行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

江戸に貢献した多摩の恵

2024-05-14 15:20:22 | 昭島
昨日は地区の13のロータリークラブが昭島のホテルフォレスト・イン昭和館に集まった。その中で石川酒造の当主石川弥八郎氏が「多摩の恵」と題して講演された。寒村だった江戸は家康が秀吉により三河から移されて開拓、開発された。100年後100万の都市に発展、当時としては世界でトップクラスの大都市だった。

氏によればその発展に寄与したのが多摩地方で、衣食住の多摩の恵があったからこそ可能だった。
先ず江戸の飲料水だが、玉川兄弟により玉川上水が整備された。羽村から多摩川の水を42Km四谷まで水は供給された。食料は豊多摩郡だった新宿の西側一帯で、稲作、野菜(練馬大根で有名)が栽培され、供給された。肥料は江戸市民の肥やしが堆肥として利用され、江戸の街は衛生面でも当時の欧州では考えられないほど良好だった。いわゆる循環経済が機能していた。
建築用の杉、檜が西多摩から多摩川で筏を組んで江戸へ運ばれ、漆喰の原料になる石灰などは五日市から供給されていた。
衣料は八王子、青梅、五日市で機織りものが発展、現代でも続いている産業で、特に水田の少ない内陸部では養蚕がさかんだった。(私の記憶では昭島や立川では1960年代まで桑畑、蚕棚が見受けられた)。

これらの多摩の恵みは江戸を支える縁の下の力持ちの役割だったと氏は強調し、1998年エールビール「多摩の恵」の誕生となった。最後にオチが入った偶然石川氏の伴侶の名前も恵だった。

講演の後の乾杯は言うまでも無く「多摩の恵」で、やみつきになるほど美味しいエールだった。


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