細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

時とコンクリート

2014-03-07 21:09:58 | フランスのこと

(以下、「コンクリート工学」の6月号に掲載される見込みの、「海外だより」の原稿です。これから校正となりますので、初稿をこのブログに掲載します。)

2013年10月から1年間の予定でフランスのIFSTTAR(英語ではFrench Institute of science and technology for transport, development and networks)に客員研究員として滞在している。その間,妻はパリのラ・デファンスで勤務している。私も日本の研究プロジェクトや学生の指導のため2ヶ月に一回は研究業務のみを詰め込んだ日本出張を重ねながら,日本よりもはるかに家事をこなしつつ研究者生活を送っている。約5ヶ月が経過した2014年3月に日本からのゲストたちを迎えて研究所でのワークショップや橋梁巡りなどを行ったので,その直後に感じたことを記す。

3月2日に,岩城一郎教授(日本大学),石田哲也教授(東京大学)らとLuzancy橋を訪れた(写真1)。フレシネーが設計した世界初のプレキャストセグメント工法によるPC橋である(1946年完成)。オルドネスによれば,「フレシネーの創造的な才能を特徴づけるすべてのものが,ルザンスィー橋の中に深く凝集していた。すなわち,厳密さ,強さ,情熱,平明さ,独創性,統一性,そして美しさである。」とある1)。またと無い晴天の中,2羽の白鳥と68年の時を重ねたLuzancy橋が我々を歴史への心の旅に誘ってくれた。フレシネーはLuzancy橋の後,セーヌ川の支流であるマルヌ川に5つの同じ構造のプレキャストセグメントPC橋を架ける。いわゆるマルヌ5橋である。この日は,そのうちの4橋を訪問した。全く同じ構造であるが,橋の立地や景観により橋から受ける印象は全く異なる。筆者および同行者が最も気に入った橋はChangy-Saint-Jean橋であった(写真2)。マルヌ5橋のみについては藤田氏らの報文2)があるが,訪問される機会があれば,ぜひ5橋に近いLuzancy橋と合わせて見られることをお薦めする。PC橋の「原点」を感じられるであろう。

 
写真1 Luzancy 橋

 
写真2 Changis-Saint-Jean橋

フレシネーの橋梁群を見たパリへのレンタカーでの帰りに,パリの東にあるLe Raincy教会に立ち寄った。コンクリートでル・アーブルの戦災復興(街が世界遺産)の陣頭指揮を執ったオーギュスト・ペレの代表作(1923年完成)である。鉄筋コンクリート技術の黎明期に,内藤廣先生の言われるまさに「技術の翻訳」3)を行った偉大なオーギュスト・ペレの教会建築の傑作である。本来の予算の3分の1しか確保できなかった中でコンクリートにかけるペレの情熱が随所に見られる建築である。プレキャストの正方形のブロックと,マルグレット・ユレ(女性)のステンドグラスの組み合わせが,明るい光に満ちた空間を創りだしていた。

後述するIFSTTARでのワークショップの翌日,3月4日に,フレシネートロフィーを受賞した春日昭夫氏(三井住友建設)が合流し,パリで最も古い鉄道駅であるサン・ラザール駅からル・アーブルへ向かった。ル・アーブルは古くからフランスで1,2を競うセーヌ川の河口の港の街であり,第二次大戦で最も大きな被害を受けた街の一つでもあった。オーギュスト・ペレがその再建を託されることとなった。

ル・アーブルからレンタカーでNormandy橋を渡り,オンフルールの旧港近くで昼食を取った。印象派の画家たちが愛した美しい港町であり,フランスで最も古い木造の教会も有する。昼食後,Normandy橋を再度渡って右岸に戻り,セーヌ川を上流へ向かい,河口から二つ目のTancarville橋(主ケーブルの補修が行われている)を左岸へ渡り,さらに上流へ向かってBrotonne橋を目指した。

Brotonne橋(1977年完成)は,フレシネーの弟子であり,春日氏の私淑するジャン・ミュラー(2005年没)がチーフエンジニアを務めた斜張橋である。春日氏が”Structural Elegance”と呼ぶにふさわしい筆頭に挙げる橋であり,シンプルな独立一本柱の主塔と,外からうかがい知れない,力を合理的に伝達する主桁断面内のストラット構造を有する独創的な橋である。何とかこの橋に近寄ろうと小道を車で走った結果,水田に映る逆さブロトンヌ橋(写真3)を見る幸運に恵まれ,一同感激であった。近接すると,プレテンのウェブと上下床版の接合部に多くの補修跡が見られ,橋脚にも大々的な補修を行っているものがあり,山口県のひび割れ抑制システムや復興道路の品質確保に深く関与している研究者として,改めて施工の重要性を痛感した。 


写真3 Brotonne橋

3月5日は,ル・アーブルのSt Joseph教会を訪れた(写真4)。1951~1957年にかけて建設されたもので,107mの高さを誇る。ペレの言葉として「全てが見えなければいけない。建築物の柱,梁,スラブは,動物における骨格と同じである。もし鉄筋コンクリートの構造が見せる価値が無いのであれば,建築家たるものそのミッションを果たしていないのである。」(石田先生訳)が残っている。日本の自然災害とは異なるが,人災により大変な被害を受けた街の復興に,コンクリートという便利で安い耐久的な材料をプレキャスト製品も含めて駆使し,時を超えて人々に愛される街を創ろうとしたペレの大きな愛情と,この教会に象徴される建築家としての信念と情熱を私は強く感じて感激した。この教会のステンドグラスもユレのものである。


写真4 St Joseph 教会

ル・アーブルからパリへ戻り,筆者のみ,春日氏のフレシネートロフィー授賞式に参加した(写真5)。数年に一回の授賞式とのこと(前回は2011年)で,FREYSSINETの創立70周年でもあるそうで,盛大なセレモニーであった。欧州以外からの初の受賞者らしい。春日氏が関わられた小田原ブルーウェイブリッジ,青雲橋,田久保川橋等がVirlogeux選考委員長から紹介され,FREYSSINETのCEOからは「僕らはせいぜい3つや5つのInnovationだけど,Akioは10や15のInnovationだからね」などの賛辞の言葉とともにトロフィーが渡された。極東の地にある日本が世界にプレゼンスを示すために何が必要かを,春日氏からパーティーやその後の二人の夕食でお聴きすることができた。


写真5 フレシネートロフィーを受賞する春日昭夫氏

順序は逆になるが,3月3日は,私が滞在するIFSTTARにて”International Workshop on Durability and Maintenance of Concrete Structures”を開催した(筆者が主催)。日本から岩城(塩害を受けた桁の徹底的な分析),石田(材料-構造の統合シミュレーション),細田(表面吸水試験の開発と復興道路の品質確保)らが4件,フランス側から5件の研究発表を行い,濃密な議論となった(写真6)。フランスからは,DEFによる劣化が生じた構造物の診断・補修に関する報告(F.Toutlemonde氏),フレッシュコンクリートの施工性能の数値シミュレーション(R.Nicolas氏)等,非常に興味深い報告が多く,昼食時にも議論が尽きなかった。私自身,プラグマティックな研究者となることを信条として実践的な研鑽を重ねているつもりであるが,IFSTTARでは基礎研究と実務が融和した研究が多くなされているようで,将来に渡って連携していきたいという気持ちを強く持つことができた。日本チームとして情報発信できたことは,IFSTTAR側にとっても印象的だったようである。


写真6 IFSTTARでのワークショップ

現在,滞在期間のうち5ヶ月余りが経過した。もともと,フランスのTGVと日本の新幹線に代表されるように,天才的な技術とシステム力という両国とも世界に誇る素晴らしい魅力があると思っていた。滞在中は日本のことを深く勉強するとともに,フランスのエリート教育や天才的な技術が生まれる素地について観察を重ねたいと思う。構造物についても,フレシネーとペレについてはさらに勉強を重ね,なるべく多くの作品を現地で見たいと思っている。時を超えてさらに魅力を増す作品を創り出した二人には尊敬の念が尽きない。このような貴重な時間は,多くの方々に支えられていただいているものであり,我が国の発展に少しでも貢献できるよう,研鑽を重ねることをお約束して,感謝の言葉とさせていただきます。ありがとうございます。

参考文献
1) J.A.Fernandez Ordonez著,池田尚治監訳:PC構造の原点フレシネー,建設図書,2000
2) 藤田尭雄:フレシネーPC -そのルーツを訪ねて,プレストレストコンクリート,Vol.36,No.3,pp.89-92,1994.5
3) 内藤廣:形態デザイン講義,王国社,2013 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿