キャリコンまっちゃんのホッとひと息

キャリアコンサルティングの合間にホッとひと息。
その日に感じたことや起きた出来事などを
日記形式でつぶやきます。

コーチング

2019年08月22日 | 哲学
昨日、コーチングのコーチから、貴重な言葉を
ご教示いただきました。
忘れないように書き残しておきます。

「誰からも学べ、誰とも協力できる。
自分と相手は影響し合っている。」

とても素晴らしい、コーチングらしい言葉だと
思いました。

以前、このカテゴリーで、我以外皆我師也
という言葉を書き残しておきましたが、どんな
世界のどんな方でも、感じ方は同じなんだな、と
共感できました。

人間尊重
多様性

お互いの立場や役割を尊重し、支え合い
協力しながら、生きていけたら素敵だな、と思いました。
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ダンスは人生を反映する

2018年10月10日 | 哲学
有名な誰かが言っていたのですが、「ダンスは人生を反映する」という
言葉がありました。

まっちゃんは今、今月と来月に開催予定のコミュニケーション講座の内容を
仕上げているところなのですが、ふとコミュニケーションの方法について
考えていた時に、そういえばダンスって誰かに伝えるひとつの方法だよね、と
思いました。

表現者、っていうのでしょうか。
そんなとき、誰だったか、テレビのドキュメンタリーか何かで、とある
有名な方が「ダンスは人生を反映する」というような言葉をおっしゃって
おられたのを、ふと思い出しました。

そうだよな。ダンスって、その人の人生を反映するよなあ・・・。
レベルこそ雲泥の差はあれど、まっちゃんも一応、エアロビクスを5年ほど
続けているので、自身も含めてスタジオでダンスレッスンに参加する仲間
ひとりひとりのダンスに取り組む目的などによって、熱の入れ方が
実に多様だなと思うことが多いです。

そういえば、まっちゃんは左肩の骨折をキッカケに、リハビリ目的に
エアロビクスを始めたのですが、今思うとあの骨折は必然的にそう導かれて
いたのかもしれないなと思います。
結果的には、健康体を手を入れつつあるので、ドンマイといったところでしょうか。

ただ、最近は下半身強化をし過ぎて、スーツのスラックスのももあたりのサイズが
ややパッツンパッツンになるという、やや気になるできごとが増えました。

なんでもそうですが、物事はホドホドにしておかないと、ですね。
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人の己を知らざるを憂えず、人を知らざるを憂う

2016年12月09日 | 哲学
人の己を知らざるを憂えず、人を知らざるを憂う

意味

人が自分のことを理解してくれないと悩むのではなく、
自分が人のことを理解できていないことを悩む


原因を後ろ向きに考えて他人のせいにするのではなくて
前向き、かつしなやかに自分の思考や行動を
変えていけると良いですね。
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吾日に我が身を三省す

2016年12月09日 | 哲学
吾日に我が身を三省(さんせい)す

意味

1日に何度も自分の言動を振り返って反省する

驕り高ぶらず、常に謙虚さの姿勢を持ちたいものです。
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苟しくも仁に志せば、悪しきこと無きなり

2016年12月09日 | 哲学
苟しくも(いやしくも)仁に志せば、悪しきこと無きなり

これは、論語の中の言葉です。

意味

他人を思いやる心があれば、悪い心を抱くことはない


お互いを思いやり、豊かな心を育んでいけると良いですね。
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人生の修業

2016年03月08日 | 哲学
人生の修業


苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満のこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが人生の修業である


この言葉が有名な言葉かどうかは、まっちゃんには
分かりません。
ですが、昔、私の父が使っていた湯飲みに刻まれていた
もので、今日、外食先の飲食店で出された
湯飲みが偶然同じものだったので、久しぶりにこの
言葉を思い出しました。

実に深い~言葉ですね。

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兼聴則明、偏信則暗

2013年10月12日 | 哲学
「兼聴則明、偏信則暗」
漢王符『潜夫論』に出てくる有名な言葉で、
「あわせきけばすなわち明るく、
かたより信ずればすなわち暗し」と
読むようです。

意味としては、いろいろな意見を聞く
ことができる人は明るく、
反対に、かたよった意見しか信じない
人は暗い、という意味です。

つまり、色んな考えを持った方の意見
を聴くことが出来る人は自分を高めていける、
という解釈になるようです。
今日、大学院の講義で学んだばかりの
言葉に感銘を受けたので
忘れないうちにブログにUPしました。
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人生を楽しむ

2012年10月08日 | 哲学
春を楽しむように人生を楽しむ心があるならば、
やがてまた春のそよ風のように、
心もやわらいで、生き甲斐も感じられてきます。

              松下幸之助 語録


いろんな方との出会いを通して、この年になり改めて思うことは、
一度しかない人生、思いっきり楽しむということの大切さです。

公私ともに、一生懸命打ち込んで、それでいて肩の力を抜き、
飄々と生きる。

昔、まっちゃんの好きな漫画に、北斗の拳 がありましたが
その話の中で、雲のジュウザという人物がこんなようなことを
言っていました(確か)。

俺は雲のジュウザ。
あの流れる雲のように、自由に生きる。

まっちゃんが生きていく上で大切にしている信条は、流れに決して
逆らわない、ということ。
そして、どんなことでも、精一杯努力するということ。
あとは、行動する前によく考えること、です。

一度しかない人生、いつも笑顔で楽しく生きていきたいものですね。
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三木清氏 人生論ノート

2012年08月23日 | 哲学
まっちゃんは、1947年に出版された、哲学者 三木清氏の
「人生論ノート」を高校の時から愛読しています。

48歳で亡くなられた三木氏ですが、人生論ノートに書かれた
およそ人生を達観した内容は、とても一般の人が48歳までの
生涯で到達できるようなレベルではなく、当然のことながら
まっちゃんも最近になって、ひとつひとつの文章の真意を噛みしめて
います。

特に好きな章は、このブログでも何度も紹介している「旅について」です。
旅=人生とする、三木氏の考え方は今でも共感するところです。

全文を掲載しますので、ご関心がある方はご覧ください。
長文ですので、気長に見ていただければ幸いです。

====================================
旅について 
                       三木 清氏 

人はさまざまの理由から旅に上るであろう。
ある者は商用のために、他の者は視察のために、更に他の者は休養のために、
またある一人は親戚の不幸を見舞うために、そして他の一人は友人の結婚を
祝うために、というように。

人生がさまざまであるように、旅もさまざまである。
しかしながら、どのような理由から旅に出るにしても、すべての旅には旅
としての共通の感情がある。
一泊の旅に出る者にも、一年の旅に出る者にも、旅には相似た感慨がある。
あたかも、人生はさまざまであるにしても、短い一生の者にも、長い一生の者
にも、すべての人生には人生としての共通の感情があるように。

旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な
関係から逃れることである。
旅の嬉しさはかように解放されることの嬉しさである。
ことさら解放を求めてする旅でなくても、旅においては誰も何等か
解放された気持ちになるものである。
ある者は実に人生から脱出する目的をもってさえ旅に上るのである。
ことさら脱出を欲してする旅でなくても、旅においては誰も何等か
脱出に類する気持ちになるものである。
旅の対象として人の好んで選ぶものが多くの場合自然であり、
人間の生活であっても原始的な、自然的な生活であるというのも、
これに関係すると考えることができるであろう。

旅におけるかような解放ないし脱出の感情にはつねにある他の感情が
伴っている。
即ち旅はすべての人に多かれ少かれ漂泊の感情を抱かせるのである。
解放も漂泊であり、脱出も漂泊である。そこに旅の感傷がある。

漂泊の感情はある運動の感情であって、旅は移動であることから
生ずるといわれるであろう。
それは確かにある運動の感情である。
けれども我々が旅の漂泊であることを身にしみて感じるのは、
車に乗って動いている時ではなく、むしろ宿に落ち着いた時である。
漂泊の感情は単なる運動の感情ではない。
旅に出ることは日常の習慣的な、従って安定した関係を脱する
ことであり、そのために生ずる不安から漂泊の感情が湧いてくる
のである。

旅は何となく不安なものである。
しかるにまた、漂泊の感情は遠さの感情なしには考えられないであろう。
そして旅は、どのような旅も、遠さを感じさせるものである。
この遠さは何キロと計られるような距離に関係していない。

毎日遠方から汽車で事務所へ通勤している者であっても、彼は
この種の遠さを感じないであろう。
ところがたとえそれよりも短い距離であっても、一日彼が旅に出ると
なると、彼はその遠さを味わうのである。

旅の心は遙かであり、この遙かさが旅を旅にするのである。
それだから旅において我々はつねに多かれ少かれ浪漫的になる。
浪漫的心情というのは遠さの感情にほかならない。
旅の面白さの半ばは、かようにして想像力の作り出すものである。
旅は人生のユートピアであるとさえいうことができるであろう。

しかしながら旅は単に遙かなものではない。
旅はあわただしいものである。
鞄一つで出掛ける簡単な旅であっても、旅には旅のあわただしさがある。
汽車に乗る旅にも、徒歩で行く旅にも、旅のあわただしさがあるであろう。

旅はつねに遠くて、しかもつねにあわただしいものである。
それだからそこに漂泊の感情が湧いてくる。
漂泊の感情は単に遠さの感情ではない。
遠くて、しかもあわただしいところから、我々は漂泊を感じるのである。
遠いと定まっているものなら、何故にあわただしくする必要があるであろうか。

それは遠いものでなくて近いものであるかも知れない。
否、旅はつねに遠くて同時につねに近いものである。
そしてこれは旅が過程であるということを意味するであらう。
旅は過程である故に漂泊である。

出発駅が旅であるのではない、
到着駅が旅であるのでもない、旅は絶えず過程である。

ただ目的地に着くことをのみ問題にして、途中を味わうことができない者は、
旅の真の面白さを知らぬものといわれるのである。
日常の生活において我々はつねに主として到達駅を、結果をのみ問題に
している、これが行動とか実践とかいうものの本性である。
しかるに旅は本質的に観想的である。
旅において我々はつねに見る人である。
平生の実践的生活から脱け出して純粋に観想的になり得るということが
旅の特色である。
旅が人生に対して有する意義もそこから考えることができるであろう。

何故に旅は遠いものであるか。
未知のものに向かってゆくことである故に。
日常の経験においても、知らない道を初めて歩く時には実際よりも
遠く感じるものである。
仮にすべてのことが全くよく知られているとしたなら、日常の通勤の
ようなものはあっても本質的に旅というべきものはないであろう。

旅は未知のものに引かれてゆくことである。
それだから旅には漂泊の感情が伴ってくる。
旅においてはあらゆるものが既知であるということはあり得ないであろう。
なぜなら、そこでは単に到着駅、あるいは結果が問題であるのでなく、
むしろ過程が主要なのであるから。
途中に注意している者は必ず何か新しいこと、思い設けぬことに出会う
ものである。

旅は習慣的になった生活形式から脱け出ることであり、かようにして
我々は多かれ少かれ新しくなった眼をもって物を見ることができるように
なっており、そのためにまた我々は物において多かれ少かれ新しいものを
発見することができるようになっている。
平生見慣れたものも旅においては目新しく感じられるのがつねである。
旅の利益は単に全く見たことのない物を初めて見ることにあるのでなく、
~全く新しいといい得るものが世の中にあるであらうか~ むしろ
平素自明のもの、既知のもののように考えていたものに驚異を感じ、
新たに見直すところにある。

我々の日常の生活は行動的であって到着駅あるいは結果にのみ関心し、
その他のもの、途中のもの、過程は、既知のものの如く前提されている。
毎日習慣的に通勤している者は、その日家を出て事務所に来るまでの間に、
彼が何を為し、何に遭ったかを恐らく想い起すことができないであろう。
しかるに、旅においては我々は純粋に観想的になることができる。
旅する者は為す者でなくて見る人である。
かように純粋に観想的になることによって、平生既知のもの、
自明のものと前提していたものに対して我々は新たに驚異を覚え、
あるいは好奇心を感じる。
旅が経験であり、教育であるのも、これによるのである。


人生は旅、とはよくいわれることである。

芭蕉の奧の細道の有名な句を引くまでもなく、これは誰にも一再ならず
迫ってくる実感であろう。
人生について我々が抱く感情は、我々が旅において持つ感情と相通ずる
ものがある。
それは何故であらうか。
 
何処から何処へ、ということは、人生の根本問題である。
我々は何処から来たのであるか、そして何処へ行くのであるか。
これがつねに人生の根本的な謎である。
そうである限り、人生が旅の如く感じられることは我々の人生感情として
くつがえることがないであろう。

いったい人生において、我々は何処へ行くのであるか。
我々はそれを知らない。
人生は未知のものへの漂泊である。
我々の行き着く先は死であると言われるであろう。
それにしても死が何であるかは、誰も明瞭に答えることのできぬものである。

何処へ行くかという問いは、ひるがえって、何処から来たかと問わせるで
あろう。
過去に対する配慮は未来に対する配慮から生じるのである。
漂泊の旅にはつねにさだかに捉えがたいノスタルジアが伴っている。
人生は遠い、しかも人生はあわただしい。
人生の行路は遠くて、しかも近い。
死は刻々に我々の足元にあるのであるから。
しかも、かくの如き人生において人間は夢みることをやめないであろう。

我々は我々の想像に従って人生を生きている。
人は誰でも多かれ少かれユートピアンである。
旅は人生の姿である。
旅において我々は日常的なものから離れ、そして純粋に観想的になることに
よって、平生は何か自明のもの、既知のものの如く前提されていた人生に
対して新たな感情を持つのである。
旅は我々に人生を味あわせる。
あの遠さの感情も、あの近さの感情も、あの運動の感情も、私はそれらが
客觀的な遠さや近さや運動に関係するものでないことを述べてきた。

旅において出会うのはつねに自己自身である。
自然の中を行く旅においても、我々は絶えず自己自身に出会うのである。
旅は人生のほかにあるのでなく、むしろ人生そのものの姿である。

既にいったように、人はしばしば解放されることを求めて旅に出る。
旅は確かに彼を解放してくれるであろう。
けれども、それによって彼が真に自由になることができると考えるなら、
間違いである。
解放というのはある物からの自由であり、このような自由は消極的な
自由に過ぎない。

旅に出ると、誰でも出来心になり易いものであり、気まぐれになりがちである。
人の出来心を利用しようとする者には、その人を旅に連れ出すのが手近かな
方法である。
旅は人を多かれ少かれ冒険的にする、
しかしこの冒険といえども出来心であり、気まぐれであるであろう。
旅における漂泊の感情がそのような出来心の根柢にある。
しかしながら、気まぐれは真の自由ではない。
気まぐれや出来心に従ってのみ行動する者は、旅において真に経験する
ことができぬ。

旅は我々の好奇心を活発にする。
けれども好奇心は真の研究心、真の知識欲とは違っている。
好奇心は気まぐれであり、一つの所に停まって見ようとはしないで、
次から次へ絶えず移っていく。
一つの所に停まり、一つの物の中に深く入っていくことなしに、
いかにして真に物を知ることができるであろうか。
好奇心の根底にあるものも定めなき漂泊の感情である。

また、旅は人間を感傷的にするものである。
しかしながら、ただ感傷に浸っていては、何一つ深く認識しないで、
何一つ独自の感情を持たないでしまわねばならぬであろう。
真の自由は物においての自由である。
それは単に動くことでなく、動きながら止まることであり、
止まりながら動くことである。
動即静、静即動というものである。

人間到るところに青山あり、という。
この言葉はやや感傷的なきらいはあるが、その意義に徹した者であって
真に旅を味わうことができるであろう。
真に旅を味わい得る人は真に自由な人である。
旅することによって、賢い者はますます賢くなり、愚かな者は
ますます愚かになる。
日常交際している者がいかなる人間であるかは、一緒に旅してみると
よく分かるものである。

人はその人それぞれの旅をする。
旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。
人生そのものが実に旅なのである。


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三木清氏 人生論ノートより「旅について」全文抜粋

なお、このブログでは、文語体表記を分かりやすくするため、文章中の内容を
現代仮名遣い等で再編集しています。
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我以外皆我師也

2012年06月06日 | 哲学
我以外皆我師也(我以外みな、わが師なり)
「自分以外の人や自然の全てから学ぶ、全てが師である」

偶然、本を読んでいたら、こんなすごい言葉に出会いました。
本当にそうだと思います。
人の前に出て話す側としては、常に謙虚にありたいものだと
改めて思わされる、そんな深い言葉です。

いつまでも大切にしたい重い言葉ですね。
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