な花びらをどれだけ集めても染めることはできないのです。
サクラの花が咲く前の1・2カ月前。
冬の最中にあって、サクラの木々は花の準備をはじめています。
木々がピンク色に。ほんの少しの時期。色が入るんです。
枝の中に、そうサクラ色の準備がはじまるんです。
それを染料として採ってサクラ色に染めています」と。

私はこれを聞いた時に、驚きとともに
サクラの花だけではなく、木々そのものを見るようになった。
桜の木、樹皮や芯材、小枝、花芽。樹齢150年もいきた木々でも「若さがあって素直」な枝でないといい色には染まらないそうだ。



さて、Nがイギリスに旅立ってからもう6日目になる。

仕事はそれなりにあって忙しくしているのだが、
それでも、なんて日々が味気ないんだろうか。
一日のうち、僅かな時であっても
「キャッキャ!」と盛り上がる相手がいないというのは、やはり味気ない。

そういえば、Nがお腹にいた時(妊娠中)それはもう、幸福で幸福で。ばかばかしいくらいに、世界が美しく見えた。

夏の楓の色、土のにおい、通り雨、夏の花火…。
お腹が前にどんどん迫り出してくる10月10日まで、ものすごい元気で。あちらこちらに行きたくて仕方なくて、めちゃくちゃ、いろんな人にあつたし、活動的な妊婦だった。

食欲もすごく旺盛で。
たった今、自分がおいしいものを食べていながら、次に何を食べようかと想像を巡らせて、ともかく食べたくて。食べられることがうれしくて、仕方がなかった。

体の中に「生命」を宿すというのは、これほどに
自分が生命力をおびるのかと、とても神秘的なものを感じた。

そういえば出産の前日。陣痛がやってきているというのに、
入院中のベッドのなかで
「いちじくと、苺のショートケーキ、プルーン…。それから、ま、なんでもいいから私の好きそうなもの買ってきて。
出産を終えたら食べたいの。お願いね!」とパパに張り切ってリクエストしたのを思い出す。

それが、実際にNが私のお腹から抜けて出た途端に、
一気に夢が覚めた。
まわりの景色はそれなりにキレイには見えるけれど、浴びるほどの幸福な気持ちが、消えた。
Nがすぐ横にいて、わくわくはするのだけれど
Nがお腹にいた時のような活気が消え失せた。

出産後、ものすごい好物オンパレードを持ち運んだパパは、
「ごめん、もう欲しくないの…」と私がいうのを聞いて、肩を落とし、ため息をついた。

今、ふとそんなことを思い出す。
あれは、Nがお腹にいて、私の中から食欲をかきたて(食べ物を欲求し)。
Nのパワフルな好奇心!元気が、あれほど私を突き動かしていたのだろうかと思う。


毎日、淡々と仕事をして、充実はしているのだけど。
世の中がえらくシーンとしている。盛り上がらない日常である。

それでも最初はえらくNのことが心配で仕方がなかった。
3日もSNSが繋がらず音信不通だと、あれこれよくないコトも思ったりして。
だけど、3日目の朝。NからLINEが。
それから彼女のブログアドレス(留学を機会に開設した、Nのブログ「Locus of my days」 )が私とパパのもとへ送られてきて、不安は安心に変わる。



一日目から、すでに五日進んでいる。


すごいなぁ~。世界は近い。
イギリスのノリッジまでは、9時間も時差があるのに、
その時差を飛び越えて、「今」にすぐ繋がる時代なのである。

ほんの1カ月ですが、旅立ったNのこと。イギリス留学渡航の日の朝。

2014-02-10 22:12:21 | 春夏秋冬の風

昨日は、一昨日の雪とは、うってかわって暖かいぽかぽか陽気だった。

そして、娘のNがイギリスのイースト・アングリア大学(ノリッジ)での語学留学のため、
旅立っていきました。





関西国際空港から、アムステルダム経由でノリッジまで。約13時間の渡航。
飛行機は、オランダ航空。白と水色が鮮やかな、さわやかなカラーの飛行機。





本当はこのところずっと取材やら打ち合わせやらが続いていて、
原稿提出までの時間が迫ってばかり。なのでママは玄関で
「いってらっしゃーいね!」「パパが張り切っておくってくれるよ」と
念押ししていたのですが、
朝。目覚めると心がざわざわ。目がパッチリ。
オリンピックもなんのその。
結局、夫婦そろって1人娘を空港までおくっていき、
大学の先生への御挨拶まで済ませて、



展望ロビーに車で異動。





2時間半も待って。
結局、Nが乗り込んだ飛行機のお腹をほーっと確認して、
あ~、いっちゃったよ…と、関空から車で帰ってきたということなのでした。











それからの気分は。小春日和を感じながら
光がキラキラしているのに、
めちゃくちゃ、ぼけーとした空気感。
そこで、逆瀬川の「高山」という焼肉屋さんで、夫婦で肉をたっぷり食べて、景気づけをしてから帰宅となりました。

ここはまた、おいしい店コーナーで紹介しますが、
伊賀牛が1700円で食べられるランチが好評の店。

1度、Nと夜に焼肉を食べにいってからの2回目の来店。

伊賀牛。神戸牛とはまたひと味違って、
肉質がしっかりしてジューシー。自然な甘さがたまんない。




売布の「ぷるこぎ」より、もしかしたら美味しいかも。
以前の夜よりも、なぜかロースの柔らかさというか肉質の味に
おー!となったのでありました。
(私はロース定食。パパはバラ定食)、

ほか、キムチやナムルのお漬け物、わかめスープやサラダ、デザート付きなうえ、



普通によい伊賀牛がで食べられるので、満足(おそらく伊賀牛かと)
また行こうと思います。
国産のブランド肉はうまいです。


さて、今日は一日静かだった。1人だとどうも盛り上がらない。
Nとボケあうことも、はしゃぎすぎて踊ったり、笑い合うこともないので、
一人で黙々と仕事していました。


これから淋しくなるのか、お気楽になるのか、サッパリ見当つかない。
けれど、本人はといえば、のびのびとした笑顔、愉しそうでした。良かった!

1月中旬頃には、私へのサービスのためか、赤ちゃんのように
すりよってきたり、「ママー」」「ママー」が続いていたので(あの年で赤ちゃん返りか!)
(お風呂も5日連続で一緒に入って…。)

前日にはホストマザーにつくるからと、
肉じゃがや温野菜、などのお料理もふるまってくれて、
性格のとても、とてもよい子なのであります。

昨日は、オランダ航空のフライト状況を仕事中に5回目くらいチェック。
(あー、そろそろアムステルダムね、とか)。
そして、深夜の2時40分頃「無事ノリッジ着陸」という
テロップをみてから安心してベッドに入ったのです。
いやー、大丈夫と思ってもやはり心配で。

しかし、わが娘とはいえ、いいなー。
ロンドンから1時間半。治安最高のノリッジだなんて。
さぞ、英国のアフタヌーンティーはおいしいことでしょう。
月曜日は朝9時から授業~5時半までビッシリ。土曜日は観光がスケジュールのなかに。
最終日は2日間、ロンドンの古城や博物館を訪ね歩くとか。

そして、ホームスティ先のマザー(一人暮らし)は大きなお庭がご自慢。
「マーガレットハウエルさんの家」
などの本を書棚からだし、なるほど、と思いを馳せております。疑似体験です。

それより、私もNに負けないくらいのびのびと羽を伸ばして、
いい時間にしなくっちゃ!
そしてちょっと本気で稼がなくっちゃねー。



一陽来復。 明けましておめでとうございます。

2014-01-01 16:35:50 | 春夏秋冬の風

2014年、明けましておめでとうございます。

ただいま車中、1月1日。夕方の4時。
播但自動車道~山陽自動車道をひた走る最中であります。
そして、天空の城 竹田城が見えました~。ヤッター!
清々しいなぁー。初日の出は素晴らしかったことでしょうー。
地元では膨れあがる観光客に、うれしい悲鳴なのか、哀しい悲鳴なのか。


実家から実家へ。山陰の陰鬱とした日本海からあと4時間で、日本一温暖な気候を備えた山口へ‼‼
31日から3日まで実家横断です。



こちらは今年の年賀状であります。
29日の深夜2時からかかり、
速攻でコピーと写真を。一夜漬け作成。


それを、いつもお世話になっているデザイナーさんが、ちょちょいと1時間で組んでくれました。
ありがとう。 ありがとう。


皆様にとって、ステキで
愉しい一年になりますように。
今年もよろしくお願い申し上げます。

「アンデルの日々手帖」も、あわせてよろしくお願いします!!!



















11月に咲いたソメイヨシノ、、

2013-11-16 21:06:44 | 春夏秋冬の風




11月11日の、ポッキーの日から季節が変わった。

秋から冬の準備。
夜空を見上げれば月も星も、信じられないくらいに小さいけれど美しい光を届けてくれるし。
街の灯も冬仕様の華やかさだ。


朝、またウォーキングするようになった。



空気がすきとおっているのが貴重で。

赤や朱や、黄色や、微妙に緑が残っている街路樹の小さな紅葉を踏みしめながら、ガサゴソ、ガサ、ガサ、と大地を歩く。

桜はすごい。4月には花を咲かせ、11月には葉っぱで魅せるのだ。

夜月に観たら、赤いサクラみたいで感動した。サクラの葉は、やはり赤い。



今朝、いつもの道を歩いていたら、ふと不思議な花を発見する。
赤の葉をバックグラウンドに、桜の小さな花が申し訳ないように震えながら咲いていた。

えっ?





なぜ、今頃。異常気象のせいかしら、それとも特別な品種!?

近い時期に植栽されたと思われる小さな苗で、ソメイヨシノのように見えたけれど。

隣を見ると




バラ。サクラはバラ科の花なのだ。

でも、不思議。
秋のサクラ。


冬支度をするようになって、また5本指の麻ソックスと絹ソックスと綿ソックスなどを4枚重ねてはく「冷えとり」をはじめています!
スパッツも2枚重ねで履くのです。
(今年で2年目)

朝は鉄瓶でわかした白湯をのみ、眠る時には湯たんぽをして休みます。
足元があったかいと、落ちつく。次の行動が順調になります。
手も同じで、洗い物のあとに桶に湯をはって浸けると、(手浴)幸せな心地です。












8月の初秋、風はもうヒヤッと。

2013-08-28 11:01:48 | 春夏秋冬の風


秋になった。風が違う。
夜になるとコオロギが鳴くようになった。ナツ熱くなっていたアタマがクールダウンしていくような、ほっーとした日々が続いている。

秋。と、一番早くに気付いたのはお盆前の8月11日あたりからだった。

この日は実家に帰る前に、どうしても仕事部屋を整理したかった。
帰宅した時、きれいなところで、新たな気持ちで始めたかったのだ。
窓下に面した本棚を全部一度出して、机回りのあふれた書類を整理して、半日かかって半分以上も処分した。

過去の作品をみると当時の自分の情熱や関わった人々のことが、まざまざとよみがえってくる。
いつになく叱られた痛い一言などもチクリと胸を指したり。
面白い仕事だった~と眺めたり。

そうして、わたしはそこから何を学んだ?少しづつ成長した?
まさか退化したんじゃない?と胸に手をあてては、問うた。

自分の心の底の部分と向かい合うとき、どんなに大好きな友達がいても(家族がいても)、やはり孤独だ。

自分のダメさ加減(理想の自分になれないとこや、計画無視や肝心なとこに気付いていないふりをする弱さ)が浮き彫りになって…。
あかんなぁーと小さな希望のかけらさえ、もうこの際一緒にゴミ袋の中に捨ててしまいそうになる。

そんな絶望的な時刻
陽が斜めに長く差し込んできた頃だった。
「つくつくぼうし…、つくつくぼうし…」と近くの木に蝉がやってきて一斉に2匹のつくつくぼうしが輪唱をはじめた。お見事!パチパチ。
ミンミン蝉やアブラ蝉じゃなくて、
もうつくつくぼうしなんだと、暑さでぼーとしながらも思う。

5年ぶりに咲いた、ブーゲンビリアが青空に揺れている。





夏が終わる。一抹の寂しさがあった。


昨日、郵便局まで書類を出してにいく途中、赤トンボの集団飛行もみた。
昼は入道雲が出ていたけれど、6時半頃に見上げた空は、薄い真綿のような雲がかすれた線を描いていて、
空はだいぶん遠くに感じた。




今日は、風が強い。
朝夕は肌にあたる温度がヒヤッとする秋の風になっていた。
夜、ベランダの物干しの留め金に吊り下げてあった郷里からもらったタマネギが、1コ、ゴロッと落ちた。

初秋。嬉々としてこしらえる夕ごはんが妙においしい!
コーヒーと一緒にチョコを食べたくなる。うん。自分らしい感覚が戻ってきた。

せめて。
普段の仕事も、スピーディーに仕上げられる集中力がほしいなあ。

少しの時間を大事にできないやつは
少しのお金も大事にできないやつ。

昔読んだエッセイにこう書いていた。

みうらじゅんは、いろんな「マイブーム」を、ずうっと長いこと、飽きずに 続けてきている人なのだか、その秘訣を聞くと

「飽きていないふりをするだけです」と。

飽きたといっては止めてしまうのは素人。飽きていないふりをして続けていけるのがプロなのである。
やっているうちにまたまた愉しくなっちゃったなんて、よくあることだもの。



9月になるまでに、
持ち物をもっと整理して、
家も自分も身軽になって、新しい月を始めたい!


夏の月を仰ぐ

2013-08-21 23:53:25 | 春夏秋冬の風


月からの視線というのを感じたことがあるのだろうか…。

夜、帰り路の途中で。仕事をしている時に、あるいはテレビを見ている時。
誰かがこちらを見ている、と感じて
ふと視線をたどってみたら、それは激しい月明かりだった。




誰?と思ったら月だった、なんておかしいけれど(笑)
それほど、月の引力というものを感じてしまう時があるのです。
ことしは、それにしてもよく空を仰ぐ。
きっと部屋のなかが暑いからかな、ひんやりとした外の空気にふれたくて、ベランダに出ては月を仰ぐ。

先週末。Nと「風とともに去りぬ」のDVDを改めて見直していて、ふと外があまりに明るいな~と感じたら、
窓の外すぐ近くのとこに月さまがおわしまし、光の帯が部屋中に濯がれていた。(ホントに窓のそばでこっちを見ているように)

8月13(火)日の深夜2時。
この日も娘のNとDVDを見ていて、最後の字幕のところにきてNが「流星群が見えるよ」というので外へ出てみたら(ぺルセウス座流星群かな)、光る流れ星をみた。
3本も見た。
流れる、と思った瞬間にスッーと強い雫となってダーと流れる。ひんやりとしたダイヤモンドみたいに。
そして、突然スッーとあとかたもなく消える。月は、星を見守っているかのように控えめだった。
ポキンと折れそうに細い月、切ないほどきれいだった。

月には万有引力があるのだ。満月には月の引力が最も強く、だから月をキレイにみせるという。
満月は出生率は高くなり、出血量が増え(血液や体液をも引っ張られるから)水分、栄養素や薬物、添加物など、何でも吸収しやすくなって。
人の感性だってものすごく敏感になるという。

月の引力なのか…!あの視線の強さは。

空や月を仰ぎ見て、すごいなあと思うのはやはり旅の最中で出会う月!

これまでバリ島や、バンコクや、オーストラリアのポートダグラスでみた(海辺あるいはプールサイドで)美しい月が忘れられない。

日本でみるよりもひとまわり大きく思えた。
ああ、この月こそは万国共通。
千年もそれ以上も昔からずっと同じこのたった1つの月を、人は見たのだと思うと胸がギューとつかまれたようになって、泣きたいような嬉しさ(ちょっぴりせつなくて孤独)が、こみ上げてきた。

昨晩も。とっても夜が明るいので、月を見ながら歩きたくなってNを誘って散歩に出掛けたのだ。
手を大きく振って歩いたら、風がひらり、ひらりと気持ちいい。
もう初秋だなあ。風。
きれいな月に吸い寄せられるように表に出たら、翌日(21日)が満月だったなんて。
満月が近くになると。わたしはカーテンをあけて眠る。
月の光、眠ってしまうのが惜しいほどに美しいのだから、せめてカーテンをあけて眠るのだ。
ずっと濯がれる光のなかに居たいからね。

2年ほど前にいわれたことがある。
あなたの守護神は月だと。だから月にむかって祈りなさいと。太陽じゃあなくて月に祈るのだそうだ。
そう、仕事でご一緒した年配の女性にいわれた。本当なのだろうか。その人とはもう会っていない…。

でもそれ以来、ずっとわたしは月のことを信じている。

賢者が残したこんな言葉がある。
「正しい行いをしていれば、世界が味方してくれなくても、宇宙が味方になってくれる」
素敵だけど、わたしはどうかな。
どうだろう…。











夏の午後、芝刈りの素晴らしさを知る

2013-07-20 10:33:25 | 春夏秋冬の風


「夏だった。それもほれぼれするような見事な夏だ。空にはキリッとした白い雲が浮かんでいた。
太陽はじりじりと肌を焼いた。
僕の背中はきれいに3回むけ、もう真っ黒になっていた。
耳のうしろまで真っ黒だった。

…(中略)

僕は車の窓を全部開けて運転した。
都会を離れるにつれて風が涼しくなり、緑が鮮やかになっていった。
草いきれと乾いた土の匂いが強くなり空と雲のさかいがくっきりとした一本の線になった。素晴らしい天気だった」


きょう7月19日という日は、本当にこんな一場面(上記は、村上春樹の短編、「午後の最後の芝生」の一節)を頭に浮かべるほどに、
きれいな夏の空。素晴らしい天気だった。

セミは午前中1時間だけ鳴いた。
目の前の山々は、絵の具を流したようなゴツゴツっとした鮮明な緑。
空はどこまでも、どこまでも、どこまでも続き、果てもない水の色に、
薄い雲を浮かべている。



もちろん「午後の最後の芝生」を本棚から取り出したのは、空の色がきれい、という理由だけではない。
今朝から、わが家のある敷地一帯では、芝刈り(草刈り、正確には植栽の剪定)作業が進められていたのである。
それはものすごい騒音だった。
芝刈り機が3・4台は働きっぱなしだったと思う。



最初は耳障りだなあ、全然、集中できない。原稿が進まない…、とばかりに、立ったり座ったりしてイライラ。

そして、仕事部屋とリビングのガラス扉を全部締めてまわったりした。
けれど、しばらくして、どうしても閉鎖された空間に窮屈さを覚えて、
再び、窓を開放する…。


そうすると、ふわっーと。
芝刈りの激しい機械音のなかに、

香ばしいといおうか、生々しいといおうか、草のにおいが一筋、流れ込んできたのだ。




わあー、いい匂い。なに?
天然の緑のアロマだ!
それから、全ての部屋を開放し、写真まで撮ったりして草の香りを愉しんだ。
そして、例の村上春樹の短編を突然、本棚から取り出し、ページをめくる…。

そうやっていると、
人って本当にいい加減なもので、芝刈りの音もなかなか、いい。
ナンテ気持になり、窓を開けたままで午後の仕事を進めた。
なんて贅沢な、と少しだけ特別な気持ちになりながら。
緑のにおいに包まれて…。





ふと、こんなことも頭をよぎる。
(全く先ほどの受けとは関係ないが…)


誰だったか文化人の方(コピーライターの糸井重里さん?)が
コラムで書いていらした。

「自分の年齢÷3」。それが今のあなたの時間です」と。

例えば、あなたが21歳なら、朝の7時となる。
33歳なら、午前中の11時。
じゃあ、60歳なら夜の8時…。


昨今、いよいよ自分の持ち時間を考える年齢になってきてしまった。
そして、午後の時間の美しさを、
しみじみと感じるこの頃であった。









朝活、自然の中のウォーキング

2013-06-20 23:46:04 | 春夏秋冬の風


6月というのに猛暑並みの気温が続いたかと思えば、ここ数日はモンスーンのような激しい雨が降っている。

今日も朝のヨガレッスンで「日本は亜熱帯のような気候になってしまって、いろいろ心配ですよね」と先生がおっしゃっていた。 

本当にそのとおり、日本に四季がなくなるなんてことになったら大変だ。

植物も生物もずいぶんと変わっていくに違いない。山の生態も繁る木々も変わるのだろうな。
私のデスクからは、今も六甲山脈にたちのぼる濃い水蒸気と白く煙る重々しい雲が、どんどん、どんどん、ものすごい勢いで生産されている。

雨、雨、雨。 
雨は新緑を、街の汚れを美しく洗い流し、毅然としてかっこよく降っている。
初夏の雨はいつだって清々しい。

私は子供の頃から、雨が天から降り注ぐのを(また土にしみていく様子を)みるのが大好きなのである。
自然を肌で感じられる街に暮らしていて良かったなあ、とほんとうに思う。

この街。18年住んだこの街には春になれば、朝に、昼に、ウグイスが鳴かない日はないし…。
5月から夏にかけては、ものすごく美しい響きと不思議な鳴き方で呼びかけてくれる鳥がやってくる。

わが家から歩いて5分くらいの、静かな森の谷間から今も聞こえてくる、不思議な鳴き声…。
その鳴き声、よくよく耳を澄ましてみると、「てっぺんかけたか」「てっぺんかけたか」「てっぺんかけたか」というらしい。
息をずっとずっとひきつけながら歌っているような、不思議な声色がすごく神秘的な鳥なのである。

最近は少なくなったが、数年前、真夜中まで原稿を書いている時や、
朝4時頃に起きだして、原稿チェックをしている時に聞こえてくるのが、この「てっぺんかけたか」だった。
この鳥の声を聞くだけで、一瞬に心なごんだ。
何か大きなものが側にいてくれるような、不思議な安堵が私を包みこんでくれるようだった。
単純に声の響かせ方が大好きだった。聞こえてくるだけで街がさらに大好きになった。
その鳥はかの有名なホトトギスだったのである。

3年くらい前にホトトギスを知った時は、思わずその生態を図書館で調べたりもしたのだけど…。


さて、自然のことを少し書いたので今度は、朝のウォーキングコースのことをチラリと書いてみよと思う。

トレッキング(日本や世界中の登山)を趣味にしているあるコピーライターの先輩と週に1度だけ一緒にウォーキングしていて、彼女に案内してもらったコースなのである。

最初は新興住宅街の外周道路を15度くらいの角度の坂でのぼっていって、
やがて裏六甲山に向かい合う位置に達したあたりで、砂地斜面と松並木の遊歩道が続く。



そして、ワシントン郊外のような電柱もない、電線もない住宅街が現れる。そうやって洋風建築の戸建てが続く集合住宅街をぬけて、
ずっとずっと南へ下っていくと、
ふとある瞬間、タイムトンネルのような竹と杉の森に出る。
そして、いきなり景色がいっぺんするのだ。



そこは、山陽地方の海に面した尾道あたりに似た急斜面だ!



まがりくねった細道が延々と続き、沼があって、森があって
、竹やぶがあって、段々畑や棚田が左右に広がっていく。











私は汗をふきながら、さらに周囲の景色を見渡しながら歩いている。
しばらくいくと垣を積んだ小さな民家が現れ、むっーとするほどの生活臭い暮らしの家(田舎らしい佇まい)が2軒・3軒と現れる。







広い庭の表には、さびた竿に大所帯の洗濯物がかけられていたり、子供の赤い長靴がさかさに干されていたり、
大根や野菜を干していたり、小さな尾道チックな世界がしばらく続くのである。
そして、今度は山の田舎。自然の中の家々…。




そしてさらに下へ下へと降りてくると、またまた竹林の道が続き、
今度は京都の比叡あたりの風景に近い森の林道が現れるのある。
耳を澄まさなくても聞こえる野鳥の声、虫の羽音、そして水の音…。
山の水の音だ。武庫川渓谷から流れているせせらぎというか、小滝がすぐ近くに接しているのである。






しぶきがこちらまで届きそうだ。揺れる緑、爽やかな緑の香りだ。もう、ウォーキングもここまで来ればフィナーレに近い。

小さな石の橋を渡って川面からくる涼しい風に暑く蒸気した頬を差し出す。
ああ気持ちいい。マイナスイオンの風である。




水と森ってなんでこんなに融和しあうと気持ちいいんだろう。そんなことを感じながら、軽やかに、愉しく、そして少しだけ息をきらして、
落ち葉の養分でふかふかになった柔らかい土壌を足裏に踏みしめながら歩く、歩く、歩く。






両手を振って、背筋を正し、肩甲骨を思い切り刺激するような姿勢で。
鼻から息を吸って、今度は息を吐いて、周囲の景色に同化する自分を感じながら歩く。

もうすぐ、整備された桜の公園広場だ。
それを抜けると急回転するロングロング滑り台があって、見慣れたいつもの住宅街が見えてくるである。
この日のウォーキングを計るには携帯アプリRunKeeperがいい。
1時間10分。距離は3.50マイル。

帰ったらシャワーを浴びて、熱い紅茶を飲みながらどんなフルーツを食べようか。

最近ブームの「朝活」。そうだ、朝に元気がない人は筋力を高めると良いらしい。
筋肉がない人は神経ネットワークが単純でストレスに弱いから。
ストレッチやヨガ、ウォーキング、ジョギングで筋力をつけること(主に下半身)で些細なことにぶれない自分になるという。





イヌでもない、ネコでもない。

2013-06-04 15:29:09 | 春夏秋冬の風



日曜日の夕方の話である。
「イヌでもない、ネコでもない!こんな動物に遭遇」というタイトルで、私のところに友人からメールが送られてきた。ビックリ!




私は、急ぎの原稿が半ばまで出来上がっていたので、気をよくして夕方からお風呂に入り、相方が飲んでいたチューハイをグラスに半分も。さぁて、と。夕食までもうひとがんばり。もう1つの案件の資料を整理しはじめたところだった。

送られてきた画像にクギづけになり、なんだろう?なんだろう?と私が騒ぐので、家族が寄ってきて「おそらく野良たぬき」ということになったのだが、本当かしら。たぬき⁈

「普通のおばちゃんはアライグマをたぬきと勘違いしている人が多い」らしい。

その友人によると、日曜日の昼12時30分頃、ビッコをひきずりながらヨタヨタと歩いていたという。
水が流れる水栓みたいなところから、出てきたとか。
怪我もしていた。そして、人とみるやすぐに溝のようなところに隠れて、全身から毛を逆立て、警戒心をあらわにしたと言っていた。

たぬきといえば、夜行性動物だ。真っ昼間に、足をひきずって片目をとじて右に左にヨタヨタと歩いているなんて、よっぽど足が痛くてたまらなかったのかしら。
カワイイというよりは、なんか妙に感心をひく画像である。
車にはねとばされたのかな。お腹がすいてもう命からがらだったのかしら。

そうだ、慣れないお日様に面食らったに違いない。と想像力はどんどん膨らむ。

もう仕事どころではなくなってきた。そこへ…。

「知らん?コンビニエンスストアの真下にあるエレベーター付近で、女子高生たちがネコに缶詰の餌をあげているやろ。それ、たぬきも食べに来ているらしい」
「餌付けしているタヌキかな」


 これにまた驚いた!野良たぬきに餌付け~!?
ネコに混じってもたぬきだ。それともネコに化けて食べているのかしら。

おかしい(笑)

それよりたぬきって、確かに人を化かすというくらいだから、もっと野性的で威厳の高い小動物ではなかったか。
(身を守るために死んだふりするのでしたね)
私のなかでは小さな村の奥深くにひっそりといくつもの小集団で暮らしているというイメージであったのだ。

そこへ別の部屋から声がした。
 「タヌキには自分のテリトリというものをもっていて、一日2回くらい同じところをぐるぐるまわって歩く習性があるよ。同じ時刻に、そこにいたらまた会えるよ。まあクローバー型とか、はちの字型とか、いろいろパターンで動くんだけど…」
 自然史系の博物館の仕事を多く手掛けている相方が背後から、いよいよたぬき談を語り始めたのだ。
たぬきさん、いまごろお山に帰れたかな。

しかし、気がつくと外は暗い。
 ほう、私は一体いつになったら机に戻ろうかしら。と内心考える。

来週は取材や打ち合わせやらが多く、
我に変えると、自分のことが心配になってきた。土曜日も、友達とごはんに行ってたっけ。
ああ、すっかり日も暮れて、いつもならとっくに食卓を囲んでいる時間である。

ちなみに、たぬきの画像を送ってくれた友人は昨年の今頃にも

「うちのベランダにものすごいでかいヘビがいてさ、こんなに長いのよ。
ビックリしてね。竹の棒で落としたら、しゅるしゅるってポール伝って違うベランダに飛び移ったのよ。
そしたらなんとまた翌日、今度は玄関近くのとこで見かけてね。今もまだ近くにいるんじゃないかな」といって
私を仰天させたその人なのであった。
一体ここはどこだ!

積み重ねたものたちが壊れるとき

2013-04-10 22:17:38 | 春夏秋冬の風

4月、新しい旅立ちの時である。
古い習慣やしきたりや積み重ねていったもの、時間、人達とも離れて
新しい空気をまとう時期なのかもしれない。

どうもそんな変化に対応できない自分がいる。
これまでの時間や空気に、未練たらたら、なのである。

そんな私を試すような事件が、相次いで勃発している。

それは例年より早い桜がちらほらと咲き始めた頃だった。
翌日は北陸への旅行を予定していて、午後にはJRの割引切符を買いに行ったり、
TSUTAYAに新譜のCDを求めに行ったりして、忙しく過ごしていた。
夕方6時には、JRに乗って実家の母もやってきて、
久しぶりの、「旅」前のウキウキ感に、浮き足立ち(?)
団らんのひとときを過ごしていた。

起こった時刻は夜中だった。
ほかの家族たちは翌日に備えて、12時には床につき、私はパパの帰宅を待ってリビングで本を読んでいた。
お酒に酔って1時前に帰宅したようなので食事はいらないかなあ、などと思いながら、
「食べる?」 と聞く。
「どっちでもいい」 との返事。
「今日はしゃぶしゃぶで材料は残してあるのよ」 と私。
「ふ~ん、ハイハイ」 と。

なので私はサッサと用意して、最初の鍋だけ炊いておいて、
1時半にお風呂に入り、2時頃にやっと床についたのである。
無論バスタブのなかでは、旅行ガイドをもう一度おさらいし、明日からの母の体調のことなどを思案し、
それでも布団にはいってもなかなか寝付かれず、本をめくったりトイレへ行ったりして、ようやく眠りについたのであった。
(寝る前に、リビングをのぞいたらすでにパパはうたた寝をしていたが、そのまま起こさずにベッドへ…)

そうして夜中の3時40分頃なのだ!

心臓を破るような「ガシャーン」とものすごい音が家のどこからか聞こえてきた。何?
なんの音だろう?

誰か、大きなものが倒れたような(脳しんとうでも起こして倒れ込んだような)すごい音だったので、
心臓をばくばくさせながら、闇のなかで目をあけたまま、身じろぎもできないでいた。
怖かったのである。ものすごい事が起こった気がした。そしてふと耳を澄ますと娘の声がしたので、
大急ぎで飛び起きてリビングへ走っていったのだ。
まぶたを閉じればダイニングルームでしゃぶしゃぶを前にしたまま、眠りこけていたあの人の姿が脳裏に浮かんだ。
そして、いそいでドアを開ける。
すると、倒れ込んでいたのは、パパではなくて、
もっと大きな長い木の物体!
一目でそれが何かがわかった。

それもそうだ!周囲は破片だらけで足も踏み入れられない状態だったのである。

ああそれは、もう思い出したくもないが、
私のごく個人的な趣味の器ばかりを入れていた「水屋箪笥」(たて長の楕円形)がリビングにど~んと大きく斜めに横たわっていて、
パパが周囲に飛び散る、茶碗の破片を下を向いてかき集めているのが目に映ったのだ。
娘が「大丈夫なのもあるから…ね」と気弱な声…で励ましてくれたが、
もうあとの始末。

珈琲カップやティーセット、ポット、酒器、ガラス製品、想い出の作家ものの器が全て
粉々になっていた…。
当然である、地震でもないのに水屋箪笥ごと倒れ込んでいたのだから。助かっているものがなくて当然なのである。

(後で聞くと寝ぼけたパパが空気清浄機を倒し、あまりに勢いよく倒れたのでそのまま勢い余って水屋箪笥も倒れてしまったのだろうという。しかし私は思う。肩でぶつかっていったか、
蹴ったかどちらかだ)


昔取材でお世話になったレギーナ・アルテールさんのお皿や花器が5つ全部割れたのが一番哀しかった。
硬い陶磁器は、かたちはあるにはあったが
それでもどこかしら欠けていたり、ヒビ割れているようである。
(一昨年買ったポットだけは、台所に置いていたので助かったが)
翌日にはそれらに目を向ける気にもならかった。
「まあ、モノは考えようよ。器やら水屋箪笥でよかったよ(箪笥のガラスにもヒビ)
これが人だってごらんよ。救急車で運ばれるような惨事だったら、
旅行も中止だからね」と翌日の母の言葉である。


ほんとうはその1カ月前も大好きなものが壊れていたのだ。
リビングの照明器具(シャンデリア)である。
わたしは大人になった頃からずっと白熱灯のオレンジの灯の下で
暮らしているのだが、つい1カ月前にそれらが落ちて、
ダイニングの照明器具の球も替えたところだったのである。

「オレンジの光ももう飽きただろう」
「新しい蛍光灯のほうが勉強もしやすいし、家のこともしやすい」ということで台所もダイニングもリビングも、
蛍光灯の青々とした光にチェンジした矢先であった。

アジアチックだな、まるでバリの屋台の光みたい、などと愉しもうと思いつつも、
どこか自分の家のようでなくて慣れない気持ちで過ごしていたのだ。

かたちあるものはいつかは壊れる。
かたちあるうちに、存分に出会い、愉しませてもらっていれば、それで十分「ありがとう」と
潔くさよならできるのだろうか。

先日ようやく、とりあえず須田青華の湯飲み茶碗と
河井久さんの珈琲茶碗を購入した。


そろそろ新しいものを揃えたり、始めたりする愉しみを見つけなくては!




卒業式に想うこと

2013-03-02 00:01:13 | 春夏秋冬の風


今日は、娘の卒業式であった。

開場に向かう途中、ずっと入学当初の感情や期待感を思い返しながら、
電車にゆられ、阪急バスに揺られて開場にむかった。
保護者会や、文化祭で何度も通ったいつもの景色。見慣れたバス停のおじさんや、学生たち。
もうこの道を、息を弾ませながら大急ぎで通うこともないのだ、と思うと
寂しい気がした。懐かしい面持ちで「かぶと山」を仰いだ。


毎日笑顔で、希望に満ちあふれて挑戦し続けた3年間。
レベルの高い公立高校であっても、
入学当初よりも成績は格段にあがったから、
結構努力したに違いない。

どんな状況に立たされても、環境のなかであっても、
そこで愉しさを見出し、決してくさらないところがあの子のスゴイとこだ。
人生とは、とても素晴らしいワクワクするものだと信じて疑わない純粋さ。
それが、あの子の長所でもあり、危なっかしさでもあるのだ。
そして、神様が自分をいつも見守り絶対に救ってくれると信じている。

小さい頃から童話だけは沢山読み聞かせしてきたから、
きっとその影響だろう。

これから、時に挫折や壁に当たることもある。それも大いに結構でしょう。
強く生きるためには決して避けては通れない道なのだ。
だだ、どうぞ、あの子らしい希望に満ちた明るい性格を失わないで生きていってほしい。

今までのように、沢山のいい友人に囲まれて笑顔で生きられたら…、そしてずっと健康でいてくれたら、それを節に願う。

ふと最近思うのだ。
あれほどの迫る演技をする大女優の三田佳子が、
息子さんの事件になると、我を忘れて、手も足もでない放心状態に陥られてしまった姿を。
お母さんなんて、子供のことになると、めちゃくちゃちっぽけなものである。無抵抗だ。
手足をもぎとられたように、何もできなくなるのだから。







ひな人形がお目見えに

2013-02-26 23:02:44 | 春夏秋冬の風

ピアノのアダージョばかりを集めたCDを聞きながら
こうして書いている。スローなテンポのピアノが心地よい。

(ピアノ曲は、リストがいいね。感傷的なところとダイナミックなところが掛け合わされていて
最高潮のところで泣きそうになる、芸術家として自分の全てを注いで一曲一曲を構成している)

先週の日曜日。ひな人形を飾ったら、家のなかが春らしくなった。




ひなあられに、天津甘栗に、八つ橋餅、果物などを飾って…
ひな壇の前を賑やかにしてあげると、心なしか表情が柔らかくなられたような気も。


いつもまっすぐを向いていらっしゃるようだけど、
時々、こちらを見ていられる視線を感じる。気のせいだろうか…。

一年に一度、お目見えになるおひな様。
(この家は毎年同じような生活をしているなあ、拝見していて懐かしいけれど、まあ成長のないこと…とお笑いになっていらっしゃるに違いない)。
せめて、ひな人形がお目見えになっている間だけでも
シャッキリとした姿をお見せしたいものである。
明日は桃と菜の花を買ってきてあげよう。

ここしばらくは、ずっとうちの娘がリビングで勉強をしているので
本当に私は家政婦のような生活が続いている。

どこにも行かず、ただひたすら3度のご飯をつくって
朝に掃除機をかけて、
あとは遠慮がちに仕事をしているくらいである。

「いつまでこの状態が続くのかな…」「うちに春は来るんかな」

とポツリこぼすを聞いて
大丈夫、いつかは区切りがつくわ、と励ましながらも、
ゆっくりと平穏な日常を、淡々とおくっている。

もし、これからいつのまにか春が来て
電車で何時間も揺られて忙しい大学生活を送るようになれば、
こんな日々も懐かしく思いおこすことになるのかもしれない。
きっとこんなに目と鼻の先ほど近くにいられる日々は、
一生のうち最後なのかも、そう思って
この生活を大事に過ごしていこうと思う。

ああ全くもって最近は仕事に身が入らない日々なのである。
新聞を読んでいたら、大阪城の梅や京都の梅がほころんできたそうだ。
また、香りのいい季節がやってくるんだ。







歳神さまはおわします

2013-01-01 23:08:26 | 春夏秋冬の風



2013年 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


2013年元旦の朝は、穏やかに晴れあがった気持ちのいい天気の日だった。



目覚めるとカーテンをあけて、東の空の日の出を見る。


それから、神棚のお供えを整え、食事の準備にとりかかる。

御神酒を飲み、おせち料理と雑煮をいただいて、
食後には花びら餅と煎茶を飲む。


歳神様をお迎えするために、お正月は、清々しい心でいなければならない。

家を美しく清潔にして整え、
きれいなものを着て、
希望にみちた挨拶を交わしあい、
縁起ものである良い物を口にし、
神社や寺院に参拝して心身を
浄化する。

昨日までの何もかもを、全てふりだしに戻すことができる一年に一度のチャンス!
お正月はそんな希望の一日である。


まずは、今年のお年賀の話をすこし。
今年は、友達につくってもらった新しい名刺が12月末に仕上がってきたので、それらを題材にした年賀状を3パターンつくってみた。

「慶賀な春に、名刺を一新しました。」というキャッチフレーズで。



● 京都・洛西の名社、大原野神社「千眼桜」を背景に
● 天平人の天皇が愛用した宝物「木画紫檀双六局」の上に、さりげなく置いた名刺の図案
● ぎおん小森の「抹茶クリームあんみつ」と名刺のコラボ


広告制作会社を退職してフリーになってからもう12年、
お付き合いいただいた全ての「人」に感謝をこめた年賀状にしたいというのが、
今年の私のコンセプトであった。

わが家の受験生は「大晦日センター模試」(国語)と「センター過去問」を始めている。私たち外野はそれを見守りながら、年賀状の宛名書きなど。

そうやって、例年とは全く違う受験モードの、ちょっぴりピリピリしている独特の緊張感とともに幕開けたわが家の年始めであった。

ことしの目標は
じぶんの壁を打ち破って挑戦すること。

これまでじぶん自身でめぐらしてきた既成概念の壁を取り払いたい。そして、地道に機嫌よく、努力したものを積み上げていきたい。

そこから得たエネルギーや真理を
人、たちのなにかを動かす力に
有効活用できれば、とてもうれしい。












11月、朝の空

2012-11-03 19:05:09 | 春夏秋冬の風


ここ数日、夕方5時になると辺りはもうすっかり暗くなってしまうので、
1日がほんとうに早く終わってしまう気がする。
今朝は、なっちゃんを5時50分に起こして(本人に頼まれたから)、
勉強の邪魔にならないようにご近所の界隈をウォーキングした!
生まれたばかりの朝の空気だ。この冷たさ、気持ちいい!

すると、人間の脳の記憶というのは不思議なもので、
薄い茜色に染まった朝の空を見て、
遠いアメリカの「デトロイト」で見上げた茜色の空を思い出した。

7年前(もうそんなに経つのだ)、
初めての海外出張取材で訪れたアメリカ。

初日。
アメリカの綿花業に携わる商社の人々が開催してくれた歓迎パーティの翌朝に、
5時半に目が醒めてしまって、ホテルの部屋のお風呂に入り、
それから早朝散歩した時に見上げた雲の色や湿気を含んだ冬前の空気の冷たさは忘れない。
そう、水でうすくのばしたような、茜色のきれいな空だった。

あの時も、これから起こりうる不安な想いに押しつぶされそうになりながら、
澄んだアメリカの空気を肺の中いっぱいに吸い込んだのを覚えている。

そうだ、あの時も秋。11月になったばかりだった。

夜が明けたばかりのデトロイト空港に飛行機が降りていくなか、
初めてみるデトロイトの地と飛行場をずっと窓からみていて、
この国の木々の葉はなぜあんなに赤茶色や錆び色をしているのかと…。
よく考えてみたら、
それが初めて見るアメリカの紅葉だったのだ。

ほんとうにビックリするほど日本のそれとは違い、
とても紅葉を美しいとは思えなかった。
おそらく昼夜の寒暖差が日本ほどにくっきりしていないのだろうな。

京都の社寺で見る、緋色や朱や山吹色の美しい葉っぱの色は
10日間旅している間、一度として見なかったな。

カリフォルニアのシエラネバダ山脈から続く広い大地、
山々に木々はなく、丸はだか当然で、日本とは全く違っていた。
けれど、地球規模というか、
スケールが違う大きさ、というのをまざまざと感じた。ハイウェイはガタガタ道で車窓から眺めた広い農地は地平線の向こうまで波打っていて、道路の近くには豚や山羊や羊たちが普通に放牧されていた。

ひとつ思い出すと、記憶の断片が数珠つなぎのように後から後から
湧き上がってくる。
あの時、一緒に旅をした20人もの商社の人々からもらった言葉の数々や、
ものすごく厚みのある、固い、赤身のステーキ肉。甘い濃厚なバタークリームのケーキに、極彩色に飾られた山盛りのデザート。
あれはアメリカで食べたから美味しかったのだろうな、とか。

朝の散歩はいい。きっとたっぷり眠って頭が冴えているから、
記憶も鮮明であるのだろう。


先週、髪を少し切ってパーマをかけた。

自分がこのところ、小さく思えて、オーラが乏しいような気がしたから。

ちょっとだけ、空気を含んだカールでふんわりさせて、

自分をとりまく雰囲気を華やかにしたいなあと思ったのだ。

私がパーマをかけたりカットをしたりする美容室は
北浜の有形重要文化財にもなっている芝川ビル2階の「アトリエ・スタンズ」。
デザイナーはただ一人(四ツ橋の人気店を解体した)、この人とは15年来の付き合いで
かつてはパリコレクションなどで、ヘアメイクも担当したことがあると聞いて新聞記事で
インタビューをさせてもらったこともある。
プロ意識の強い職人肌の人だ。

今週から新しい仕事がまた少し入ってきた。
担当してくれるデザイナーさんは新しい顔ぶれの人も。
それぞれに持ち味があって刺激される。この前から、資料を集めて向き合っていた新規の仕事は、ラフと構成案が決まり、
クライアントの感触もよかった。

仕事も家のことも、充実した11月になればいいな!うん、絶対にそう信じよう。




ブルームーン

2012-08-31 22:24:13 | 春夏秋冬の風


今宵の満月は、
ブルームーンというのだそうです。



といっても青い月という意ではなく、
1カ月に2度「満月」が巡ってくること。

そして、非常に珍しい月もこう呼ぶのだとか。

月は、美しいと高揚感を誘いながら、一方で、とても気持ちを冷静にさせてくれる。

昨日駐車場で「月が落ちてくる」となっちゃんが叫んだので
見あげると、ものすごい勢いで、月が落下している光景に出くわした。

背中に冷や汗を感じながら、不吉な予感に。

それからしばらくして、もう一度よく目を凝らして見つめると、
月のそばには、入道雲がものすごい勢いで大移動していて、
それらが目の錯覚によって、
月の落下とみえたのだわ
と後でわかった。
あ~怖かった。


しかし、今宵のブルームーン。
秋の夜空に一段とすばらしい。

ブルームーンをみると幸せになれるという一説も。
御覧になっていない方はぜひ!