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進化する魂

フリートーク
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[虐待] なぜ虐待した母親は批判されるのか?

2010-08-03 13:24:00 | 社会

児童虐待が注目を集めている。
虐待と聞いて当Blogが黙っているわけにはいくまい。
当Blogのメインテーマは「恋愛」「結婚」「家族」「虐待」「個人と社会」である。
(宣言だけしてまともに取上げた時はないが・・)

↓まず、この3つのエントリを読むべし。

誰が何をネグレクト?(Chikirinの日記)
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801

児童虐待を減らす為に (俺の邪悪なメモ)
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100802/p1

[虐待] 本当の弱者は誰か?(進化する魂)
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/04245c50cdd520832abb5145000f49fb

見識あるご意見である。
お2人に共通しているのは「個人の資質ではなくて仕組みに着目するべし」ということである。
その根拠は「人間の行動は性格や個性といった個人的な資質よりも、外的要因によって大きく左右される」からである。

これに対し、次のような批判が存在する。
例えば、大阪の児童虐待事件についてはこうだ。


「今回報道では、容疑者の親の支援を容疑者が拒絶している」
「育児ネグレクトをした母親側が、ホストクラブに通うお金があったという点で、貧乏を前提に国家の支援体制の責任にするのに問題がある」


前者については、俺の邪悪なメモから引用する。
この反論で十分だ。
社会に甘えず体で稼ぐ母親の姿を想像してほしい。
それでもあなたは彼女を責めることができるのか。


本書の中に「他人に頼りたくない」といって、生活保護を受けずに売春をしている母親が登場し、俺は軽い衝撃を受けました。よく生活保護を「甘え」だとする意見がありますが、彼女自身そう考え、甘えずに売春という違法行為に手を染めているのです。

これは彼女自身の(愚かな)選択ですが、その背景には「シングルマザーでも福祉の助けなど借りず子育てすべき!」という世間の声があります。

繰り返しますが、シングルマザーの平均年収は214万円です。これでも子育てしていくのは相当厳しいですが「平均」ということは、これ以下の人が大多数いるということです。彼女たちは本当に福祉の助けを借りずに売春すべきなんでしょうか?


後者だが、前後関係を完全に間違えた批判だ。

この母親は、ホストクラブに通いたかったのではない。
苦しい毎日から逃避したくてホストクラブに通ったのである。
ホストクラブに通う金欲しさに風俗で働いていたのではない。
生活苦を乗り切るために風俗で働いた。
だが、風俗で働いたことで、彼女の心は病んだ。
病んだ心を慰めたかったからホストクラブに通っただけだ。
本末転倒だが、それしか彼女に道はなかった。
シングルマザーとして生きるには、彼女には能力が足りなかった。
だが、彼女と同様の環境で、シングルマザーとして生活していける人間は、そう多くいない。


サンデル教授ではないが、ここで講義風に話を進めよう。

この児童虐待のケースにおいて、世論がこの母親を批判する根拠はどこにあるだろうか?

批判の集中するのは、2人の子供を、それも悲惨な形で死に追いやったことだろう。
小さな兄弟が部屋に閉じ込められ、食事さえも与えられずに、それでもひたすら母親を想いながら死んだ。
子供に対する同情的心情が、母親に対する憎悪を増幅させている。
人は、「人殺し」に対してなかなか寛容にはなれない。

母親としての「義務」を怠ったことに対する怒りもあるだろう。
「母親として当然行うべき子育て」をしなかったという批判だ。
これは、日本において子育ての責任を持つべきは親であるという固定観念が、より一層そう思わせる。
「母親として不適格な人間は、人間ではない。」と言わんばかりの罵詈雑言を浴びせられる。

これも「義務」と関係が深いが、
この母親がホストクラブに通うなどして育児を放ったらかして遊んでいたということも批判の対象になっている。
おそらく、母親が遊びに行った先がお花畑や海だったりしたら、世の中の反応も少しは変っていただろうが、
遊びに行った先がホストクラブやパチスロだった場合には、世の中の同情は期待できない。

また、これは厳しい指摘だが、こういう批判もある。
容疑者は誰にも助けを求めなかったし、また助けを拒絶した。
この母親には、最悪の事態を避けるための選択肢があった。
にも関わらず、この母親はその選択肢を選ばなかった。
この母親は助かるための「努力」をしなかった。
母親がどうなろうと、それは自己責任なのであり、彼女が助かろうがどうなろうが知ったことではない。
しかも、この母親は、自らの意志で助かる道を避け、自分だけでなく子供を犠牲にした。
やはりここでも親としての「義務」を負わなかった。


以上の、これらの批判には説得力があるのだろうか。
実は、これらの批判にはあるキーワードが深く関係している。

「人殺し」、「義務」、「努力」だ。

次回は、これらのキーワードについて考えていく。