愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

2010.7.25平井・小松川9条の会例会

2010年07月25日 21時05分05秒 | 戦争のない世界をめざす


 今日は、小松川区民館で平井・小松川9条の会の例会がありました。

 国政選挙後のはじめての例会です。国会の中で、真に日本国憲法を活かした政治をしようという勢力が極めて少ないことは9条の会のメンバーの共通の意見です。なにしろ、日本共産党としいて言えば社民党を合わせても議席数は、あまりに少ないというのが現状です。

 なお、沖縄選挙区で言うと、あそこでは自民党の候補者が議席を獲得しました。日本共産党と社会民主党の票を合わせると自民党を上回ったということがあり、例会の参加者の中からは、日本共産党と社民党と力を合わせてというようにはいかなかったのかなぁという意見が出てきました。そのへんは、政策協定の問題と社民党の中にも反共意識の強い人がいるなどことはそう単純ではないわけです。

 学習・討論の題材として今回はNHKの井上ひさしさんの追悼番組のVTRを扱いました。井上ひさしさんは9条の会の呼びかけ人の一人です。
http://www.9-jo.jp/

 井上ひさしさんの作品「組曲虐殺」は、彼の遺作となってしまいました。井上ひさしさんは、以前よりずっと小林多喜二(プロレタリア作家・小説「蟹工船」の原作者)を描いた作品を創ろうと考えていたことが、今日の例会に参加して分かりました。

 プロレタリア作家である小林多喜二は、生前日本共産党中央委員会の文化知識人責任者を務めていました。このため、当時の特高警察(より正確には当時の支配層というべきか)は小林多喜二の社会への影響力を恐れて、スパイに手引きさせて逮捕・投獄し、拷問により小林多喜二を虐殺しました。小林多喜二への特高警察による虐殺は東京都内の築地警察署で起きました。

 「組曲虐殺」は非常に思いテーマですが、それでも井上ひさしさんは作品の中に笑いとユーモアを取り入れることを忘れていません。

 というのは、井上ひさしさんは、困難・逆風に負けず、希望を持つことを大切にしていたからです。だからこそ、小林多喜二を描いた作品の中にも笑いとユーモアを取り入れた訳です。

 私たちは、日本国憲法のもとでいちおう言論の自由が保証されています。法的建前としては。

 確かに、葛飾ビラ配布弾圧事件や今年の参議院選挙での兵庫県警西警察署による弾圧事件など民主主義を根底から踏みにじる暴挙が権力機関によってなされています。それでも、私たちは日本国憲法を盾に戦うことができますし、少なくとも命まではとられません。また、なにより私自身が日本共産党党員であることを名乗って、インターネット上にブログを立ち上げて日本共産党の活動、その他国民運動への参加のことなどを堂々と書き込んでいます。こういう事は、大日本帝国憲法の時代では考えられないことです。数こそ少ないものの、日本共産党は国会や地方議会に議席を持っています。戦前は、日本共産党は非合法組織としてしか存在できませんでした。このへんは小林多喜二が党活動をしていた時代とは大きく違います。このへんのことは、私たちは大いに確信を持ち日本国憲法を社会変革の力に活かすべきです。

 現在、国会の政党状況は、日本国憲法を政治に活かそうという勢力があまりに小さい状況にあります。それだけに、9条の会が憲法を草の根から活かして、憲法を活かす政治を実現するためにいっそう頑張らなければなりません。これは私だけではなく今日、平井・小松川9条の会のメンバーの共通認識です。

 今後、平井・小松川9条の会の存在を地域にもっと広げていかなくてはと例会参加メンバー全員が決意を新たにしました。

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