まっちゃんは昨日、懇意にお付き合いしていただいている、ある企業経営者の方と
学歴について話をしました。
その中で学歴について、その方とまっちゃんの考え方がピッタリ一致して意気投合した
ので、このブログに自分自身の考え方を述べたいと思います。
今現在、就職活動をされている方や社会人の方にも知っていただきたいと思います。
まっちゃんは来年で41歳を迎え、厄年になりますが、これまで大勢の方と出会い、
色んな方の人生の1部に少なからず関わって来ました。
そんな中、本当に実感するのは、自分自身も含めて、社会人になり30代を過ぎると
学歴とか学校名とかというものが、人が長く生きていく中であまり関係ないという事実が
よく分かってきたのです。
けれども、世の中には学歴や学校名でしか、人を評価・判断できない心の寂しい残念な方が
おられます。
まっちゃんは、そんな評価はまったくもってナンセンスだと言い切っています。
大切なことは社会に出てからどう生きるのかというプロセス(過程)であって、学歴等の
ブランドではありません。
確かに、高学歴の方というのは、厳しい受験競争を勝ち抜くだけの努力を積み重ねたという
意味においては評価できます。
おそらく、学歴や学校名というのは、社会が定めたルールや慣行にどれだけ従って、成果を
あげたのかという、いわば「我慢大会」の勝者を決める全国大会のようなものだと思います。
もし、この学歴や学校名だけで世の中を渡っていけるのであれば、世の中はどんなに
シンプルで楽になるでしょうか。
しかし、実際はそうではありません。
残念ながら学歴や学校名だけで厳しい世の中を渡っていけるほど、今の世の中は甘く
簡単な仕組みではないのです。
実際、とても優秀な大学を卒業したまっちゃんの同級生で、今とても辛い状況に身を置いて
いるケースを、人づてに幾つか聞き心を痛めています。
やはり、自分なりの幸せをつかむには、社会に出てからもそれ相当の代償(努力や経験など)を
払い続ける必要があり、その差が30代以降の人生を大きく左右する対価となって
現れるのではないでしょうか。
学歴や学校名にあぐらをかいて努力を怠ったり、あるいは初対面の人を学歴や学校名からで
しか評価・判断できないような、つまらない大人にだけはなりたくないものです。
まっちゃんが20代のころ、何かでこんな話を聞き、そのとおりだと実践してきました。
[30歳を過ぎたら勉強すると良いもの]
・哲学
・歴史
・経営学
また、社会人になった当時、何かの書籍で、30歳までに勉強したことが、その後の人生を
決定づけるという話を読んだことがあります。
今のスピード社会の中においては、あまりに学ぶことが多いため、あえて「35歳」と
置き換えてもいいんじゃないかという気さえします。
いずれにしても、社会人になって行う努力は、ひとつひとつは決して大きくないですが、
日々の積み重ねがやがて大きな差となり、学歴だとか学校名だとか関係なく、人生や心を
豊かにしたり、あるいは寂しく貧しいものに変えたりするんだと思います。
「少年老い易く、学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず」
「光陰矢の如し」
ということわざがあるとおり、時間には限りがあります。
そして時間は、全ての人に平等かつ公平に与えられた貴重な価値をもつものです。
この貴重な価値がある時間をどう使い、自分の人生や心をどう豊かなものに変えていくのか、
それは全て自分次第ではないでしょうか。
学歴や学校名という過去に縛られていては、決して前に進むことはできません。
もし、自分の学歴や学校名を輝かしいブランドだというプライドを自負したいのであれば、
そのブランドを維持するためにもっと勉強し続ける必要があります。
プライドだけが高くて、継続的な努力を怠っていては、人は決して成長しません。
現状に満足せず、常に努力する姿勢。
それが学歴や学校名よりも大切なもの、つまり「学習歴」ではないでしょうか。
英語はとてもストレートです。
上記のことわざ「光陰矢の如し」をこう表現しています。
「Time flies like an arrow」
年を取ると、年々、時間がまさに飛ぶように早く過ぎ去っていく印象を受けます。
まっちゃんは来年41歳。
20代の頃、自分が40歳の姿を想像することはできませんでしたし、周囲の
40歳の大人をみて「おっさん」としか思わず、別の人種くらいに思っていました。
でも、気がつけば自分が40歳。
まっちゃん自身がおっさんであり、別の人種そのものになっているのです。
時の経過は早いもの。
一度しかない人生です。
「よく遊び、よく学ぶ」ことを心がけ、豊かな人生を築いていきたいものですね。