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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

敗戦から65年、見過ごされ続ける「失敗の本質」

2010-08-17 16:07:57 | 社会
終戦記念日(人によっては敗戦記念日かもしれないが)の日、8月15日。
夜、戦争を取り扱った番組を見ようと思ったのだが、
戦争ネタは人気がないのか視聴率が振るわないのかテレビ東京の池上彰氏の番組しかなかった。
それで最後の1時間ほど見た。

池上彰の戦争を考えるSP ~戦争はなぜ始まり どう終わるのか~(テレビ東京)
http://www.tv-tokyo.co.jp/ikegami_wars10/

最後しか見ずに批評するのもどうかと言われるかもしれないが、気になる点があるのでコメントしたい。

池上氏はわかりやすい解説に定評があるわけだが、話をわかりやすくするためか、
「戦争」を否定するためのロジックが強引過ぎる気がした。
要は、「戦争がなぜ悪いのか?」を説明するために「戦争とは特別なものだ」といわなければならず、
無理な論理的帰結が必要になる。
「戦争」は何ら特別なことではないのに、「特別なことだから悪い」と言わねばならない。


だからといって、池上氏そのものを否定するものではなく、
単にたまたま見たのが池上氏の番組だったというに過ぎない。

私がこれまで見た太平洋戦争を取り扱う番組には、たいてい次の旨のストーリーの下に組まれている。
「日本は愚かだから戦争をし、また愚かだから負けたのだ。」と。

私はこの考えを否定はしない。
ただ、「どう愚かであったのか」を明らかにすることなしに、戦争について反省したといえるはずはない。
しかし、どうしてもTV番組などは戦後レジームから脱却できてはいないようだ。
戦争は特別で悪いことだから、その戦争をした日本は愚かである。
のような論理展開から得られる反省点は、「戦争をしないことが重要」というような陳腐な答えしか得られない。
「憲法9条絶対死守」などと言って改憲にアレルギー反応を示す無内容な平和主義者のロジックそのものだ。

池上氏の番組ではサンクコストにこだわるが故に「戦争を途中でやめることができない」などと主張していた。
「これまで多くの命が犠牲になったのだから、彼らの死を犬死にさせてはならない。」とか
「多くの犠牲を払ったのだから、少しでも有利な条件で降伏しなければならない。」とかいうのは、
それは戦争でなくても、企業でも、家族でも、そして個人でも同じことが当てはまる。
人間心理に着目すれば「経路依存性」と「ブレークイーブン効果」で説明できる話でしかない。
要は、戦争も企業活動も、個人の生活習慣も本質的に同じだと言っているに過ぎない。
ただ、規模が違うというだけで。

(安直な発言は批判を招くかもしれないが)
池上氏の番組のロジックに従うと、
日本国内の自殺者がイラク戦争における戦死者よりも多いことをどう解釈すべきか不明になる。
人によっては自殺者が多いことを「もはや戦争(内戦)状態だ。」などというが、戦争だと何かが特別なのだろうか。
人がある目的のために、人(自分を含む)を殺す。
という点において違いはないではないか。

「戦争」というのは呼び名に過ぎず、所詮は人工的な事物の分類に過ぎない。
「戦争」そのものを特別視し、他とは違うものと見てしまっては本質を見誤る可能性が高まる。


戦争というのは状態を表す言葉であって、
軍事的行動は、ある政策実現のための一つの戦略的行動、つまり手段に過ぎない。
軍隊はその手段の実行部隊であるが、軍隊にとってはその手段が目的となる。
つまるところ、軍隊は政策実現のための1つのコマでしか過ぎないが
軍隊の力が大きくなると、軍隊内部の話だった手段の目的化が全体に波及する。
戦争をする(継続する)ことが目的と化し、そのために他のあらゆる資源が投入される事態となる。
この軍部の力を抑えるための仕組みが当時の日本に欠けていたとする議論やTV番組は多いが、
ここで議論したいのは、それとは別で、どう戦局を運営するべきであったか、
なぜそれができなかったかという話だ。

また、特によくないと思ったのは、太平洋戦争の転換点となったミッドウェー海戦の説明だ。
「日本が負けるべくして負けた」というようなありがちな誤った説明である。
池上氏が説明したミッドウェー海戦の敗因は、
暗号が解読されていたため事前に情報が漏れていたからだそうだ。
これは本当であろうか?

こういう「そもそも国力で勝るアメリカに日本が勝てるわけなかろう」という悟った感じの説明が、
どれだけ戦後の日本人に悪影響を与えてきたか、想像したことがあるだろうか。

日本がミッドウェー海戦で負けたのは、情報が漏れていたことだけではない。
ミッドウェー海戦時の互いの戦力を分析すると、優勢なのは日本の方である。
(戦闘は不確実性との闘いであるという点は十分に理解した上でだが)
もし日本が戦略的ミスを犯しさえしなければ、日本はミッドウェー海戦で負けなかった可能性が、
少なくても壊滅的に機動戦力を失わなくて済んだ可能性が高い。

日本の暗号が解読されて事前に情報が漏れていた件に関しても、
ニミッツ提督に関する記録によれば、アメリカ軍に圧倒的優位をもたらすものでは決してなかった。
なぜなら、戦力的にアメリカ軍が劣っていたからだ。
アメリカ軍からしてみれば、負けることがわかってしまう情報が事前にもたらされていたのである。
いや、もちろん、この事前情報が戦局を優位に運ぶために非常に大きい意味をもったことは当然として、
ただ、それだけでアメリカ軍が勝利を収めたわけではないということに注目すべきだと考えるのだ。

詳しくは名著『失敗の本質』を参照されたし。
ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦における
日本軍の失敗事例を通して、日本的組織の問題点を見事に焙り出している良書である。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (戸部 良一, 寺本 義也, 鎌田 伸一, 杉之尾 孝生, 村井 友秀, 野中 郁次郎)


結果論的に言ってしまえば、日本軍の戦略判断ミスによる大敗なのである。
そういう本質的な部分を覆い隠してしまって、
「戦争はいけない」だとか「相手が国力に勝る」だとかという安易な方向に流れてしまうと、
「失敗の本質」を見逃してしまう危険性が高い。

負けるにしても、もっとマシな負け方はあったはずだし、もっとマシな戦局の運び方があったはずである。
であるなら、なぜそうできなかったのか。
その点に、学ぶべき「失敗の本質」があるはずなのである。
そういう点を無視して「初めから負けはわかっていた」とか「戦争はダメ」とかという
無内容な議論に終始してしまっていては、
我々は結局、戦争から何も学んでいないと言われてしまっても仕方が無い。


今、多くの日本人が日本の進路に思い悩み、心を痛めている。

敗戦から65年、我々は一体何を学んだのだろうか。

隷従への道は善意で敷き詰められている

2010-08-17 12:18:56 | 政治

年に1回見るかどうかという日曜朝のNHKの番組「日曜討論」の一部を見た。
たまたまチャンネルを切換えたら児童虐待をテーマに議論をしていたからだ。
討論者は、辻井喬、西部邁、吉岡忍、雨宮処凜、宇野常寛。

この中で、非常に面白い日本の縮図を見た。
雨宮処凜氏と宇野常寛氏が「社会システムの欠陥」を声を大にして主張していた。
特に宇野常寛氏は、時代とともに変る社会構造の変化に着目すべきで、
戦後モデルの破綻と、新しい時代の社会保障システムの構築に主眼を置いていた。
要は、現行の社会システムの中では児童虐待などは必然的な帰結であって、
今後こういうケースは増加するだろうという見方である。

この話自体なんら新鮮味のある話ではないし、よく聞く内容だ。
だが、面白いのはこれに反応した西部邁氏の話だ。
西部氏は保守の立場から次のような話を展開した。

(かなり個人的な補足を入れ込み意訳してある)
日本には、古来より構築されてきた家族や地域などのコミュニティという素晴らしい社会システムがあった。
戦後、資本主義イデオロギーの下、社会構造の変化として人が「個」に分断されてきたことが、
現在の状況を生み出しているのだ。
この「個」への分断を必然的現象とは捉えずに、再興することを考えねばならない。
なぜなら、社会システムの構築によって全てに対応することはできないし、
また、この考えは政府・国家の役割を無制限に広げる危険性を持っているからだ。

この話を宇野常寛氏は十分には理解できなかったらしく、
それでも確率的に発生する欠陥に対処するためには社会的システムの必要性が存在すると反論していた。
宇野氏の話も当り前で真っ当なものだが、西部氏と議論している軸が異なり、ピンボケた反論であった。
せっかくの議論の種まきを西部氏がしたのに、それを受け取る宇野氏側に素養がなかったために議論が育たなかった。
討論慣れしている西部氏は自説を無理強いすることがなく、平凡な議論のまま終わってしまったのだ。
NHKはオビで「言論界の重鎮 vs. 若手論客」みたいなものを差し込んでいたが、それ以前の内容であった。

私は西部氏の意見に賛同するものではないが、西部氏の主張は非常に重要な論点を提供していると考える。
東大の学生だった頃に西部氏の弟子だったという池田信夫氏が最近次のエントリを書いているので紹介したい。
(池田氏と西部氏は仲悪いらしいが)

例えば、宇野氏は↓このような形で西部氏に反論すべきだった。

「後期近代」を考えるブックガイド(池田信夫blog)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51467160.html

自我の源泉(池田信夫blog)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51468456.html

なんにせよ、この番組に限らず他のメディアでも見て読んで気になっているのは、
「十分な社会システムの構築」を主張する人々は、
社会や国家というものの本質を理解しているのだろうか不安になることだ。
非常に力強く、そして説得力があるように見える主張の中に、
大きな誤解や無理解が含まれているのだとしたら、それは非常に危険なことと言わざるを得ない。
もちろん、彼らが己の信じる善意と正義に基づいて主張していることに疑いの余地を挟むつもりは無い。
しかし、ちょうど終戦記念日のその日に行われた議論において、
我々が戦争から学ぶべきものを何か忘れているのではないかという不安に駆られたのだ。

1944年にフリードリヒ・ハイエクが発表した「隷従への道」を題材にしたこの動画をよく噛み砕いて見て欲しい。
ここでのテーマの1つである「戦争」を「貧困」や「格差」に置き換えて欲しいのだ。
当Blogでは、「不安」を題材とした政策や施策を「不安ビジネス」と呼ぶことにする。

隷従への道