総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

ありがとう血液

2018年04月29日 | エッセー
 昨夜、テレビを何気に見ていたら95歳の素敵な女性が なにがあっても、ありがとう という本を出版され売れているというお話をしていて、ついつい最後まで見てしまった。そして、即、超ネガティブばぁちゃんの母に、今すぐ、テレビをつけてと電話した。
 この女性、超超お嬢様。かの渋沢栄一のお孫さんだそう。毎朝、日課のお散歩コースは、明治神宮。明治神宮って名前のとおり、明治時代に造られた神宮で、なんと、なんと、渋沢栄一が創建者なのだという。そんな、超超お嬢様の一日を追ってみると、お一人暮らしにもかかわらず、トイレを済ませて水を流すたびに、トイレさんきれいにしてくれてありがとう。お日様がのぼると、お日様、今日もありがとう。などなど、なんでもかんでもありがとう尽くしの生活をされている。なんでもかんでも、いいことも悪いこともありがとう。
 85歳で、階段を踏み外して骨折した時も、ああ、骨折が足でよかった。ありがとう。と感謝したという逸話も披露されていた。
 まるで、ありがとうという血液が、カラダのすみずみまでいきわたっているかのよう。

 反省。
 ありがとうがかなり不足している私に。

、何不自由なくお育ちになった超セレブなのに、なぜ、これほど謙虚でいらっしゃるのだろう。

 この女性が、ありがとうという血液で満たされている、そのいわれが、これまた、すごい。

 10歳くらいの頃、列車での旅行の時に、隣に座った男性が、なんとなんと、新渡戸稲造で、こんなことを彼女に伝えたという。

 あのね。みんな、一人では生きていないんだよ。と。
 そして、彼女の親指を折りながら、これは、お父さん。次に、人差し指をおりながら、お母さん・・・・というように。

 その光景がずっと焼き付いていて、この女性は、超セレブな身分でありながら、おごることなく、むしろ、いつも常に感謝溢れる人間性を失うことなく95年の人生を生きてこられた。

 80歳にしか見えない外見は、何があってもありがとうと思える血液が、免疫力を上げているせいかなとしみじみ。

 私なんて、なんだか、不幸の連続の人生で、それでも、不幸なんて思いたくないから、必死で、夜明け前、夜明け前と自分に言い聞かせて生きてきた。胃がんになったときなんて、どうして私が・・・・。もう、これ以上、不幸な目に合うはずなんてないと思っていたのに、どうして・・・と神様に訴えた。しかし、人生甘くない。これで、ピリオドではなかった。さすがに、四男が不登校になってしまったら、全て、自分育ちのために、神様が、これでもかこれでもかと人生のお題という贈り物をプレゼントしてくださるのだろう・・・といい意味であきらめがついた。でも、だからといって、息子が不登校になってありがとうといえるほどの境地になれるほどの人間にはなれない。
 だからこそ、この女性のようになりたい。何があってもありがとうと心から思えるように。
 私の境涯ではきっとなれないだろうと思う。
 それゆえ、せめて、イメージトレーニングの力を借りて、私の血液はありがとうでできているとイメージすることにした。

 私の血液の赤血球1個1個に、ありがとうというお花が咲いているというイメージがいいかな。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ほめるを捻出。  | トップ | ビリビリ巨木 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

エッセー」カテゴリの最新記事