細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(136) 「歴史教育の意義」 市村 夏希 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-28 08:57:21 | 教育のこと

「歴史教育の意義」 市村 夏希 

 同じ時代に生きる人同士であっても場所が違えば歴史を共通に学ぶことは困難であり、実際に異なる歴史的解釈を基にした認識を保持している。特に国が違えば、歴史教育の意図も方法も異なり、どの時代に何が起きたという出来事の概要以外には全く同じに認識されていることはほとんどないのではないだろうか。こうしたことから私自身の中には昔から、歴史を教えられても、「それは本当に正しいのだろうか」という疑問が存在し、また正しいかどうかを確かめる方法もないと考えてきた。特に最近は様々な情報にあふれ、そのどれもが誰かの何らかの意図の基に発信された真偽の不確かなものである可能性を感じ、現代に起きている事でさえも真実を捉えることが非常に困難であると感じている。現実に起きていることでも自分が実際に体験しないことであれば、確からしいという判断しかできないのにも関わらず、時間も場所も違う自分と全くかけ離れた歴史上の出来事を真実として学ぶのは不可能に近い。そもそも歴史は真実としてではなく、伝える側それぞれの考えの基における事実として伝えられてきたため、特に証拠や根拠とされるものがなければ正しいかどうか判断できないことが多いと言え、そんな中で歴史を学ぶ意義を見つけられずにいた。国の教育指針のもとに作られた教科書には歴史的に重要な出来事でも政治的意図によりその解釈が多くは載せられていない事があるのも事実であり、特に歴史的解釈の違いから対立の大きい中国や韓国との歴史上の関係については具体的な学びが避けられてきたようにも思える。私は歴史を学ぶことについて、自分が正しさを述べられないことへの怖さや違和感から深く学ぼうとしてこなかった。しかしながら、そもそも歴史上の事実の全てを真実として語るのは不可能であり、本来歴史を学ぶことの意義とは、解釈の違いがあることを認識した上で、複数の事実や捉え方・多数の知見を学び吸収しながら自分なりに深く思考することにあるのではないだろうか。私自身はいつ何が起きたかやそれに関連した人物や国名を覚えるだけの歴史教育を受けてきたが、今後の歴史教育では歴史の諸事項の関連や背景を十分に説明した上で歴史の論理を自らの思考により身につけられるような主体的・実践的な教育が必要であり、世界と対等に議論できる人材を育てていかなければならない。


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