愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

中小企業での労働運動をどうすすめるか

2009年06月21日 22時47分02秒 | 人間らしく働くルールの確立を
 先日、仕事が終わった後に労働組合の会議がありました。主とした議題は、夏のボーナスに関することです。本題に入る前に少し前置きをします。

 労組の会議で話し合ったことは、夏のボーナスに関して労組側に経営者側から返された回答書をめぐってです。おとといの会議の前の会議では、夏のボーナスのことで経営者側に労組からどのような要求を出すかということが決められました。会議をふまえて労働組合は要求書を作成してこれを経営者側に提出します。要求書を見て経営者側は取締役の会議でボーナスのことを考えるかと思われます。会社の財務状況を前提にして経営者側が回答の内容を決めて労組側に回答書を提出するわけです。こうして労組の組合員が回答書を目にするようになります。

 さて、本題に入ります。どこの労働組合でも……とくに中小企業の労働組合で生じることかと思われますが、給与や盆暮れのボーナスへの要求を労組の会議で話し合うときに私の所属の労組では、実際に会社の資金繰りが潤沢とはいえないこともあって要求額の水準が控えめというか低めにする声が大きくなります。そして、こういったことが要求書で掲げるボーナスの金額の水準に反映します。実際のところは、その水準に対してさえ満額回答を得たためしがありません。そういったことが積み重なって労組の会議で要求額を決めるときに本当は欲しい、安心して暮らしていくためにこれだけ欲しいという水準より低めの金額を経営者側に出す傾向が私の所属の労組にあります。これは、加入組合の所属支部だけではなく他の支部でも同じような傾向があるように私には思えてきます、色々と話を聞く中で。

 労組の運動にかかわるようになっていろいろと考えてきましたが、賃金水準などについてどのような要求を掲げるかということを労組の会議で議論するときには、勤務先に会社の財務状況については一切顧慮する必要はないし、また、するべきではない、私は考えるようになりました。もちろん、私は労働組合の掲げる要求を実現するためには会社が倒産してもかまわない、と言いたいわけではありません。私が、ここで申し上げたいことは、労働者階級の要求は個別企業の業績、財務状況により規定されるのではなく社会における生活の実態によって究極的には決まってくるはずだということです。自分の働いている会社の経営状況をリアルに考慮していくのは団体交渉で労使の間での妥協点を探るときの話ではないかと私は思います。

 当然、資金繰りが本当に苦しい会社の場合、回答が労組の希望通りにはほぼ100%届きません。これを承知の上で会社側の財務状況、経営状況を一切考慮しないで要求は要求として掲げるべきです。そうでないと、労働者階級の生活を守り、向上させていくためにはどうすればいいかという立場から労働組合が遠ざかってしまうのです。

 話は変わりますが、現在の日本社会のおいては最低生計費に関する国民的・人民的合意が形成されていません。そのために、支配層にとって最低生計費の合意形成がなされいないことが攻撃対象として格好の材料となっています。支配層の攻撃の具体的な現われとして、生活保護法で高齢加算がカットされて現在母子家庭への母子加算廃止が行なわれていて、現在段階的に母子加算の額が減らされています。このような、社会情勢において労働組合ができること、するべきこととして賃金額などの要求をお互いに出し合いながら自分の職場の経営状況に遠慮することなく要求は要求として高らかに掲げていき、これを社会全体に広げる取り組みをしていくことが、最低生計費に関する人民的合意形成を図るための一つの要素になるかと私は考えています。なお、ここで私が使っている最低生計費というのは単に飢え死にしなければ良いということではなくて、教養を高めていく、人間関係を保って社会的に孤立しないで人間らしく暮らしていくための最低水準という意味で最低生計費という言葉を使っています。これは私だけの特殊な考えではなくてシンクタンクの
労働総研も私と同じ立場に拠っています。もっと正確に言うと、最低生計費に関する私の考え方は労働総研などから学んだことによります。

 とくに、中小企業においては経営者側との経済闘争によってだけでは労働者の要求を実現することはほぼ不可能です。問題の性質にもよりますが、ことに賃金水準に関しては現在の日本社会の状況では経営側に労働者の要求で掲げる水準の賃金を支払う能力がないことが少なくありません。だから、経済闘争だけでは労働者の要求を実現することができないわけです。では、労働者階級の要求を実現するためにはどうすればいいのでしょうか。やはり、政治や社会のあり方を労働者階級の利益になるように変革することが求められてきます。つまり、労働組合の運動において欠かせない政治闘争にとりくむことが必要不可欠なこととしてまさに労組の任務として浮上してきます。

 この記事では、私が所属労組で行なった会議で感じたことが主として取り上げられていて、労働運動の運動論を体系的に書き込まれてはいません。労働組合が取り組むべき闘争の政治闘争や思想闘争に関してはいつになるか分かりませんが、もう少し自分の中で考えが深まってきたときに労働運動の三大闘争(経済闘争、政治闘争、思想闘争)について「そもそも」論を取り上げたいと思います。できるかどうかも少々不安ですが。


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