終戦記念日(人によっては敗戦記念日かもしれないが)の日、8月15日。
夜、戦争を取り扱った番組を見ようと思ったのだが、
戦争ネタは人気がないのか視聴率が振るわないのかテレビ東京の池上彰氏の番組しかなかった。
それで最後の1時間ほど見た。
池上彰の戦争を考えるSP ~戦争はなぜ始まり どう終わるのか~(テレビ東京)
http://www.tv-tokyo.co.jp/ikegami_wars10/
最後しか見ずに批評するのもどうかと言われるかもしれないが、気になる点があるのでコメントしたい。
池上氏はわかりやすい解説に定評があるわけだが、話をわかりやすくするためか、
「戦争」を否定するためのロジックが強引過ぎる気がした。
要は、「戦争がなぜ悪いのか?」を説明するために「戦争とは特別なものだ」といわなければならず、
無理な論理的帰結が必要になる。
「戦争」は何ら特別なことではないのに、「特別なことだから悪い」と言わねばならない。
※
だからといって、池上氏そのものを否定するものではなく、
単にたまたま見たのが池上氏の番組だったというに過ぎない。
私がこれまで見た太平洋戦争を取り扱う番組には、たいてい次の旨のストーリーの下に組まれている。
「日本は愚かだから戦争をし、また愚かだから負けたのだ。」と。
私はこの考えを否定はしない。
ただ、「どう愚かであったのか」を明らかにすることなしに、戦争について反省したといえるはずはない。
しかし、どうしてもTV番組などは戦後レジームから脱却できてはいないようだ。
戦争は特別で悪いことだから、その戦争をした日本は愚かである。
のような論理展開から得られる反省点は、「戦争をしないことが重要」というような陳腐な答えしか得られない。
「憲法9条絶対死守」などと言って改憲にアレルギー反応を示す無内容な平和主義者のロジックそのものだ。
池上氏の番組ではサンクコストにこだわるが故に「戦争を途中でやめることができない」などと主張していた。
「これまで多くの命が犠牲になったのだから、彼らの死を犬死にさせてはならない。」とか
「多くの犠牲を払ったのだから、少しでも有利な条件で降伏しなければならない。」とかいうのは、
それは戦争でなくても、企業でも、家族でも、そして個人でも同じことが当てはまる。
人間心理に着目すれば「経路依存性」と「ブレークイーブン効果」で説明できる話でしかない。
要は、戦争も企業活動も、個人の生活習慣も本質的に同じだと言っているに過ぎない。
ただ、規模が違うというだけで。
(安直な発言は批判を招くかもしれないが)
池上氏の番組のロジックに従うと、
日本国内の自殺者がイラク戦争における戦死者よりも多いことをどう解釈すべきか不明になる。
人によっては自殺者が多いことを「もはや戦争(内戦)状態だ。」などというが、戦争だと何かが特別なのだろうか。
人がある目的のために、人(自分を含む)を殺す。
という点において違いはないではないか。
「戦争」というのは呼び名に過ぎず、所詮は人工的な事物の分類に過ぎない。
「戦争」そのものを特別視し、他とは違うものと見てしまっては本質を見誤る可能性が高まる。
※
戦争というのは状態を表す言葉であって、
軍事的行動は、ある政策実現のための一つの戦略的行動、つまり手段に過ぎない。
軍隊はその手段の実行部隊であるが、軍隊にとってはその手段が目的となる。
つまるところ、軍隊は政策実現のための1つのコマでしか過ぎないが
軍隊の力が大きくなると、軍隊内部の話だった手段の目的化が全体に波及する。
戦争をする(継続する)ことが目的と化し、そのために他のあらゆる資源が投入される事態となる。
この軍部の力を抑えるための仕組みが当時の日本に欠けていたとする議論やTV番組は多いが、
ここで議論したいのは、それとは別で、どう戦局を運営するべきであったか、
なぜそれができなかったかという話だ。
また、特によくないと思ったのは、太平洋戦争の転換点となったミッドウェー海戦の説明だ。
「日本が負けるべくして負けた」というようなありがちな誤った説明である。
池上氏が説明したミッドウェー海戦の敗因は、
暗号が解読されていたため事前に情報が漏れていたからだそうだ。
これは本当であろうか?
こういう「そもそも国力で勝るアメリカに日本が勝てるわけなかろう」という悟った感じの説明が、
どれだけ戦後の日本人に悪影響を与えてきたか、想像したことがあるだろうか。
日本がミッドウェー海戦で負けたのは、情報が漏れていたことだけではない。
ミッドウェー海戦時の互いの戦力を分析すると、優勢なのは日本の方である。
(戦闘は不確実性との闘いであるという点は十分に理解した上でだが)
もし日本が戦略的ミスを犯しさえしなければ、日本はミッドウェー海戦で負けなかった可能性が、
少なくても壊滅的に機動戦力を失わなくて済んだ可能性が高い。
日本の暗号が解読されて事前に情報が漏れていた件に関しても、
ニミッツ提督に関する記録によれば、アメリカ軍に圧倒的優位をもたらすものでは決してなかった。
なぜなら、戦力的にアメリカ軍が劣っていたからだ。
アメリカ軍からしてみれば、負けることがわかってしまう情報が事前にもたらされていたのである。
いや、もちろん、この事前情報が戦局を優位に運ぶために非常に大きい意味をもったことは当然として、
ただ、それだけでアメリカ軍が勝利を収めたわけではないということに注目すべきだと考えるのだ。
詳しくは名著『失敗の本質』を参照されたし。
ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦における
日本軍の失敗事例を通して、日本的組織の問題点を見事に焙り出している良書である。
失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (戸部 良一, 寺本 義也, 鎌田 伸一, 杉之尾 孝生, 村井 友秀, 野中 郁次郎)
結果論的に言ってしまえば、日本軍の戦略判断ミスによる大敗なのである。
そういう本質的な部分を覆い隠してしまって、
「戦争はいけない」だとか「相手が国力に勝る」だとかという安易な方向に流れてしまうと、
「失敗の本質」を見逃してしまう危険性が高い。
負けるにしても、もっとマシな負け方はあったはずだし、もっとマシな戦局の運び方があったはずである。
であるなら、なぜそうできなかったのか。
その点に、学ぶべき「失敗の本質」があるはずなのである。
そういう点を無視して「初めから負けはわかっていた」とか「戦争はダメ」とかという
無内容な議論に終始してしまっていては、
我々は結局、戦争から何も学んでいないと言われてしまっても仕方が無い。
今、多くの日本人が日本の進路に思い悩み、心を痛めている。
敗戦から65年、我々は一体何を学んだのだろうか。
夜、戦争を取り扱った番組を見ようと思ったのだが、
戦争ネタは人気がないのか視聴率が振るわないのかテレビ東京の池上彰氏の番組しかなかった。
それで最後の1時間ほど見た。
池上彰の戦争を考えるSP ~戦争はなぜ始まり どう終わるのか~(テレビ東京)
http://www.tv-tokyo.co.jp/ikegami_wars10/
最後しか見ずに批評するのもどうかと言われるかもしれないが、気になる点があるのでコメントしたい。
池上氏はわかりやすい解説に定評があるわけだが、話をわかりやすくするためか、
「戦争」を否定するためのロジックが強引過ぎる気がした。
要は、「戦争がなぜ悪いのか?」を説明するために「戦争とは特別なものだ」といわなければならず、
無理な論理的帰結が必要になる。
「戦争」は何ら特別なことではないのに、「特別なことだから悪い」と言わねばならない。
※
だからといって、池上氏そのものを否定するものではなく、
単にたまたま見たのが池上氏の番組だったというに過ぎない。
私がこれまで見た太平洋戦争を取り扱う番組には、たいてい次の旨のストーリーの下に組まれている。
「日本は愚かだから戦争をし、また愚かだから負けたのだ。」と。
私はこの考えを否定はしない。
ただ、「どう愚かであったのか」を明らかにすることなしに、戦争について反省したといえるはずはない。
しかし、どうしてもTV番組などは戦後レジームから脱却できてはいないようだ。
戦争は特別で悪いことだから、その戦争をした日本は愚かである。
のような論理展開から得られる反省点は、「戦争をしないことが重要」というような陳腐な答えしか得られない。
「憲法9条絶対死守」などと言って改憲にアレルギー反応を示す無内容な平和主義者のロジックそのものだ。
池上氏の番組ではサンクコストにこだわるが故に「戦争を途中でやめることができない」などと主張していた。
「これまで多くの命が犠牲になったのだから、彼らの死を犬死にさせてはならない。」とか
「多くの犠牲を払ったのだから、少しでも有利な条件で降伏しなければならない。」とかいうのは、
それは戦争でなくても、企業でも、家族でも、そして個人でも同じことが当てはまる。
人間心理に着目すれば「経路依存性」と「ブレークイーブン効果」で説明できる話でしかない。
要は、戦争も企業活動も、個人の生活習慣も本質的に同じだと言っているに過ぎない。
ただ、規模が違うというだけで。
(安直な発言は批判を招くかもしれないが)
池上氏の番組のロジックに従うと、
日本国内の自殺者がイラク戦争における戦死者よりも多いことをどう解釈すべきか不明になる。
人によっては自殺者が多いことを「もはや戦争(内戦)状態だ。」などというが、戦争だと何かが特別なのだろうか。
人がある目的のために、人(自分を含む)を殺す。
という点において違いはないではないか。
「戦争」というのは呼び名に過ぎず、所詮は人工的な事物の分類に過ぎない。
「戦争」そのものを特別視し、他とは違うものと見てしまっては本質を見誤る可能性が高まる。
※
戦争というのは状態を表す言葉であって、
軍事的行動は、ある政策実現のための一つの戦略的行動、つまり手段に過ぎない。
軍隊はその手段の実行部隊であるが、軍隊にとってはその手段が目的となる。
つまるところ、軍隊は政策実現のための1つのコマでしか過ぎないが
軍隊の力が大きくなると、軍隊内部の話だった手段の目的化が全体に波及する。
戦争をする(継続する)ことが目的と化し、そのために他のあらゆる資源が投入される事態となる。
この軍部の力を抑えるための仕組みが当時の日本に欠けていたとする議論やTV番組は多いが、
ここで議論したいのは、それとは別で、どう戦局を運営するべきであったか、
なぜそれができなかったかという話だ。
また、特によくないと思ったのは、太平洋戦争の転換点となったミッドウェー海戦の説明だ。
「日本が負けるべくして負けた」というようなありがちな誤った説明である。
池上氏が説明したミッドウェー海戦の敗因は、
暗号が解読されていたため事前に情報が漏れていたからだそうだ。
これは本当であろうか?
こういう「そもそも国力で勝るアメリカに日本が勝てるわけなかろう」という悟った感じの説明が、
どれだけ戦後の日本人に悪影響を与えてきたか、想像したことがあるだろうか。
日本がミッドウェー海戦で負けたのは、情報が漏れていたことだけではない。
ミッドウェー海戦時の互いの戦力を分析すると、優勢なのは日本の方である。
(戦闘は不確実性との闘いであるという点は十分に理解した上でだが)
もし日本が戦略的ミスを犯しさえしなければ、日本はミッドウェー海戦で負けなかった可能性が、
少なくても壊滅的に機動戦力を失わなくて済んだ可能性が高い。
日本の暗号が解読されて事前に情報が漏れていた件に関しても、
ニミッツ提督に関する記録によれば、アメリカ軍に圧倒的優位をもたらすものでは決してなかった。
なぜなら、戦力的にアメリカ軍が劣っていたからだ。
アメリカ軍からしてみれば、負けることがわかってしまう情報が事前にもたらされていたのである。
いや、もちろん、この事前情報が戦局を優位に運ぶために非常に大きい意味をもったことは当然として、
ただ、それだけでアメリカ軍が勝利を収めたわけではないということに注目すべきだと考えるのだ。
詳しくは名著『失敗の本質』を参照されたし。
ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦における
日本軍の失敗事例を通して、日本的組織の問題点を見事に焙り出している良書である。
失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (戸部 良一, 寺本 義也, 鎌田 伸一, 杉之尾 孝生, 村井 友秀, 野中 郁次郎)
結果論的に言ってしまえば、日本軍の戦略判断ミスによる大敗なのである。
そういう本質的な部分を覆い隠してしまって、
「戦争はいけない」だとか「相手が国力に勝る」だとかという安易な方向に流れてしまうと、
「失敗の本質」を見逃してしまう危険性が高い。
負けるにしても、もっとマシな負け方はあったはずだし、もっとマシな戦局の運び方があったはずである。
であるなら、なぜそうできなかったのか。
その点に、学ぶべき「失敗の本質」があるはずなのである。
そういう点を無視して「初めから負けはわかっていた」とか「戦争はダメ」とかという
無内容な議論に終始してしまっていては、
我々は結局、戦争から何も学んでいないと言われてしまっても仕方が無い。
今、多くの日本人が日本の進路に思い悩み、心を痛めている。
敗戦から65年、我々は一体何を学んだのだろうか。