今回の三木清氏のテーマは「成功について」です。
実は、今回のテーマは、まっつあんが「旅について」と同じくらい好きな
同氏の論文です。
まずはご覧ください。
本文(ここから)
成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の
幸福が何であるかを理解し得なくなった。
自分の不幸を不成功として考えている人間こそ、誠に憐れむべきである。
他人の幸福を嫉妬する者は、幸福を成功と同じに見ている場合が多い。
幸福は各人のもの、人格的な、性質的なものであるが、成功は一般的なもの、
量的に考えられ得るものである。
だから成功は、その本性上、他人の嫉妬を伴いやすい。
本文(ここまで)
新潮文庫 三木清氏「人生論ノート」より一部抜粋
さて、三木清氏によると、私たちの多くは、「成功=幸福」あるいは
「不成功=不幸」 を同一視しているということです。
なるほど、確かに成功者を幸福であるかのように見てしまう節はあります。
たとえば、元ライブドアのホリエモンや村上ファンドの村上氏が、六本木ヒルズ
で生活し、プライベートジェットで海外旅行ができるなんていう話を聞いてしまうと、
成功者として羨ましく思ってしまいますよね。
しかしその一方で、お金を持っていさえすれば、幸福だとは思いません。
もちろんお金は大切です。ですが、あまり欲をかいて人徳を失うより、
損しても得を取る方がよいと思います。
大切なことは、おごらず高ぶらず、どんなときも謙虚かつ誠実に生き、周囲の
全てのものに感謝の気持ちを持ち続けるということではないでしょうか。
究極的な幸福というのは、この世に生を受け、皆に囲まれ楽しく生きていうこと
を感じたときではないでしょうか。
そして、自分が最後の時を迎えたときに、これまでの人生を振返り、「ああ、
いい人生だったなあ」と思えたならば、どんなに貧しい生活であったとしても、
その人にとって成功を収めたということになるのではないでしょうか。
かつて、私の知っている人の父親が、亡くなられる際にこう言われたそうです。
「私の人生の最大の失敗は、一度も挫折や失敗を経験しなかったことだ」
考えさせられる重い言葉です。
実は、今回のテーマは、まっつあんが「旅について」と同じくらい好きな
同氏の論文です。
まずはご覧ください。
本文(ここから)
成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の
幸福が何であるかを理解し得なくなった。
自分の不幸を不成功として考えている人間こそ、誠に憐れむべきである。
他人の幸福を嫉妬する者は、幸福を成功と同じに見ている場合が多い。
幸福は各人のもの、人格的な、性質的なものであるが、成功は一般的なもの、
量的に考えられ得るものである。
だから成功は、その本性上、他人の嫉妬を伴いやすい。
本文(ここまで)
新潮文庫 三木清氏「人生論ノート」より一部抜粋
さて、三木清氏によると、私たちの多くは、「成功=幸福」あるいは
「不成功=不幸」 を同一視しているということです。
なるほど、確かに成功者を幸福であるかのように見てしまう節はあります。
たとえば、元ライブドアのホリエモンや村上ファンドの村上氏が、六本木ヒルズ
で生活し、プライベートジェットで海外旅行ができるなんていう話を聞いてしまうと、
成功者として羨ましく思ってしまいますよね。
しかしその一方で、お金を持っていさえすれば、幸福だとは思いません。
もちろんお金は大切です。ですが、あまり欲をかいて人徳を失うより、
損しても得を取る方がよいと思います。
大切なことは、おごらず高ぶらず、どんなときも謙虚かつ誠実に生き、周囲の
全てのものに感謝の気持ちを持ち続けるということではないでしょうか。
究極的な幸福というのは、この世に生を受け、皆に囲まれ楽しく生きていうこと
を感じたときではないでしょうか。
そして、自分が最後の時を迎えたときに、これまでの人生を振返り、「ああ、
いい人生だったなあ」と思えたならば、どんなに貧しい生活であったとしても、
その人にとって成功を収めたということになるのではないでしょうか。
かつて、私の知っている人の父親が、亡くなられる際にこう言われたそうです。
「私の人生の最大の失敗は、一度も挫折や失敗を経験しなかったことだ」
考えさせられる重い言葉です。