先週のエントリが(いつものように・・)わかりにくかったようだ。
富と幸福の関係性について(進化する魂)
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/6954933a40239bb011c6f446bce045ba
まず、次のBlogで触れられている内容は前提である。
ある水準までは富が増加することが幸福度と関係している。
「お金は人を幸福にしない」には前提がある(投資十八番)
http://stockkabusiki.blog90.fc2.com/blog-entry-1140.html
お金は人を幸福にはしないが、それは最低水準の富があることが前提だ
幸福は所得で決まらない - 『日本の幸福度』(池田信夫)
http://agora-web.jp/archives/1071134.html
特に本書でくわしく調べているのは、労働との関係である。労働が「不効用」をもたらすという新古典派経済学の想定は実証的には否定され、同じ所得を得ていても働いている人の幸福度は失業者より高い。したがって失業者に所得を再分配するバラマキ福祉より、新しい職を与えたほうがいいということになる。労働が幸福度に及ぼす影響は日本で特に強く、失業率と自殺率には強い相関がある。
他方、所得格差や地域格差が幸福度に影響するかどうかについては、ほとんど有意な差は見出せない。幸福に最大の影響を与えるのは、実は離婚・就職・死別などの個人的な「ニュース」であり、所得は幸福の要因の中ではマイナーなものだ。したがって成長率を上げることは不幸を減らす役には立つだろうが、幸福度を上げるとは限らない。
日本人の所得は、相対的には下がったといっても、まだ絶対的には高い。その自殺率が主要国で最悪なのは、所得とは別の深刻な問題があると考えざるをえない。それは大ざっぱにいうと「意味の喪失」ではないだろうか。かつては会社のために働き、それが出世や社会的地位という形で報われることが生きがいだったが、そういう価値が失われ、かといって欧米的な個人主義にもうまく順応できない。日本人がこの変化に適応するには、まだまだ長い時間がかかるだろう。
私が述べた「物語」と「相対性」というのは、「意味の喪失」これである。
その意味で前回のエントリを読み進めていただけると理解できるだろう。
また、「物語」と「コミュニティ」は不可分ではなく、別のモノだ。
単に「コミュニティ」が「物語」を提供してくれるだけの話で、
自分で「物語」を紡ぎ出せる者は「コミュニティ」が必須ではない。
ただ、なんらかの「物語」に一切触れることなく、
自分だけの「物語」を奏でられる者が存在することはできないので、
その意味では厳しくか緩くかは別として、
何らかの形で何らかの「コミュニティ」と関わって生きていかなくてはならなない。
「生きていかなくてはならない」と書くと誤解されてしまうのだが、
本来的な意味でいえば、「コミュニティ」に関わらないで生きていくことはできない。
なぜかといえば、あなたが「あなた」なのは、
何らかのコミュニティに属しているからに他ならない。
いつもの「相対性」の議論だ。
他者がいて、あなたがいるのだ。
あなただけなら「あなた」は存在できない。
屁理屈でも何でもなく、これは本当の話だ。
あなたの親の子供として「あなた」がいるのは、あなたの親がいるからだ。
あなたがサラリーマンとして働くのは、あなたを雇う人がいるからだ。
あなたが社会の中で孤独を感じるのは、社会というものがあると思うからだ。
あなたが幸せについて考えるのは、不幸と呼ばれるものがあるからだ。
あなたが生きているのは、死があるからだ。
「あなた」が存在するために、相対的な価値から逃れることはできない。
あなたが社会の中にいて、「あなた」の幸せや不幸について考えるとき、
必ずあなたは社会というものの中に「あなた」を置いている。
では、あなたが社会から距離を置き、孤独に生きる時の「あなた」はどうなるか。
時間切れ。
また明日・・。
富と幸福の関係性について(進化する魂)
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/6954933a40239bb011c6f446bce045ba
まず、次のBlogで触れられている内容は前提である。
ある水準までは富が増加することが幸福度と関係している。
「お金は人を幸福にしない」には前提がある(投資十八番)
http://stockkabusiki.blog90.fc2.com/blog-entry-1140.html
お金は人を幸福にはしないが、それは最低水準の富があることが前提だ
幸福は所得で決まらない - 『日本の幸福度』(池田信夫)
http://agora-web.jp/archives/1071134.html
特に本書でくわしく調べているのは、労働との関係である。労働が「不効用」をもたらすという新古典派経済学の想定は実証的には否定され、同じ所得を得ていても働いている人の幸福度は失業者より高い。したがって失業者に所得を再分配するバラマキ福祉より、新しい職を与えたほうがいいということになる。労働が幸福度に及ぼす影響は日本で特に強く、失業率と自殺率には強い相関がある。
他方、所得格差や地域格差が幸福度に影響するかどうかについては、ほとんど有意な差は見出せない。幸福に最大の影響を与えるのは、実は離婚・就職・死別などの個人的な「ニュース」であり、所得は幸福の要因の中ではマイナーなものだ。したがって成長率を上げることは不幸を減らす役には立つだろうが、幸福度を上げるとは限らない。
日本人の所得は、相対的には下がったといっても、まだ絶対的には高い。その自殺率が主要国で最悪なのは、所得とは別の深刻な問題があると考えざるをえない。それは大ざっぱにいうと「意味の喪失」ではないだろうか。かつては会社のために働き、それが出世や社会的地位という形で報われることが生きがいだったが、そういう価値が失われ、かといって欧米的な個人主義にもうまく順応できない。日本人がこの変化に適応するには、まだまだ長い時間がかかるだろう。
私が述べた「物語」と「相対性」というのは、「意味の喪失」これである。
その意味で前回のエントリを読み進めていただけると理解できるだろう。
また、「物語」と「コミュニティ」は不可分ではなく、別のモノだ。
単に「コミュニティ」が「物語」を提供してくれるだけの話で、
自分で「物語」を紡ぎ出せる者は「コミュニティ」が必須ではない。
ただ、なんらかの「物語」に一切触れることなく、
自分だけの「物語」を奏でられる者が存在することはできないので、
その意味では厳しくか緩くかは別として、
何らかの形で何らかの「コミュニティ」と関わって生きていかなくてはならなない。
「生きていかなくてはならない」と書くと誤解されてしまうのだが、
本来的な意味でいえば、「コミュニティ」に関わらないで生きていくことはできない。
なぜかといえば、あなたが「あなた」なのは、
何らかのコミュニティに属しているからに他ならない。
いつもの「相対性」の議論だ。
他者がいて、あなたがいるのだ。
あなただけなら「あなた」は存在できない。
屁理屈でも何でもなく、これは本当の話だ。
あなたの親の子供として「あなた」がいるのは、あなたの親がいるからだ。
あなたがサラリーマンとして働くのは、あなたを雇う人がいるからだ。
あなたが社会の中で孤独を感じるのは、社会というものがあると思うからだ。
あなたが幸せについて考えるのは、不幸と呼ばれるものがあるからだ。
あなたが生きているのは、死があるからだ。
「あなた」が存在するために、相対的な価値から逃れることはできない。
あなたが社会の中にいて、「あなた」の幸せや不幸について考えるとき、
必ずあなたは社会というものの中に「あなた」を置いている。
では、あなたが社会から距離を置き、孤独に生きる時の「あなた」はどうなるか。
時間切れ。
また明日・・。
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