チーム4に関する処遇については私は失望しているので、内容が少しキツイものになるのは、ご容赦して頂きたい。
高橋みなみ「9期生は研究生の頃のほうが輝いてた」(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51840424.html
でも言ったんです。「私はみんなが、ほかのチームのアンダーとして出演していた研究生の頃のほうが輝いていたと思ってた。ほかの先輩にもまれたほうがみんなはすごく輝くんだよね」って。AKBにいる限り、限界を超えなきゃいけないんですよ。
「だから、みんなは離れなきゃいけない。先輩にもまれて、胸を借りるつもりで全部出してきなさいって。立ち止まったら、もうそこで置いてかれちゃうから、ついてきなさい、AKBに」って。・・・・・・みんな泣いてましたけどね。
総監督がこれでは先が思いやられる。
現状認識が間違っている。
はっきり言おう。
「研究生の頃の方が輝いている」のは当たり前だ。
研究生は正規生として認められるために、劇場公演など「AKB48」としての活動に全力を尽くす。
そこには競争原理も働くので、一生懸命さは見て取れるレベルでわかるだろう。
だが、正規生になれば環境が変わる。
メンバー1人ひとりが異なる芸能事務所に所属して、貢献すべきものとして、AKB48だけではなく、事務所や、そして「自分の人生」というものを背負う。
一人前のアイドル、芸能人としての自立が求められる。
「AKB48」に貢献する意味でも、個人として認められる存在にならなければならない。
と、誰もが認識する。
すると個人の闘いになり、どうしても活動が小粒になる。
たかみなを初めとする初期メンバーは、研究生という経験こそしなかったが、自分が生き残るために「AKB48」に貢献することが必要であったし、グループ全体として大方針に向けて動いていた。
今よりも不十分な体制であったとはいえ、グループ全体の目標と個人の目標の一致が見られた時代であった。
たかみなが正規生として「AKB48」に貢献してきたのは、個人の意志の問題ではなく、構造的問題としての必然である。
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AKB48戦略転換
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/795401940e489eaa4bfd4d143d5416cd
AKB48第2章はリーン・スタートアップで
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/658a3ded9e7797b628f17c244da952b9
なぜ「チーム」を活動の基本単位とするべきなのか。 ~チーム学習のススメ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/16f7d7e6a8ae2af8c876c1875a9b2019
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仮にたかみなが9期生としてAKB48に入っていたら、同じ徹を踏んでいただろう。
その場合、たかみなのようなタイプは成功しない可能性もある。
おそらく、今のたかみなは存在していない。
「9期以降はAKB48に入るのが夢」などという意見もあるが、事実誤認も過ぎる。
AKB48に入るのが夢なんてことを言うやつは9期には存在しない。
チーム4のメンバーはやる気満々だった。
意識も高かった。
だが、抱えている問題の難しさが初期メンバーとは質が違ったから、求められる能力が違った。
何の素養もない10代の女の子にどうにかできる問題ではない。
出来る大人のブレーンなりマネージャーが必要だった。
が、そういった環境を整備できないくせに、個々のメンバーのせいにしてしまった。
AKB48が抱える構造的問題にも関わらず、個々のメンバーのやる気の問題だと、問題を単純化してしまった。
これは組織としてのグループシンク(集団浅慮)以外の何者でもない。
直接聞いていないのでわからないが、雑誌上に書いてある、たかみなの発言を読むと、たまたま成功した経営者の発言のようだ。
本人が描いた戦略仮説(ストーリー)を検証して得た知見を説明しているのではなく、たまたま成功した時にやっていた事を成功要因と見なしてしまう過ちを起こしてしまっているように見える。
やすす先生には今一度、心配性になってもらいたい。
上にリンクをはった『AKB48戦略転換』から次の文章を引用して終わることにする。
アンドリュー・グローブはこう言っている。
「Only the Paranoid Survive」
(病的なほど心配性だけが生き残る)
京セラ創業者の稲盛さんも似たことを仰られていましたね。
楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する。
悲観的に楽観的であれ。
妄想族より 愛をこめて
高橋みなみ「9期生は研究生の頃のほうが輝いてた」(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51840424.html
でも言ったんです。「私はみんなが、ほかのチームのアンダーとして出演していた研究生の頃のほうが輝いていたと思ってた。ほかの先輩にもまれたほうがみんなはすごく輝くんだよね」って。AKBにいる限り、限界を超えなきゃいけないんですよ。
「だから、みんなは離れなきゃいけない。先輩にもまれて、胸を借りるつもりで全部出してきなさいって。立ち止まったら、もうそこで置いてかれちゃうから、ついてきなさい、AKBに」って。・・・・・・みんな泣いてましたけどね。
総監督がこれでは先が思いやられる。
現状認識が間違っている。
はっきり言おう。
「研究生の頃の方が輝いている」のは当たり前だ。
研究生は正規生として認められるために、劇場公演など「AKB48」としての活動に全力を尽くす。
そこには競争原理も働くので、一生懸命さは見て取れるレベルでわかるだろう。
だが、正規生になれば環境が変わる。
メンバー1人ひとりが異なる芸能事務所に所属して、貢献すべきものとして、AKB48だけではなく、事務所や、そして「自分の人生」というものを背負う。
一人前のアイドル、芸能人としての自立が求められる。
「AKB48」に貢献する意味でも、個人として認められる存在にならなければならない。
と、誰もが認識する。
すると個人の闘いになり、どうしても活動が小粒になる。
たかみなを初めとする初期メンバーは、研究生という経験こそしなかったが、自分が生き残るために「AKB48」に貢献することが必要であったし、グループ全体として大方針に向けて動いていた。
今よりも不十分な体制であったとはいえ、グループ全体の目標と個人の目標の一致が見られた時代であった。
たかみなが正規生として「AKB48」に貢献してきたのは、個人の意志の問題ではなく、構造的問題としての必然である。
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AKB48戦略転換
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/795401940e489eaa4bfd4d143d5416cd
AKB48第2章はリーン・スタートアップで
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/658a3ded9e7797b628f17c244da952b9
なぜ「チーム」を活動の基本単位とするべきなのか。 ~チーム学習のススメ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/16f7d7e6a8ae2af8c876c1875a9b2019
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仮にたかみなが9期生としてAKB48に入っていたら、同じ徹を踏んでいただろう。
その場合、たかみなのようなタイプは成功しない可能性もある。
おそらく、今のたかみなは存在していない。
「9期以降はAKB48に入るのが夢」などという意見もあるが、事実誤認も過ぎる。
AKB48に入るのが夢なんてことを言うやつは9期には存在しない。
チーム4のメンバーはやる気満々だった。
意識も高かった。
だが、抱えている問題の難しさが初期メンバーとは質が違ったから、求められる能力が違った。
何の素養もない10代の女の子にどうにかできる問題ではない。
出来る大人のブレーンなりマネージャーが必要だった。
が、そういった環境を整備できないくせに、個々のメンバーのせいにしてしまった。
AKB48が抱える構造的問題にも関わらず、個々のメンバーのやる気の問題だと、問題を単純化してしまった。
これは組織としてのグループシンク(集団浅慮)以外の何者でもない。
直接聞いていないのでわからないが、雑誌上に書いてある、たかみなの発言を読むと、たまたま成功した経営者の発言のようだ。
本人が描いた戦略仮説(ストーリー)を検証して得た知見を説明しているのではなく、たまたま成功した時にやっていた事を成功要因と見なしてしまう過ちを起こしてしまっているように見える。
やすす先生には今一度、心配性になってもらいたい。
上にリンクをはった『AKB48戦略転換』から次の文章を引用して終わることにする。
アンドリュー・グローブはこう言っている。
「Only the Paranoid Survive」
(病的なほど心配性だけが生き残る)
京セラ創業者の稲盛さんも似たことを仰られていましたね。
楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する。
悲観的に楽観的であれ。
妄想族より 愛をこめて